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静寂の中、風がカーテンを揺らし、蝋燭の灯が小さく瞬く。
あの夜から数日後……兄に用意してもらった馬車に乗るために部屋を出る支度をする。
胸の奥に広がるのは、言葉にならない痛み。
まるで心臓の奥をゆっくりと締めつけられるような苦しさだった。
指先には、ランティスから贈られた指輪の感触。
――どうして、好きになってしまったのだろう。
彼はいつも穏やかで、冷静で、優しい。
彼だけは、ただ真っ直ぐに自分を見てくれた。
あの日、初めて手を取られた瞬間から、ずっと。
彼の瞳の奥に、自分の心が囚われていた。
けれど――この世界は、ゲームの中。
私は悪役令嬢。
どんなに抗っても、運命は変わらない。
最後には彼に断罪され、家族は没落する。
そして彼は、聖女と結ばれる。
そんな未来を知りながら、好きになってしまった。
「……ランティス……」
名を呼ぶ声が、涙で震える。
どんなに呼んでも、届かないことはわかっているのに。
それでも口にせずにはいられない。
唇を噛み、震える指で涙を拭う。
「ランティス……ランティス……好き。」
その言葉を吐き出した瞬間、胸の奥が軋んだ。
吐息のような告白は、夜の空気に溶け、誰にも届かない。
嫌われたくなかった。
彼に冷たい瞳で見下ろされるなんて、想像するだけで息が詰まる。
愛している人に「罪人」と言われる未来を、受け入れられない。
それなら――いっそ、消えるほうがいい。
家族を守りたい。
侯爵家の名誉も傷つけたくない。
そして何より、彼に憎まれたくない。
だから、私は消える。
彼の記憶の片隅から。
夜の空に、雲が流れていく。
まるで彼の瞳のような深い青。
指輪を外し、そっと掌に包むと、静かに涙が零れた。
「どうか……幸せに……」
震える唇から落ちた言葉は、風にかき消され、闇に溶けていった。
ドレスの裾を握りしめ、静かに一歩を踏み出す。
背後で蝋燭の炎が消え、部屋が闇に沈む。
―愛しているのに、離れなければならない。
その矛盾が、胸を切り裂くように痛かった。
侯爵家の使用人の出口からこっそり屋敷を抜け出すと夜の外気が肌を刺す。
それでも、涙の跡を隠すようにフードを被り、歩き出す。
誰にも知られずに、ただひとり、愛の終わりを胸に抱いて――
「……さようなら、ランティス。」
その言葉は最愛の人への願いと祈り。
月が哀しみを静かに見守っていた…




