72.裁きの炎
蒼愛は静かに大気津が溶けるのを見守っていた。
隣に立つ夜刀の気配が突然、尖った。
振り向き様に、太い針のような何かを放った。
「ごめん、紅優様。結界壊した」
言われてよく見れば、空間に罅が入って亀裂が走っている。
「仕方ないよ。どっちにしろ、破られていただろうから」
紅優が夜刀と共に後ろを振り返った。
(結界、張ってたんだ。全然、気が付かなかった。紅優の結界術、やっぱり凄い)
神様になって結界の強度も増している気がする。
亀裂の入った結界が割れ壊れて、その向こうに気配があった。
夜刀がもう一度、クナイのような太い針を投げつける。
同時に前に走った吟呼が炎の塊を気配に向かって投げた。
炎に巻かれて姿を現したのは、蛇々だった。
「あーぁ、最後に大気津の神力を回収しようと来てみれば。厄介な一団と遭遇したなぁ」
紅優の屋敷に来た時のような、悪びれない態度で蛇々がニタリと笑んだ。
「用がないなら、帰ればいい。今日なら、見逃す」
夜刀が紅優と蒼愛を庇うように前に出た。
「そうしたいけど、このまま帰るのもねぇ。せめて何か、手土産が欲しい所だけど」
蛇々が面々を眺めた。
スゼリに視線を止めて、目を歪ませた。
「神様じゃなくなった咎人なら、殺して神力を吸い上げてもいいかなぁ。そもそも大した神力でもないけど、ないよりマシだ」
紅優が結界を飛ばして、スゼリを囲んだ。
「吟呼、夜刀、スゼリを守って。世流は月詠見様に伝令を飛ばして」
「心得た」
「了解」
「わかった」
紅優の指示に、それぞれが返事をして、前に出た。
蒼愛は蛇々の姿をじっと見詰めていた。
(また、まただ。芯の時のみたいに。蛇々が僕の大事な友達を奪う)
襲撃を受け、芯が怪我をした。あの時の光景が脳裏にありありと蘇る。
「もう二度と、大事な存在を傷付けさせないって、決めたんだ」
蒼愛はゆっくりと蛇々に近付いた。
「蒼愛? 蒼愛! 不用意に近付いちゃダメだ!」
紅優の声をすり抜けて、蒼愛は歩み寄りながら蛇々を凝視した。
真っ黒い瘴気が蛇々を包んでいる。
祭祀の時、紅優に纏わりついた瘴気と同じだ。
「黒い瘴気は大蛇の一族の特徴なの? 祭祀で使われた瘴気も黒かった。色彩の宝石を奉る祭祀の時、大気津様の神力に紛れて足下まで近付いた。紅優を襲ったのも、左目に纏わせていたのも、同じ瘴気だよね」
蒼愛に目を向けた蛇々が、ニヤリとした。
「あの時の蒼玉のガキかぁ。見違えたなぁ。やっぱりあの時、喰っておけばよかったな。神様に可愛がられて、自分にも力があると勘違いしたかな?」
流暢に話しているようで、声に乗っている気が震えている。
(これも、あの時と同じ。紅優が助けに来て怯えて逃げた、あの時と、同じだ)
「僕はきっと、お前を殺せるだけの力があるけど、殺すかどうか決めるのは、僕じゃないから。只ね、逃がさないよ。ここで裁く」
両手に炎を展開する。
紅優の神力が流れ込んでいる蒼愛の炎は、最初から紫色に燃え盛った。
蛇々が顔色を変えて後退った。
「芯に怪我させたお前を許さない。もう二度と、誰も傷付けさせない。命を繋ぐための食事じゃない、遊びで命を嬲るなんて、僕は許さない。お前は今まで、どれだけ命を弄んだの?」
たん、と地面を蹴って、蒼愛は蛇々に向かって一直線に駆け出した。
「ひっ……」
逃げようとする蛇々に、炎を打ち込む。
まずは左手の炎で動きを縛った。
「あぁ! 熱いっ! なんだ、この炎は。只の火じゃないの、か?」
「裁くって、言っただろ。命を弄んだ罪を問うてるんだ」
右手の炎を燃える蛇々に思い切りぶつけた。
紫だった炎が、真っ赤に燃え上がる。
蛇々の髪や鱗が火に焼けて溶けていく。
やがて炎が真っ黒になって柱のように立ち上った。
「黒は有罪、一番重い裁きの色だよ。魂まで焼き尽くす炎だ」
蒼愛の言葉を合図にして、黒い炎がさらに大きくなり蛇々を焼いた。
「ぃっ、ぁぁあ! ぁ……」
断末魔を残して、声が掻き消えた。
黒い炎が徐々に小さくなり、燻ぶって、消えた。
蛇々が立っていた場所には黒い消炭が残っているだけだった。
