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貴族街へ行く(後編)

 馬車に揺られながら車窓から貴族街を眺める。整然と区画整理された真っすぐに続く大通りを馬車は進んでいく。時々すれ違う馬車を見かけるが、余裕ですれ違えるほどに道が広い。

 そして大通りの左右には立派な門を構えた屋敷が立ち並んでいる。

 貴族街への入口である門からここまで真っすぐ馬車は進んできた。進む先には王宮がその威容を誇るようにそびえ立っている。


 貴族街に来るたびに思うのだが、門から真っすぐ道が続いて直接王宮に進むことができるこの貴族街の区画配置は、敵に攻め込まれた場合守るのに不利にならないのだろうか。

 外交上は、王宮の威容をやってくる外国の使者に存分に見せつけられるし、国賓などの出迎えにもいろいろと都合がよい。

 要塞としてというよりは行政の場としての機能を重視した結果なのかもしれない。


 私が住むこの国、ひいてはこの大陸が平和であるということだ。ありがたいことである。


 滅多に来ない貴族街はやっぱり物珍しく、我慢できない私は窓に視線が釘付けになっているが、その間カリンは一切窓の方を見ようとせず目深にかぶったフードで顔を隠したまま、ずっと前を向いている。

 私は前からカリンちゃんのことを、それなりにやんごとない身分なのではと疑っているのだけれど、もし本当にやんごとないのなら、貴族街の景色なんて見慣れたものだもんね。

 普段は好奇心旺盛なはずなのに、窓の外の景色にこれっぽっちも興味を示さないカリンに、私は彼女のやんごとない疑惑をさらに深めたのだった。……本当にお貴族様だったりして。




「到着いたしました。こちらがナッサウ伯爵邸でございます」


 家令のセバスチャンから声がかかる。貴族門からかなり進んだ位置だ。門から遠いということは王宮に近いということであり、その距離感が王宮でのナッサウ伯の位をそのまま示している。

 どうやらナッサウ伯爵は国の重鎮のようだ。平民の私にはまったくわからない世界であるが。


「マルガレット、待ちかねたぞ」


 馬車を降りるなりかかった声にそちらを向けば、相変わらず立派なお腹をしたヴィトゲンシュテインが自ら出迎えに出ていた。

 そして、私の後ろからついてくるカリンを見て、ぎょっとしたように目を見開く。


「うしろの者は何者ぞ」

「私の従者のヒルメスと申すものです。お見知りおきを」


 私の紹介にカリンはぺこりと会釈をする。


「う、うむ。従者か。わかった。それよりさっそくだが厩舎に来てくれ」


 すぐに厩舎に向かおうと踵を返しかけたヴィトゲンシュテインに、セバスチャンがやんわりと声をかける。


「坊ちゃま、まずはお客人をお屋敷にご案内なさいませんと……」

「今は一刻を争うのだ! マルガレット、頼む」


 ヴィトゲンシュテインの顔には焦りの色が濃い。愛馬の状態が悪いのだろう。

 私としても、慣れない貴族街の慣れない貴族邸内でお茶などのおもてなしを冷や汗を流しながら受けるよりは、さっさと用件を済ませて直ちにお暇をしたいところなのだ。ヴィトゲンシュテインの頼みに否やなどあろうはずもない。


「もちろんです。ヴィトゲンシュテイン様。さっそく厩舎へまいりましょう」

「すまぬ。こっちだ!」


 半ば走り出しそうな勢いでヴィトゲンシュテインが厩舎の方へ向かう。さすがに国の重鎮の伯爵邸だけあり、庭も広大だ。それなりの距離を早歩きで進むと、平民街にあれば立派な商店かと思うくらいの大きさの豪奢な厩舎に着いた。


