大森林の脅威
昨日のうちに一度、大森林にのみ込まれた畑の状態を確かめてみたかったのだが、暗くなってしまったため断念。
明けて今日、大森林に踏み込むことにした。
王都が見える範囲で探索し、それほど奥には踏み込まないつもりだが森を侮ってはいけない。
革のブーツを履き、腰にはショートソード、背中に弓を背負い、外に出かける時用の道具袋を腰に下げ、外套を羽織るという完全装備で管理小屋を出る。
騎士団による護身術の訓練のおかげで剣をそこそこ使えるようになった。しかし、私はか弱い女の子である。筋肉が足りないので近接戦闘は苦手なのだ。
その代わり、弓矢は自分で言うのもなんだがかなりの腕前になったと自負している。遠くから相手の戦闘力を無力化できるので、か弱い女の子の私には有用な武器である。
だから弓矢の訓練は一番真剣にやった。
今のところ私は、自分の弓矢の腕前を一番の頼みにしており、剣による近接戦闘の方は不意打ちや乱戦時に自分の身を守り、安全に退避する自衛のための立ち回りを練習している。
なので、防御に徹しやすいようにショートソードを好んで使っているのだ。
……刀身が長い方が相手と距離をとれるから心理的には安心なんだけどね。その分重くて早く切り返せないのだから仕方ない。
何事も過信は禁物である。
準備は万端に整えたが、やることは王都の木の柵を超えて、住んでいる管理小屋の前にひろがる元畑の状態を確認するだけである。
というわけで、柵につけられた粗末なドアを押し、元畑へと足を踏み入れる。
成長の早い木が早くも鬱蒼と生い茂り、地面は木の葉に遮られ日の光があまり届かない。いくら成長が早いとはいえ、柵を超えてすぐの位置でこれである。いったい何年放置していたのか。
しかし足元の地面にはもともと畑であったことがわかる畝の跡がわずかに残っている。
畝が崩れきらない程度の短期間にこんなに森に侵食されてしまったのだろうか……それはそれで木の成長スピードが異常だということになる。
そういえばゼロス教授が、この第6号薬草園で育てた薬草は品質がいいと言っていたような……このあたりの土地は栄養価が高いのかもしれない。
それにしてもだ。これほど茂ってしまっては、畑として使うにはあまりにも日光が足りない。日陰を好む山野に生える薬草などはこれぐらいの日当たりの方が育てやすいかもしれないが。
しかも、管理小屋から出てすぐにこれほど木々が茂っていては視界が悪い。そして管理もしづらい。日陰を好む薬草はもっと奥で育て、小屋付近は火薬で吹き飛ばして日当たりのいい畑にしたいところだが、これほど近いとなると、下手に爆薬を使ったら小屋ごと更地になりそうである。
……いかん、騎士団やアカデミーに怒られる。
この際多少妥協して、もうちょっと奥に日当たりのいい畑を作った方がよさそうだ。それで、手前の方は少しずつ開墾していこう……
方針が決まれば次は爆破してもよさそうな地形を探す作業である。管理小屋からしばらくの間は、まだ畑の名残の畝が残った平らな土地で、ここが元々畑であったことを物語っている。
足元を確かめつつ、もう少し奥に分け入ってみる。
小屋がずいぶん小さく見えるようになった頃、小川があるのを発見した。小川の対岸には畝の跡はなく、鬱蒼と生い茂る森が続いている。
もともと畑はここまでで、この小川の水を使って畑を維持していたのかもしれない。
この小川、かなり水が澄んでいる。どこから流れてきているのだろう……
これ以上奥へ入るのは一人では危険な気もするが、好奇心に勝てない。私は、小川を辿ってもう少し奥まで進んでみることにした。
しばらく小川に沿って進む。ここまでは緩やかな登りだった。
そして、唐突に私の身長の三倍はあろうかという岩山に遭遇した。その岩山の中腹、私の背の高さのちょっと上くらいの岩肌からちょろちょろと水が染み出しており、それが小川を作り出していた。
来た道を振り返ってみたが、もう管理小屋も、王都外周の柵も見えない。木々が生い茂っているため、王都の中心部、聳え立つ王城も視認できなくなっていた。
普段の私なら考えられないことだが、後方の確認をすっかり怠っていた。小川のせせらぎに心を奪われていたようだ。戻るべき王都が視認できる程度までしか踏み込まないつもりでいたのだが、いつの間にかこんなに奥まで入り込んできてしまっていた。
……なるほど、迷いの森と言われるわけである。
これ以上奥に分け入るのは危険だと私の本能が警告する。今日はこの岩山までで引き返すことにしよう。
帰る方向を見失わないよう、水が染み出ている岩肌のあたりから伸びる比較的茎のしっかりした植物に、お出かけ用バッグから取り出した布切れを結わえ付ける。
これでどの方向から来たか、帰る際の目印になる。
