不思議の森、大森林
「……マリーよ。こいつぁ、森の主だ」
目の前に突如現れた大猪に剣を向けたまま、ランスロットが言う。
森の主ですって?なるほど大きいわけである。こんな大きな猪、私は今回の騒動で初めて見たのだが、ランスロットは以前見たことがあるのだろうか。
「団長さんはこの猪見たことあるんですか」
「ないぞ」
……ないんかい。
「じゃあなんで主だってわかるんですか」
「この岩山の近くに現れる不自然にでかい動物だからだ。以前、他国で似た場所を見たと言ったろう。他国の学者が言っていたんだ」
なるほど。よその森にもこんなのがいるんだ……
「お前のそばに現れたんだ。お前に用があるんじゃねえか?」
「私は用なんてないですよ!」
音もなく背後に忍び寄る猪なんて、お近づきになりたくない。
とはいえ、今回は騎士たちと一緒なので、前回よりはかなり冷静だ。
なので私の頭はちゃんと回転している。
大猪は音もなく背後を取れるのに、わざわざ鼻息を吹きかけて私に存在を知らせてきた。
私たちを攻撃しようと思えば、いくらでも奇襲をかけることができただろう。
騎士団は戦いのプロだ。音もなく背後から忍び寄る猪が、我々を奇襲しなかった。猪からの敵意を感じないようで、油断なく剣は構えているが成り行きを見守ろうという雰囲気である。
「前に対峙したときに、何か気に入られるようなことがあったんじゃねえのか」
ランスロットの言葉に前回の状況を思い返してみる。
リンゴを放り投げて気を逸らし、その隙に逃げてきただけなんだけど。
……リンゴ?リンゴが気に入ったんだろうか。
猪はこちらを……主に私をひたと見据えて佇んでいる。
その目線は私の腰のあたりだ。よく見ると私が腰から下げている道具袋をじっと凝視しているように見えた。前回の遭遇時にリンゴを取り出した道具袋である……
お前もリンゴ目当てかよ!
金の尾をもつタヌキといい、この猪といい、すべての元凶はこのリンゴにあったようである。
私は溜息を一つ落とし、腰の道具袋を開く。すると、辺りに芳醇な香りが立ち込める。
猪が鼻を鳴らし、うっとりとした表情を作った……ように見えた。
「一個だけだからね」
私は猪の前にリンゴを投げてやった。
すると猪はゆっくり私の前までくる。そして、私の腕に鼻を押し付けてから、地面に転がるリンゴを咥えて森の奥に消えていった。
……なんだったんだろう。
私が呆然としていると、ランスロットの呆けたような声が聞こえる。
「……おい、さすがだな。森の主を餌付けするなんて、お前以外には誰にもまねできねえことだ」
「……全然嬉しくないです」
「……帰るか」
しばらく皆で呆然と佇んでいたが、ランスロットの提案に我に返る。
「そうですね。帰りましょう」
そうして、脱力した私たちはのそのそと帰り道を歩き始めたのだった。
せっかく用意したが、黒色火薬の出番はなかったようである。小山のような図体にビビり、害なす存在と決めつけていたが、猪はリンゴ一つで私たちに何をするでもなく引き返していった。
何事もなかったという点では喜ばしいことなのだろうが、徒労感が半端ない。悪臭をまき散らした獣除けなど、こうなっては黒歴史以外の何物でもない。
芳醇な香りを放つ、化け物たちに人気のリンゴを持ち帰ることができたことが唯一の収穫である。
……私たちは未だに半ば呆けつつ、来た道を引き返した。
しばらく無言でもと来た道を歩く私たちの耳に、遠くの方から狼の遠吠えのようなものが微かに聞こえた。
騎士たちの間に緊張が走る。
妙だ。
このあたりの大森林には狼はいないはずである。
ランスロットが騎士たちに指示を出す。
「例の奴らかもしれん。奴らの寝ぐらを探り当てるチャンスだ。隊形を組んで進むぞ。さっきの岩山を起点にする。目印を忘れるな」
そして私に告げる。
