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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤児院出の聖女さまは国王に国外退避を勧められる

作者: 調彩雨

実行する描写はありませんが、残虐刑の執行を予想させる描写がございます

予めご了承お願い致します

また、視点切替前後の温度差が激しい箇所がございますので、ご注意下さい

「未来の王太子妃を害そうとした罪は重い」

 腕を抱く王太子殿下の声は、さすが王族だけあってよく響いた。

 いや、会場が、静まり返っているからだろうか。

 きざはしの下からこちらを見上げる女に見せつけるように、殿下の肩へと頭を寄せる。

「よって、ミルソフィア、お前から聖女の位を剥奪し、お前を国外追放とする!」

 殿下の宣言に、ざわめきが広がる。

 当然だろう。死刑の存在しないこの国で、国外追放は最も重い刑のひとつだ。牢に繋がれる終身刑と異なり、身ひとつで国を追い出され、二度とこの地を踏むことは許されない。

 衣食住の補償のないそれは、ほとんど死刑宣告のようなものである。

 宣告された女はと言えば、あまりの衝撃に言葉もないらしい。

 そんな女に反論の隙も与えず、殿下は命じた。

「連れて行け!二度と僕の前に顔を見せさせるな!!」

 殿下の命を受けた騎士たちが女を囲み、会場の外へと連れ去る。

 いい気味だ。

 殿下に擦り寄って、しおらしく礼を口にする。

「ありがとうございます。これでやっと、安心出来ますわ」

 そもそも、孤児なんて卑しい出の女が、わたくしと同じ聖女だったなんてことが、おかしかったのだ。

 しかも奨学生とか言って、本来貴族でしか通えない学舎に、我が物顔で入学して。食事も、衣服も、教材や学費だって、すべて国税から賄われるなど、金食い虫にもほどがある。

 だから報いを受けさせてやった。

 ありもしない罪で陥れて、貶めて。

 本来の身分を、思い知らせてやった。

 これからあの女は、すべて失って野垂れ死ぬのだ。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 十四年前、わたしが四歳の頃。

 この国を、否、この大陸を、今では大狂害と呼ばれる未曾有の大災害が吹き荒れた。

 それは天災でも、戦争でもなく、龍の一斉の狂化。本来理性ある生き物であるはずの龍が、自我を失くして暴れ狂い、それに感化された魔物まで、大暴走を起こした。

 多くの街が薙ぎ払われ、踏み潰され、燃やし尽くされた。

 多くのひとが、獣が、植物が、その命を散らした。

 多くのものがひとを、国を守るために武器を取り、聖女や聖人と呼ばれる能力者たちは、命を賭して狂化した龍の鎮静化に従事した。

 厳しい戦いの末、龍の狂化は収まり、多くの犠牲を出した災害、大狂害は収束した。

 未だ、狂化の理由は判明していない。

 十四年経った今でも、各地に大狂害の爪痕が残っている。

 元貴族、平民問わず災害孤児が多いのも、その、爪痕のひとつである。

 そして、わたし、ミルソフィア•フィロニアも、大狂害で孤児となったもののひとり。

 魔導師である父は前線で戦って散り、聖女であった母もまた、狂化した龍を鎮めるために力を使い尽くして亡くなった。

 幼かったわたしは山間で、天然の要塞のような地形に囲まれた寺院に預けられていたために生き残り、その寺院に併設された孤児院で育った。

 同じ境遇のものは大勢いて、みな、生きるのに必死でありながら、もし、また同じことが起きたらと想定して力を付けることに余念がなかった。

 だからわたしが母の背を追って聖女になったのも、自然な流れで。

 その結果がこんなことになるなんて、思ってもみなかった。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「このまま、この国にいるのは危険だ」

 わけのわからない宣告をされたわたしが騎士に囲まれて案内されたのは、国王陛下の私室だった。

 謁見の間でも、執務室でもなく、私的な空間に通されたことに身を固める。

 使い古された、しかし質の良いソファを勧められて、腰を落とす。

 ここは、十四年前から、きっとあまり変わっていないのだろう。

 王都の防衛は力を入れて行われた。

 だから、王都にいた貴族も市民も王族も無事で、王城は傷ひとつなかった。ゆえに豪華な調度の類もみな無事で、けれど国庫を復興に費やした十四年、あらたな調度を買うことはなかったと聞く。

「危険、とは」

「さきの、おかしな言いがかりや宣告は聞いただろう」

 おかしな宣告。

 国外追放がどうの、と言うものだろうか。

「……国外追放は、確かに刑罰として存在しますが」

 罪を犯したものを、永久に国から追い出す。それは確かに、法律として存在する罰則だ。しかし。

「当国に滞在する外国籍のものに対して適用される罰であり、この国に国籍を持つわたしには、与えてはならない罪だったかと」

「その通りだ」

 陛下は頷くと、頭痛を堪えるかのように額を抑えて深く息を吐いた。

 国外追放とは、罪を犯した外国籍のものを、母国に強制送還するときに、罪の重さに応じて追加されることのある罰だ。外国籍の、我が国が責を持たない相手だからこそ使える、自国の防衛手段のひとつである。

 ゆえに当国籍保持者には使えない。

 我が国が責を持つものを国外追放になどすればそれは、厄介者を他国に押し付けたと取られてしまうのだから。

 従って、唯一の例外を除き死刑や拷問刑の存在しないこの国で、当国籍のものに対する重刑とは、終身で国奴として役務を課せられる、終身懲役刑か、一切の自由を許されず小さな牢で一生監視されて過ごす、終身禁錮刑のいずれかとなる。

