第147話 最恐の邪神
蒼愛から吹き出す黒い神力に気が付いた井光の顔が蒼褪めた。
「危惧していた中で二番目くらいに最悪の事態になりましたね」
炎の球に飛ばされて戻ってきた紅優も、蒼愛の姿を見て井光と同じ心境になった。
蒼愛の全身から溢れ出る黒い神力は、エナや小碓の比ではない。
一番、与えてはいけない相手に、黒い神力が宿ってしまった。
「けど、予想の範疇だよ」
気を引き締め直して、まるで自分に言い聞かせるように言葉にした。
「蒼愛様に攻撃なんかできないぜ。俺は守るための側仕なのに」
真白が羽々の剣を避けながら、思い詰めた顔になった。
闇の呪詛と黒い神力を使う闇人の小碓が精神操作を仕掛けてくるのは明白だった。
標的が蒼愛になるのも、これまでの経緯で容易に予想できた。
蒼愛には、万が一、闇の呪詛に侵されても、無理に呪詛に抗わないように伝えてあった。
(抗った分だけ体力と神力を消耗して、もっと最悪な事態になる可能性もある)
これまで幾度となく蒼愛を蝕もうと張り巡らされた罠で、蒼愛の体にはある程度、闇の呪詛が沁みついている。
以前に一度、種を仕込まれているから、今回も根付きやすかったんだろう。
(無理に抗って蒼愛の精神を壊すより、呪詛を受けてしまったら俺が祓う方が健全だ)
だが、蒼愛のあまりの豹変ぶりに、紅優は後悔した。もっと注意して蒼愛を守るべきだった。
殺意を隠さない瞳は、命を厭わない狂人の目だ。
獲物を見る目で紅優たちに笑みを向ける蒼愛は、紅優が知っている蒼愛ではなくなっていた。
(蒼愛のポテンシャルを考えたら、手は抜けない。早く捕まえて浄化する。こうなった以上、それしか方法がない。後悔するな、動揺するな。浄化すれば戻せるんだ)
多少傷付けてしまっても、怪我なら治せる。蒼愛の精神が壊れてしまうよりマシだ。
自分に言い聞かせて、紅優は気持ちを入れ直した。
薙刀の霊現化を解くと、両手に浄化の神力を展開した。
「本気で相手しないと、二人とも蒼愛に殺されちゃうよ。手加減なしでね」
動揺を隠せない井光と真白の後ろから、羽々が迫った。
井光に向かい切り込んだ羽々に低い体勢から紅優が肘を打ち込む。
動きが鈍ったが、その目は紅優を見据えて剣を振るう。
(やっぱり意識は飛ばないか。種から小碓の指示が流れる限り、羽々は動き続けるんだろう)
飛び上がって後ろに回ると、羽々の背中の大きなしこりに瑞穂玉を三粒、捻じ込んだ。
応戦しながら既に二粒、仕込んでいるが、やはり玉だけでは弱いらしい。
そのまま手を付いて神力を流し込む。
羽々が振り返りざまに横に薙いだ剣を、背中に置いた手に力を籠めて飛び上がって避けた。
(浄化できる時間が短すぎる。しこりが大きすぎて、根を消し去るに至らない)
黒い神力が常に流れ込んでいるせいか、羽々の背中のしこりは何度浄化しても小さくならない。
もう何度か、攻撃を避けながら神力を流し込んでいるが、一向に効果が見えない。
ちらりと蒼愛を窺う。
いつのも笑顔で三人を見比べていた蒼愛が、剣を横に構えた。
「じゃ、最初は一気に行くよ!」
構えていた剣を大きく横に薙ぎ払った。
剣に乗った風の神力が大鎌のような刃になって三人に襲い掛かる。
「上に高く飛べ!」
紅優の合図で、井光と真白が飛び上がる。
羽々の襟首を掴み上げて、紅優も飛び上がった。
横に広がった大きな風の刃が通り過ぎて、後ろに広がる森の木々を次々と切り倒した。
「最初から全力過ぎるな、蒼愛様……」
バタバタと倒れていく木々を眺めながら、真白が呆気に取られている。
この平原と同じくらいの規模の木が切り倒されているように見えた。
唖然とする紅優の腕を、羽々が掴んだ。
ドキリとして構える紅優の喉元に、羽々が剣を突き立てた。