「ここだ」


 言うなり厩舎のドアを勢いよく開け、走り込むように中に入るヴィトゲンシュテイン。

 中には、苦しそうに荒い息を繰り返す白馬が横たわっていた。


「ノエル! 僕だ!! 安心しろ! アカデミーで一番優秀な生徒と名高い才媛が風邪に良く効く薬を作って来てくれたぞ」


 ……いや一番優秀て。才媛て。

 私は決してそんな大層な者ではないのだが、ここで力いっぱい否定すると微妙な空気になりかねないので我慢する。

 後ろからついてくるカリンの肩が小刻みに震えていたりするけど気にしてはいけない。……カリンちゃん、笑うんじゃありません。


 正直馬の状態はあまりよくないように見える。飼葉を食む体力もなさそうだ。幼顔の魔女は飼葉に混ぜて食べさせるようにと言っていたのだが。

 粉末状ではないので、水に溶かすという裏技は使えない。

 私は、仕方なく飼葉に薬を混ぜ、馬の前に差し出す。


 だが、馬は食べようとしなかった。そこで私は、薬に少量の水を混ぜ、団子状にしてそれを手のひらに乗せ、直接馬に食べさせることにした。


 団子状にした薬を馬の鼻先に近づけると、漂うミントのさわやかな香りと、団子状にしてもなお芳醇さを失わないリンゴの香りが興味を引いたのか、少し顔を動かして、ぺろりと舌で私の手のひらから団子を舐め取った。


 ヒヒイィン……


 弱々しく鳴いたかと思うと、白馬のノエルは静かに目を閉じて眠り始めた。あれだけ荒い息をしていたのだが、団子を食べた途端これである。いくらなんでも即効が過ぎる。幼顔の魔女はなんという恐ろしい薬の処方を私に伝授したのだろう!

 ……なんて、そんなはずはない。ハーブも甘草も、私もよく使う薬草だ。そんな薬効は見たことも聞いたこともない。


 馬は鼻でしか呼吸ができないと聞いたことがある。ミントのさわやかな香りが鼻詰まりでも解消したのだろうかと一瞬考えたがそんなわけないと思う。

 ……これはあのリンゴのせいよね。一体あのリンゴはなんなのだろう……今度森の主に会ったら聞いてみよう。


 荒かった息がおさまり、静かに眠り始めた愛馬を見て、心底安堵したような表情を見せるヴィトゲンシュテイン。そして彼は輝く笑顔を私に向けると、ありったけの感謝の気持ちをその両手に込め、私の手をぎゅっと握る。それはもうぎゅっと……


「マルガレット! すごい薬ではないか!! さすがアカデミー一の天才だ。其方は私のノエルの恩人だ! ありがとう!!! 本当にありがとう!!!」


 痛い痛い痛い。


 力いっぱい手を握り締められ、痛さに顔が引きつるものの、お貴族様の感謝の言葉を受けている最中なので我慢して笑顔を顔に張り付ける……きっと引きつりまくっているが。

 見かねたセバスチャンが助け船を出してくれる。


「坊ちゃま。そのように力いっぱい女性の手を握るものではありません。女性の手は、優しくお取りなさいませ」

「あ、す、すまぬ。つい興奮してな」

「い、いえ」


 やっと離してくれた。気が付けばカリンちゃんが真後ろに来ていた。ヴィトゲンシュテインさんや、あんた命拾いしたと思うわよ……セバスチャンさんに感謝なさい。


「効果は私の思った以上です。この馬の持つ生命力のおかげなんじゃないですかね。二、三日様子を見てください。平民が長居するのもご迷惑になりますので、私はこれにて失礼いたします」


 私はすかさず撤収の体制を取る。だが、思った通りそうは問屋が卸さなかった……


 そそくさと帰ろうとすると、ヴィトゲンシュテインとセバスチャンの顔色が変わる。


「なにを申すか。僕の依頼を聞き届け、こんなに早く素晴らしい薬を持ってきてくれたノエルの恩人をそのまま返したなど我がナッサウ伯爵家の名折れぞ。先日のお茶の礼もある。館に寄って行ってくれ」

「その通りでございます。おもてなしもしなかったとあってはあとで私めも旦那様よりお叱りを頂戴してしまいます。ぜひ、館にお立ち寄りくださいませ」


 後ろを振り返ると、カリンが無言のままこくりと頷いた。私はこぼれそうになるため息を寸でのところで止め、先導する二人の後ろをトボトボとついて行くことになった。

 逃走失敗である……



 通された部屋は、それはそれは豪奢だった。一平民に過ぎない私には過ぎたもてなしな気がしてならない。

 居心地の悪さから縮こまる私。カリンは従者設定なので私の真後ろにピタリとついて立っている。


「急に押しかけたというのに、翌日には薬を作って持ってきてくれるとは。噂に違わぬ有能さだな」


 噂? なんの噂なんだろう……聞きたいけど聞きたくないような。

 何度も言っているが、私はか弱い市井の一市民の女の子である。噂になるような人間のはずがない。


 聞くのも怖いので、曖昧に笑って誤魔化していると、セバスチャンが変わった茶器を運んできた。ポットが二段に重ねられている。

 ……こ、これは!