 きちんと法律を学んでいれば取り違えることのない内容なので、王太子殿下から国外追放を言い渡されたときは、聞き間違いかと耳を疑ってしまった。

 が、陛下の耳に届いているところを見るに、聞き間違いではなかったらしい。頭痛を覚える気持ちもわかる。

「あれの言論はおかしい。そなたがなんら罪を犯していないことも、すでに調べはついている。すべて言いがかりで、それでなくてもお粗末な内容だ。だが」

 陛下の目が、わたしを捉えた。

「アレでなぜか、賛同者や協力者がそれなりにいる。信者、とも言えるかもしれない」

「そうなのですか」

 そのあたり、あまり興味はなかったので、首を傾げて答える。

 孤児であるわたしたちが気にするのは、今日を生き残ることと、いつかの災害のために戦う力を得ることだ。敵は龍や魔物であり、ひとではない。

 孤児院によっては貴族の寄附や国の補助で成り立っているところもあるので、そう言った孤児院のものについては、政策や貴族の意向にも敏感だ。

 しかしわたしのいた寺院附属の孤児院に関しては、自給自足と孤児たちの働いた給金で賄っていたので、周りを気にする必要がなかった。

 身も蓋もない言い方をすると、国が滅びてもとくに問題はないはずだ。わたしのいた孤児院は。

 それでもわたしが貴族の学舎に通うことにしたのは、魔導師としての才能を見出されたからで、魔導を学ぶならばこの国では貴族の学舎がいちばんだったからだ。

「ああ。だからこのままこの国にいれば、そなたが傷付けられるやもしれん。大事な友の忘れ形見を、傷付けられるわけには行かない」

 父は魔導師で母は聖女で、そして、侯爵夫妻だった。父も母も国王陛下とは幼馴染で学友で、本来であれば王都警備に回され生き残ったはずの人員だった。

 しかし父も母もその外の、守るもののいない国民を見捨てることを良しとせず。危険な場所へ向かい、命を賭して国を守った。

 成人した後継のいない家は取り潰しになる。

 フィロニア侯爵である父には父母も兄弟も親戚もいたが、みな、家ではなく国と民を守るために命を使うことを選び、成人未満の子供しか生き残らなかった。

 だからわたしは平民の孤児だが、血筋だけは貴族のものを持つ。

「こんなことになるならば、孤児となったそなたをどこぞの養女にでもして置けば良かった」

 フィロニア家の子供たちはみな孤児となり、そして、誰ひとりとしてどこかの養子になったものはいなかった。

 フィロニアの名を残すことを選び、ほかの孤児と共に生きることを望んだのだ。

「フィロニアであることも、孤児であることも、選んだのはわたしです」

「ああ。だが私もそなたがフィロニアであることを望んだのだ。ミルソフィア•フィロニア。私の愛するひとの名を、集め持つ子」

 国王陛下と幼馴染だった父母は、その妻であった第一王妃とも懇意だった。わたしの名、ミルソフィアは王妃ソフィニア殿下と、母ミルフィリアの名から、ソフィニア殿下が考えて下さったものだ。

 ソフィニア殿下はわたしに名を付けてすぐ、第二王女出産の際の出血多量で、亡くなられている。

 ソフィニア殿下のお子は王女が二人で、王太子は第二王妃殿下の子だ。

 陛下は第二王妃殿下のことを大切にしていないわけではないが、より深く愛していたのはソフィニア殿下なのだろう。忘れ形見の王女二人を愛し、名付け子であるわたしのことも、気にかけてくれている。

「そなたを国外追放になどする気はない。だが、そなたを国に残しておけば、あの愚か者どもはまたそなたに害をなすだろう。だから、出来ることならば、そなたには国外退避をして欲しい」

「国外退避、ですか?」

 国外追放と国外退避。

 似た響きの言葉だが、意味合いは大きく異なる。

 国外追放が害ある人間から国を守るための措置だとするならば、国外退避とは害ある国から人間を守るための措置である。

 国を追い出すか、国から逃すか。

 紛争状態でもない国から、国民を退避させると言うのは、自国民の国外追放に匹敵するほど、外聞の悪いことだ。

「それでは、他国から陛下がどう思われるか」

 自国の民を守る力もないと、他国に知らしめるようなもの。

「もちろん」

 陛下がわたしの手を取り、言う。

「永遠に、とは言わない。この国の膿を見つけ出し、一滴残らず出しきって、そなたの安全が保証できるようになるまで。それまでのあいだだ」

 未曾有の危機であった大狂害を乗り越え、国を存続させた賢王は、ぞくりとするような冴え冴えとした瞳をしていた。

「十四年、生き残ることに必死だった。結果、生き残らせてはならないものまで、のさばらせたようだ。このままではそなたのみならず、国も害そう。そうなる前に、害の芽は潰さねばならん」

 この方が、戦って果てたものたちの家を取り潰すことを、誰より悔しく思っていたと知っている。

 無事なのは王都だけと言う有様の国の立て直しは、どれほどの苦労があったか。その、激務の合間に無理矢理隙間をこじ開けて、この方は孤児院まで感謝と謝罪を告げに来た。

 国王であるがゆえに、この方は自分の身を守らねばならなかった。戦う友を、安全な場所から見ているしかなかった。

「力ある聖女の地位を奪わせた挙げ句国外退避させるなど、確かに私の評価は下がるであろう。だが、その程度瑣末なことだ」

 国王が、戦うことなどない。戦わせてはいけない。

 それでもこの方の手は、硬く厚い剣ダコとペンダコで、ごつこつとしている。

「評価などすぐくつがえる。彼の国の王は力ある聖女を守るためならば、どんな手も使うのだとな」

「どうか、あまりご無理は」

「そなただけのためではない」

 陛下は微笑む。陰謀渦巻く場所を、立派に治める国王の顔で。

「能力を正しく評価し守ると知られれば、有能なものは安心して我が国を訪れられよう。有能なものが国に集まれば、国はより発展し、民も豊かになる」

 だからそなたはなにも心配しなくて良い。

 笑ってそう告げる陛下の本心など、若輩なわたしにはわかりはしなかった。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「それで」

 孤児仲間の青年が、首を傾げる。

「受け入れたのか、国外退避」

「陛下に頭を下げられてはね」

 息を吐いて、苦笑した。

「父と母は十四年前、安全な場所に残って欲しいと思っているであろう陛下の願いを酌まず、前線へ立ち続けた。陛下が言葉を発する余地も与えずに。それは父母自身の判断であって、陛下のせいでは決してないけれど、陛下はきっと、自分は友を見殺しにしたと思っているだろうから」

