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第十四章 私となぎさ(前半)

こんにちは、こんばんは、もくそんです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

第十四章は、さちの視点から「幼稚園〜高校二年の夏」までを一気に振り返る回になっています。

いつも前を走るなぎさと、その背中を必死に追いかけてきたさち。

二人の“土台”みたいな部分を、少しでも感じてもらえたらうれしいです。

第十四章 幼き日の出会いと、小さな背中


 私と鈴野なぎさの出会いは、幼稚園の園庭だった。


 あの頃の私は、今よりもずっと人見知りで、誰かの輪に入ることができない子だった。

 ブランコもすべり台も順番を譲ってしまい、気づけば端っこで砂をいじっている。みんなの笑い声が遠くに聞こえても、胸の奥がきゅっと固まって動けなかった。


 そんな私の世界をひっくり返したのが――一匹の犬だった。


 ある日の園庭。門の隙間から入ってきた犬が、尻尾を振りながらこちらへ駆けてきた。今思えば、ただ遊びたかっただけなのだろう。けれど当時の私には恐怖でしかなくて、泣きながら必死で逃げた。

 足がもつれて転び、膝を擦りむいた。砂まみれの手のひらが痛くて、涙で視界が滲む。犬の足音がすぐ近くまで迫り――もうだめだと思った瞬間。


「やめなさい!」


 甲高い声と共に、私の前に小さな影が立ちはだかった。

 その子は体いっぱいを広げて犬を威嚇するように叫び、両手を振り回した。犬は驚いたように立ち止まり、しばらくして尻尾を巻いて遠ざかっていった。


 振り返ったその子は、涙と砂でぐしゃぐしゃになった私ににこっと笑って、ためらいなく手を差し伸べてくれた。


「大丈夫?」


 その手を取った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 私の世界に初めて差し込んできた光――それが、鈴野なぎさだった。



 その日から、私はなぎさと一緒に遊ぶようになった。

 砂場では「お山を壊す係」と「作る係」で分かれて遊んだり、ブランコを順番に押し合ったり。

 私は一人遊びばかりだったから、誰かと笑い合えることが新鮮で仕方なかった。


 なぎさはいつも元気で、何事にも真っ先に手を挙げる。絵本の読み聞かせでも「はーい!」と答えて、先生に褒められていた。その横顔を見て、「すごいなぁ」と心の底から思った。


 そんな彼女には、ある日突然、大きな試練が訪れた。



 幼稚園の終わり頃。

 なぎさのお父さんが事故で亡くなったと聞いた。


 母は「なぎさのお父さんは天国に行ったんだよ」とやさしく教えてくれた。けれど「死ぬ」ということの重さが、幼い私には理解できなかった。

 ただ、大好きななぎさの家から笑い声が消えているような気がして、胸がざわついた。


 次に会ったとき、なぎさは以前と変わらず園庭を走り回っていた。

 ――いや、変わらないように見せていただけなのかもしれない。

 けれど、私にはそれが分からなかった。ただ「強いな」と思った。


 その姿は、私の心に焼きついた。

 大切な人を失っても、泣き顔を見せずに前を向く。

 その背中を追いかけることが、私の当たり前になっていった。



 小学校に上がっても、なぎさは変わらず私の隣にいた。

 朝は一緒に通学路を歩き、帰り道には駄菓子屋に寄って同じくじ引きを引いた。

 運動会ではリレーのアンカーに選ばれたなぎさを、声が枯れるまで応援した。彼女がゴールテープを切る瞬間、自分のことのように胸が誇らしくなった。

 学芸会では主役を任されて、堂々と台詞を言うなぎさに拍手を送りながら、「私もあんなふうに強くなりたい」と思った。


 給食の時間には、なぎさが「パン半分あげる」と笑って差し出してきて、私も牛乳を交換した。

 そんな何気ないやり取りさえも、私にとっては宝物だった。


 なぎさはいつも前に立つ。私はその背中を追いかける。

 その関係は、幼稚園から小学校に上がっても、何ひとつ変わらなかった。


 中学校に入っても、なぎさは相変わらずだった。

 教室に入ってきただけで空気が明るくなる。休み時間には自然と輪の中心にいて、誰とでも笑い合える。体育祭でも合唱コンクールでも、真っ先に手を挙げてみんなを引っ張る。そんな存在感を、私はずっと羨ましく思っていた。


