第158話 日照の告白
菓子も半分ほどなくなって、皆もいい具合に酒が回ってきた。
羽々の菓子を食べるスピードは衰えない。一つ一つを味わいながら、じっくり堪能している。
真白に後ろから抱えられているピピも、初めは照れていたが、慣れたら普通にケーキを堪能している。
美味しそうにケーキを食べるピピを眺めている真白が幸せそうで、蒼愛もほっこりした。
チョコタルトに手を伸ばそうとした羽々の背中に何かがぶつかった。
驚いた顔をした羽々が振り返る。
日照がのっそりと顔を上げた。
「……日照? その姿、どうした?」
羽々の驚きは蒼愛も頷けた。
幼い子供のような姿をしていた日照が、成長して見える。
ほんのり膨らんだ胸やくびれた腰など、体の線が丸くて、女性のように見える。
大人とは言わないが、十四~五歳の女の子のような印象だ。
「いっぱい頑張って、月詠見が加護をくれたら、大きくなった」
言いながら、日照が羽々の膝に座る。
羽々の顔があからさまに戸惑っている。
(普段、あんまり表情が変わらない羽々さんなのに。慌ててる)
蒼愛はそんな羽々を遠巻きに眺めた。
紅優も同じように蒼愛に並んで眺めていた。
「すまないねぇ、羽々。突然、驚いただろ」
日美子が後ろから羽々に声を変えた。
振り返った羽々の顔を眺めて、言葉に詰まっていた。
「暗の加護を与えた方が大蛇の領土では暮らしやすいだろうと思って付与したんだけどね。何というか……、日照は無性の神子だったんだね。まさか、神力が育って女性性になるとは思わなくってさ」
日美子と共に来た月詠見が、珍しく狼狽えている。
羽々の前に腰を下ろすと、徐に頭を下げた。
「すまない」
潔く謝った月詠見に、今度は羽々が狼狽えている。
それよりも蒼愛は、別なことが気になった。
「月詠見様と羽々さんが、何となく仲良しだね」
月詠見と羽々は初対面なはずだ。
エナや小碓と対峙する前ですら、会っていないはずだ。
「あ、そっか。蒼愛は寝てたんだったね。小碓を退治して帰ってきた後にね、淤加美様や月詠見様と羽々が話し合いをしているんだよ」
事件後の詳細を紅優が教えてくれた。
災厄の神エナと闇人名無こと怨霊小碓討伐から戻った時、羽々は淤加美と月詠見に、天上を代表しての謝罪をされた。同じように羽々も大蛇の側に蛮行が全くなかったわけではないと話した。瑞穂ノ神紅優の神器となった大蛇の一族は今後も、天上との友好関係を続ける運びとなった。
癒しの間に治療に入る直前まで、羽々は紅優や淤加美と月詠見、日美子と話し合いをしていた。神々と話し合いをしている時の羽々は、地上で最強と謳われる大蛇の一族の長の顔をしていた。
「話し合いと言っても、雑談のような感じでね。淤加美様と月詠見様と日美子様は、最初に瑞穂国に入った神様だし、大蛇の一族は最初に地上に移り住んだ妖怪だから、話が盛り上がってね。すぐに打ち解けていたよ」
そう話す紅優はとても嬉しそうだ。
天上と大蛇には千年以上の長い蟠りがあった。そこを払拭できたのは、紅優としても嬉しいのだろう。
「羽々が癒しの間で治療に入るから、日美子様と月詠見様が日照を預かってくれていたんだ。その時は、俺たちが知ってる少年みたいな日照だったんだけどね」
今の日照の姿を見詰めて、紅優も驚いたような困ったような顔をしている。
原始の神は性別がない神が多い、というのは理研に置いてあった本の知識だ。日照は最初に生まれた不具の子だから、性別がないんだろうと思っていた。
「女の子だと、何か困るの?」
人間の女は孕むから、勝手に喰っても買ってもダメ、というのが瑞穂国のルールだ。
神様にも何かルールがあるのだろうか。
「困るというか、神様も妖怪もそうなんだけど、瑞穂国では雌とか女って性別の生き物が少ないんだよね」