「フィロニアの献身がなければ、この国は存続も怪しかったと思うけどな」

「フィロニアだけの力ではないけれど、そうだね。だから陛下も、父と母に戻れとは言えなかったのだろうし」

 今生き残っているのは、戦いに出ることの出来なかった女子供と臆病者、それから、戦いに出たものを信じてその後を繋ぐために残った為政者たちだ。

 実際、龍の鎮静化が成されたあと、この国を立て直したのは陛下をはじめとする、王都で守られた国の重鎮たちだ。それがなければおそらく大狂害のあと、もっと多くの死者が出ただろうし、十四年でここまでの復興は遂げられなかっただろう。

 生き残れば、衣食住が必要になる。ただでさえ大狂害で不足する物資を、皆に行き渡るよう采配する者は、絶対に必要だった。

「この国を生かしたのは、力を尽くして戦い、龍を鎮めた者たちだ。けれど父も母も、死力を尽くすまで戦い続けられたのは、その先の未来を継いでくれる者、陛下たちがいたからだと思うから」

 父と母が命懸けで守った国を、民を、陛下はひとりも取りこぼすまいと守り続けてくれている。

「感謝しているんだ、陛下には。大狂害を生き残れても、その後に滅んだり他国に潰された国も、あると知っているからね。だから父母が聞くことの出来なかった陛下の願いを、娘として叶えようと」

 と、建前はこのくらいにして。

「なにより、退避先がコールブランと言われたからね!一度行ってみたかったんだ」

「それが理由か」

「いやだってコールブランだよ?かの有名な大聖人がいる国!大狂害の被害も、格段に少なかったと聞くし、ぜひ話を聞いて、出来るならいろいろ学ばせて欲しい!」

 拳を握って語れば、呆れた視線を返された。

「国王がどうあれ、あんたを害そうとした者のいる国のために、まだ頑張るの?」

「違うよ」

 国は関係ない。いや、父母が命を賭して守った国だから、正しく存続して欲しいとは思うけれど。

 でも、わたしが守りたいのは、そうではなくて。

「次に同じような災害が起きたとして」

 一度起きたのだ。原因も解明されていない。ならば、二度目が起きない保証はない。

「同じように、国を守ろうと命を散らす者が、必ずいる。そのとき、早く災害を鎮められれば、死者が減らせるはずだ」

 父を誇らしく思う。母を尊敬している。

 国のために戦った者の名は、すべて記録されている。来年、十五年の節目に慰霊碑を建て、そこに名を刻むと聞いている。

 命を散らしてまで国を守ったひとびとは、立派だ。

 けれど、二度とそんなひとは生みたくない。犠牲なんて、出さずに済むならそれがいちばんなのだから。

「あなたに死んでほしくないから、わたしは頑張るんだ、アウグスト」

「ははっ」

 青年、アウグスト•ゾンダークは笑ってわたしの頭をぐしゃりとかき混ぜた。

「殺し文句だねぇ。女が言う台詞じゃないけど」

「冗談で言っているわけじゃないよ」

「わかってるよ。そうか。なら、そうだね」

 アウグストがわたしを見つめて言う。

「俺もついて行こうかな。ミルがひとりで全部抱え込もうとして、のたれ死なないようにさ」

「え」

「なに、嫌なの?」

 嫌ではないけれど。

「ストッパーには残っていて欲しいなって」

「止める気はないって意思表示だね」

「………………怒ってる?」

 にこ。とアウグストは微笑んだが、その目の奥は笑っていなかった。

「王女はまともだし、王女が継いだら良いと思わない?国」

「それはそう思うけれど」

 自国の法もまともに覚えていないくせに権力をふるおうとする王なんて生まれたら、地獄でしかないだろう。

「大丈夫。みんな馬鹿じゃないんだから、犯罪歴が残ることはやらないよ。あんな馬鹿のために経歴を汚すなんてもったいないだろう?」

 経歴以外は汚すんですね。

「や、めようかなあ、国外退避」

 アウグストがいたら適度に止めてくれるだろうと思っていたのに、誤算だ。

「いや」

 そんなわたしへ、アウグストは肩をすくめて見せた。

「これでもし馬鹿がミルを傷付けでもしたら、報復対象が広がってとんでもないことになりかねな、」

「国外退避しよう。身の安全大事!!」

 華麗なる掌返しを見せ付けたわたしに笑みを向け、アウグストはそれじゃあと言った。

「しばしの外国生活、よろしくね」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 そしてわたしは、逃げるように国を出た。アウグストと、幾人かの供と共に、一路コールブランまで。