 一方で、私は昔から大勢の前に立つのは苦手で、人前で話すと声が小さくなることも多かった。けれど、なぎさと一緒にいるときだけは、不思議と安心できて少し冗談も言える。幼稚園や小学校のころは、なぎさの前だけでしか見せられなかった自分――それを、中学に入ってからは「クラスでも出してみたい」と思うようになった。



 中学1年の春、自己紹介のとき。胸がドキドキして声が詰まりそうになったけど、「ここで引っ込み思案のままじゃだめだ」と自分に言い聞かせ、思い切って少しだけ冗談を添えた。教室が笑いに包まれた瞬間、顔が熱くなったけれど、心の奥では大きな達成感があった。

 なぎさが後で「さち、やるじゃん!」と笑って肩を叩いてくれたことは、今も鮮明に覚えている。


 その日を境に、私は少しずつ変わっていった。みんなの前で冗談を言ったり、会話に積極的に入ろうと努力した。最初はぎこちなかったけど、次第に自然に笑えるようになった。もちろん、なぎさほどの天性のムードメーカーにはなれなかったけれど、それでも「なぎさの隣で恥ずかしくない自分」でありたい一心で、必死に頑張った。



 体育祭では、なぎさはまたリレーのアンカーに選ばれ、みんなの声援を浴びながらゴールテープを切った。私はリレーには選ばれなかったけれど、組体操で下段を支える役を全力でやりきった。

 練習の後、なぎさが「さちが下で支えてくれるから安心できるんだよ」と言ってくれたとき、胸の奥が熱くなった。「私にもできることがある」と思えた瞬間だった。


 合唱コンクールでは、なぎさが指揮者に立候補してクラスを引っ張り、私は伴奏係に選ばれた。舞台で手が震えて音を外しかけたとき、指揮台の上からなぎさが小さくうなずいてくれた。それだけで落ち着きを取り戻し、最後まで弾き切ることができた。「さちの伴奏があったから最高だった!」と抱きついてきたなぎさを、私は一生忘れない。



 そして、部活。バレー部でのなぎさは、私にとって一番大きな存在だった。

 初めて同じポジションでプレーしたとき、私は圧倒された。ジャンプ力も声の大きさも、すべてが一歩も二歩も先を行っている。だけど「置いていかれたくない」という気持ちが、私を体育館に縛り付けた。


 みんなが帰った後、一人でサーブ練習を繰り返した。手のひらが赤く腫れてもやめなかった。なぎさが「さち、もう暗いよ。帰ろ?」と声をかけてくることもあったけど、「もうちょっとだけ」と言うと、苦笑しながら「やっぱさちはすごいね」と言ってくれた。その一言だけで、疲れも痛みも吹き飛んだ。


 中学2年になると、少しずつ試合に出られるようになった。緊張で足がすくんだときも、なぎさが「大丈夫、いつも通りにしたらいいよ!」と背中を叩いてくれた。その声を聞くだけで、不安が霧のように晴れていった。



 勉強でもなぎさは私に頼ってくることが多かった。テスト前に図書室にこもると、すぐ眠くなって机に突っ伏してしまう。「さち、ここ教えて」と半分寝ぼけながらノートを差し出す姿に思わず笑ってしまった。「仕方ないな」と解き方を教えると、「やっぱさちってすごいね」と素直に感心してくれる。その時間が、勉強以上にうれしかった。


 でも、心の奥にはいつも小さな棘があった。なぎさは太陽で、私はその隣にいる月みたいな存在。体育祭でも合唱でもバレーでも、「なぎさがいたから」って褒められる。私自身を見てくれる人はどれくらいいるんだろう――そんな疑問が頭をよぎることもあった。


 それでも、私はなぎさの隣にいたかった。追いつきたい、追い越したい、でも離れたくない。矛盾した気持ちを抱えながらも、彼女と過ごす日々はかけがえのない時間だった。



 中学最後の冬、進路の話が本格的になった。なぎさには県大会で入賞常連の強豪校からも声がかかっていた。顧問の先生も「鈴野はもっと上を目指せる」と勧めていた。実力的に、なぎさは全国クラスを狙える学校に進めるはずだった。


