マルガレット、薬草園を整備される
森の主たちが立ち去った後、一通り畑を見て回った。鬱蒼と生い茂っていた木はきれいに倒され、細かく噛み砕かれている。
大きい木は丸太になって転がっているものの、小さい木はもはや大鋸屑状になっており、そのまま肥料になりそうである。
また、あれだけの鹿たちが一斉に木を齧っていったので、糞もあちこちに落ちていたりする。これは肥料を撒く必要がなさそうだ。
大きい木に関してはタイロンさんに引き取ってもらえるか聞いてみよう。
私は、自分の家で使う用に二、三本の丸太を裏庭に運び込み、幼顔の魔女のところとタイロン雑貨店に顔を出すために出かけることにした。
……ヴィトゲンシュテインが馬の風邪薬を待っているかもしれないので急がないとね。
魔女のところに行くため真っ黒の外套を取りに部屋に戻った私は、玄関脇の鏡に映る自分の姿に苦笑する。黒の外套を羽織り、外に出ようとしたら猪がいたんだった。
黒の外套を羽織ったまま、部屋に黒の外套を取りに行くという間抜けなことをしてしまった。まだ頭の芯がぼーっとしているようだ。
鹿の集団があっという間に森を更地にした光景がいまだに信じられない。夢でも見ているような心地から抜け出せないまま、貧民街へと出かける。
いつものように貧民街の細い路地を曲がり、粗末なつくりの怪しい建物の扉をノックする。
すると、ノックをしている途中でガチャリと扉が開いた。珍しいこともあるものだ。そこには腕を組んで私を待ち構える幼顔の魔女がいた……フードもかぶっていない姿で。
「ちょっと! マルガレット!!」
そう言うなり幼顔の魔女は私の手を引き、扉をさっと閉める。ソファに座る間も惜しいのか、魔女は私を問い詰める。
「マルガレット、今度は何をしたんだい!?」
「え? なにって……なにもしていないわよ」
「嘘おっしゃい!」
「……どうしてそう思うの?」
ジワリと嫌な予感が冷汗となって私の背中を伝う。
「あんたの家の方から聞いたことないようなすごい音がずっと聞こえていたじゃない。人に会った時に真っ先にその話題を出さない王都民なんて、今この時間の王都に誰もいないよ! 当事者以外はね!!」
街中その話題で持ちきりなんだから! と魔女が言う。
……やっぱりかー。場所も特定済なんですね。
うーん……またまた大ごとになってしまったか……
異臭をまき散らした後に、今度は騒音をまき散らす女はこちらです。えへっ……
……いかん。また騎士団やお役人に怒られる……王妃様のウサギ、今度は大丈夫だといいけど……
さあ、白状なさい! とばかりに詰め寄ってくる幼顔の魔女の圧に負け、私は本日の出来事を順を追って魔女に説明した。
…………………………
「なるほどねぇ。あの異臭を放っていた獣除けが王都を救ったけど、王都中に弊害が出たから報奨金が没収されて、爆薬に巻き込んだお貴族様に馬の風邪薬を依頼されたからうちに来たってのね」
私はこくりと頷く。
「どうせ没収するなら最初から『報奨金である』なんて言って目の前にぶら下げなきゃいいのにねえ……これだからお役人てやつは。それよりもだ。森の主が恩返しに来たって?本当かいそれは?」
私は再びこくりと頷く。
「猪が連れてきた大量の鹿があっという間に生い茂っていた木を食べ尽くしたって? にわかには信じられない話だが、なるほど。あの音の原因として聞くと信じるしかない話だね。私はまた、あんたがおかしな発明でもしておかしなことを始めたんだと思って頭を抱えていたところだよ」
……失礼な。
「それにしても、その猪。騎士団長が森の主だって言ったんだね? これはどう見てもあんた、気に入られたね。……いい? これからは気をつけるんだよ。むやみに一人で森の奥まで行かないこと。……あの森に魅入られた人間は最終的に高確率で姿を消すんだ。……あんたは街の人気者なんだから、ほんとにいなくなっちゃだめだからね」
「……うん。気をつける」
私の返事を聞いて、幼顔の魔女がフッと笑顔を見せる。
普段の企み顔の邪悪な笑顔とは違う優しい笑顔に、私は目を瞠った。本当に心配されているんだということが心の奥底にじわりと染み渡り、温かい気持ちになる。
これからはなるべく無茶をしないように本当に気をつけよう……彼女に心配をかけたくない。
「それで、馬の風邪に効く薬なんだけどね……貧民街に馬を飼ってる奴なんていないから持ち合わせがない。よく効く薬の調合の仕方と原材料を教えるから、あんた自分で採ってきなさい」
「すぐに採って来られるもの?」
「ユーカリの油がいいがこれはこの大陸にないからね……タイムとミントのハーブ類と甘草を1対1対3で混ぜるんだよ」
タイムやミントは世間でもおなじみのハーブ類だ。薬草としてはもちろん、料理にもよく使われるポピュラーな植物で、入手は容易である。