 コールブランは母国から遠い。いくつもの国を越え、海さえ越えた先の国。

 急ぐ旅ではないのを良いことに、道々の国で聖女や聖人を訪れながら進む。国を追われたわたしに、聖女も聖人も優しかった。ぜひこの国にと、みな申し出てくれる。

「生き生きしてるね、ミル」

「国を出たのは初めてだから。どの国にも、学ぶところがある」

「勉強熱心で結構なことだね」

 そう言うアウグストだって、聖女や聖人の話は熱心に聞いているし、各国の文化にも興味を示している。

「こんなに、復興が進んだんだね」

「街道も再整備が進んでいるようだね。これから、国同士の行き来も活発になるだろう」

 大狂害で、いちどは滅びかけた国々。耐えきれず、滅びた国も多い。自国を守ることに必死で、国交など断絶していた。

 その、国交が戻りつつあるのだと、長旅は教えてくれた。

「ひとは強いね」

「強欲だからね」

 アウグストが道行く馬車を眺めて答える。

「欲が強いものほどのし上がるんだ。だから人間が、ほかのどんな生きものより繁栄した」

「アウグストは」

 そんなアウグストを横目で見ながら問う。

「人間が嫌い?」

「ミルは好きだよ。ほかのみんなも」

 聖女なんて、聖人なんて名ばかりで、わたしたちはみな愛する誰かのために頑張っている。その他大勢はついでだ。

「ひとりで全部は出来ないから、ミルや俺が生きるのに役立つ人間には生き残って欲しいかな」

「うん」

 父母は貴族として育ち、貴族の義務として民を守った。けれど貴族でなくなったわたしたちは、特権がない代わりに義務もない。

 だから望みは、生かしてくれた大人たちのために名前ほこりを残すことと、共に生きてくれた仲間と一秒でも長く生きること。

「呼ぶひとがいなければ、名前なんて意味がなくなってしまうからね」

「ああ、ミルはフィロニアの名を大事にしているもんね」

「アウグストは家名にこだわりがないよね」

「まあね。俺は名家の出じゃなく、貴族に仕える従者の家系だし。仕える家はもうないし」

 ああそうだ。大狂害で多くの家が断絶した。アウグストの家の主家もそのひとつ。

「だからもしミルと結婚するなら、俺がフィロニアになるよ」

「うん。ありがとう」

「うん?」

 アウグストが間の抜けた顔で首を傾げる。アウグストにしては、珍しい表情だ。

「……俺と結婚とか、考えられるの、ミル」

「身も蓋もない話をするとさ」

 フィロニアを残すには、後継がいるわけで。

「いつまた、大狂害のような災害が起こるかわからないから、名を継ぐ子供は早く授かって、生き残れる歳まで育てておいた方が良いし、数打ちゃ当たるではないけれど、人数は多ければ多いほど良いよね」

「まあそうだけど」

「となると、そろそろ結婚を真剣に考えた方が良いんじゃないかって」

 なにせ運良く子供を授かれたとしても、生まれるまでに十月十日がかかるのだ。それを何人も、と考えるならば、動き出しは早ければ早いほど良い。

「でも、フィロニアを残すとなると」

 母国では、入婿でもない限りは女性が相手の家に入る。女性の家名は、残せない。

「自分の家名より、わたしの家名を取って良いって、言ってくれる相手でないとでしょう?となると、わたしと同じように、家名にこだわりがあるひとは選べないから」

「家名に執着してない俺は、ちょうど良いわけか。でも、さっきも言ったけど俺、実家は末席も末席の騎士爵だよ?侯爵令嬢の夫には、役者不足じゃない?」

「今はわたしもアウグストもただの平民だよ。誰に文句を言われる筋合いもない」

「いや」

 アウグストが、引き攣った笑みを浮かべた。

「文句は間違いなく出るよね。我らが姫さまを掻っ攫った馬の骨って」

「姫?」

「ミルのことだよ」

「姫になった覚えはないけれど」

「孤児院から貴族の学舎に行った、期待の星!」

 確かにそれはわたしだけだったけれど。

「行かなかっただけで、アウグストだって行こうと思えば行けたでしょう?」

「いや。無理無理」

 首をぶんぶんと振られた。

「たぶん三日で誰か殴って退学だよ。貴族は性に合わない」

 気持ちはわからなくもない。わたしだって何度、これが父母が命を賭して守った結果なのかと、やるせなさを覚えたことか。

「まともな貴族だって、いないわけではないよ」

「そうだね」

 アウグストが肩をすくめて、嘲笑を浮かべた。

「この旅を終える頃にはきっと、国にまともな貴族の割合が増えていると思うよ。貴族自体の数は減っているかもしれないけれど」

 やっぱり陛下は、粛正を行う気だろうか。

「それで国が良くなるなら、致し方ないよね」

「自業自得だよ」

 アウグストが吐き捨てる。

「フィロニアの名も知らず、卑しい孤児だと貶めるなんて、愚かにも程がある。安心して、ミル」

 酷く優しい笑みを浮かべて、アウグストはわたしを見下ろした。

「学舎や茶会でフィロニアやミルを貶した者については、吐いた言葉を一言一句漏らさず、宰相に報告してあるから」

 さっきアウグストも言った通り、わたしが孤児院から貴族の学舎に行った、唯一の人間なのだけれど。お茶会なんて、開かれていることすら知らなかったし。

 だってまともな貴族なら、お茶会をする暇と物資があれば復興手段について考える。だって未だ、国内には衣食住を欠いた民がいるのだ。十四年で復興が進んだとは言え、まだ、少しも十全ではない。

「我らが姫さまを、危険なところにひとりでやれないだろう?」

 アウグストがしれっとのたまう。つまり、見張っていた、と言うことだろう。

「驚いたよ。禁じられているはずの、夜会すらやっているんだからね」

「やかい?」

 言われた言葉が理解出来ず、首を傾げる。

「ダンスパーティ。それから、晩餐会。音楽会。演劇もだったかな」

「ああ、夜会、ね」

 あり得ない言葉に、めまいを覚える。

 陛下は大狂害以降、過度な贅沢行為の禁止を言い渡している。全く贅沢をするなとは言っていない。だって、生きる希望を持つためには、楽しいことも必要だから。

 だが、夜会の開催は、許される範囲の贅沢から逸脱している。物資も時間も労力も燃料も、なにもかもが行き渡っていないのだ。わざわざ灯りの必要な夜に、わざわざそのための衣装も場所も人材も食べ物も用意して、限られた人間のためだけの娯楽を執り行うなど。貴重な財の浪費でしかない。

 昼間の祭りは禁じられていない。交流の場が欲しいなら、王城の広間がひとつそのために日中開放されているし、議会や学舎だってある。

 夜会なんて、やる必要はないのだ。

 その、浪費された食糧があれば、何人が飢えずに済んだ?その、浪費された燃料が、布地があれば、何人が凍えずに済んだ?

 民から税を取り生かされておりながら、取った税を民の生のためでなく、己の贅のために使ったと?