 一方で、私に来た推薦は一つの高校だけ。それでも県内ではそこそこ強く、過去にベスト8に入ったこともある学校で、私にとっては奇跡のような話だった。


 でも、なぎさは違った。もっと高いところに行けるのに、周囲は「絶対に上を狙える」と言うのに。心の奥で焦りと不安が広がった。



 冬の帰り道、マフラーに顔をうずめながら歩いていたとき、なぎさがふいに笑った。

「ねぇさち、他の強いとこからも声は来てるんだけどさ……学力がやばいとこばっかで、私ついていけないと思うんだよね」


 半分冗談めかしていたけれど、その目はまっすぐ私を見ていた。

「それにね、さちが行く学校、バレー部強いよ。だから私もそこに行く」


 一瞬耳を疑った。「……ほんとに?」と返す私に、なぎさは「さちがいないとつまらないし」と笑った。


 その言葉に胸が熱くなった。私は必死に追いつこうとしていたのに、なぎさは迷いなく「一緒に行く」と言ってくれる。その温度差に戸惑いながらも、涙がにじむのをこらえた。



 春。私たちは同じ高校に入学した。

 県でそこそこ強いと評判の学校。練習は厳しいと聞いていたが、なぎさは楽しそうに「また一緒に頑張ろう!」と笑った。


 入学直後の部活見学では、先輩たちの掛け声に思わず息を呑んだ。なぎさは目を輝かせて「すごいね! さち、私たちもすぐ追いつこ!」と笑った。その言葉に私は頷いたけれど、心の奥で小さな不安が残っていた。