そして甘草は、その名の通り甘みのあるマメ科の植物であり、痰切りや抗炎症作用があり、また胃薬としても優秀な薬草である。だが乾燥した寒いところを好み、主に使う根は地中深くまで伸びるため、採集が容易ではない植物である。また、お隣のアルメニアン帝国に行かないと入手が困難なのですぐには用意できない貴重な薬草だ。
「甘草はあんたストック持ってるでしょ」
そうなのである。薬草としても甘味としても利用頻度が高いので、学生時代からしょっちゅうアルメニアン帝国まで出かけてはせっせとため込んでいるので在庫には余裕がある。
「ありがとう。それで調合してみるね」
「できた粉末を飼葉に混ぜて与えるんだよ」
私は、さっそくハーブ類を採取するため、魔女の館を後にする。
「森には一人で入っちゃだめだよ」
私の背中に投げかけられる魔女の声に苦笑する。孤児院の院長先生みたい、ふふっ。
一度小屋に戻り黒の外套を脱ぎ、今度は街の中心街、タイロン雑貨店へ向かう。
出かける時に何気なく畑の方を見たら、タヌキが来ていた。金色の尻尾を振りながら鹿たちが齧り倒した木の間を縫って、なにやら夢中で地面に鼻を突っ込んでいる。私の方に気づいていないようなので、そっとしておくことにした。
地面を掘り返して遊んでいるのだろうか……謎である。
「タイロンさん、いますかー」
タイロン雑貨店へやってきた私は、奥へ向かって元気よく声をかける。
すると、奥のカウンターからタイロンさんが顔を出した。
「あっ! マリーちゃん! 心配していたんだぜ!! マリーちゃんの家の方から変な臭いがしていたと思ったら、今日は昼からものすごい変な音がしていなかったか? 城壁があるから貧民街の方の音なんてそうそう聞こえやしねえが、それでも聞こえてきたからな……ありゃなんだったんだい?」
顔を合わせるなり聞かれたくないことを聞いてくるタイロンさんに私は引きつった笑顔を向ける。
「さ、さぁ~? 出かけていたからわかんないです」
「そうなのか?じゃあ帰りは気をつけろよ。大森林からまた危ない動物が出てきてるのかもしれねえし」
……ん? また?
「それより聞いたぜ! 恐ろしい狼から王都を守る戦いで大活躍したんだってな」
……相変わらず耳が早い。狼のこと知っていたのね。
「私、別に言うほど活躍してませんよ……誰がそんなことを言っているんですか」
「そりゃあ、アカデミーの連中が得意げに吹聴して回っていたぜ。『我がアカデミーの優秀な生徒、王都を救う!』とかってな。それに王宮からも広場にお達しがあったじゃねえか。『王立アカデミー卒業生が王都に迫った大狼を騎士団とともに退治』ってさ。広場に立札が立っているぜ」
……なにそれ。
「『今年卒業の優秀な女子生徒が果敢にも危険な人食い狼を王都から撃退』って書いてあったから間違いなくマリーちゃんのことだよな? しかも多額の報奨金を、狼の被害に遭っていた東部の畜産農家に寄付したんだって? 強きを挫き、弱きを助けるっていうが、それを本当に体現する奴なんて滅多にいねえ。マリーちゃんは本当に我が王都のヒーローだぜ。俺ぁ、そんなマリーちゃんに普段から贔屓にしてもらって鼻が高いってもんだ」
……なんか事実と違うんですけど。
私、知らないところでヒーロー扱いされててこそばゆいんですけど。
もう手遅れだけどやめてほしいんですけど……
私は明日からどんな顔をして王都を歩けばいいんだろう……恥ずかしすぎる。
……つまりあれか。王都中にまき散らした異臭の原因については揉み消してくれたってことか。
そして、活躍分の報奨金を実際は王都の洗濯物協会への補償に宛て行ったわけだが、本当は国が保障した東部の畜産農家さんたちへの補償金を、私が報奨金から払ったことにして『王立』アカデミーの宣伝と異臭騒ぎから王都民の目を逸らしたってわけね。
私が騎士団に呼び出され、お賃金の大半を没収され、不貞腐れて小屋で机に突っ伏している間に王都ではそんな発表で騒いでいたなんて……
国の役人って、抜け目ないっていうか隙がないっていうか……誰が決めて指揮したか知らないけど、狼退治からたった一日でこの発表で王都を盛り上げ、異臭騒ぎから目を逸らさせるとは。
やっぱり頭のいいエリートたちは出来が違うわね。
「タイロンさん、私、そんなに大層なものじゃないですって。ほら、どこにでもいる普通の女の子ですよ」
「普通の女の子は騎士団と一緒に人食い狼の退治なんかしないと思うぜ」
……話題を変えよう。
「タイロンさん、今日は鍬が欲しくて買いに来たんです。あと、タイロンさん、木材は要りませんか?今、うちで余ってて」
「マリーちゃんて昔から都合が悪くなると思いっきり話逸らすよな」