「滅びてしまえ、そんなやつら」

「うん、みんな概ねその意見だよ」

「おおむね」

「生かして使い潰そうと言う意見もある。殺すだけで済ますなんて生温なまぬるい、せめて浪費した分だけでも補填してから死ねと」

 ああ誰の意見だろう。容赦がないが、甘い。

「無駄だよ。そう言う輩は、労役の役には立たない。その間生かしておくだけの食糧と、監視と指導の労力がもったいない」

「うん。ミルならそう言うよね」

 うんうんと頷いて、アウグストは肩をすくめた。

「魔物相手の兵としても役立たずだろうしね。喰われてヒトの味を覚えさせるなら、害だ。だから」

 ふふ、とアウグストは笑う。

「処刑して、骨まで砕いて、養殖魚や卵鶏の餌にするって言う意見を、俺は推しておいたよ」

 にこやかに、酷な罰を口にするアウグスト。

「それ、は、さすがに」

「墓もなく、道端で飢え死にする民が、まだいるのにか?」

 目を閉じて、息を吐いた。

「まあ、なんにせよ、判断するのは陛下か」

「そうだね。俺たちは、国王に害虫がどれか教えるだけ。害虫駆除をするもしないも、駆除方法も、死骸の処理方法も、決めるのは陛下だ」

 だから、とアウグストは、わたしの頬をなでる。

「ミルは害虫のことなんて忘れて、国外旅行を楽しみなよ」

 国出ちゃったから出来ることもないしと言われると、反論の言葉もない。

「気にするだけ無駄だよ」

「そう、だね、うん」

 粛清対象に、わたしの大事なひとたちはいない。いるはずがない。ならば、気にする必要はない。

「忘れるよ。せっかくもうすぐコールブランなのに、よそごと考えてちゃもったいない」

「そうそ。それで良いよ」

 アウグストは満面の笑みを浮かべて、片手で丸を作って見せた。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 目障りな女を、巧く排除出来たはずだった。

 平民のくせに、わたくしより聖女の能力が高いなんて言われる、生意気な女。奨学生なんて肩書きで、我が物顔で国庫のお金を使う、卑しい女。

 排除されて当然の女を排除しただけで、それも、排除を決めたのは王太子殿下で、わたくしが罪に問われることなどない、はずだった。

 それが、どうしてだろう。

 鉄格子で固く閉ざされた部屋の中に、閉じ込められている。一面は石の壁。残り三面が鉄格子。隅に置かれているのは、固く狭い寝台と、トイレ代わりの桶。どちらも、目隠しの壁はおろか衝立すらない。鉄格子の向こうから、丸見えだ。

 服装も、ドレスは脱がされ、貧相なワンピースに着替えさせられている。もちろん、装飾品もすべて剥ぎ取られた。化粧道具はおろか、櫛の一本も与えられない。

 言われなくとも、把握する。

 わたくしは、牢獄に入れられ、罪人としての扱いを受けている。それも貴人としてではなく、敬う必要のない、蔑むべき罪人として。

「だからさ」

 響いた声に、肩を揺らす。

「簡単に死なせるなんて、罰として軽過ぎるじゃん。聖女なら治癒は使えるだろうし、それで繰り返し生餌いきえにすればさ」

「だからそれじゃ、その分、生かしとく餌がもったいないだろ。ミルならともかく、普通の聖女じゃ無から有は産み出せない」

「あーそっかあ。ねえまじで不思議なんだけどさ」

 声の主は、わたくしと同じくらいの歳に見える、男女だった。寝台に腰掛けるわたくしを、蔑んだ目で見下ろす。女も男も髪は短く、貧相な服に身を包んでいた。

「こいつも、学舎とやらのほかの馬鹿共もさ、なんでミルを馬鹿にしてたの?全員ミル以下の能力だったじゃん。誰か一技能でも、ミルの上行ってた奴いた?」

 女だと言うのに、なんて粗雑な話し方だろうか。

「あー、ほら、ダンスの腕とか、ドレスの着こなしとか、お茶会の作法とか?」

「そんな授業あった?」

「無いよ。そもそも夜会もお茶会も、情勢的に不要な贅沢だからって、法律で禁止されてたし」

「ならミルが出来なくて当然じゃん。やろうと思えば出来ただろうけど、そんな暇あったら新しい魔法の習得か開発に使うでしょ」

「それなー」

 男がケラケラと下品に笑って、心底馬鹿にした目でわたくしを見る。

「正当に評価されるモノじゃなにひとつミルに勝てないから、犯罪の腕で勝ったって言うの、やばいよな。そんで国王の怒り買って、投獄処刑だろ?愚かの極みって感じ」

「あは。その処刑の証拠集めたの、あたしらだけどね」

「まーね。つっても隠す気なさ過ぎて、集めんのちょー楽だったけどねー」

「ひとつでも漏らしたら、帰って来たアウグストに馬鹿にされっから、みんな必死だったしね」

 ケラケラと、場違いに楽しげに男女は笑い合っている。

「アウグスト、怒るとかじゃなく絶対馬鹿にして来るもんね。ミルとふたりで旅行ってだけでずるいのに、その上馬鹿にされたら殺意湧くわ」

「殺意湧いても殺せないけどねー」

「まじあの猫被り男、ミルにだけ良い顔して鬼畜。悪魔。羅刹。猫!」

「まーミルに良い顔保ってっからみんな許してっけどねー」

「それな。まじあたしらミルに甘過ぎじゃない?ウケる」

「ミル、俺らの姫だもんよー、しゃーなし、しゃーなし」

 顔を見合わせて笑ったあとで、男女の視線が同時にわたくしを向く。

「で、そのミルを害そうとした主犯がコレなわけです。あたしら頑張り過ぎて、最優秀功労者賞の主犯処刑権貰っちゃったから、責任重大よ」

「下手な処刑すると、やっぱりアウグストに馬鹿にされっから」

「そう!許し難い!ミルに告白出来ないヘタレのくせに!一生片想いしてろ!」

「んでー、俺、考えたんだけどー」

 確かにわたくしを見ているのに、わたくしを蚊帳の外にして、男女の会話は進んで行く。

「アウグストは、殺して肉骨粉にして魚か鳥に食わせろって言ってたじゃん?」

「言ってたね。生かす餌が無駄だって」

「でも、アンネが言う通り、ただ殺すのはどーよって思わなくもないわけ。だからあいだを取ってー」

「あいだを取って?」

「手足の腱切った状態で、魔豚まとんの檻に入れとくってどーよ。屠殺間近の個体だったら、人間の味を覚えてもさして問題ないし、ほらー、魔豚って人間喰った個体の方が美味くなるじゃん?」