「アルメニアン帝国のチャイティーだ。僕の好きなお茶の一つさ。さ、飲んでくれ」


 なんと、お隣の国で大人気のお茶ではないですか。茶葉の香りが鼻腔をくすぐる、とても美味しいお茶である。

 ポットが二段になっているのは、下段のポットでお湯を沸かし、上段のポットに入れた茶葉を蒸らすためだ。茶葉自体はあっさりした飲み口で、普通は蜂蜜など甘味を足して飲む。

 アルメニアンの市井の人たちは、この甘味に甘草をよく使っているのである。


 そしてなんと! ポットと共に運ばれてきたガラスの瓶に、白く四角い塊がたくさん入っている。

高級甘味の砂糖ではないですか! さすがお貴族様である。


 アルメニアンの庶民に親しまれている銘茶のチャイが、お貴族様の財力でお砂糖を甘味に味わえるという誘惑に心を持っていかれて判断力を失った私は前のめりになり、目の前に注がれる茶を凝視する。

 後ろでカリンがため息を吐いているが気にしない。するとカリンは私にだけ聞こえるような小声でつぶやく。


「マリーさんはお茶を前にするとそれしか見えなくなるから、また新たに依頼など持ち掛けられないように注意してくださいね」


 ……気をつけます。


 セバスチャンが、上段のポットで濃く煮出した紅茶を下段のポットの湯で薄めて調節してくれる。


「お砂糖はおいくつ入れましょう?」


 セバスチャンの問いに、正解がわからない私はヴィトゲンシュテインの方を見る。


「僕のおすすめは砂糖三つだ」

「ではそれでお願いします」

「かしこまりました」


 目の前に出されたカップに角砂糖が三つ投入され、セバスチャンが優雅な手つきでかき混ぜてくれる。


「どうぞ、お召し上がりください」

「いただきます」


 かぐわしいお茶の香りにうっとりしながら、隣国の銘茶を味わう。砂糖の甘さはとんでもなく、高級甘味の威力をまざまざと見せつけられる。とろけるような甘みと、お茶の渋みのコントラストが心地よく、うっとりとしながらお茶を楽しんでいると、突如、部屋の扉が開いた。


「これはこれは。噂のアカデミーの才媛、マルガレット殿を我が家にお招きできるとは。ようこそ、わが家へ。愚息が迷惑をかけてすまないな」


 入口に現れたのは、このお屋敷の当主、ナッサウ伯爵だった。


 慌てて立ち上がり、貴族への礼を取ろうとするが、伯爵はそれを手で制し、言った。


「今日は愚息が自邸に招いたのだ。其方は客人である。ここは王宮ではないからな、礼など不要。座って寛いでくれ。せっかくのお茶が冷める」

「恐縮です。ではお言葉に甘えて……」


 座り直し、お茶をいただいていると、伯爵は私の正面に座ってきた。ひいぃ、緊張するからヤメテー……


「今回の其方の活躍、ランスロットから聞いたぞ。また、今回に限らず何度も騎士団の手伝いをしていること、また、アカデミー在籍の学生でありながら、よく市民のためにあれこれ手助けをしていると聞いておる」


 セバスチャンが当主のためにお茶を淹れる。砂糖は、五つ……ナッサウ伯爵は甘党のようだ。


「特に、今回使用された爆薬の威力は凄まじく、事件の解決に大きく貢献したようだな。若くして多くの知識を身に着け、それを国のために活用していること、国政を担う貴族の一人として礼を言う。そこでだ、其方のその知識や経験を王宮で存分に発揮する気はないか?」


 突然伯爵がとんでもないことを言い出した。

 何を言い出すのかこの伯爵様は。国政に参加しているのはほとんどが貴族である。これはこの国の常識であり、伯爵自身もさっき『国政を担う貴族の一員』と自ら言っていた。アカデミーにて優秀な成績を収めるような秀才ならば、平民階級のものが国政に参加するようなこともあることはある。

 役人や事務処理をする職員はたくさん必要なので、確かに王宮の職員は貴族階級ばかりではないのだが、私は貴族がうろうろしているような場所はご勘弁願いたい。それなら、まだ騎士団で働いた方が百倍マシである。


「アカデミー指折りの問題児だった私に、王宮のような場所でお役に立てるとは思えません」

「謙遜だな。其方の能力は一般人として市井に埋もれさせておくには惜しい。それに、其方の操る発明品の数々はうまく使えば国を転覆させることもできうる危険な威力を持っている。正しく王宮の管理下においてその力を存分に発揮する方が其方のためにも良いと思うがな」


