第150話 結彩ノ神
ユラユラと揺れる葦舟に乗って、蒼愛と紅優は川を下っていた。
どこに向かうかもわからない川には現実感がない。
蒼愛を抱く紅優の体温がいつも通りだったから、不安はなかった。
薄暗かった周囲に日が射し始めた。
真っ白な光は、まるで紅優の神力のようだった。
『瑞穂ノ神と色彩の宝石は、願いを叶えてくれたようだね。大きな問題は解決した。瑞穂国の危機は回避できた』
いつも聞いている幽世の声が降ってきた。
『この国はもう、壊れない。歪んだ世界は修復され守られた』
蒼愛は紅優を見上げた。
同じように腕の中の蒼愛を見下ろした紅優が、小さく笑んだ。
紅優の笑みに安堵して、蒼愛も笑みを返した。
『不具の子を葦の舟で流す意味を知っている?』
問い掛けられて、蒼愛は紅優と顔を合わせた。
二人とも、首を傾げた。
『神は生まれた瞬間から、神として自立する。神として育っていない子は不具と呼ばれる。葦の舟で流して、成長を促す。船に乗り、流れながら神子は神になる』
蒼愛はぼんやりと声を聴いていた。
『一柱の神として成長できるよう祈りを込めて流す。流れ着いた先で、不具の子は神となり、その国を守る』
舟の揺れが心地よくて、蒼愛は夢心地で紅優の温もりに酔う。
耳に流れ込んでくる声を、穏やかに聞いていた。
『二人の神子は、瑞穂国を守る神になってくれるはずだよ』
蒼愛は紅優と顔を見合わせて微笑んだ。
「じゃぁ、もう、日照もエナも不具の子じゃないね。ちゃんと、神様だね」
声が笑った気がした。
『立派な神に育てておくれ。朴木はエナを心配している。時々には会いにおいで』
紅優が力強く頷いた。
『瑞穂国は、創世以来初めて、あるべき姿を得た。在るべき神が揃った。これからもクイナの理想を探し求めて追いかけるのを忘れないで』
蒼愛は深く頷いた。
『朴木はクイナの理想を知っている。クイナの理想が、願いが、叶う時を待っている。その時まで、紅優と蒼愛はこの国を守っておくれ』
空から一粒の光が降ってきて、蒼愛の手の中に降りた。
七色に輝く光はとても綺麗で、色彩の宝石のようであり、紅優の神力のようでもあった。
『頑張ってくれた二人に、御褒美とお礼と、未来へ託す願いを贈る。光を飲み込んでごらん』
声に促されるまま、蒼愛は手の中の光を飲み込んだ。
光が喉を伝って胸に流れる。
霊元に沁み込んで、一際強く光った。
胸がじんわり熱くなる。
「蒼愛、霊元が……」
紅優が蒼愛の胸に手を当てる。
霊元が形を変えて、神の核に変化した。
『色彩の宝石は、結彩ノ神となって瑞穂ノ神と生きなさい』
「結彩ノ神……』
真っ白な空間に、美しい虹が浮かび上がった。
『瑞穂国を守る七柱の神を支え、守り、繋げて、調和する神。理を代弁し、神々を導き、色彩の宝石で、命を守る。瑞穂国の八柱目の神だ』
蒼愛の胸の中の核が光を帯びる。
紅優と同じ、白い光を放った。
「僕が、神様……。八人目の、神様……。ガラクタだった、僕が?」
信じられなくて、呆然とする。
『この世には、ガラクタも不具の子も存在しない。そんな概念は、理を知らない生き物が勝手に作る価値観だ。蒼愛はもう、振り回されてはいけないよ』
キラキラ光る大きな虹を、蒼愛はぼんやりと眺めた。
蒼愛の手を握って、紅優が嬉しそうに微笑んだ。
「蒼愛は初めから、俺の自慢の蒼愛だよ」
出会った時から同じように蒼愛を慈しんで、大事に愛してくれた。
紅優の言葉は、いつだって蒼愛に安心と勇気をくれる。
「これからは僕が、紅優を支えられるね。紅優がくれる愛と同じ愛を、あげられるね」
「今までだって、蒼愛は充分すぎるくらい、俺に愛をくれてるよ。蒼愛がいるから、俺は生きられる」
紅優が蒼愛に頬を寄せて、口付ける。
くすぐったくて、温かくて、蕩けてしまいそうになる。
「僕が生きる意味は、紅優だよ。今までも、これからも、紅優がいるから、生きたいって思う」
唇を重ねて熱を返す。
紅優がくれる愛には全然足りない。それでも、時間をかけて届け続けたいと思う。
紅優と蒼愛の前にそれぞれ、光が降り落ちた。
両手で光を受け止める。
紅優と蒼愛の手の中で、白い光がキラキラと輝いた。
『永劫の時を生きる二人に、永遠の祝福を与えよう。飲み干してごらん』
それは以前、淤加美が試練の褒美として与える約束をした祝福だ。
最高峰の神となった紅優には、与えられる神がいなかった。
蒼愛は紅優と顔を合わせた。
頷き合って、美しい光を飲み込む。
魂に沁み込んだ光が銀糸となって胸から伸びた。
紅優の胸から同じように伸びた銀色の糸と絡み合って結び合う。
強く結んだ糸が赤い光を放って、二人の胸に溶け込んだ。
左の薬指が熱い。
赤い糸が指輪のように結ばれていた。紅優と繋がった命の糸だとすぐにわかった。
紅優の指にも同じ糸が結ばれている。
『瑞穂国は、紅優と蒼愛と共に在る。この国の未来を、よろしく頼むよ』
幸せ過ぎて、本当に現実なんだろうかと疑ってしまう。
しかし、胸の中からは確かに核の熱を感じる。左の薬指には赤い糸が結ばれて、紅優の命を感じる。
「これ以上ない、御褒美だ。これからずっと、蒼愛と一緒に生きられる」
紅優が蒼愛の体をゆっくりと抱きしめた。
体の輪郭を確認するように、命を感じるように、紅優の手が蒼愛の体をなぞる。
「これから、一緒の幸せ、二人で探せるの? やっと、二人で生きられるの?」
紅優と二人の幸せを探すために、安寧を得るために、頑張ってきた。
「これからは、二人だけじゃない。支えてくれる沢山の仲間と一緒に生きるんだ」
紅優が蒼愛の額に額を重ねる。
二人の幸せを探して守るために歩んできた軌跡の中で、たくさんの出会いをした。
たくさんの仲間が出来て、大事な存在が増えた。
(生きるって、幸せって、きっとこういうことだ。二人の幸せは、二人だけじゃ収まりきらないくらい、大きいんだ)
そう思ったら嬉しくて、蒼愛は紅優を抱き返した。
葦舟が舵をきって、方向を変えた。
『さぁ、大切な仲間の元にお戻り。蒼愛と紅優は瑞穂国にも仲間達にも、なくてはならない存在だ。これからも仲間たちと、新しい瑞穂国を守っておくれ』
穏やかな川の流れにのって、葦舟が明るい方へと流れていく。
温かな光の中へ、紅優と蒼愛は戻っていった。




