フェリスからの贈り物(前編)
「まずは今回の我が帝国の危機への君たちの助力に心から感謝するよ。治療中の皇帝に変わり、第一皇子たる僕から君たちに最大限の感謝を表しよう」
フェリスの部屋にて。
ソファに座った私たちの前に進み出たフェリスは、膝を折って私たちの手を取り、それぞれ自分の額につけて感謝の意を表してくれた。
「ムスタファム皇子……」
「マリー。今この部屋にいるのは僕たちだけだ。今の僕は皇帝直属の巡検使、フェリスだよ」
壁際にあなたの側近が控えているんですけど……まあフェリスがそう言うならそれでいいけど。
「わかったわ。フェリス。あなたが無事でよかった。そして帝室があのおかしな連中に乗っ取られずに済んでよかったわ」
「そうですね、マリーさん。あいつらうちの国にもちょっかいを出そうとしていたようだから。突然フェリスがうちの国に来て『異国の商人がおかしな盆栽を献上しなかったか?』とすごい剣幕で言い出した時は何事かと思ったけど、こうしてこの国で事件に関わって、あれのヤバさが身に染みてわかったわ。フェリス、私にとっても得るものが大きかったからお互い様ね」
カリンの言葉を聞いたフェリスは肩を竦めて見せる。
「だからあの時言ったじゃないか。放っておいたら大変なことになるとね。カリンは早く帰国してあの盆栽を何とかしないといけないんじゃないかい?」
「ふふっ。フェリス、うちの国に献上されたあの盆栽はね、ある人が混乱状態で作った獣除けの魔香の強烈な効果で紫色に変色して枯れてしまったのよ。当初陛下はかなり落ち込んでいたけどね。数日したら『何かの悪夢に取りつかれていたようだ』とすっきりした顔で言っていたわ」
「そうだったのか。大事に至らなくてよかったよ。僕があの時あれの危険性を力説したというのに君は全く信じてくれなかったよね」
「だって鉢植えの盆栽が突然人の背丈ほどに急成長して人を食べてしまうなんて荒唐無稽な話、誰が信じるのよ。あの時はマリーさんが貴族に目を付けられて取り込まれそうだったから、ピッタリ張り付いて見張っていないといけない時期だったのに突然あなたが国賓扱いでやってきて『盆栽はないか』だもん。なんて間の悪い男かしらと思ったわ」
なんだか二人で盛り上がっている。これはおそらく私が遠征に出ようとしていた時、王都に国賓としてフェリスが訪問してきて、『満月の黒猫亭』で密談をしていた時の話だろう。
あの時の私の予想通り、フェリスが外遊に来たことでカリンも自由に外出できなくなったようだ。
「悪かったね、間が悪くて。でもすでに対処済みなら安心だ。ところで、その盆栽を枯らしてしまった魔香を作った人は誰なんだい? 陛下の中毒の治療の参考になるかもしれないからもし可能なら紹介して欲しいんだが」
「ふふっ、本人に直接交渉したら?」
カリンがにやりと笑って私の方を見つつ、フェリスの質問に答えた。フェリスは驚きで目を丸くする。
「えっ! まさか……マリーなのかい?」
そう言いつつ私を凝視してくるフェリスから、そっと視線を外して明後日の方を見る。
「さてなんのことかしら」
「マリー、教えておくれよぉ」
「マリーさん、教えてあげてください。我が国の陛下もあの魔香の強烈な煙を吸い込んでから頭にかかっていたモヤのようなものがすっきりしたと言っていました。ですのであの魔香を皇帝陛下の部屋で炊けばきっと陛下も正気に戻られるでしょう……材料さえあれば再現可能なんですよね?」
うーん。再現はできるが……あれはかなり高価な材料をふんだんに使っている代物だし……あの時は切羽詰まっていたから、正直どの素材が効果あったのかよくわからないのよね。
でも陛下がそんなことを仰っていたとは初耳だ。ランスロットはそんなことは教えてくれなかった。
そんなに役に立ったのなら少しぐらい報奨金をくれてもよかったじゃないの! ああ、錬金術ってほんとにお金にならないわ……
「マリー?」
「マリーさん?」
おっといけない。考え事してたから返事がお留守になっていたわね。
「ああ、ごめんなさい。獣除けの魔香だったわね。できるけど……その材料が問題なのよ。ゴールデンベヒンガっていう超高級木材から作る木タールと木酢液とか、農家のシュバルツさんのところのランカークス牛の糞とか、バーラート王国の北部で栽培しているハイグロウンティーの葉についたチャドクガの幼虫が出す臭い液体とか、ここから西に海を渡った先にある大陸産のチリという超辛い実とか、とにかく貴重な素材を使っているのよね。フェリス、それらを用意できる?」
絶句する二人。
「材料用意してくれたら作れるけど……できそう?」
カリンがフェリスの方を見る。そしてフェリスは頭を抱えた。
「ちょっと用意できそうにないな……特に農家のシュバルツさんのところの牛の糞ていうのが……そこの牛の糞じゃないとダメなのかい?」
「うん。あそこの農場、全域がいろんな薬草の自生地なのよね。あそこの牛はそれを食べて育つからちょっと他とは一味違う糞になるのよ。燃やしてみたらすごい効果でびっくりしたわよ」
「……僕には牛の糞を燃やして回るマリーの方がびっくりだよ」
……失礼ねっっ!