言われてみれば、そうだなと思った。
六柱の神の中でも女性は日美子と伽耶乃だけだ。
側仕の面々も男性が多い印象だ。
「妖怪は交尾で繁殖をする者が少ないから、女がいなくても困らない。交尾して卵で生まれたり、人間みたいに生まれる種族もいるけど、数が少ないんだ。神様も似たようなものなんだけどね」
「神様も似たような……」
姿形が人間に似ているせいか、同じように性交して女の腹から生まれると勝手に思っていた。
(けど、神話だと色んなものから生まれてきたりしているかも)
性交して生まれる神様もいるが、剣から滴り落ちた血や目をすすいだ水などから生まれる神もある。
むしろ、そういう神様の方が多い気がする。
「女性の神様は基本、人間も妖怪も神様も孕める。どんな生き物でも生み出せるから、瑞穂国では希少で大事にされるんだ。日美子様と伽耶乃様しかいなかったけど、日照で三柱目だね」
伽耶乃だって、最近になって呪いが解けたばかりだ。
それまでは日美子しかいなかった。
(月詠見様が日美子様をとっても大事にしてるのは、そういう理由もあるのかな)
勿論、番故の愛の方が大きいだろうが。
口には出さないが、月詠見が日美子を大事にしているのは、見ていればわかる。
(だから月詠見様と日美子様は、日照が女の子であんなに焦っているんだ)
同じように羽々が慌てている理由もわかった。
「日ノ宮は日の神力が満ちているから、日照にも良い影響があるだろうと思ったんだけどさ。きっと良かったんだと思うんだ。けどね、女の子になるとは思っていなくってさ」
日美子も何となく慌てている。
羽々がもう一度、膝に座る日照を眺めた。
「羽々、元気になった? もう一緒に帰れる?」
日照に問われて、羽々が返事に窮している。
「元気になったし、帰れるぜ。三人で一緒に帰ろう……あ。俺は、真白と一緒の方が良いの?」
ピピが不安そうに真白を振り返った。
真白が首を振った。
「今まで通り、大蛇の領土に住んでていい。俺が会いに行くって言ったろ。一緒に住みたくなったら、天上に来ればいい」
真白の言葉に、ピピが考えるように俯いた。
「ピピは、天上に住むの?」
日照に問われて、ピピの顔が更に俯く。
ピピの代わりに真白が答えた。
「そのうち住むかもしれねぇけど、すぐじゃねぇよ。今日は日照と羽々さんと一緒に帰れる。心配すんなよ」
真白に頭を撫でられて、日照がくすぐったそうに目を瞑った。
「日照、俺さ、真白と番になるんだ。神力貰えたら、今まで通り日照に会える。日照が何処にいたって会いに行ける。天上に住んでも、大蛇の領土まで会いに行けるぜ。だから、心配ねぇよ」
ピピの声が何処か不安そうだ。
自分に言い聞かせているように聞こえる。
「番……。真白はピピが好き? だから番になりたい?」
日照の問いに、真白が間髪入れずに頷いた。
「大好きだ。けど、日照からピピを取ったりしないぜ。ピピは日照が大好きだから、一緒に居られるように俺と番になるんだ」
「真白のことも、好きだよ」
囁くように小さな声だったが、ピピの声は蒼愛にも聞こえた。
言葉にならない表情をした真白が、ピピを抱きしめて高速でスリスリしている。
ピピは頬を赤らめてスリスリされていた。
日照が、そんな二人をぼんやりと眺めていた。
「日照、日ノ宮は楽しかったか?」
羽々の問い掛けに、日照が頷いた。
「気持ちがいい場所だった。日美子も月詠見も優しかった。加護をくれて、神力が強くなった」
「……そうか」
羽々が日照の頭を撫でる。
その目は愛おしそうに日照を見詰めていた。
「やはり日照は、日美子様に引き取ってもらった方がいいだろう。女性性の神は、この国では希少だと聞く。天上で保護して欲しい」