黒い地面を、蒼愛は眺めていた。
「蒼愛、今のは……。蒼愛?」
紅優に肩を掴まれて、我に返った。
「紅優、僕、夢中で……。芯が怪我した時を思い出したら、急に頭に血が上って。裁かないとダメだって、思った」
ぼんやりと紅優を見上げる。
「色彩の宝石の、裁きの力、だね。幽世の声、聞こえた?」
蒼愛は首を横に振った。
「僕の術で、命を、奪っちゃった。黒い炎は魂まで焼いちゃうから、自然にも返らない。僕がこんなこと、していいのかな。幽世の声も、聞こえてないのに」
怖くなって、蒼愛は紅優に抱き付いた。
「蛇々が憎かったし、芯の敵も取りたかった。もう誰にも傷付いてほしくなかったけど。でも、僕が、生き物の命を奪うなんて。こんな大それた力を、僕が……」
縋りつく蒼愛を、紅優が抱き締めた。
「蒼愛に備わっている力は、蒼愛に必要だからあるって、淤加美様も話してたでしょ。今の蒼愛は色彩の宝石だ。この幽世を守るために必要な力だよ。心配ない」
震える蒼愛を紅優が抱き上げた。
「罪と命を天秤にかける。罪の分の命を貰い受ける力」
夜刀の呟きに、蒼愛と紅優が振り返った。
「夜刀、存じておるのか?」
吟呼の問いかけに、夜刀が頷いた。
「現世に、そういう力を持つ人鬼がいた。炎ではなかったけど、似てる」
夜刀が蒼愛を見上げた。
「蒼愛様は怯えなくていい。蛇々は自分の罪に焼かれた。裁くための炎を与えただけ」
夜刀の言葉は説得力があって、納得できた。
涙で潤む目を、ごしごしと擦る。
「ありがと、夜刀さん。ちょっと落ち着いた」
「良かった。蒼愛様は、もう泣かなくていい」
真っ直ぐに見詰めて、夜刀が蒼愛の頭を撫でてくれた。
言葉に抑揚もないし、表情もあまり動かないが、夜刀の優しさは伝わってきた。
「やっぱり強いな、蒼愛様。あの蛇々を一撃って、吟呼や夜刀でも無理じゃないか? 俺は絶対無理だ」
世流が吟呼の肩に止まっている。
伝令に行く前に、蒼愛が蛇々を焼いてしまったらしい。
「一撃は、無理。三回くらいは攻撃しないと息の音は止められない」
「俺も何度か炎の術を使いたい所ですな」
夜刀の三回も十分強いし、吟呼の炎の方が絶対強いと思うのだが。
「あれ程に強いのに、命を奪う行為に怯えて泣いてしまう蒼愛様が、俺は好きですぞ」
吟呼がニコリとして蒼愛の頭を撫でた。
「私も、蒼愛様、好き」
夜刀がさりげなく吟呼に被せてきた。
「俺も好きだよ。昨日は可愛い子供だと思っていたが、今日は勇ましいし格好良く見えたよ」
八咫烏の姿の世流は、人型の時より言葉が軽く感じる。
蒼愛は離れた場所で木の根を見詰めるスゼリの姿を見付けた。
蒼愛の視線に気が付いた紅優が同じ方を見詰める。
木の根に飲まれた大気津の姿は、気配まですっかり消えていた。
ついさっきまで大気津の顔があった場所を、スゼリは野椎を抱いてじっと見詰めていた。
蒼愛はスゼリの隣に並び立った。
「鬱陶しいと思っていたけど、いなくなっちゃうと、寂しいんだね」
憎まれ口を叩きながらも本音を話してくれたスゼリが、嬉しかった。
蒼愛はスゼリの手を握った。
「またここに、会いに来ようよ。大気津様にまた、たくさん話をしに来よう」
スゼリが俯く。
透明な雫が野椎の上にポタポタと零れた。
「守ってくれて、ありがと」
呟くように小さな声が聞こえた。
「僕、スゼリと友達になりたいから、傷付いてほしくなかった」
「蛇々もだけど、大気津様からも」
蒼愛が自分と重ねて怒ってしまった話だろうか。
まるで自分の話をしてしまったと、後悔していた。
「余計なコト、言っちゃった。ごめん。大気津様の気持ちも、スゼリの気持ちも、僕は何も知らないのに」
「……嬉しかったよ。あんな風に僕を庇ってくれたのは、今までは伽耶乃だけだったから。友達増えて、嬉しいよ」
後半の言葉はとても小さな声だったが、ちゃんと聞こえた。
嬉しくなって、蒼愛は笑顔でスゼリを振り返った。
「うん! 僕も友達が増えて、嬉しいよ」
振り返ったスゼリは目を潤ませながら微笑んでいた。




