トルガーロウは語る
アルメニアン帝室が三顧の礼を以って帝国に迎えた賓客である植物学者、トルガーロウ・マッキヌは、イリス山脈の山中で何者かに刺され、東側登山道の入り口にある宿場町の外れ、マルコ老の営む診療所にて治療を受けた。
彼が目覚めたのは、診療所に運び込まれてから三日目の朝である。
「む……ここは」
「あら、気がついたようですね。せんせーい! マルコ先生! トルガーロウ氏が目を覚ましましたよー」
枕元で彼の額にのせるために冷やしたタオルを絞っていたカリンが、奥の部屋で寝ているこの家の主を呼ぶ。
「カリンちゃん、だめだわ。この先生熟睡してて肩揺さぶっても起きない」
マルコ老の寝室にトルガーロウが目覚めたことを告げに来た私は、叩いても揺らしても起きない老医師に諦めの嘆息を漏らす。
するとカリンがトルガーロウの額にのせるはずだった冷やしたタオルを持って寝室に入ってきた。
「年寄りのくせに朝が弱いなんて。変わったお爺ちゃんですね」
カリンはにこりと上品に微笑むと、冷やした濡れタオルを老医師の顔にかける。
「ふっ! ふがっ!! ふがっ!! な、なんじゃぁ!?」
顔に濡れタオルを置かれて呼吸ができなくなったマルコ老はふがふが言いながら飛び起きた。
……カリンちゃんの起こし方が怖い。
「先生、トルガーロウさんが目を覚ましましたよ」
「そ、そうか。しかしじゃな、もうちょっと優しく起こせんのか」
マルコ老はブツブツ文句を言いながらも素早く起き上がると、トルガーロウが臥せっている診療室へと向かった。
普段はプルプル震えているよぼよぼのお爺ちゃんなのだが、滑舌はしっかりしているし、患者を前にすると急に背筋が伸び、プルプルが止まる。この三日、診療所に寝泊まりしてマルコ老の診察を観察していたが、医術の腕だけは衰えることなく確かなようだ。
「どうじゃ、トルガーロウ。腹は痛むか?」
「おや、あなたは……するとここはイリスの東側の入り口か。私をここまで運んでくださったのか」
「いや、お前をここまで運んだのはワシではない。それより具合はどうなのじゃ? 脇腹は痛むか?」
「……ああ。ジクジク痛む」
トルガーロウの言葉にマルコ老が安堵の息を吐く。
「痛みがあるか。それはよかった。痛むのは生きている証拠だ。お前は運がいいぞ。刃は急所をきれいに避けておった」
「ふん。咄嗟に腰を捻って相手にぶつけてやったからな。それにしてもネビル男爵め。どうにも怪しい眼つきだったがまさか皇帝の客たる私を消しにくるとはな。先生、この国の内部にはとんでもないものが食い込んでいるぞ」
やっぱりトルガーロウを刺したのは貴族の仕業だったようだ。私は隣にいるカリンちゃんと顔を見合わせた。カリンは珍しく難しい顔をしている。
「トルガーロウさん、あなたは皇帝のお客様だと言いました。皇帝自らあなたを招いたのはなぜですか? 話せる範囲で結構です。お話を聞かせてください。」
カリンが問いかけると、トルガーロウは首だけをカリンの方に回し、不思議そうな顔で問いかける。
「目覚めた瞬間にあなたを見たのでいよいよ天国へ召されたかと思ったぞ。とんでもない美人だな。この世の者とも思えぬ美しさだ。あなたのような人がなぜこんな山奥の街にいるのだ。先生、いつの間にこんな美人の助手を二人も雇った?」
「はっはっは。この者たちは助手ではない。山中で刺されたお前をここまで運んできた旅人じゃよ」
えっ?美人の助手を『二人も』って言った? うふっ。
私の中でトルガーロウの株がうなぎ登りである。
トルガーロウは起き上がろうとして顔を顰め、臥せったまま私たちを見る。
「あなたたちのおかげで命拾いしたようだ。あのまま山中に捨て置かれていたらさすがに生きてはいなかっただろう。命の恩人のあなたたちに寝たまま礼を述べる無作法を許してくれ」
「怪我人なんですから、そんなことはお気になさらず。それで? 皇帝はあなたに何を依頼したのでしょう?」
トルガーロウは、しばし黙考していたが、やがて口を開いた。