日美子と月詠見の表情が暗くなった。
羽々の申し出は、ある程度、想像の範疇だったのだろう。
膝に座る日照の肩を、羽々が撫でた。
「全く会えなくなるわけじゃない。いつでも遊びに来ればいい。何も変わらない」
膝を抱えて、日照が俯いた。
蒼愛は、そわそわしていた。前にも羽々に天上に住めと言われた時、日照は暴走している。
立ち上がりかけた蒼愛を、紅優がまたも止めた。
「もうちょっと、様子を見よう」
紅優に諭されて、蒼愛は座り直した。
「天上に住んだら、もう一緒に寝られない。一緒にお風呂に入れない。一緒にご飯食べられない」
「その辺りは一緒に住んでも難しい。日照はもう、番を持てる程度には成長した。そういうのは、番とするものだ」
おずおずと羽々が説明している。
日照が羽々を振り返った。
「日照は羽々と番になる。他の奴は嫌。羽々が良い」
日照に迫られて、羽々が固まった。
日美子と月詠見が絶句している。
「日照、番って何か、わかってんのか? 命を繋げて一生を一緒に生きる相手なんだぞ」
ピピが蒼い顔をして日照を諭している。
ついさっき、自分も一大決心をしたばかりなのに、と蒼愛は思った。
「成長、したから。羽々は天上に住めって言うと思った。日美子と月詠見は仲良し。あれが番。あんな風に羽々と一緒にいたい」
日照が一生懸命に話して、羽々を説得している。
蒼愛は少しだけ安心した。
「成長したのは見た目だけじゃないね。ちゃんと情緒も育ってる。日照なりに考えて、羽々に会いに来たんだよ」
紅優が嬉しそうに蒼愛に向かって、小声で話した。
蒼愛も同じように思った。
「俺は大蛇だ。神様とは番えない」
「どうして、ダメなの?」
羽々の苦言に、蒼愛は思わず疑問を投げてしまった。
しまったと思いつつ、口を覆って小さくなる。
(見守るつもりだったのに、口出しちゃった)
「くっ……、ふふ。蒼愛の言う通りさ。番えない理由がないね」
日美子がおかしそうに笑った。
「そうはいっても、俺は番を持ったことがなし、これからも持つ気はないんだが」
羽々が困った顔で月詠見に助けを求めている。
月詠見の笑顔がぎこちなく引き攣った。
「んー……、羽々も日照も、どっちの気持ちもわかるんだけどね」
一族の長は番がなくとも二文字の名前を名乗れる。
特に羽々は瑞穂ノ神の神器だから、側仕と同じように名前を二文字に出来る。
無理に番を得る必要もないのだろうが、羽々的に問題はそこではないようだ。
「子のように育ててきた日照と番うのは、想像ができない」
困り果てた顔をする羽々に何も言えずに、月詠見が紅優に目線を向けた。
こういう時の対処は得意に感じるが、自分が与えた加護が日照を成長させる一助になってしまったから、月詠見なりに責任を感じているのだろう。
月詠見に助けを求められた紅優が、びくりと肩を揺らした。
「一先ず今日は大蛇の領土に一緒に帰って、ゆっくり考えてみたらいいんじゃないかな。羽々も日照も、今すぐに決める必要はないんだし」
大変安牌な紅優の提案に、羽々が頷いた。
「日照は、羽々が良い。小さな肉塊だった日照を拾って育てて、命を助けてくれたのは、羽々。破壊神だってわかった後も、捨てないで育ててくれたのは、羽々。日照が今、生きていられるのは、羽々のお陰」
振り返った日照が羽々に抱き付く。
羽々が狼狽えた顔で、日照に手を伸ばしていいのか、躊躇った仕草をしていた。
(そっか、日照にとって羽々さんは命の恩人なんだ。生きてもいいって言ってくれた相手が、羽々さんなんだ)
それは蒼愛にとっての紅優と同じだ。
ガラクタの命に価値を見出し育ててくれた。生きる理由と場所をくれた。今の自分を作ってくれた。
「羽々さんは、神話に出てくる大蛇だから、二千歳くらいだよね?」
