第157話 ピピと真白
蒼愛は宴の間を見渡した。
志那津や火産霊、淤加美とそれぞれの側仕の姿が目に入った。
(日美子様と月詠見様がいない。伽耶乃様もだ。まだ、来ていないのかな)
神々に核が戻ってから、もう二日経っている。
各々の宮に戻っていてもおかしくないから、到着に時間がかかっているのかもしれない。
「だから、知らねーってば」
ピピの声が聞こえて、蒼愛は目を向けた。
声を掛けた真白から顔を背けて、怒っている。
真白がやけに落ち込んだ顔をしていて、蒼愛は思わず腰を上げた。
「待って、蒼愛」
紅優に腕を引かれて、振り返る。
「もう少し、様子を見てあげて」
紅優が人差し指を口元に添えて笑んだ。
「でも……」
もし喧嘩したのであれば、助けてやりたい。
ピピと真白は羽々を間に挟んで喧嘩しているようだ。
真ん中にいる羽々は、ケーキに夢中だ。
「お前には元から、蒼愛様たちの前で堂々といちゃつく相手がいるんだろ。俺に言った言葉なんか、どうせ気紛れなんだろ」
ピピがぷんすこ怒りながらケーキを口に頬張った。
「いちゃついた覚えがねぇんだけど、ピピは何で怒ってるんだ?」
心底、困った顔で真白が途方に暮れている。
「怒ってねーよ。好きな奴がいるんなら、ソイツと番えって言ってんの。俺は今のままでも困らねぇよ。天上に来たくなたらまた緑風か明灯に頼めばいいから」
ピピが真白と全く目を合わせない。
真白が本気で落ち込んだ顔をしている。狼の耳が完全に寝てしまっていた。
「多少の神力がないと、日照に会うのは辛いぞ」
見かねたのか、間に挟まれた羽々がピピの口元にケーキを運ぶ。
かぶりついて頬張っても、ピピの怒り顔は変わらない。
「神力を得る方法は真白の番になるだけじゃねぇだろ。他の方法、考えるよ」
ピピの横顔をじっと見ていた羽々が、艶々の頬を指で突いた。
「ヤキモチか? 志那津様は風ノ神で、俺から吹き出した瘴気から守るために真白が抱えていただけだ。神様は瘴気を嫌う。殊更、志那津様は瘴気が苦手なようだ」
羽々の説明を聞いて、ピピの顔が見る間に赤く染まった。
「志那津って、真白が癒しの間で抱いてた、アイツ?」
ほぼ対角に座っている志那津をピピが指さす。
羽々が深く頷いた。
「志那津様に番はないが、蒼愛様が大好きな神様だと井光殿に聞いたぞ」
ピピが真っ赤な顔のまま絶句している。
真白の寝ていた耳がピンと立って、尻尾が揺れている。
「ピピ、俺にヤキモチやいたのか? 志那津様が暴走しないように羽交い絞めにしてたの、勘違いして怒ったのか?」
真白が嬉しそうにピピにすり寄った。
「馬鹿! ちがっ……。お前が紛らわしい真似するから! 羽々の旦那と同じくれぇ心配してたのに、死んじゃったら悲しいって思った俺が馬鹿みてぇって思っただけ……。違う、それも、違う! 心配とかしてない。何とも思ってない!」
懸命に言い訳するピピを真白が後ろから抱きしめた。
「俺が死んじゃったら、悲しい?」
耳元で囁くように問われたピピが息をのむ。
「俺は悲しいよ。ピピがいないと、悲しい」
「何だよ、それ……。知らねぇ、そんなの」
悪態を吐きながらも、真白の腕を振り解こうとはしない。
「ピピは今日も幸運を運んできてくれた。縁を繋げてくれた。羽々さんが元気になった。結彩ノ神の蒼愛様と宝石の人間が会う機会を作ってくれた。ピピにしかできない、特技だ」
ピピの目が潤んで見える。