「マルコ老、この美人たちは信用できる人物か?」
「うむ。山からお前を麓まで連れてきたのだ。反体制派ではないのは確実じゃ……それにな、こやつらは山の神とともに現れおったそうだ。人の背丈ほどもある神々しいばかりの見事な牡鹿だったそうじゃぞ。お前は神の背にのせられ、山を下りたことになる」
「……冗談はよせ」
「わしも最初はそう思った。だがな、考えてもみよ。意識を失い倒れたお前を、このような細腕の女二人があの険しいイリスの山道を担いで下ってこられようか。意識のない人間は尋常ではなく重いぞ」
「……無理だな」
トルガーロウが探るように私たちを見る。その目は明確に私たちに説明を求めている。さて、どこまで話したものか……少し考えて私は口を開く。
「信じられないかもしれないけど、山の神様が力を貸してくれたのはほんとよ。山の中腹で倒れたあなたをどうやって麓に下ろそうかと困っていたら、神様が供物の礼に助けてやるって。あなたを運んでくれた牡鹿は神様が遣わしてくれた御使いなの」
隠しても仕方ない。それよりカリンちゃんがこの人から何かを聞きたそうなので、私たちはあなたの味方ですよということをわかってもらわなければならない。
山の中腹で起きたことを、私は包み隠さず正直にトルガーロウに語った。
「神とは人知を超えた存在だ。そういった存在が俗世の者に関わるなど滅多にあることではない。私は特に信心が厚いわけでもないゆえ、あなたたちの呼びかけにこそ、神は答えたのであろう。なぜ、あなたたちは神と意思の疎通ができる? 何か特別な供物を捧げたのか?」
「特別ではないですが、私作成の『特製』植物用栄養剤なら捧げました」
「は?」
トルガーロウが理解不能だという顔をする。すると、横からカリンが呆れ顔をしながら会話に割り込んできた。
「トルガーロウさん。この人、『私は普通の女の子です』って言いながらやること成すことオーバースペックなんです。山に入る前に祭壇に供物を捧げて入山の許可を得るのですが、この人、何を思ったのか植物用栄養剤を供えだして……」
「それが神に気に入られたと?」
「……ええ。どうせとんでもない高スペックの栄養剤だったんですよきっと。山に入った途端、頭の中に声が響いて神様に直接お礼を言われていましたよこの人」
カリンが呆れ顔のまま私を指さして言う。
カリンちゃん、他人様を指さしてはいけません。
カリンの、私個人的には納得いかない説明を聞いたトルガーロウの目が怪しく光る。そして、話す代わりにと、彼は条件を出してきたのである。
「わかった。山の神が認めたあなたたちだ。信用しよう。ただし、これは本来決して喋ってはならない話だ。絶対他言無用。それともう一つ、話す代わりにあなたの作ったその栄養剤を私にも一つくれ」
「栄養剤を? いいわよ」
「本当か! ぐはっ!!」
特別高価な材料を使ったというわけでもない、ただちょっと出来が良かっただけの栄養剤なのだが……なんか方々で大人気のような気がする。
まあこんなもので喋ってくれるならいくらでもあげよう。というわけで気軽に請け負ったら、トルガーロウはまるで少年のように瞳を輝かせて嬉しそうに身を乗り出し、そして傷に響いたのか顔を顰めて蹲った。
……しばらくして痛みが治まったらしいトルガーロウは、帝室に呼ばれた経緯を私たちに語り始めた。
男の人って好きな物のことになるといつまでも少年よね。
「私を帝国に招いたのは皇帝ではなく第一王子だ。私の持つ植物学の知識で、とある盆栽について有毒性がないか調べてほしいというものだった」
「……盆栽ですか」
硬い表情でカリンがつぶやく。
はて、盆栽……。なんだろう、我が国の王も確かお気に入りの盆栽があったような……その盆栽は私が暴走して作った獣除けの魔香のせいで葉が紫に染まって枯れてしまったらしいが……王様とか皇帝の間で盆栽いじりでも流行っているのだろうか。