「王都の東の酪農家達に被害が出ている。この大陸にはいないはずの大型の狼の集団の仕業だ。こいつらを殲滅するのが喫緊の課題なんだが、お前のおかげで奴らの寝ぐらがわかるかもしれねぇ。危険だが俺たちがフォローする。手当も出すから一緒に来て手伝ってくれねぇか」
仕事の依頼だ。金欠まっしぐらの私に否やなどあろうはずがない。
「もちろん。一緒に行きます」
私の答えに騎士たちが満足げに頷く。
「助かるぜ。お前の弓の腕は正直大きな戦力だからな。俺のそばを離れるなよ」
「はい」
王都ランカークスの周囲には、麦を主としたさまざまな農作物を栽培する畑が点在している。そして王都の東側には、王国の主要産物の一つである酪農、畜産に向いた牧草地帯が広がっている。
王都の西は大森林の一部が迫っている。我が薬草畑を見れば大森林が今もじわじわと広がっているという状況がわかるというものだ。ちなみに北へ行くと海に出る。我が国は北と南、東の三方が海に面している。
そして、王都から東側の牧草地帯では、畜産農家たちが牛や豚、羊などを放牧しており、わが王国の経済を強力に支えている。
王都民の私は知らなかったが、どうやら東側の牧草地帯で家畜が襲われるという被害が頻発しているらしい。
しかも襲っているのが、この大陸にはいないタイプのかなり大型の狼だという。
この大陸にいないタイプの狼がなぜ王都周辺にいるのか疑問だが、とにかくどこからともなく現れたその狼たちによる被害に農家の皆さんと騎士団は悩まされているらしい。
とにかく逃げ足が早くて困っているようだ。
家畜が襲われているとの通報を受けて王都から出動すれば、現場に着いた頃にはすでに逃げられた後。
それならばと牧場で待ち伏せをすれば、なぜか一向に現れない。
といった具合で、正直お手上げ状態だったようだ。
そんな厄介な狼たちの寝ぐらが分かれば一網打尽にできるというわけだ。
ランスロットをはじめ、騎士団の皆さんの表情が引き締まる。
今日こそけりをつけてやろうという強い意志がひしひしと伝わってきた。
「遠吠えが聞こえたのはもう少し北の方だな。一旦岩山まで進み、そこから北上するぞ。おそらくあの岩山が一番高台だ。起点にするにはちょうどいい。行くぞ」
現在の位置から北上してしまうと自分達のいる位置と王都との位置関係がわからなくなってしまうから、よく目立つ岩山まで行くようだ。
私たちは岩山まで進むと、進路を北にとりゆっくりと下ってゆく。遠吠えは、たまに遠くに聞こえる。進む方向は合っているようだ。
しばらく進むと、下りきったのかまた少し上りになる。さらに進むと緩やかな上りが完全に坂と言えるほど険しくなっていく。
だんだん急斜面になっていく坂を上っていると、唐突に視界が開けた。鬱蒼と茂る木々が視界のすべてだったものが、一面の青空に変わった。
……行きついた先は断崖絶壁だった。かなり下の方を川が流れている。そして、対岸にまた森が続いている。
かなり深い渓谷のようだ。この先に進むのは無理である。
「仕方ない。今日は引き返すことにしよう」
ランスロットが悔しそうに皆に告げる。
考えてみれば、遠くに聞こえた遠吠え一つで狼に行き当たるなど、かなり難易度が高い気がする。大森林はそれだけ広大であり、森の中から狼の巣穴を発見するのは、砂浜に落ちた針を探すようなものである。
足取り重く、来た道を引き返し始めてしばらく、私たちはまたあの奇妙な静寂を体感した。
皆が足を止めた瞬間、私の背中を生暖かい鼻息が撫でる。
ブルルル……
振り返れば、そこには山の主……小山のような大猪が佇んでいた。
マルガレットが命の危機を感じた大猪は、どうやら彼女には好意的なようです。
猪とタヌキの間ではリンゴをくれる人間。という認識なのでしょうか。
さて、猪の暴走、王都大乱入という、マルガレットが想像した大惨事は杞憂に終わったようですが……王都の治安を一手に担う騎士団が頭を悩ませていた難敵の存在が明らかになりました。
次回は大森林探索、新たな展開です。