「そんで極上の羊肉マトンですって、貴族に売り付けんの?あは。最高じゃん。リンネ、天才なん?」

 彼らが話しているのはなんなのか。

 頭では理解しつつあることを、心が拒んでいた。

「あでも、ソレ一応聖女じゃん?腱切っても自分で治せるんじゃない?」

「無理無理。訓練もなしに、恐慌状態で治癒なんか出来ねーよこいつ絶対」

「それもそっか。うんうん、いんじゃね?あたし賛成さんせーいっぴょー」

「よっしゃー。あ、せっかくだから本人の意見も入れて多数決にしょっかー。ねーあんた、それでいーい?」

 初めて、わたくしの存在が認められた。

「なんつってー。俺、アンネに賛成さんせーだし、どっち選んでも結果変わんねーけどねー」

 すぐにまた、蚊帳の外へ蹴り出されたが。

「うわ、きっちくぅ。非道い。アウグストと張れるね!」

「え、それは嫌だ。でも、ここまでやったらアウグストも馬鹿に出来ないっしょー」

「うんうん。それ大事だわ。じゃ、あたし魔豚の飼育部隊に、先話通しとくし、リンネ、ソレ運搬よろしくね」

「うわ楽な方取った」

「ほら、自分より優秀な美女は敵視するらしいし、あたしも危険じゃん?」

 きゃ、としなを作る女と、あーそっかーと顔をしかめる男。

「可愛くて出来る女だもんなー、アンネ。しゃーなし、リンネさんが一肌脱ぐかー」

「きゃーリンネさんかっこいー抱いてー」

「あとでな。ほれ、早よう行って話つけといて。じゃないと餌あげちゃうし」

「そうだね。じゃ、先行く」

 ヒラヒラと手を振って、女が立ち去る。それを見送った男が、わたくしの顔を見て嘲笑を浮かべた。

「あんな平民女に自分が劣るわけないって顔してる」

 図星だった。そもそも。

「くはっ。平民の分際で、高貴なアテクシに話し掛けんなってー?逆だよ逆ー。今じゃ立場逆転してんの。あんたは人間以下の死刑囚で、俺らは死刑執行官サマさー。黙ってろ犯罪者。虫酸が走る」

 吐き捨てられた声の冷たさに、身をすくませた。

「わたくしは、犯罪なんて」

「虚偽、名誉毀損、侮辱、恐喝、窃盗、器物損壊、贈賄、殺人教唆、まだ聞く?」

 指折り数える男に、反射的に反論する。

「覚えがないわ!」

「本当に?全部?」

 全部かと、言われれば、

「まあべつに、どっちでも良いんだけどね。本人が否定しようと証拠は上がってるし、そもそも、もっと重大な犯罪を犯してるから、なんにせよ死罪は免れない」

「もっと、重大な……?」

「うん。あんたらの罪状は、国家叛逆罪だからさ」

 この、国には、死刑は存在しない。たったひとつの、例外を除いて。

「わたくしは、国家に、叛逆など」

「この国の王様は、過度な贅沢を禁じてるけど、知らなかった?それに、ミルフィリア・フィロニアは国王の推薦で聖女にも奨学生にもなってる。どちらも、王命と言うことだ。王命に逆らったんだから、国家への叛逆だろ」

「そんな、つもりじゃ」

「それで許されるほど、あんたの犯した罪は軽くない。一族全員での叛逆だったしね。良かったね」

 良かった?なにが?

「家族も、友人も、恋人も、みんな残らず死刑予定だから、寂しくないよ」

 みんな?恋人、も?

「そ、んな、王太子殿下、も?」

「あんたの言ってる王太子殿下は、もう王子ですらないけどね。王籍剥奪されたから」

「ど、して」

「どうして?当たり前だろ?」

 男は、なにを当たり前のことをと言いたげに片目をすがめた。

「大狂害のような未曾有の災害が、またいつ起こるとも知れない。そのときに必要なのは、優秀な兵と聖女や聖人だ。国の存続のために、国は優秀な兵や聖女、聖人を育てて囲い込まなければならない。

 貴族ではないミルは、国に尽くす義務を持たないし、よその国に行こうと思えばいつでも行って良い。でも、国としては有事に働いてくれないことも、よそに行かれることも困る。だから少しでも国に恩義を感じてくれるようにって、お金を出して学ばせてんだ。

 国庫を使って育てた優秀な人材を、王の許しもなく他国に横流ししようとするなんて、国家叛逆以外のなにものでもない。明確に、国にとって害だ」

 大狂害。わたくしが幼い頃にあったと言う、大きな災害。

 でも、それで周りの人間が死ぬことはなかったし、その後もなに不自由なく暮らせた。父母は国がうるさくなったとか、税収が減ったとか言っていたけれど、それだけでしょう?

 それが、なんだと、

「大狂害で国民が何割死んだかも知らなそうだな、あんた。愚かの極みって感じ」

 ははっと酷薄に笑って、男はわたくしに顔を寄せた。

「大狂害の被害は大きかった。だから粛清に手を割く余裕がなかった。十四年経って少し余裕が出た今、国の生き残りを賭けた大粛清の時間だ」

 その、大粛正の矛先に、わたくしはなったと言うのか。

「ミルは釣り針だったんだよ。粛清のための罠だ。だから学院に、俺らが忍び込んでもお咎めなしだったんだし。まあ、国王は自分の息子まで引っ掛けるつもりはなかったんだろうけど、あんたの口車に乗ったせいでまんまと引っ掛かっちゃってさ。それもあって、あんたには、よりお冠だよ国王も」

 そもそも、と男は笑う。

「なにをもってあんたらは、ミルを自分より卑しいと思ってたわけ?」

「え?」

「父親は侯爵だし、母親は公爵家出身の聖女だぜ、ミル。あんた伯爵家だろ?ミルの方が、能力はもちろん上だし、血筋もよっぽど良いんだけど、よく馬鹿にできたよな」

 あの女が、侯爵の息女?