まあ、盆栽の話は狼退治の論功行賞の時にランスロットから他言無用と断ったうえで語られた王家の機密事項らしいので、カリンちゃんは知らないだろうから黙っておくことにする。
「そう。盆栽だ。アルメニアンの皇帝は皆が知っての通り辣腕を振るう有能な皇帝だ。それがここのところ、政務を蔑ろにし、碌に執務室にも現れないそうだ」
「なんじゃと? 陛下が? あの方は仕事が趣味みたいな人じゃろうが」
元帝室の侍医だったマルコ老が驚きの声を上げる。今、この診療所にいる人の中で最も皇帝のことに詳しい人である。マルコ老の驚きぶりを見るに、トルガーロウが語るアルメニアン皇帝の姿は、彼をよく知る者にとって信じられないことのようだ。
「その盆栽は以前から皇帝の私室にあったそうだ。以前、海外の商団がこの大陸に来たときに皇帝に献上されたものらしい。商人の故郷に産する、それは美しい花をつける低木を鉢植えにしたものだ。どうやら皇帝はその盆栽にのめり込んでしまったらしいのだ。政務もそこそこに暇を見つけては私室に戻り、盆栽の世話をするようになってしまったと第一王子が言っていた」
……カリンは相槌も打たず、難しい顔をして何かを考え込んでいる。
『暇を見つけては私室に戻り、盆栽の世話をするようになってしまった』か……私もまた、ランスロットから聞いた、我が国の国王の話を思い浮かべる。確か『暇を見つけては構い倒している』とか言っていなかったか。
「その盆栽を調べるのに苦労したぞ。なにしろ皇帝の盆栽に対する執着心がすごい。すでに片時も離れなくなっていてな。王子が『著名な植物学者を招いたのでその盆栽について詳しく調べてもらうから少し貸してほしい』と何度言っても『俺の盆栽に触るな! そうやって俺を騙してこの盆栽を盗む気であろう』と取り付く島もなかったのだ」
第一王子の話を聞いたトルガーロウは、最初は盆栽に夢中になるような毒などありえないと思っていたそうだ。そもそも植物の毒とは自身を食用とする天敵から自身や子孫を守るために体内に生成されるものだ。
動物や昆虫をおびき寄せたい場合は毒ではなく、甘い蜜や香りなどを生成する。花から花へ花粉を運んでもらうため虫や鳥をおびき寄せたいから花を咲かせるし、花芯には甘い蜜が生成される。そして香しい匂いを放つのだ。
「そこで私は第一王子に聞いたのさ。『世にも美しい花を咲かせると聞いたが、今も咲いているのか?』とな。すると王子はこう答えた。花が咲いていたのは献上されてからしばらくの間だけだったと。『花が散ってからは葉が茂り、日に日に大きく成長している』とな」
ところで植物にも例外がある。それは土地に栄養がないために、土以外から栄養を求めようとする変異種、食虫植物である。虫が好む匂いを発し、つられてやってきた虫を捕虫葉に閉じ込めたり、消化液を張った壷に落とし込んだりして捕食する。
「食虫植物の存在に思い至った私は、皇帝に直接面会させてほしいと頼んだ。私が王子に招かれて随分経ったが、相変わらず皇帝の私室から盆栽を持ち出せなかったしな。皇帝が盆栽から離れない以上、皇帝に面会すれば盆栽にも面会できるわけだ。皇帝に断られるかとも思ったが、私は花の付きが良くなる肥料を献上したいと第一王子を通じて申し出たのだ。そうしたらあっさり面会の許可が下りた」
食虫植物については私もアカデミーの文献で読んだことがある。この大陸では発見されていない種類の植物で、当然私は実物を見たことがないのだが、トルガーロウは見たことがあるのだろうか。
羨ましい……私もいつかそんな珍しい植物にお目にかかりたいものだ。
「私は第一王子とともに皇帝の私室を訪ねた。皇帝と盆栽を見て驚いたぞ。小さな鉢に収まったその盆栽はすでに皇帝の背丈とピッタリ同じ大きさに成長していた。樹なのだがところどころ蔓が伸び始めた奇妙な植物だった。そして皇帝は焦点の定まらぬ虚ろな目でその植物の葉を一枚一枚布で丁寧に拭いておったのだ」
そして、トルガーロウは私たち一同を見回してから続きを語る。それは驚くべき衝撃的な内容だった。