ニヤニヤ笑いながらタイロンさんが痛いところを突いてくる。うるさいですよ。
「まあいい。鍬は畑作るんだろ? あそこはほぼ森だったけど何とかなりそうなのか? 木こりが必要なら紹介するぜ。んで、木材か。王都には川がねえからな。木材の調達は高くついて苦労してるんだ。木材ならいつでも大歓迎だぜ……木材ってあそこの大森林の木だろ?大森林の木は品質がいいからどんとこいだ」
「よかった。じゃあ今度見に来てください。たくさんあるので」
「あんまり一人で張り切るんじゃないぞ」
木材買取の交渉をを終えた私は、買った鍬を抱えてタイロン雑貨店を後にした。西に位置する私の管理小屋まで戻ると時間のロスなので、鍬を抱えたまま王都の東門から外に出る。目の前はのどかな牧草地帯が広がる牧歌的な風景がどこまでも続いている。
わが王国の主要産業の一つ、牧畜の盛んな草原地帯である。
遠くの方に、放し飼いにされているランカークス牛たちがのんびり草を食んでいるのが見える。その平和そのものな景色を横目で見ながら、なだらかな斜面に大きな岩が数個転がっている場所にやってきた。
この岩陰に野生のタイムの木が群生しているのだ。
せっかく鍬を持ってきているので、群生するタイムの低木のうち若々しい新芽をつけている、小さい木を一つだけ掘り返して持ち帰ることにした。
どっこいせ、と鍬を使い、タイムの木を掘り起こす。そして腰の道具袋から折りたたんだ大袋を拡げた。背中に背負えるよう、肩ひもを縫い付けてある優れものだ。誰が最初に考えたのか知らないが、重いものを運べて両手が自由に使えるとか最高の発明である。
大袋でタイムの木の根を包み、背中に背負って歩き出す。そして今度は草原が続くなだらかな斜面を下り、小さな小川が流れているところにたどり着く。
ここは、放し飼いの牛たちがよく水を飲みに来るところだ。そしてこの小川に沿って、野生のペパーミントが群生している。
ペパーミントの葉を数枚採集して王都へと引き返す。
ペパーミントは持ち帰らないのか? と思った方もおられよう。
ミントはダメなのである。あれは生命力が凄まじい。下手に庭や畑に植えると、あっという間に増えてミントまみれになってしまうのだ。
よく王都を空けて各地に出かける私には栽培が向かない薬草だといえる。アカデミー時代に、こっそり構内の人通りの少ないところに植えて、大変な目に遭ったことがあるのだ。
……ミントはダメなのである。群生地から数枚採集するのがいちばんよろしい。
タイムとミントを採集し、王都に戻る。タイムの木を背負った私を見て門番の兵士がぎょっとしているが、無言でササっと通り過ぎる。そういえば出かける時も鍬を抱えた私を変な目で見ていたような気がするが、気にしたら負けである。
私は早足で管理小屋へと戻った。
管理小屋へ戻った私は、思わず手にしていた鍬を取り落とすことになった。
なぜか。それは齧られ倒されて方々に散乱していた木材が、大きな丸太を残してきれいに土と混ざっており、畑としてすぐ使えるようになっていたからだ。
いったい誰が畑の整備をしてくれたのだろうと辺りを見回すと、畑の真ん中に、土塗れになったタヌキが満足そうな吐息を吐きながら大きく膨らんだお腹を上にして寝転がっていた……
いや、なにしてるのあなた?
奇異なものを見る目で見つめる私の視線に気づいたのか、タヌキは顔だけこちらに向けて満足げな吐息を吐く。すると私の頭には次のような言葉が響いたのである。
『あ、タヌキはちょっと休憩で寝そべっているのでお構いなく。ご存じかとは思いますが、私、ミミズ大好物なんですよね』
……なんと、出かける時に土の中に顔を突っ込んで何をしているのかと思っていたが、根ごと倒されてむき出しになった土の中のミミズをせっせと漁っていたのか。
あんなお腹になるまで食べるなんて、何匹食べたんだよ……
「お腹壊さないようにね」
私は呆れた声でタヌキに話しかけつつ、管理小屋の扉を開ける。
『畑を耕しておきましたので、できれば私の好物を植えてくれるとタヌキは喜びます……』
そんな言葉を頭の中に聞きながら、私は管理小屋へと戻ったのだった。
……鍬の出番がなくなったじゃない! ありがたいけど!!
馬の風邪薬を作るため、幼顔の魔女の屋敷を訪ねたマルガレット。そこで、鹿大量発生の薬草園が、またもや王都を騒がせていたのを知ります。
また、タイロンさんの雑貨店で、王宮の役人の仕業で無欲の聖女のような宣伝をされていることを知り、役人の手際の良さに呆れつつ、やめてほしいと顔を覆うのでした。
マルガレットは深く考えていないようですが、いまや王都の錬金術師としてマルガレットを知らない者はいないほどの人気を獲得しています。
次回は馬の風邪薬を貴族街に届けるマルガレット。そこで……