真白がピピに何度も頬擦りしても、嫌がらない。
「俺は只、限定ケーキに並んだだけだよ。自分では、買えなかったし」
ピピの顔が俯く。
その顔の前に、小さなシュークリームが差し出された。
「ピピがケーキを買えなかったから、私はピピに会えた。恩人に御恩返しをする機会を得たんだよ。私は充分、感謝しているよ。真白さんが言った通り、ピピは幸運を運ぶ燕さんだ」
一口大のシュークリームを明灯がピピの口元に運ぶ。
むっすりしながらも、ピピがシュークリームを食べた。
同じように明灯がシュークリームを真白に差し出す。何の迷いもなく、真白がシュークリームをパクリと食べた。
「ピピに求愛なんて、真白さんは見る目がある狼さんだと思うな。二人の恋が成就するよう、祈るよ」
爽やかな笑みを向けられて、ピピが言葉に詰まっている。
催促するような羽々の視線を受けて、明灯が羽々にもシュークリームを差し出した。
「……甘い」
ピピが一言、呟いた。
「甘いし、美味いな」
ピピの頬を撫でながら、真白が囁く。
「NYANCHOCOTTのプティシューだぞ。美味いに決まってるだろ」
促す真白の指に応えて、ピピが後ろを振り返る。
待ち構えていた唇が、ピピの小さな唇に重なって、貪った。
ちゅっと小さな音を立てて、唇が離れる。
「ピピの方が甘くて、美味い」
頬に口付けを落として、真白がピピを胸に抱いた。
「美味い物いっぱい食べて、楽しい思いたくさんして、一緒に生きよう」
真白の腕の中のピピは、蒼愛からは顔が見えない。けれど、真白を撥ね退けたりはしなかった。
「仕方ねぇから、付き合ってやるよ。……死ぬまで」
小さなピピを腕に抱く真白が幸せそうに笑んでいた。
そんな二人を明灯と羽々が安堵したように眺めていた。
「このプティシューは真白さんとピピにあやかって、恋が成就する実として、売り出そうかな」
「まとめ買いできるか? 祝いで配りたい」
満足そうな明灯と、至極真面目な羽々の会話を遠くで聞く。
「良かったなって思うけど。なんていうか、明灯さんて凄い人だね」
真白の恋が成就して嬉しいが。
明灯の遣り手感が凄すぎて、気持ちがそっちに持っていかれてしまった。
「昔から逞しい子だったけど、最近は更に逞しくなったね、明灯」
紅優もちょっと引き気味な反応をしている。
「ともあれ、家族が増えて良かったね」
「うん! 真白の部屋、広い場所に変えないとね」
蒼愛の言葉に、紅優が考えるような仕草をした。
「家族が増えてきたし、そろそろ引っ越しを検討しようか」
「引っ越し……、瑞穂ノ宮の奥の間?」
蒼愛の問いに紅優が頷いた。
瑞穂ノ宮に住むようになってからも、蒼愛たちは地上から移築した紅優の屋敷に住んでいた。
宮の手前は、寄合などを行う公的な場所だが、奥の間が本来、瑞穂ノ神の住まう場所だ。
「蒼愛が嫌だったら、今のままでもいいよ。屋敷もそれなりに広いし、まだ余裕はあるからね」
蒼愛にとっては瑞穂国に来てからずっと住んでいる、思い出が詰まった家だ。
離れるのは、少し悲しい。
「ううん、引っ越し、しよう。きっと今が、その時なんだと思う」
紅優が瑞穂ノ神になり、蒼愛が結彩ノ神になった。
側仕が二人になって、番が増えた。
幽世が大きな問題と伝えた脅威も去った。
(ここから瑞穂国が新しく始まる。僕らも、新しく始まるんだ)
今までに続くこれからに想いを馳せる蒼愛の心は澄んで、まだ見ぬ未来に希望を感じていた。




