第143話 水ノ宮 癒しの間
癒しの間は水ノ宮の中で最も治療効果が高い部屋だ。
以前、陽菜たちが闇の呪詛を受けた時に使用した部屋でもある。
癒しの間の中では、四柱の神が横たわっていた。
部屋の真ん中で淤加美が癒しの神力を満たしている。
その上で、四柱の体の邪魅を浄化していた。
更にそれぞれの側仕と縷々と夜刀が、瑞穂玉を神の口に含ませ浄化していた。
浄化しても湧いてくる邪魅はきりがないように見えた。
「おかえり、紅優、蒼愛。無事で何よりだよ。エナは捕えられたようだね」
振り返った淤加美の顔にも流石に疲れが滲んでいた。
「この状態が続いているんですか?」
四柱の神の胸から湧いてくる邪魅を見詰めて、紅優が深刻な声を発した。
一緒に戻った日美子が、邪魅を神力で浄化する。
月詠見の胸から綺麗に邪魅が消えた。しかしまたすぐに、黒い泡のような邪魅がモコモコと湧いてきた。
「核を奪った時、或いはその後に、邪魅の種を植え付けられたんだろう。取り出したいが、根を張り過ぎていてね。無理をすれば、命に関わる」
「魂に根を張っているんですか?」
怖気の走る話に、淤加美が頷いた。
「成長が早すぎるからね。誰かが遠隔で操作しているのは明白だ」
淤加美の顔が険しさを増した。
「犯人はエナではなさそうです。今は闇の呪詛も祓われ、神力も使えない。エナは核を奪っただけで、何もしていないと話していました」
紅優の説明に、淤加美の目が蒼愛に向いた。
「嘘は吐いていないと思います。エナの魂から嘘は感じない。それに、核の神力を利用したいだけで、体は壊すつもりだったみたいだから。エナの興味は主に僕に向いていたし……。今は、怯えられちゃってるけど」
最後の言葉は小さな声で呟いた。
本気で怒ってから、エナは蒼愛が声を掛けるだけで体を震わせる。
「名無が蘇ったかもしれないと、エナは話していました。取り込みはしたけど、完全に殺したわけではないから、エナの黒い神力がなくなって復活したのではないかと」
淤加美が紅優の言葉を聞いて、押し黙った。
紅優は神々の核を取り出した。
宙に浮いた核が、体を求めてそれぞれの神に向かう。体の真上でくるくると回った。
「今、核を戻すのは危険でしょうか」
紅優の問いに、淤加美が頷いた。
「核を戻せば自力で種を浄化できるかもしれないが、種に飲まれれば第二のエナを生む。そうなれば、エナより質の悪い邪神を生み出すことになるからね」
闇の呪詛が籠った種に核まで飲まれれば、エナと同じ黒い神力を使う神が生まれる。
不具の子のエナでさえ、あれだけ強い神力を有した。完璧な神が黒い神力に飲まれたら、それこそこの国を壊しかねない。
(黒い神力が消えてからのエナは、ちょっとだけど素直に見えた。きっと気持ちも闇に飲まれるんだ。闇の呪詛は邪魅を使うから、負の感情を増幅してしまうんだ)
今の状況に、寒気が走った。
闇人名無がエナの中で死んだ振りをして生きていて、暴れるタイミングを静かに見計らっていたのだとしたら。エナの計画に便乗して、神の核を奪うタイミングで種を仕込んでいたのだとしたら。
(エナよりずっと周到で、執念深い。もしかしたら、僕らが本当に討たなきゃならないのは、名無なのかもしれない)
蒼愛は四柱の神々を見回した。
胸の中の種は根を伸ばして、全員が魂に絡まるほどに成長している。
中でも一番成長が早いのは、志那津だと思った。
蒼愛は志那津に寄り添う利荔の隣に腰を下ろした。
「志那津の種が一番大きくて、成長してる。魂に絡まってる根も、一番長くて多い気がする」
志那津の胸に手を当てる。
他の三柱の神の中の種と比べて、明らかに大きい。
(まるで、人間の心臓みたい。志那津の中の種だけ、種類が違うのかな。感じる邪魅も濃い)
