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天界樹と天界樹の森

「天界人? フェリス……じゃなかった、皇子様。それってなんなんですか? 初めて聞いた単語なので、私がその天界人かなんて(おっしゃ)られてもわからないですよ」


 騎士や役人たち、そして下働きの人たちが部屋の片づけをしている横で、私はムスタファム皇子の質問に答えた。しかし、私がちゃんと答えているというのに皇子は思いっきりふくれっ面をしてくる。

 何か気に障ったのかしら……


「マリー。なんだいその他人行儀な喋り方は。そんなに急によそよそしくなったらなんだか君に嫌われたみたいで嫌だよ……なるほど。今ならカリンの気持ちがよくわかる。太陽のように輝く君には、やっぱりいつものように気安く接してほしいな」


 いや、さすがに皇子様にそれはちょっと……


「いや、さすがに……」

「皇子様にそれはちょっととか言いそうだよね君は。よし、こうしよう。王宮内や、第一皇子として公式に君に相対する時は僕のことをムスタファム皇子としてそれなりに礼を(わきま)えてくれ。だが、王宮を一歩出たら、もしくは僕が皇帝直属の巡検使の仮面を被ったら、いつものように気軽にフェリスと呼び捨てて、気軽にため口で話してほしい……ダメかな?」


 ムスタファム皇子……いやフェリスが悲しそうな顔でこちらを見る。ああ、カリンちゃんが同じような顔をしていたな。

 フェリスとも結構長く一緒に旅をした。彼の胡散臭いキラキラ笑顔も、無邪気に私と悪ふざけをしてカリンにまとめて怒られる姿も私は結構気に入っている。

 他国とはいえ皇子様にそんなこといいのだろうかとは思わなくもないが、本人たっての希望ならいいのだろう。


「わかりました。あなた様がそれでよいと仰って下さるならそのようにさせていただきます。ムスタファム皇子、私などに皇子様と親しく接することをお許しくださる栄誉をいただきありがとうございます」

「マリー……だからそんな他人行儀に喋らないでおくれよぉ~」

「皇子様。ここは王宮の中でございますので」


 情けない声で私に縋りつくフェリスに、私は真顔で答えつつ器用にウインクをして見せた。

 それを見たフェリスの顔がパアッと輝く。


「ありがとう。マリー! 僕には暗殺者を退けたことよりも今の君の答えの方が何倍も嬉しいよ……そしてもう一つありがとう。君は自分の身の危険も顧みず、僕のことを庇ってくれた。これについてはアルメニアン帝国第一皇子として後日正式にお礼をさせてもらうよ」


 私たちのやり取りを真剣な顔で食い入るように見ていたカリンが、大きな安堵のため息を吐く。

 全身に入っていた力を抜き、だらんと緩んだ顔になった。


 カリンちゃんは何をしているの? あっ、口では悪く言ってても幼馴染のフェリスを心配して、私がフェリスの申し出を受けたことに安堵したのかな? カリンちゃん、友達思いのいいところあるじゃない。


「ところでムスタファム皇子? 私にはお礼の言葉はないのかしら?」


 そのカリンが軽い口調でフェリスにツッコミを入れた。

 それに対してフェリスは、カリンを茶化すようにおどけた口調で応じる。


「今のやり取りを目の前で見せたことが礼になると思わないかい? 君の今後の参考になっただろう。第一君は僕を助けるというよりマリーを助けるためにその剣を振るったんだよね? 僕にはわかっているよ」

「今後の参考……何のことかさっぱりよ。それにちょっとは貴方のことも心配したわよ! そんなことより、早く着替えと温かいお風呂を用意しなさい! マリーさんをいつまでそのままにしておくつもり?」


 いくら幼馴染とはいえ、仮にも一国の皇太子に遠慮がなさすぎる。しかもここはアルメニアン帝国の王宮の中である。

 周りは皇帝や皇太子に臣従する家臣ばかりなのだ……いくらカリンちゃんが高位の貴族でも、さすがに怒られたりしないだろうかと心配になる。


 確かに、言われたフェリスはもちろん、周りにいる騎士や役人たちも誰一人カリンの言動を咎めようとする者はいない。いないのだが、しかしもしかすると心の中では『なんだこの無礼な奴らは!』と思っているかもしれないのだ。