 そう言うと、鋭い眼光をさらに鋭くした伯爵が、ひたと私を見据える。私はさしずめ、蛇に睨まれた蛙であろうか。


「そこまでになさいませ。ナッサウ伯爵イードシュテイン殿」


 その時、突然背後に控えていたカリンが口を開いた。それと同時に、目深にかぶっていたフードを外す。

 フードの下に隠されていたつややかな黒髪と月の女神のような美貌が露になる。


 ヴィトゲンシュテインとセバスチャンが息をのむ音が聞こえた。


「そ、そなた、あの時のカリンとか言う剣士ではないか」


 ヴィトゲンシュテインがカリンを指さし驚きの声を上げる。しかしカリンもナッサウ伯爵も、そちらは一顧だにせずお互い睨みあっている。

 ……カリンちゃん、お貴族様、しかも当主相手にそんな態度、大丈夫なのかしら。

 鋭い眼光を保ったまま、今度はカリンをひたと見据え、ナッサウ伯爵が口を開く。


「これはたまげましたな。マルガレット殿の従者だと聞いていたが……このようなところで何をしておいでです」

「私は彼女の護衛です。息子を使い、爆薬に巻き込んだ弱みをついて王宮で飼殺させようと企むような悪い者たちから彼女を守るためにここにいます。ご子息が先程おっしゃった通り、剣士の『カリン』と申します。お見知りおきを」

「『カリン』……殿と言ったな。マルガレット殿はあなたの帰属先により庇護されているということですかな?」

「……マリーさんは私のアカデミーの先輩であり、無二の親友です」


 ひいぃぃ。二人の間の空気がすごい……雷でも飛び交いそうな空気が部屋に充満している。出されたお茶はすっかり冷めてしまった。


 しばらくの無言の睨み合いの後、ふっとナッサウ伯爵が表情を緩めた。それに合わせて、カリンも表情を緩める。


「なるほど。カリン殿がしっかりマルガレット殿の手綱を握るということですな」

「先ほども言いましたが、私はマリーさんの親友です。親友としてどこまでも彼女を守りますからね。マリーさんは私の物です」


 カリンの言葉を聞き、突然ナッサウ伯爵は豪快に笑いだした。


「はっはっは! マルガレット殿の首には特大の鈴がすでに付いていたか。わざわざワシが付けに行くまでもなかったわ。マルガレット殿、これに懲りず、たまには我が屋敷を訪れ、愚息の相手をしてやってくれい」


 そう言うとナッサウ伯爵は部屋を出て行った。

 二人の間からいくつも衝撃的な言葉が飛び出していたが、この場の緊張した空気に当てられていた私はその言葉の意味を正しく理解せず、ただ呆然と二人のやり取りを眺めていた。


「さあ、帰りましょうマリーさん」


 カリンが朗らかに言う。私は一も二もなく、カリンの提案に乗ってナッサウ伯爵邸をお暇したのだった。




 セバスチャンに馬車で送ってもらい、貴族街の門を出る。カリンと並んで管理小屋へと戻る道を歩く。

 私は、自分の中でいよいよ大きく渦巻いてきたある疑惑を持て余し、カリンに向かって吐き出してみる。


「カリンちゃん。カリンちゃんってさ……」


 私の言葉の続きを想像したのか、カリンの美しく整った眉が下がっていく。カリンの悲しそうな顔を見た私は、この疑惑に蓋をすることを迷わず選んだ。


「ううん、何でもない。カリンちゃんはカリンちゃんよね! 今日はついてきてくれてほんとにありがとう。おかげで助かったよ。お礼にとっておきのお茶を淹れてあげるからうちに寄って行って」


 私の言葉を聞いたカリンは、満面の笑みで私に抱きついてきた。


「マリーさん、大好き!」

「私もカリンちゃん大好きよ。親友なんて言ってくれてすごく嬉しかったんだから」



 こうして、疲れる貴族街でのお仕事を終えた私たちは、仲良く並んで街はずれの管理小屋へ戻ったのだった。

 切れ者のナッサウ伯爵は、騎士団長ランスロットにうまく丸め込まれたかと思いきや、違う方法を取りマルガレットに接触してきました。その危機を予想していたカリンのガードにより自由を奪われることなく開放されたマルガレット。

 会談の様子を注意深く聞いていればいろいろな疑惑が浮かんできますが……マルガレットはよく理解していないようです。

 ま、カリンちゃんはカリンちゃんよね! 物事を深く考えないマルガレット。次回は新展開! ……の予定です。

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