蒼愛の突然の問いかけに、羽々が首を捻った。
「そう、だな。恐らくそれくらいだ」
「日照は最初に生まれた子だから、羽々さんより年上?」
紅優を見上げる。
今度は紅優が首を捻った。
「そう、なのかな? その辺は同じくらいでいいんじゃないかな」
何千年も生きている妖怪や神様にとって、数年の違いなんて、誤差みたいなものだろう。
「だったら、平気だよ。紅優と僕なんか、千歳以上、年が違うよ。見た目が幼くても、神力が育ったらまた成長するかもしれないよ。全然、ショタじゃないよ」
蒼愛の言葉に、びくりと震えたのは紅優だった。
「蒼愛、ショタって言うの、やめて……」
紅優が蒼愛の着物を引っ張って、小さな声で抗議した。
「日照の気持ち、僕にはわかるよ。生きる場所と理由をくれた、価値をくれた紅優が、僕は大好きだよ。日照が羽々さんを好きな気持ちは、きっと僕と同じだよ。また一緒に住んで、じっくり考えてあげてよ」
気持ちが入って、羽々に近付いて迫ってしまった。
蒼愛に迫られ、日照に見上げられている羽々が、呆気に取られている。
「考える、か。そうだな。よく、考えよう」
羽々が手で目を覆って、困った顔を隠した。
「死の瘴気、祓わないように、暗の加護貰った。羽々に迷惑かけない。結界術も使える。私が大蛇の一族を守る」
日照が拳を握って決意した顔をしている。
「偉いね、日照。羽々さんの役に立てるように、ちゃんと考えてきたんだね」
日照が決意した顔のまま蒼愛に向かって頷いた。
健気な日照の気持ちに、自分を重ねてしまう。
「死の瘴気の結界は、もう必要ない。瑞穂ノ神の神器になった大蛇の一族に喧嘩を売る馬鹿はいない」
目を手で覆ったまま、羽々が呟く。
顔を下げて、手を退ける。
「一緒に帰ろう、日照。番になるか、すぐには決断できないが、俺も日照と一緒に帰りたい」
「帰る、羽々とあの家に帰る!」
抱き付いた日照を羽々がふわりと抱き返す。
あまりに優しくて慈しむような手つきに、蒼愛は安堵した。
「すまない。まだ日照を天上に返せそうにない」
羽々が日美子と月詠見に目を向けた。
「気にすることはないさ。日照が居たい場所に、居たい相手といればいいんだ」
「神様は天上に住まなきゃいけない、なんてルールは、そもそもないよ。女性性の神の希少性は考えなくていい。只、羽々は気にするんだろうと思ったんだよ、すまなかった」
月詠見が疲れた笑みで羽々の肩に手を置いた。
本当に予想外だったんだと思った。
「月詠見様の暗の加護は有難い。神器になろうと、俺たち大蛇が死の瘴気を扱う妖怪である事実は変わらない。日照にとって、辛くないといいんだが」
羽々の心配に、日美子と月詠見が顔を合わせて笑んだ。
「神様なら浄化できるからね。その点は、心配いらないよ。むしろ、死の瘴気を扱う大蛇と日ノ神子が番なんて、新しくていいと俺たちは思うけど」
月詠見と日美子の目が淤加美に向いた。
ずっと静かに成り行きを見守っていた淤加美が笑んだ。
「正反対の性質の存在が番うというのも、新しい瑞穂国らしくて、私も良いと思うよ。紅優様と蒼愛様の理想とする国に近付くんじゃないかな」
淤加美の視線を受けて、蒼愛と紅優は顔を見合わせて笑んだ。
「僕は大賛成! 日照が幸せになれて、羽々さんも幸せなら、これ以上良いことないよね」
「妖怪も神様も人間も仲良くなれる国、クイナの理想郷に、近付くね」
神々の賛成を受けて、羽々が困ったように笑んだ。
「一緒に暮らしながら、考えてみよう。一先ず今は、日照がいなくなったら悲しいから、側にいてほしいと、思うよ」
日照の髪を優しく撫でながら、羽々が髪に口付けを落とした。
羽々の本音がやっと聞けた気がして蒼愛は胸を撫で下ろした。