「カリンちゃん、この人一応第一皇子様なんだから。外なら構わないけど王宮の中ではもうちょっと丁寧に扱った方が良くない? ほら、家臣の皆さんの目があるわけだし……」


 心配になった私が小声でカリンに言うが、当のカリンは意にも介していないようだ。


「マリーさん、私子供の頃からここの王宮に毎年遊びに来て、いつもフェリスへの扱いはこんな感じだから今更ですよ」


 だそうだ……

 フェリスも全く気にしていないようで側近の文官を手招きして呼んでいる。


「そうだね。功労者たるこちらのレディ二人にお風呂の用意を頼む。マリー、気が付かなくてすまなかったね。すぐ用意するからその返り血を洗っておいで」


 フェリスは私たちを見て、優しげな笑顔でそう告げたのだった。



 その日は王宮のガチ泳ぎができるほど広大なお風呂に入れてもらった。

 お風呂が終わると、豪華なシャンデリアが天井に揺れ、踏み込めばくるぶしまで沈むようなふっかふかの絨毯が敷き詰められた、目も眩むような豪華なお部屋に通され、食べきれないほどの豪華な食事をいただいた。


 カリンは平気な顔をして風呂に浸かり、美味しそうに料理を平らげているが、ザ・平民の私はこんな豪華な部屋での風呂も食事も落ち着かなくて仕方ない。


 緊張しすぎてご飯の味がわからなかったのは内緒である。



 明けて翌日、フェリスが事後処理が終わっていないからまだ王宮から出ないようにと言うので、私たちは特にやることもなく王宮内をぶらぶらしている。

 王宮についてはカリンが完璧に把握しているようで、暇な私を連れまわして色々案内してくれている。王宮内は自由に探索してよいとありがたいお言葉を第一皇子様からいただいているのだ。


 王宮内を歩いていると、図書室があった。カリンと二人で入ってみる。

 するとそこには、植物学者のトルガーロウがいた。


 私はこの機会にトルガーロウに質問をしてみることにした。


「ねえトルガーロウさん。あの他所の大陸の奴が言っていた天界樹って何かわかる?」

「ああ、あなたたちか。天界樹については私もそんなに詳しくは知らない。現在も生きている天界樹は発見されていないからな。世界各地に、かつて生えていた天界樹が枯れたものなら観測されているが」


 へえ。天界樹なんてアカデミー所蔵の書籍にも一切記述がなかったので私は知らなかったが、世界的には有名な木なのだろうか。

 さすが世界にその名を轟かせている植物学者である。『餅は餅屋』というが『植物は植物学者』ということだろうか。


「トルガーロウさんはその天界樹の枯れ木を見たことあるの?」

「いかにも。この大陸だとバーラート王国に二つ、この国に一つあったな。いずれも天界樹の森の中にある」


 天界樹の森……我が国の騎士団長ランスロットが言っていたのと同じ名前である。


「天界樹の森って、北部の大森林のこと?」

「そうだ。この大陸の者たちは皆あの森を大森林というが、あれは普通の森ではない。あの森は天界樹がもたらした豊かな恵みそのものなのだ。そして森の中心には必ず枯れた天界樹がある。なぜならあの森は、天界樹が枯れた後に拡がったものだからな」


 なんと。北部の大森林って、やっぱり普通の森じゃなかったんだ。あの森に入ると、なぜか妙に時を忘れて彷徨ってしまったり、小川の流れだったりきれいな花をつける群生した木々だったりに魅せられて周りが目に入らなくなってしまい、はっと気づくと随分奥まで来てしまったことが多々あった。