私は、このこんもりとした岩山の周囲を見て回ることにした。ずっと小川の流れを確認しながら歩いてきたので、ほぼ地面しか見ていなかった。ちょっとあり得ない失態だが、ずっと緩やかな上り坂で、木々は生い茂っているのだが不思議と歩きにくいということがなかったのだ。そしてこの小川、見ていて飽きない。キラキラと輝く水面と、せせらぎの音が不思議と興味をこの小川に引き付けていた。
そうして、ふと顔を上げたら、大きな岩山が視界いっぱいに映っており、ちょっとびっくりしたのである。
気づいた時には視界いっぱいに岩山が広がっていて、おおよその大きさは把握できない。木が茂り、視界を遮ると、これだけ大きなものも近づくまで目に入らないものなのだと妙に感心しながら、岩山に沿って周囲を探ることにした。聳え立つ崖というほどの高さはなく、上を見上げれば高さがわかる。ただ、横を見ても端が視界に捉えられない。結構大きな岩山なのかもしれない。それにしては高さが妙に低い気がする、アンバランスな岩山である。
岩山を正面に見て右側に、大きなリンゴの木がある。今は春先で、熟れきった実がかなり高いところの枝先に揺れていた。
野生のリンゴなんて珍しいと思いながら岩山を、リンゴの木の方に進む。
リンゴの木の下には冬眠から覚め食べ物を探しに来たのか、かわいらしくしっぽを振るタヌキが地面をガサガサと漁っていた。
そのしっぽを何気なく見て驚く。先っぽが金色だ。ふつうは黒いはずだが珍しい個体のようだ。
私の足音を聞いたのか、タヌキはふと顔を上げて私の方を見るが、逃げようとする素振りさえ見せない。愛嬌があるというか、間抜けというか、まるで警戒心のない顔は、私にこう語りかけているようにみえた。
『あ、私は食べ物探しで忙しいのでどうぞお構いなく』
そうして、また地面をガサガサと鼻先で突きだす。まさかタヌキが人語を操るはずもないが、私にはそう聞こえた気がした。
ふっと私は小さい笑みを浮かべ、背中の弓を手に取り、矢筒から一本、矢を引き抜く。
矢をつがえると弓を引き絞り、狙いをつけて放った。
リンゴの枝へ向けて。
重そうに実をぶらぶらさせていた枝が、矢に射られて実ごと地面に落ちてくる。
枝についた実は二つ。実が落ちた音にタヌキは顔を上げると、目の前に突然現れたリンゴの実に、顔を輝かせた……ように見えた。
タヌキは器用に前足で実を一つ千切ると、口にくわえて立ち去って行った。しばらくして、口にリンゴをくわえたタヌキは、一度だけこちらを振り返る。そしてまた木々の間を奥へと去っていった。
『私、リンゴ大好物なんですよね』
なぜか私は、タヌキのそんな声が聞こえた……気がしたのである。
タヌキは一個しか持っていかなかったので、もう一つは私が貰うことにして、落ちたリンゴを拾い、カバンにしまった。
タヌキの可愛さにほっこりしつつさらに岩山を右手へ進む。ところどころで、先ほどの小川の水のように岩肌から水が染み出ているのが見える。染み出た水は同じように小川となって先へと流れて行っている。どうやらこの岩山は周囲より少し小高い丘の上にあるようだ。
さらに進むと左手後ろに見えていたリンゴの木はだんだんと小さくなり、やがて岩山に隠れて見えなくなった。どうやら岩山は、ゆるく左にカーブしているようだ。
そのことに気づいてからは、進む先に特徴的な木を見つけるとそれの見え方がどう変わるか歩きながら確かめた。春先に新芽とともに小さい真っ白な花を枝いっぱいにつける木が突然岩山の右側に現れる。岩山を進むうちに、右前方に見えていたその木は、正面を過ぎると左後方に、そして岩山に隠れて見えなくなる。
岩山がまっすぐ伸びているならもっと遠くから見えるはずだし、見えなくなるのも岩山に視界が遮られてではないはずだ。
やはりこの岩山、どうやら円形をしているらしい。あまりに直径が大きく、まっすぐな岩肌が続いているように見えるのだが。
ということは、このまま右に進み続ければ先ほどの私が布切れを結んだ場所に戻るに違いない。
果たして、さらに歩き続けた結果、見覚えのある布切れが小枝に結わえ付けられているのを右手に発見した。さらに右手の奥には、リンゴの木がある。
どうやら岩山を一周してきたらしい。それにしても変わった岩山である。自然にできたものなのか疑わしいほどに変わっている。
地殻変動で土地が隆起し、棚状に段差が崖として聳え立つ地形なら円形はしていないだろうし、小高い丘だったものが、雨風で上部が侵食されてできたにしては岩肌が低すぎる気がするし、丘だったにしては岩肌の崖がほぼ垂直で急斜面が過ぎる。
しっくりくるといえば、まるで巨大な木の切り株のようだ。……木だと仮定したとしたら、非常識な大きさだが。一周回ってくるのに、かなり歩いた。この直径で木だったとしたら、それこそ天まで聳え立っていたでしょうね。