「そんなはずないわ。だってあの女は、平民で、孤児じゃない」

「大狂害で、山のように災害孤児が生まれたから」

 白けた目で、男はわたくしを見る。

「親と死別して孤児になった子供は、ほとんどが血筋がはっきりしてるよ。俺だって、由緒正しい騎士の家の出だしね」

「騎士?あなたが?」

 こんな、粗暴な話し方で、礼儀も知らぬような男が?

「血筋はな。育ちは孤児院だ。四歳のときに、両親が死んだから」

「大、狂害で?」

「ああ、そんくらいの理解力はあった?」

 心底、心底わたくしを馬鹿にした表情で、男は嘲笑わらった。

「そうだよ。もちろん、当主や後継者だけは残して永らえた貴族もいる。家を存続させることも、貴族の役目のひとつだからな。ただ、そうやって残った当主は犠牲者に報いるために、生き残った民と家と国を守るために、死に物狂いで奔走してる。だから、生き残っても白い目で見られることはない。国王や宰相も、役目のために生き残らされて、役目のために血反吐を吐きながら十四年間やって来たヒトらだよ」

 で?と、男の視線がわたくしを刺す。

「あんたは十四年前、なんのために生き残ったわけ?生き残って十四年間、なにやって来た?」

「わた、くしは」

「俺やさっきのアンネ、あんたが貶めたミルは、大狂害の当時はまだ幼くてね。未来ある子供だから、今後の国を支えるために生き残らされた。生き残って十四年間、もしまた大狂害のような災害が起きても、仲間や子供が守れるように、学び、鍛えて来た。だからミルは、あんたらにどれだけ嫌がらせされようと、学舎に通い続けてたんだ。あんたらのせいで国を出ることになった今も、各地の聖女や聖人を訪れ、その知恵を授けて貰っているらしいよ」

 顔を寄せられて、びくりと後退った。

「卑しいのは、どっちだ?」

 答えなど、返せはしなかった。

「自分の罪が、理解出来たか?それじゃ、処刑場に行こうか」

 手足を縛り上げ、猿轡を噛まされて、荷物のように運ばれる。

 わたくしは貴族。伯爵家の令嬢。王太子に求婚された未来の王太子妃で、この国でいちばん、高貴な女になるはずだった。一流のものに囲まれて、贅を尽くした暮らしをしていて。

 それが、こんな扱い。こんな屈辱。でも。

 にじんだ涙が、頬を伝った。

 これがわたくしそのものの正しい価値。本来の身分、だったのだ。高貴なる者の義務を、果たしていなかった、わたくしの。

 わたくしの涙をどう思ったか、嫌そうにわたくしを担いだ男が言う。

「そんな悲劇ぶらなくても、大丈夫だよ。俺らが考え付くいちばん有益かつ残虐な刑だけどさ、それでも、十四年前の前線や、俺らが強くなるためにした苦労に比べれば、全然、悲惨でも苦痛でもないことなんだからさ」

 生きたまま家畜の餌にされる以上の、悲惨や苦痛とは、どんなものなのだろうか。それを耐えればわたくしも、ミルソフィアのように有能な聖女になれたのだろうか。

 思えどもうわたくしに、それを知る時間はない。いくら悔いても、時間は戻らない。

「せいぜい、美味しい豚肉になりなよ。あんたに出来る償いなんて、それくらいなんだから」

 猿轡を噛まされているから、元々反論など出来はしない。けれど。もし話せたとて、もう反論など口には出来なかった。

 愚かなのは、卑しいのは、本来の身分を理解していないのは、全部、わたくしの方だったのだ。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 コールブランの大聖人は、まさに生ける伝説、稀代の天才と言うべき方だった。

 当時二十歳だったと言う彼は、十四年経った今でもまだまだ若々しく、そして、これぞ聖人と言うべき人格者だった。他国の聖女であるわたしに、惜し気もなく知識を与え、鍛練の手伝いや助言までしてくれる。

「聖女ミルソフィアは、筋が良いですね。こんなにすいすい僕の教えを吸収して下さる方は、初めてです。これまで、しっかり知識を蓄え、並々ならぬ努力を重ねて来たのでしょうね」

「そんな、大聖人さまにお褒め頂けるなんて、身に余る光栄です」

「アウグストくんも、よく理解していますね。聖女ミルソフィアに負けぬほど、努力と鍛練を積んで来たのですね」

「いや、俺なんて、あなたはもちろんミルにだって、足元にも」

 雲の上の存在から褒められて、アウグストとふたり照れ散らかす。

「本心ですよ。あなたたちのような熱心で優秀な若者に教えを乞うて貰えて、僕こそ光栄です。好きなだけ滞在して、存分に知識を得て行って下さい」

 大聖人は穏やかに言い、もちろん、と続けた。

「コールブランが気に入ったなら、永住して下さって構いません。あなたたちなら、大歓迎ですから」

 今まででいちばん心が揺れる誘いだった。

 大聖人に歓迎され、ずっと教えを乞える場所なんて、惹かれないはずがない。

 もし、守りたいものがなければ、喜んで飛び付いただろう。

「故郷に、守りたいものが、たくさんいるので」

「うん。だろうね」

 涙を飲んで断ったわたしに気分を害すこともなく、大聖人は微笑んでわたしの頭をなでた。

「僕も同じだからわかります。あなたたちの強さは、誰かを守るためのものだと。断られるのはわかっていましたから、どうぞ気にしないで、守りたいもののために、僕を使って下さい。きっとそれが廻り廻って、僕の守りたいものを守る力にもなりますから」