 ――私はまた、なぎさの背中を追いかけることになるんだろうか。

 ――それとも、この場所で少しでも肩を並べられるだろうか。


 そんな想いを抱えながら、高校生活がスタートした。



 入学式のあと、真新しい制服に身を包んだ生徒たちがそれぞれの教室に散っていく。

 私はなぎさと同じ校舎にいながらも、クラスは別になった。

 それでも朝の登校や帰り道は変わらず一緒で、駅から校門まで並んで歩く私たちを、クラスの子に「仲いいよね」と何度も言われた。

 少し照れくさくて、でもやっぱりうれしかった。



 新しいクラスは最初こそ緊張したけれど、中学で「少しずつ冗談を言えるようになった」自分を思い出して、思い切って輪の中に入った。

 授業で指されたときにちょっと笑いを取るような答え方をしたら、近くの席の子が「さちちゃん、面白いね!」と声をかけてくれた。

 そこから少しずつ友達が増えていき、気づけば休み時間に笑い合える居場所ができていた。


 一方のなぎさは――やっぱりというか、あっという間に人気者になった。

 休み時間には男子も女子も彼女の机に集まって、笑い声が絶えない。

 帰り道に「また人だかりできてたね」と私が言うと、なぎさは「え、そう? 全然気にしてなかった」とケロリとしていた。

 その無自覚さが、また人を惹きつけるんだろうな、と思った。



 部活が始まると、練習の厳しさに驚かされた。

 先輩たちは声も動きも迫力が違う。

 体育館の空気そのものが中学とは別物で、ボールを拾う音や踏み込む足音までが重く響いた。


 私はサーブ練習で何度もミスをしてしまい、落ち込みかけたけど、隣でなぎさが「大丈夫、私もいっぱいミスしてるし!」と笑ってくれた。

 その笑顔に救われて、なんとか最後まで食らいついた。


 夏の大会では、1年生の私たちはベンチで声を出す役目だった。

 先輩たちがコートを走り回る姿を見ながら、悔しいくらいに胸が熱くなる。

 「絶対、出たい」――その気持ちが強くなった。


 試合後、なぎさが「やっぱ先輩たちすごいね。私たちもすぐ追いつこう!」と言ったとき、私は強く頷いた。

 同時に「なぎさはすぐにレギュラーになるんだろうな」という予感があって、胸の奥が少しざわついた。



 日常も高校ならではのイベントで彩られていた。

 文化祭では、私はクラスで模擬店をやることになり、調理の手伝いや呼び込みを頑張った。

 友達とお揃いのエプロンをつけて立っていると、なぎさが買いに来て「さち、似合ってるね!」と大声で褒めてきて、周りから「仲いいな〜」と冷やかされてしまった。

 顔が真っ赤になるのを、笑ってごまかした。


 秋になると、クラスの友達との間で恋バナが増えていった。

 「鈴野さんってさ、部活もできるし絶対モテるよね」なんて名前が出るたびに、胸の奥がざわつく。

 なぎさ本人は「えー、そんなのないって!」と笑い飛ばすんだろうけど、私はなぜか落ち着かなかった。



 冬になると、練習はさらに基礎中心になり、毎日のように地味できついメニューが続いた。

 寒い体育館で声を張り上げながら、ボールをひたすら拾い続ける。

 帰り道、二人で「今日もしんどかったね」「でも、絶対強くなれるよね」って励まし合う時間が、私にはとても大事だった。


 その横で、なぎさに男子が声をかけてくる場面も増えた。

 笑顔で応じるなぎさを見て、心の奥がちくりとする。

 もちろん、なぎさは部活が一番で、誰かと付き合う気なんてなさそうだ。

 それでも――もし、いつか誰かに取られてしまったら。そんな考えが頭をかすめ、胸の奥に小さな不安が芽生えるのを感じていた。



 こうして高校1年が終わろうとしていた。

 笑って、汗を流して、時に胸をざわつかせながら――それでも私は、なぎさの隣にいた。

追いつきたい。肩を並べたい。

 その願いを胸に、私はまた体育館へ向かう。



 高校2年生になり、私たちの部活は一層本格的になった。

 体育館にはいつも大きな掛け声とボールの弾む音が響き、汗と笑顔が交じる空間が広がっていた。


 三年生の先輩たちは厳しくも優しく、時に笑わせてくれる存在だった。キャプテンは誰よりも声を出してチームをまとめ、リベロの先輩は後ろから全員を支え、エースの先輩はコートに立つだけで安心感を与えてくれた。

 そんな先輩たちが大好きで、私もなぎさもその背中に憧れ続けていた。


 練習後には「お疲れ!」と頭を軽く叩かれたり、差し入れのアイスを一緒に食べたり。厳しいメニューのあとでも自然と笑い合えるのは、先輩たちが作ってくれる空気のおかげだった。



 そして、気がつけば私はなぎさの隣でプレーできるようになっていた。

 夜遅くまでサーブ練習を繰り返した日々、壁当てで赤く腫れた手のひら。その努力が少しずつ実を結び、「さちも頼れる」「なぎさと並んでる」と周りから言われるようになった。


 なぎさも「さちがいてくれて本当に助かる」と笑ってくれる。その言葉が、私にとって一番の誇りだった。



 夏の大会。三年生にとって最後の舞台。会場は熱気と声援であふれ、私たちは全力で挑んだ。

 結果は惜しくも敗退。スコアボードの数字を見つめ、涙が止まらなかった。


 泣き笑いの混じる円陣が解け、体育館に少しずつ静けさが戻っていく。

 汗と涙で頬を濡らした三年生たちが、後輩一人ひとりに言葉をかけて歩き始めた。


 その中で、なぎさはエースの先輩にまっすぐ返事をしていた。


「任せてください! 次は絶対、私たちが繋ぎます!」


 涙で声が揺れながらも、その表情はしっかりと前を向いていた。


 すると、少し離れたところにいたキャプテンが、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 目元は赤く、泣いたばかりなのに、どこか晴れやかな顔だった。


「……なぎさ」


 呼ばれたなぎさが振り向く。

 キャプテンは一度だけ深く息を吸い、笑うように、泣くように言った。


「特になぎさ。あなたは、絶対もっとすごくなる。……キャプテンも任せられる」


 その言葉は、まるでバトンを渡すみたいに静かで、だけど力強かった。


 なぎさは唇を震わせ、目に涙を浮かべながらも――

 まっすぐにうなずいた。


「はい……! 頑張ります……!」


 キャプテンは安心したように微笑み、そっとなぎさの肩を叩いた。

 体育館の空気がゆっくりと変わり、

 “次の時代が動き出す” そんな空気が、そこにあった。


 ――こういうとき、なぎさは強い。私が泣き崩れそうになっても、彼女は前を向く。その姿が誇らしくて、胸が締めつけられた。


 私は心の中で「まだ怖い」と思っていた。でも、隣のなぎさは迷いなく頷き、エースの先輩に力強く答えていた。

「任せてください!」

 その声に、後輩たちまで背筋を伸ばした。――やっぱりこの人が中心なんだ、と改めて感じた。



 帰り道、夕焼けの下でなぎさと並んで歩く。

「なぎさ……次は、私たちの世代が引っ張っていくんだよね」

 そう言うと、なぎさは涙を拭いながら頷いた。

「うん。さちと一緒に。絶対に」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。今までは追いかけるばかりだった背中。けれど、これからは私たちが背中で語る番だ。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

この章では、さちにとっての「鈴野なぎさ」がどれだけ大きな存在だったのかを書きました。

追いかけて、支えて、ときどき不安になりながらも、隣にいたいと願い続けるさち。


この先、あの夏の出来事や、事故後の二人の関係を読むときに、

「十四章のさちの気持ち」が少しでも重なって見えたらうれしいです。

後半もお付き合いください!

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