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王都の夜が、まるで星を閉じ込めたように輝いていた。
宮廷の大広間には無数の灯が揺れ、
シャンデリアの光が青と銀の衣をきらめかせる。
絹の裾が床を滑り、
楽団が静かに旋律を奏で始める。
貴族たちのざわめきが波のように広がる中―
扉がゆっくりと開かれた。
「ブルーヴァルド公爵、及び公爵夫人御入場!」
澄んだ声が響く。
その瞬間、
広間の空気が一変した。
青のドレスを纏ったアイリス。
夜空を溶かしたような深い蒼の布地に、
銀糸の花が咲く。
胸元には黒水晶のペンダントが光り、
その瞳はまるで春の夜明けの星のように澄んでいた。
隣に立つランティスは、銀糸の黒の礼服。
胸元には、アイリスの瞳と同じ紫のハンカチーフが差し込まれている。
二人が並んだ瞬間、
まるで“神話”が現実になったかのようだった。
貴族たちが息を呑む。
「……あれが“青の公爵”……」
「なんて、美しい……」
「聖女よりも――」
小さなささやきが波紋のように広がる。
だが、アイリスの耳には届かない。
彼女はただ、隣に立つランティスの手を感じていた。
玉座の前に進み出ると、
金糸の衣を纏った国王がゆっくりと姿勢を正した。
その眼差しには、静かな威厳と慈しみが宿っている。
二人は同時に歩みを止め、
恭しく膝をついた。
――その姿は、完璧だった。
ランティスが片膝をつき、
アイリスがその隣で優雅に裾を広げて頭を垂れる。
青と銀が交わる瞬間、
大広間にいる誰もが息を呑んだ。
「陛下。」
ランティスの声は低く澄んでいた。
「ブルーヴァルド公爵家当主として――
ウィンディア侯爵令嬢アイリスとの婚姻をここに正式に報告いたします。」
「……確かに受け取った。」
国王の声は穏やかだが、広間全体に響き渡る。
「アイリス・ブルーヴァルド。」
呼ばれた名に、アイリスは顔を上げる。
「はい、陛下。」
「お前はこの国にとって失われてはならぬ光だ。
血筋でもなく、地位でもなく、
己の意思で生きる者として――
民の模範となれ。」
「……身に余るお言葉です、陛下。」
国王はゆっくりと頷き、
そして二人を見渡した。
「――この婚姻を、王として祝福しよう。」
その言葉に、
場の空気が熱を帯びる。
ランティスはアイリスの手を取り、
立ち上がらせた。
青と銀の衣が揺れ、
光が二人の間を通り抜けて花のように散る。
静かな拍手が一人、また一人と重なり、
やがて大広間全体が喝采に包まれた。
アイリスはふと横を見る。
ランティスの青い瞳が彼女を見つめている。
「……やっと、ここまで来たな。」
「はい。ランティス様。」
互いに微笑み合う。
その姿は、
誰よりも強く、誰よりも美しかった。
音楽と笑い声が満ちる夜会の広間。
金と青の光が反射し、
祝福の輪の中心には―
王に正式に婚姻を承認された新たな公爵夫妻の姿があった。
誰もがその華やかさに目を奪われ、
「青の公爵と銀の花嫁」と称える声があちこちから上がる。
だが、その祝福の中で、
ひとりだけ笑わない女がいた。
―聖女リンカ。
黒髪に白い衣。
その姿は相変わらず清らかに見えたが、
その瞳の奥は凍りついたように濁っていた。
(……どうして?)
頭の中で、声がこだまする。
(違う……この結末は、違う……)
彼女の知る“ゲーム”の物語では、
この夜会で愛を誓うのは“聖女リンカとランティス”。
青のドレスはランティス攻略の証。
ランティスは聖女を選ぶ―
そう、そうなるはずだった。
なのに今、
ランティスはあの女の隣にいる。
見たこともないほど穏やかな顔で。
攻略対象のはずの皇太子も騎士団長も冷たかった。
話は聞いてくれてもそっけなく恋愛相手としては見てくれなかった。
唯一声をかけてくれたのは司祭でもあるラグウェル公爵。けれどリンカはランティスがよかった…
スチルを見たときからずっと………
「……どうして、私じゃないの……?」
気づけば、足が勝手に動いていた。
会場のざわめきの中をすり抜け、
青の公爵夫妻のもとへと歩み寄る。
「……はじめまして。」
その声に、周囲の貴族たちが息を呑む。
「アイリス・ウィンディア。」
会場の空気が一瞬にして凍りついた。
――王の前で正式に婚姻を承認された女性を、
“旧姓”で呼ぶことはこの世界では最大の侮辱。
それは「あなたはまだ妻として認めない」という意思表示。
それも呼び捨て………
音楽が止まり、
視線が一斉に二人へと向けられる。
アイリスは表情を崩さず、
静かに背筋を伸ばした。
(……これが“運命の狂い”に気づいた聖女の反応。けれどもう、私は怯えない。)
リンカの隣では、彼女の夫―ラグウェル公爵家の若き当主が青ざめた顔で妻の腕を掴んだ。
「リンカ! やめろ……!
申し訳ない、ブルーヴァルド公爵!」
広間の空気が張り詰める。
ランティスは片眉を上げただけで、
何も言わずにアイリスを見た。
―彼は彼女に判断を委ねている。
アイリスは静かに息を吸い、
そして一歩前へ出た。
「……構いません。」
会場中の視線が彼女に集まる。
その紫の瞳が、まっすぐリンカを見据えた。
「聖女様はこの国の礼儀を学ばれて間もないご様子。
異界からいらした方ですし、当然のことです。
ですから―今回は、許します。」
声は穏やかだった。
だが、その奥にある気高さと凛とした芯の強さは、
誰もが息を飲むほどだった。
「けれど――」
アイリスは一瞬、微笑んだ。
その微笑みは、氷のように冷たく、美しかった。
「次はありません。」
広間の空気が一気に張り詰める。
リンカの顔から血の気が引く。
唇が震え、何か言いかけたが、声にならない。
彼女の夫は深く頭を下げ、
リンカをその場から連れ出した。
ざわめきが戻るまで、わずかに数秒。
だがその数秒で、
この国の“聖女”と“公爵夫人”の立場は完全に入れ替わった。
―ランティスがそっとアイリスの手を取り、
その指先に軽く口づけを落とした。
「……見事だった。」
「いいえ。」
アイリスはかすかに微笑む。
「もう逃げないって、決めただけです。」
彼女の青のドレスが揺れるたび、
光が波のように広間を包む。
その姿はまるで、
“真の聖女”のようだった。