 ああ、なんて出来たひとだろう。

 アウグストの腕を捕まえて、言う。

「故郷に戻ったら、彼と結婚するつもりなんです。わたしたちの子供が育って、聖女や聖人になったときは、同じようにあなたから、知恵を授けて頂けますか?」

「ミっ……!?!?!?」

「おやおや」

 大聖人は目を見開いた後で、にっこりと微笑んだ。

「それは、長生きしなくてはいけませんね。ふふ。未来の楽しみが出来ました。あなたたちの子供なら、きっと優秀でしょう。僕の教えで良いなら、喜んで授けますよ」

「ありがとうございます。そのためにも、滞在期間中、よろしくご指導ご鞭撻のほど、お願いします」

 深々と礼をすれば、喜んで、と答えてくれて。

 今日はもう用事があるからと立ち去る大聖人を見送ったあとで、血相を変えたアウグストに肩を掴まれた。

「ミっ、ミミミミっ、ミっ、ルっ!!」

「なに?」

「け、結婚って!子供って!!」

 こんなに慌てるアウグストも珍しい。と言うか、初めて見るかもしれない。

「嫌?」

「やじゃない。そんなわけない。絶対に嫌じゃない。けど!だって!でも!!」

 そんなに慌てることだろうか。

「慌てることだよ!!」

 心の声を読まないで欲しい。

「あ、のねえ!」

 未だうろたえた様子で、アウグストは語る。

「ミルは気付いてなかっただろうけど、俺、十年以上ミルに片思いしてたの!周りからずっと、ぞっこんなくせに告白する勇気もないヘタレって、馬鹿にされ続けて来たの!!」

 それは知らなかった。

「それがお付き合いも告白もプロポーズもすっ飛ばして、結婚だ子供だって言われたんだよ!?夢かドッキリか明日死ぬのかって、慌てる俺の気持ちわかる!?」

 ちょっとその気持ちは理解出来ないけれど。

「嫌?」

「やじゃない。びっくりしてるだけ。心臓バクバク言ってる。死にそう」

「死なないでよ。結婚前に未亡人になっちゃう」

「ならそう言うこと言わないで!ミルは俺をどうしたいの!?」

 どうしたいって。

「わたしの夫と、生まれてくる子供の父親にしたい」

「っ……!っっ……!!」

 アウグストがわたしから手を離し、心臓を押さえてうずくまった。

「大丈夫?なでる?」

「そっ……としておいて……」

 お手本のような蚊の鳴くような声だ。

「わかった。あのね」

 ちょっと離れて、出来るだけ穏やかに話す。

「わたしも今日突然思い立って言ったわけじゃなくてね」

「うん……」

「ほら、なんだかんだ言って、アウグストとふたりだけで長く過ごすって、なかったでしょう?」

 国王陛下の手配してくれた御者や護衛はいるが、そうでない旅の供はアウグストだけだ。

 もちろん孤児院では何年も一緒だったが、孤児院にはほかの子供が山ほどいたし、世話役の僧侶や尼だっていた。

 おはようからおやすみまでアウグストとばかりいるのは、この旅が初めてだ。

「ずっと同じひとと長くいるのって、どうかなって思っていたけど、アウグストとずっといるのは気にならない、と言うか、気楽で居心地が良かったから」

「それは、光栄、だよ」

「ありがとう。それで、ちょっと前にアウグスト、わたしと結婚するならフィロニアになってくれるって言ったでしょう?」

「言ったね」

 相変わらずうずくまったままのアウグストが頷く。

「アウグストはわたしと結婚して、フィロニアになっても良いんだなって思ったんだけど、違う?」

「違くない、です」

 なんで敬語なんだろう。まあ良いか。

「うん。それなら、アウグストは結婚相手としてどうかなって、考えてたんだよ。それで、」

「俺が、結婚相手として、合格だった、の?」

「うん。アウグスト、子供の世話、得意だし嫌いじゃないでしょう?いろいろ、教えるのも巧いし」

 旅のあいだ、多くの聖女や聖人を訪ねた。聖女や聖人になるだけあって、孤児の世話をしているひとも多くて。

 どこに行ってもアウグストは、子供たちに大人気だった。

「まあ、俺も孤児院育ちだし、ね」

「前にも言ったけど、わたし、子供はたくさんが良い。大聖人さまとも約束したし、良い子に育てたい」

「うん」

 しゃがんだまま、アウグストが顔を上げて、わたしを見る。

「アウグストなら、たくさん子供がいても全員の、良いお父さんになってくれるって、思ってる。わたしも、そばにいて心地良い。守りたいものも同じだから、同じ方向を向いていられる。フィロニアの名前も、残せる。だから、わたしは、結婚するならアウグストが良いと思う」

 アウグストを見下ろし、手を差し伸べた。

「わたしと結婚してくれませんか」

「~~~~っ」

 アウグストは、今にも泣きそうに顔を歪めて。

「喜ん、で」

 震える声と手で、わたしを受け入れてくれた。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 それから一年ほどコールブランに滞在し、わたしたちは故郷に戻った。

 アウグストと結婚すると報告すると、みんな驚いたが祝福してくれて。

 国王陛下と王女殿下方の願いもあり、わたしとアウグストは王都の大寺院で結婚式を挙げた。

 夫婦になっても、母になっても、アウグストのそばは変わらず心地好くて。

「ミル、今、幸せ?」

 ことあるごとに孤児院の仲間たちから問われるその問いの答えは、いつだって迷わず一択だ。

「うん。今が今までで、いっちばん幸せだよ」

 孤児院出で国外退避なんて憂き目にも遭った聖女だけど、お陰でとっても幸せです。


拙いお話をお読み頂きありがとうございます


「ミル、今、幸せ?(ミルを不幸にしていたら血祭りだからなアウグストこのやろう)」

周囲からの溺愛を自覚していないミルソフィアさんと

ミルソフィアさんを不幸にしたら即行でボコられる予定だけれど

不幸にさせるつもりゼロなので問題ないアウグストさんと

定期的に抜き打ちチェックを敢行するミルソフィアさんを愛するみなさま

括弧内の本音に気付いていないのはミルソフィアさんだけです

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― 新着の感想 ―
粛清は良い施策なんだけど、残酷刑罰はアカンやろうね 自分たちが寄って立つ拠り所を汚す行為 サクッとすりつぶして燃やして灰撒くのがいい
十年以上経っても贅沢(というか、イベント事は国力に反映されると思っているので)が制限されているというのはいまだに力が戻っていないという印象を持ちました。 国の法とはいえ大量の「平民」の孤児を出すこと…
上手く文章に表すことが出来そうにないのが歯痒いのですが、失礼します。 王都で安穏と守られた平和を享受していた層と、命を賭して守るべきものを守った大人を間近で見ていた層の、この違い。 陛下も宰相も、散っ…
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