小高い丘の上に大きな切り株のような岩山……やっぱり大森林は変わった場所だった。
この岩山までずっと緩やかな登りだった。爆薬を使うと遮るものがなく王都の外周まで被害が及ぶかもしれない。……タヌキにもびっくりされそうだし。
小川に抉られてちょっと低い土地みたいな地形がないか期待したのだが、そんな地形はなかったのである。
無駄足だったかと思いつつも、さっきからカバンに入れたリンゴが異様にいい香りを放っている。もしかするとこのリンゴ、めちゃくちゃ美味しいかもしれない。帰ったらさっそく食べてみることにしつつ、枝に結わえた布切れを回収して帰路についた。
緩やかな坂を下りながらもと来た道を引き返し始めてしばらく経ったころ、私はある違和感に気づいた。そして全身に鳥肌が走る。
先ほどから静かなのである。木々が生い茂った森だ。もちろん騒がしいはずはないのだが、それでも小川のせせらぎに交じり、遠くで小鳥が囀り、小動物が私の足音にびっくりしてガサガサ動く音など、なにがしかの音が聞こえていた。
……それがさっきからないのだ。響くのは小川のちょろちょろというせせらぎの音、そして風に揺れる枝のさざめき……
そして枯れ枝を踏みしめるバキバキという大きな音……
突然間近で響いた大きな音と、ブルブルという鼻息にそっと振り向く。
近い。そこにはいつからいたのか、私の身長よりも大きな猪がこちらを見ていた。
ぎゃあああああ!……私は絶叫を喉の奥に押し込みじりじりと下がる。大きい。こんな大きな猪など、私は見たことがない。油断はしていなかったが、想定外にもほどがある。やはり大森林は恐ろしい場所だった。
この大きさでは、私の腕力で放つ弓矢では致命傷を与えられない。射殺すまでに突進されて私は宙高く吹き飛ばされるだろう。腰のショートソードなど、さらに役に立たない。毛皮に阻まれ刃が通らないだろうし、その前にやっぱり宙高く吹き飛ばされるだろう。
……これは、割と詰んでいるのではないだろうか。冷汗が首筋を伝う。なにか、使えるもの……、と道具袋を手で探る。
すると猪の視線が道具袋に向いた。さっきまで私の目をしっかり睨んでいたのだが、私が手を入れるために袋の口を開いてからは、猪の目は袋に固定されて動かなくなった。
ん?なんだろう……少し考えて私の頭にある考えが浮かんだ。もしかしてさっきのリンゴ?
極度の緊張で気づくのが遅れたが、道具袋を開いた途端、あふれんばかりの甘い芳香が辺りに漂った。先ほど拾ったリンゴの香りである。
このリンゴの香りに誘われて姿を現したのならば、もしかすると何とかなるかもしれない……一か八かの賭けになるが。何とかならなかったら、無防備な姿をさらした私の脇腹は、あの猪の鼻先で砕かれ、私は宙高く舞い上がることになる。しかし、ちゃんと身構えていたとしてもあの巨体相手である。どのみちこのままではそうなるしかない。
私は一か八かの賭けに出た。袋からリンゴを取り出して高く掲げる。すると、猪の視線が私の手の動きに合わせて上を向いた。
ビンゴ!
私は高く掲げたリンゴを振りかぶると、思いっきり明後日の方へ投げ捨てた。
その瞬間、猪は地面を蹴り、落ち葉を舞い上がらせて突進した……私が投げたリンゴの方へ。
あっという間に走り去る猪の姿を眺めて、私はその場にへたり込みかけ……あわてて体に力を入れて全力でこの場を脱出した。
とりあえずの危機は脱した。しかしまだ森の中である。気が変わったあの猪や、また別の危険な動物が来たら大変だ。
私は情けなくも震えが止まらない自分の足を叱咤し、足を前に運び続ける。
慌てて走って戻ってきたが方向は間違えずに済んだようで、ほどなくして今となってはあまりに頼りなく見える王都外周の柵と我が管理小屋が見えた。
危うく森の中で命を落としかけたが命拾いした。あれのおかげで助かったのか、それともあれのせいで深淵から怪物を呼んでしまったのか……今後はあのリンゴの木には手を出さないことにしよう。
しかし、こんな王都の近くの森に、あんな化け物が生息しているとは。これはさそっく騎士団に報告して、このあたり一帯の森は早々に爆破して畑に整備しなおさなければ危ない。
現状森の隣に住むことになった私が一番危ないが、柵の内側まで森に侵食され、王都の内部にあんなデカい猪が出没したら大変な被害が出そうである。何とか森の奥に追い返す方法を考えないといけないだろう。
とりあえず、明日騎士団に出向いて善後策を協議することにして、今日は大至急するべきことがある。
森から獣たちが這い出してこないよう、獣除けの香を大至急調合するべく私は管理小屋に籠ったのだった。
森の奥まで一人で不用意に入り込んだ結果、とんでもない化け物に遭遇してしまいました。
次回は騎士団に報告と善後策の協議のため、再び騎士団を訪ねます。