「そのまま、攻撃を受け流し続けてくれ。種の効果があると思われていたほうが都合がいい」
羽々が早口で囁いた。
「意識が戻った、のか?」
羽々の剣を払い除ける。
剣を構え直して、羽々が紅優ににじり寄った。
「黒い神力に体を慣らすのに手間取ったが、馴染んだ。大蛇は死の瘴気を扱う種族だ。穢れた力には慣れている。呪詛は瑞穂玉と紅優様の神力で解けた」
振りかぶった羽々の剣を紅優が避ける。
「呪詛には真名が不可欠だが、奴は俺を八俣と呼んだ。だから、呪詛の掛かりも悪かったんだろう」
初めて大蛇の領土に行った時の羽々の話を思い出した。
いつの間にか呼ばれ始めた通り名を使うのは、呪詛対策だと話していた。
「小碓がやけに蒼愛の名を呼ぶのは、呪詛のためか」
会話の総てが聞こえてくるわけではないが、小碓は最初からやたらと蒼愛の名を呼ぶ。
名を呼ぶほどに呪詛が深まると思うと、気持ちが焦る。それ以前に小碓が親し気に蒼愛の名を呼ぶのが気に入らない。
羽々が振りかざす剣を、神力を纏った手で弾いた。
「蒼愛様が持っている剣は誰も殺せない。刺されても死にはしない。痛いだけだ」
「最初に羽々が作って小碓に投げた剣か? どういう意味……」
紅優の口の中に、羽々が素早く何かを投げ込んだ。
「詳しい話は、飴が溶ければ、わかる」
言いながら、羽々が紅優に向かい剣を振る。
口の中にべっこう飴の甘さが広がった。
紅優は瑞穂玉が入った巾着を、羽々の懐にこっそり捻じ込んだ。
「あとは頼むね」
下を向いた振りをして頷きながら、羽々が紅優に剣を振るう。
向かってくる剣をいなしながら、紅優は顔に安堵が現れないように気を引き締めた。
足下で蒼愛が動き出して、紅優は慌てて羽々の首に腕を回した。
首を絞めて動きを封じる振りをして、蒼愛に目を下げた。
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、自分が放った大きな刃が遠くに飛んでいくのを蒼愛が眺めていた。
「あれぇ、避けられちゃった」
特に残念がるでもなく、蒼愛が空中の三人に向かって手を翳した。
「じゃ、次はこっちだ!」
掌大の炎の球を三人に向かって飛ばす。
同時に何十発と打ち込まれる炎の球は火力も強いし速い。
井光が地面に降りると、空中の紅優と真白を右手で、地上の井光を左手で狙い始めた。
「バラバラになると狙いづらいなぁ。そうだ!」
思いついた顔をした蒼愛が攻撃を止めて、炎の球を三つ、作った。
鞠ほどの大きさの炎を三人に向かって投げる。
速球で飛んできた炎を、紅優は寸で避けた。
後ろに流れた炎が軌道を変えて戻り、紅優を追う。何度避けても、炎は追ってきた。
井光と真白を追う炎も同様に、速いスピードで標的を追いかけた。
「当たるまで消えないよ。早く当たって死んでね」
楽しそうな笑顔で蒼愛が叫ぶ。
「えげつない術をすぐに思いつくんですね、蒼愛様は」
井光が蒼愛に視線を向ける。
すぐそこに剣を構えた蒼愛が迫っていた。
井光に向かい振り下ろした剣を、地面を蹴って避ける。
「あれ、避けられちゃった。隙だらけだと思ったのになぁ」
ちょっと残念そうにしながら、蒼愛が井光を追う。
風の俊足で間合いを詰めて振り下ろされる剣を、井光がギリギリで避けていた。
「やられっぱなしでも、いられねぇよな」
真白が後ろから蒼愛に飛びつこうと跳ねた。
瞬間、井光を見据えたままの蒼愛が手だけを後ろに向けて、空気砲を打ち込んだ。
空気砲が真白の腹をダイレクトに抉り、狼の体を地面に叩き付けた。
「今、虎さんと遊んでるから、邪魔しないで」
ちらりと後ろを覗いた蒼愛が、指をくいとあげる。
土が盛り上がって、真白の体を拘束した。
「ぁっ、ぅっ……」
覆いかぶさった土が固まって真白の体を締め付ける。
紅優は大きな神力を真白に向かって落とした。