胸の中の種が熱を発して高揚している。
志那津の生気を吸って成長しているのが分かった。
「恐らくだけど、体の回収に時間がかかったせいかもしれない」
利荔が弱い声音で呟いた。
「他の神様は皆、核を抜かれてから時間を空けずに体を回収できてるんだ。志那津様だけは行方知れずで、探すのに手間取った」
霧疾が項垂れて話す。
言葉を発するのも辛い様子だ。
「見付けたというより、志那津様の方から僕らに攻撃してきたんだよ。邪魅に操られて、体を動かされている感じだった。種を植え付けて成長させてから、わざと僕らを攻撃させたのかもしれない」
利荔と霧疾に変わって、須芹が説明してくれた。
「志那津が、利荔さんや霧疾さんや、須芹を、攻撃したの……?」
蒼愛の呟くような問いかけに、利荔と霧疾が深く項垂れた。
「須芹が、いてくれて、助かったよ。俺と霧疾じゃ、志那津様を攻撃なんて、どんな状況でもできない」
利荔の目の下が窪んで、深い隈が見える。
いつも明るい霧疾の顔がずっと暗い。
それだけで、二人にとりどれだけ辛いか、よくわかる。
(風ノ宮の皆は、どの宮より一番家族みたいで、友達みたいで、利荔さんと霧疾さんは志那津をとても大事にしていて……)
普段は軽口を叩いても、二人が志那津を尊敬し大事にしているのは、見ていればわかる。
「僕は志那津様を殴るのに抵抗なんかないから。多分、伽耶乃も同じにしたかったんだろうけど、蒼愛が来てくれて、できなかったんだ。伽耶乃が志那津様と同じになっても、僕はきっと、同じように殴ったけどね」
そう言って、須芹が伽耶乃の手を握った。
その手つきは言葉とは裏腹にとても優しかった。
(須芹は、止めるために殴る選択をするけど。同じだけ自分も痛みを抱える子だ。後悔を抱える子だ)
利荔と霧疾に気を使わせないための発言であるのも、よくわかる。
蒼愛は自分の拳を強く握りしめた。
「月詠見様も火産霊様も、核が取られてすぐに、大蛇の楜々がエナを攻撃して体を奪取してくれた。勢いに押されたのか、エナはすぐに引いたから、俺がお二人をすぐに水ノ宮に運んだんだ」
月詠見に瑞穂玉を含ませながら世流が説明をくれた。
楜々の名を聞いて、紅優の表情が少しだけ緩んで見えた。
大蛇が神々や側仕と協力して作戦を遂行してくれたのは、蒼愛も素直に嬉しいと思う。
「核を奪ってから、細工する時間があったのは、志那津様だけだったってことだね」
紅優が志那津の胸をじっと見詰めた。
蒼愛も同じように志那津の種に目を向ける。
種が拍動した気がして、思わず志那津の胸に手を置いた。
「蒼愛、気持ちはわかるけど、触れると危険かもしれないから」
利荔が蒼愛の肩を掴んで制止する。
それでも、触れる手を放さなかった。
志那津の中に仕込まれた種が熱を発して拍動している。どくん、と一度動く度に、志那津の生気を大量に吸い込んでいく。
(このままじゃ、志那津の体が種に喰われる。志那津が、闇人のモノになっちゃう)
得も言われぬ怒りが、蒼愛の腹の底から吹き上がった。
押し上げられるように神力が吹き出す。部屋の中を満たすほどの神力が溢れ出した。
「蒼愛……?」
呆気にとられる利荔を、紅優が体を引っ張って蒼愛から離した。
「七柱の神は瑞穂国に必要な存在だ。僕の目の前で奪うのは、許さない。色彩の宝石は、神を守り国を守る」
蒼愛の体から、強い神力の風が吹き出した。
その風に紅優が自分の神力を混ぜ込んだ。
他の三柱の神々の胸の中の種が粉々に砕けた。
「日美子様、月詠見様を浄化してください。淤加美様は伽耶乃様を!」
日美子と淤加美が紅優の指示通り、月詠見と伽耶乃を浄化する。
指示を飛ばした紅優は火産霊の中の砕けた種を浄化した。
胸の中の種と邪魅が跡形もなく消えた。
志那津の種だけは、拍動をやめただけで砕けなかった。
