8
静かな街の石畳に馬車の車輪が響いた。
空が夕焼けに染まる。ゆっくりと進むその馬車の中には、ランティスと、アイリス、そしてセレスティの姿があった。
再会後、ランティスは一度公爵に戻るためにアイリスとセレスを連れて公爵領へ向かった。
荷物を纏めて早朝出たのに転移魔法を使っても領に到着したのはすでに日が傾いた頃だった。
初めて乗る立派な馬車に、セレスは目を輝かせていた。
窓の外を見ては「兎がいたよ!」「動くお城だね!」と無邪気に声をあげる。
そのたびに、ランティスの頬がゆるむ。
「……気に入ったか?」
「うん! とーさますごいね!」
「そうだな。」
優しく笑うランティスを見つめながら、
アイリスは静かに胸の前で手を組んだ。
(……夢みたい。こんな日が来るなんて。)
五年前―
一人で逃げ出したあの夜には、想像すらできなかった。
けれど、
今こうして彼の隣に座り、
息子がその膝の上で笑っている。
それだけで胸がいっぱいになる。
公爵邸の大門が見えたとき、
アイリスは思わず息を呑んだ。
大理石の階段。
高くそびえる塔。
そして――広がる庭園の緑。
「……変わらない……」
懐かしい。ランティスと結婚するために幼い頃から行儀見習いで通った公爵邸。
馬車が止まり、扉が開く。
ランティスがアイリスの手を取り、
そっと外へと導いた。
「おかえり、アイリス。」
その一言に、
涙が溢れそうになる。
―ただいまって言っていいの?
戸惑いそう思った瞬間、
扉の向こうから声がした。
「ランティス!」
現れたのはランティスの父と母。
前公爵ラオネルと、
その妻レイスディアだった。
ふたりの顔が、
アイリスとセレスティを見るなり柔らかくほころぶ。
ラオネルが深く息を吸い、
かすれた声で呟いた。
「……お帰り。アイリス」
レイスディアは涙ぐみながら、
セレスティにそっと近づいた。
「あなたが……セレスティちゃん?」
「うん!セレスティ4歳です。」
その無邪気な言葉に、
レイスディアは手を口元に当てて泣き笑う。
「……まぁ…」
ラオネルも目頭を押さえ、
「……ようやく会えたか……」とつぶやいた。
ランティスはそんな両親に微笑みを向け、
アイリスの肩に手を置いた。
「……セレス。このお二人は君のお祖父様とお祖母様だよ。父上、母上。理由は後ほど。とりあえずセレスをよろしくお願いします。」
「もちろんよ。ねぇ、セレスティちゃん。
おじい様とおばあ様と一緒にお菓子を食べましょう?」
「はーい!おじじ様、おばあさま」
セレスが嬉しそうに手をつなぐのを見届けて、
ランティスはアイリスを振り返る。
「行こう。」
「……どこへ?」
「俺の部屋だ。」
彼の目には、
怒りも疑いもなく、
ただ“安堵”と“愛情”だけが宿っていた。
扉が閉まると同時に、
ランティスはアイリスを抱きしめた。
「……やっと会えた」
胸の奥に響く低い声。
その温もりに、
アイリスの体が震える。
「……どうして、そんなに……」
「君がいない世界は……空っぽだった。」
腕の力が強くなる。
心臓の音が重なり合う。
「何もいらない。
君とセレスさえいれば、それでいい。」
アイリスは堪えきれず、
彼の胸に顔をうずめた。
「……ごめんなさい。
逃げて、ごめんなさい……」
「もういい。
もう離さない。」
唇が触れ合い、
二人の時間が止まる。
外では、セレスティの笑い声と、
レイスディアの穏やかな声が聞こえていた。