蒼愛の黒い神力が浄化されて消えた。
体を捻り、蒼愛が井光に向かって蹴りを入れる。
黒い神力を纏った速い蹴りが井光の脇腹を抉った。
「ぐっ……」
井光が森の木々を薙ぎ倒しながら飛んで行った。
蹴り飛ばした井光には見向きもせずに、蒼愛が頭上の紅優を見上げた。
「白い狼さんが土から出てきちゃった。やっぱり瑞穂ノ神を殺さないとダメだね」
蒼愛の手が見上げる紅優と、倒れる真白に向く。
紅優に向かい、水の矢を放つ。
無数の矢が近距離で無限に放たれる。避けるにも一苦労だ。
矢が掠めた部分の皮膚が、爛れたように黒くなった。
「ぁっ!」
足下で真白の声がして、目を向ける。
黒い神力の触手で首を絞められた真白が、体を何度も木に打ち付けられていた。
「真白!」
真白に向かい浄化の神力を投げようとした紅優の足に、数本の水の矢が刺さった。
「余所見はダメだよ。死んじゃうよ。すぐに死んじゃったら、詰まんない」
言いながら、蒼愛が真白に向かって水の矢を投げた。
黒い触手に捕まったまま地面に倒れ込んでいた真白が、何とか立ち上がる。だがすぐには走り出せずに立つ尽くす。
動けない真白の前に井光が立った。水の矢を弾いて、触手を引き千切ると、真白の体を抱え、走り出した。
「虎さん、戻ってきちゃった。もっと白い狼さんと遊びたいのに。でも、いいや。二人と遊ぼう」
蒼愛がワクワクした目をした。
その目が紅優に向いた。
「ねぇ、ちょっと待ってて」
言うだけ言って姿を消すと、走り去った井光の前に飛び出した。
驚いた井光が止まり、別方向に走り出す。その足に、黒い神力の触手を巻いた。
「ぅっ……」
「きゃわっ……」
投げ出された真白が地面に落ちたショックで悲鳴を上げる。
足枷を嵌められて立ち上がれない井光に向かい、蒼愛が黒い神力を投げる。両手足が地面に縫い付けられて、磔状態になった。逃げられない井光に蒼愛が剣を振りかぶった。
その剣を、後ろから紅優が握った。
「流石にお痛が過ぎるよ、蒼愛」
「僕は本気で殺すつもりだけど?」
紅優を振り返った蒼愛の目には言葉通りの殺意が滲んでいた。
「じゃぁ、これでいいや」
蒼愛が地上に向かい、右手を振りかぶる。
大きな水の矢が井光と真白の腹に刺ささった。地面にまで達する太くて長い矢が、井光と真白を串刺しにして動きを止めた。
「神様は剣が欲しいんでしょ? 希望通りあげるよ」
ニコリと笑んで、蒼愛が紅優の腹に十束剣を刺した。
あまりの躊躇いのなさに、咄嗟に反応できなかった。
「紅優、様……」
井光が身を起こそうと試みる。四肢を拘束された磔状態で、水の矢が腹を貫通している身体は地面に縫い付けられて動けない。水の矢にはたっぷりの黒い神力が込められているのがわかる。
真白は気を失っているのか、矢が刺さったまま動かなくなった。
紅優は目で井光に合図を送ると、腹に刺さった剣を握った。
十束剣は束まで深々と刺さって、背中までを貫通していた。
紅優は体を折って、剣を握る蒼愛に凭れ掛かった。
「降参、俺たちの負け。俺をこのまま小碓の所まで連れて行って。この体も核も、あげるから。少しだけ話をさせて」
剣を伝って血が流れる。
咳き込んだら、口端からも血が流れた。
紅優の顔を蒼愛が見上げた。
「小碓様と話したいの? 殺してもいいって言われたけど、死んじゃったら話せないか。良いよ、連れて行ってあげる。小碓様に嫌なコト、しないでね。何かしたら僕が神様を殺すよ」
「うん、しないよ」
抱きしめるように、紅優は蒼愛に腕を回した。
「水は癒しの力、攻撃には使いたくないって、蒼愛は言っていたね。種は、そんな蒼愛の気持ちまで、消しちゃったのかな。蒼愛の水は命を救う水だよ」
耳元で囁いた紅優の言葉にも、蒼愛の反応はなかった。