「淤加美様。他の三柱の神に核を戻しましょう」
紅優と淤加美が核に手を伸ばす。
ドクリドクリと、志那津の体が不自然に脈打って跳ね上がった。
志那津の目がパチリと開く。蒼愛と目が合って、ニタリと笑んだ。
蒼愛の心臓がざわりと嫌な音を立てた。
神力を込めて種を取り除こうとした瞬間、志那津の体が動いた。
飛び跳ねた志那津が淤加美に襲い掛かった。
胸に触れると、淤加美の胸が開いて核が浮き出た。
「志那、津……、ぁ……」
志那津が淤加美の核を握り締める。
淤加美が膝から崩れ落ちて、その場に倒れた。
「淤加美様!」
悲鳴のような声で叫んだ縷々が淤加美に駆け寄る。
次の瞬間には、志那津が日美子の前に居た。
世流が日美子を庇い、その前に夜刀が立つ。
風の圧で夜刀と世流を払い除けた志那津が日美子の肩を掴んだ。
息を飲む日美子の胸に手を当てて開くと、核を掴み上げた。
「日美子様!」
倒れた日美子の体を、霧疾がかろうじて受け止めた。
蒼愛は紅優の前に立った。
志那津のあまりの動きの速さに、蒼愛は反応できなかった。
志那津が宙に浮く四柱の核に手を向ける。
核が志那津に向かい集まった。六つの核が志那津を囲むように頭上でくるくると回る。
「六柱の神の核が揃った。神の肉体を手に入れた。この時を待っていた。不具の子の中で、虎視眈々と、その時を待っていた」
志那津が志那津ではない顔でニタリと笑む。
まるで醜悪な笑みに、胸が怒りに満ちた。
「お前は闇人名無か? 何故、神の核を、肉体を求める? 何がしたい?」
紅優が毅然と問う。
志那津は頭上の核を満足そうに眺めていた。
「伊吹山の主神は大蛇の姿をして私に疫病を投げてよこした。あの時、天叢雲剣があったなら、病は祓えた」
志那津が独り言のように呟いた。
「伊吹山の主神……、天叢雲剣……。まさか、小碓命?」
紅優の顔が強張った。
志那津の目が、紅優に向いた。
「闇人に身を落とした名も無き荒人神は、神々の核と体を持って蘇る。作られし偶像は今度こそ本物の英雄となり、得るはずだった大王の地位を手に入れる。この国は、私の国だ」
志那津の顔をした闇人が紅優を指さした。
「お前から総て奪う。その核、魂、その身体。三種の神器。総て、私のモノだ」
志那津の体の中に六柱の神の核が入っていく。
胸の中で育った種に、総ての核が吸い込まれた。
華奢な志那津の体が膨らんで、一回り大きくなった。六つの神力が志那津から溢れ出して、体を覆い尽くす。
神力が吹き出す圧で目を開いていられない。
「志那津……、志那津!」
蒼愛は声の限り呼んだ。
神力が徐々に弱まって、蒼愛は目を開けた。
「その名を冠する神は、もういない」
志那津だったはずの体は、全くの別人に変わっていた。
程よく筋肉の付いた若い男が、紅優と蒼愛を好戦的な目で凝視していた。
「志那津の体は……? 神様の、核は、どこにいったの……?」
目の前の状況が呑み込めなくて、声が震える。
紅優が蒼愛の体を引き寄せて、強く抱いた。
「闇人名無は日本武尊の荒人神だったんだ。神々の核と志那津様の体を奪って力を得てしまった」
紅優の言葉に、蒼愛の心臓がドクリドクリと大きく脈打つ。
(志那津が、志那津の体が、核が、あんなものに、奪われた)
溢れ出しそうになる怒りと神力を、紅優が蒼愛の肩を掴んで抑え込んだ。
「今はダメだ、蒼愛。怒りに任せて神力を使えば志那津様の体も神々の核も傷付ける。今は、耐えて」
蒼愛の肩を掴む紅優の力は強くて、手が震えている。
それを感じ取って、蒼愛はギリギリで自分の感情を抑えた。
「足りないものを取ってくる。明け渡す準備をして待っていろ」
言葉を残して、小碓命の体が消えた。
蒼愛は、男が消えた後を睨み据えていた。