「その植物を見た途端、以前話に聞いた恐ろしい食虫植物の話が頭に浮かんだ。この大陸から東に行っても西に行っても到達する奇妙な大陸がある。何か月も船旅をする必要があるがな。その大陸に存在するある植物は、特殊なフェロモンを放ち動物をおびき寄せ、時間をかけて虜にしていくそうだ。そしてある日、爆発的な成長を遂げ、すでに片時も離れなくなった動物を取り込んで栄養を吸い取ってしまうらしい。樹なのに蔓を伸ばし、絡め捕って葉で覆い隠して繭のようなものを作り、その中でゆっくり養分を吸い取るそうだ」
えっ怖い……私はいついかなる時でも食虫植物なんか絶対にお目にかかりたくない……
「無味無臭だったがおそらく皇帝の私室は植物の放ったフェロモンで充満していたに違いない。起居している皇帝が最も影響を受けたわけだな。一種の阿片のような中毒症状を引き起こすのではと推測される。すでに幹から蔓が伸び始め、ターゲットにされた皇帝と同じ大きさに成長していた。私はすぐに部屋を辞去すると、第一王子にこの植物の特性を説明し、もはや一刻の猶予もないと告げたのだ」
「……それで、どうなったんですか?」
カリンが硬い表情で質問する。トルガーロウは淡々と続きを語った。
「第一王子が皇帝の護衛騎士と側近、そして自分の護衛騎士を動員して皇帝を羽交締めにし、その盆栽から引き離した。そしてピッタリ閉じられ鍵までかけられていた窓という窓を全開にして換気し、盆栽は中庭に持ち出して油をかけて焼却処分した」
食人植物への恐怖から立ち直った私は、トルガーロウの語った内容にまたも聞き覚えのあるフレーズがあったことを思い出す。
確か『この大陸から東に行っても西に行っても到達する奇妙な大陸がある』と言ったはずだ。私とカリンが騎士団とともに退治したフェンリルと呼ばれる狼。奴らの生息地がその大陸だったのではなかったか……なんかその大陸、絶対に行きたくない……
「というわけで表向きは皇帝は健在で、今も辣腕を振るっていることになっているが、実際は皇帝と第一王子の側近たちによってベッドに縛り付けられてその盆栽に冒されたフェロモンの中毒を抜いているはずだ。禁断症状が出て大変らしいぞ」
何ということだ。仮にもし、我が国の王が愛玩していた盆栽が同じものだったとしたら私の作った魔香はとんでもないファインプレーだったのではないだろうか……それなら洗濯物業界に支払った補償金を返してほしいものである。
「そして、ここから話はさらに面白くなるのだが、例の盆栽を献上した商団を皇帝に謁見させたのはな、私を山中に連れ出し、トリカブトを探させた上で殺そうとしたネビル男爵らしいぞ。奴は首都の商いを一手に管理する元締めだからな」
今回の山中暗殺未遂事件が意外なところで繋がってきた。
「第一王子は今回の盆栽についてはネビル男爵の関与は疑っていなかった。たまたま持ち込まれた貴重な盆栽が、実は危険な植物であったなどこの国の誰も知らなかったし、考えもしなかったからな。だが私を山中で暗殺しようとしたのだ。俄然奴が怪しくなってきたぞ。以前から皇帝の暗殺を狙っていたとしたら、計画を潰し、皇帝の現在の状況を知ってしまった私は邪魔だろうからな。もっと言えば、今の状況の皇帝にトリカブトの毒を盛るのは簡単だ」
トルガーロウの話に、私たちは顔を見合わせる。彼の話は意外な事実を明らかにし、話を聞いた私たちは、このアルメニアン帝国が大きな陰謀の渦に巻き込まれつつあるのを否が応にも思い知らされたのであった。
アルメニアン帝国第一王子が招いた賓客、トルガーロウの語る内容は衝撃的なものでした。それにしても第一王子は自国が密かにそんな大変な事態になっているのにマルガレット達の王国に外遊に出ています。そして帝都の商売を一手に管理しているネビル男爵。彼の狙いはいったい何でしょうか? 外遊なんかしている場合じゃないぞ第一王子!
次回はトルガーロウの語りがトリカブト採集の辺りまで進みます。