 そして、なぜかあの森で採れる薬草で作った薬は、想定外の副次効果がついていたり、異常に効能が高かったりするのである。

 あれらは天界樹とやらのせいだったわけね……


「それで、枯れた天界樹ってどんな形しているんですか? この国にもあるんですよね?」

「ああ。天界樹はその名の通り、天にも届くほどの巨木だったようだ。雲を突き抜け空高く(そび)え立っており、その全容を見た者はいないほどだという。かつてはそんな大木が世界中の至る所に生えていたらしい」


 なんと。そんなに高く聳える木なんて、本当に存在したのだろうか。この目で見たならば、自分の目を疑ったに違いない。


「それほどの巨木だったから、枯れた天界樹も普通ではない。私がそれを最初に見つけた時、崖の切り立った岩山か何かかと思っていた。ところがその崖に沿ってひたすら歩いてみたら、なんと元の位置に戻ってきたのだ。それはとてつもなく大きな円形をしていたんだよ。我が故郷には、天界樹について記された非常に古い文献があるのだ。その文献に書かれていた通りの大きな幹回りで、初めて発見したときは興奮したものさ」


 ……切り立った崖。大きな岩山。そして崖に沿って歩けば元の位置に戻ってくる……

 私が大森林で見たあの岩山ってまさか……


「どうした?」


 黙りこくってしまった私に、トルガーロウが怪訝な表情を向ける。


「私、その岩山を見たことがあるかもしれません……近くに変わったリンゴが生えていて、大きな猪やおかしなタヌキを見ませんでしたか?」

「私が以前、この大陸で発見した天界樹と思われる岩山の近くではそのようなものは見なかったな……マルガレット殿、今度、あなたが見たというその岩山の場所まで案内してはもらえないだろうか? 天界樹については私も興味があるのだ」

「いいですよ。私の国に来てくれたら、王都の西の外れの薬草園の管理小屋を訪ねてください。私は普段そこに住んでいますから」

「承知した。ムスタファム皇子の許可なくば私もこの地を離れられん。先の話になるが、その時はよろしくお願いする」

「マリーさん、その場合も、勝手に二人で出かけたらダメですからね! 必ず私に連絡すること」


 私たちの会話に最後に割り込んできたカリンは、きっちり私たちにくぎを刺したのだった。


「ところで天界人のことについては……」

「そっちは私にもさっぱりだ。何せ私の興味は全部植物に向かっているからな! 人間には興味がない。植物は無駄なおしゃべりをしないのがとても良いのだよ。はっはっは! ……天界人については殿下に聞いた方がよいだろう」


 私の問いかけに、胸を逸らしてなぜか自慢げに言ってくるトルガーロウ。前に会った時は大怪我をしていて元気がなかったから気付かなかったが、どうやらこの人もなかなか香ばしい性格をしているようである。

 アカデミーの恩師たちにそっくりな変人ぶりを垣間見た私は、肩を竦めてカリンを見る。カリンも残念な者を見る目でトルガーロウを見ていた。


 話は終わったとばかりに読書に戻ってしまったトルガーロウを置いて私たちは図書室を出たのだった。


 図書室を出て廊下を歩いていると、向こうからムスタファム皇子の側近の文官が歩いてきた。そして私たちの前に跪く。


「お二方。ムスタファム皇子がお呼びにございます。皇子の私室までお越しください」


 そう言って私たちを先導し、先に立って歩く文官の後を私たちはついていった。

 先日の死闘の記憶も生々しいムスタファム皇子の私室に到着すると、例の毒が塗られていた手摺付きの椅子にもたれるフェリスが私たちを待っていた。


「おまたせ。二人とも。後処理が終わったから君たちにも説明しておくね」



 そういったフェリスは、いつものキラキラ笑顔で、私たちにソファを勧めたのだった。

帝国からの論功行賞まで辿り着きませんでした……

天界樹と天界人についてトルガーロウに尋ねるマルガレット。

アカデミーの教授たちそっくりな変人学者のトルガーロウは、天界樹のことだけ知っていることを教えてくれました。

というわけで、次回こそアルメニアン帝国からの論功行賞です。

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