「じゃあ作ってあげない」
「マリー! 冗談だよぉ」
縋りついてくるフェリスを振りほどきながら、私は話を続ける。
「ねえフェリス。私が作るより専門家に私のレシピを教えた方が早くない? ほら、なんか嵌められてクビになった侍医の人がいるんでしょ?」
「ああ……キヴァンツか。確かに彼は植物由来の依存性を緩和する薬の研究をしていた。だが、それを毒薬作成の疑いありとして罷免したんだ。そんな彼に皇帝のために再び薬を作ってくれなんて僕はとても要請なんてできないよ。まったく陛下には困ったものだ。そもそも今回、ネビルが皇帝や僕を亡き者にしようと思ったのは陛下の過去の行いが原因だったみたいなんだよね」
「どういうこと?」
「ネビルの取り調べをしていたらね、彼が凶行に走ったのは、そもそも若い頃に陛下が彼の許嫁に一目惚れしてね……恥ずかしいことに権力に物を言わせて無理やり自分の妻にしてしまったからだと言うんだ」
それは国が乱れる元ではないか。皇帝が臣下の許嫁を奪うなど……とんでもない話である。辣腕を振るい、帝国を繁栄させている名君というのが一般的な周辺国のアルメニアン帝国皇帝に対する評価なのだが……しかし内情は、家臣の許嫁を奪う暴虐非道の主だったということだろうか……
「いや。さすがに陛下もまずいことをしたと後で反省はされてね……男爵という、帝国内でそう高くない地位のネビルに帝都の商売の一切を管理する権限を与えたんだよね。当然その利権は強力で、男爵の地位にありながら彼はこの国においてかなり重要な立場に立つことになったのさ」
これは破格の待遇であり、特に帝国への大きな功績があったわけではないネビル男爵に突然帝都の商売の管理が任されたことは、許嫁を奪われたネビル男爵への皇帝からの補填であることは誰の目にも明らかだった。
皇帝の我儘に眉を顰めた重臣が多かったことや、ネビル男爵が意外な才能を発揮して帝都の商売を活性化させ、税収を爆発的に増やすことで国庫がかなり潤ったことなどにより、男爵位のネビルがいわゆるオイシイ役職を得たことに不満を漏らすものはいなかったようだ。
そしてこれは、王宮内では公然の秘密、第一級の禁句になったらしい。当時まだ産まれたばかりのフェリスは、この事件を知らなかったそうだ。
また、ネビル男爵も新たな活躍の場を得、水を得た魚のように生き生きと仕事に励み、いつしか皇帝の無体は人々の記憶から薄れていった。
しかし当のネビル男爵は、今に至るまで奪われた許嫁に深く執着しており、皇帝を暗殺してかつての許嫁である第二夫人をその手に取り戻そうと、虎視眈々と機会をうかがっていたようだ。
そして、第二夫人が産んだ第二皇子を帝位に就け、許嫁であった第二夫人が夫たる皇帝の死後も権力の座に留まれるようにと画策していたらしい。
「皇帝と僕は見ての通り命を狙われたわけだが、ネビルは第二夫人が今後王宮で安全に暮らせるようにと僕の生母である皇后陛下をもその標的にしていたようだね。まったく陛下のなさったことで僕たちはいい迷惑さ」
そう言うとフェリスは、深いため息を吐いたのだった。
「だから僕としては濡れ衣を着せて罷免してしまったキヴァンツを、陛下のために頭を下げて再び戻ってきてもらうよう頼みに行く気になれなくてね……だからと言って陛下をあの状態でいつまでも放っておけば国政に影響が出るし……だからマリーがちょちょいとその魔香を調合してくれたら助かるなあと」
ため息を吐きつつそう言うフェリスに、私は仕方なく頷いた。
「わかったわ。素材さえ用意してくれたら作ってあげるわ。あ、シュバルツ農場の糞は私の方で用意するから」
「ありがとうマリー! 助かるよ! それにしても、僕はネビルを尋問して疲れちゃったよ。蓋を開けてみたら陛下の若気の至りが原因だったなんてさ。ネビルには気の毒なことをしたよ……帝室の一員として彼には申し訳ない」
そこまで言うと、首を一つ振り、フェリスの顔にいつもの笑顔が戻る。
「さあ、暗い話は終わりだ。事件の解決に協力してくれた君たちには、今回の事件の背景もちゃんと報告しなきゃと思ってね。さて、ここからは君たちに僕から協力への感謝を込めてお礼の提案をさせてもらうよ」
ミントのように爽やかな笑顔を私たちに向け、お気に入りの椅子で足を組んだフェリスが提示してきたお礼に、私は度肝を抜かれ目を丸くしたのだった……
マルガレットとカリンの活躍を自室にて労うフェリス。彼の口から語られた事件の主犯格であるネビル男爵の動機は、同情を禁じ得ないものでした。
そして、帝国の危機を救ったマルガレットたちに、フェリスが示した謝礼は……
次回、フェリスからのお礼の提示と、マルガレットの要望です。




