第136話 燕と狼
日照をベッドに連れていくのかと思いきや、八俣はそのままヒルを抱いていた。
「一人にして目を覚ますと、時々大泣きするから、このままでいい」
なんのかんの、八俣は子育てするパパのようだなと思った。
日照の大泣きは、ただ泣くのとは意味合いが違うのだろうが。
(神力とかも一緒に流れて大変なんだろうな。でも今は、そこまでにはならなそうだけど)
色彩の宝石を取り込んで名前を与えられた今の日照なら、そこまでの惨事にはならない気がした。
「天上の作戦に参じてくれるなら、渡しておきたい物があるんだ」
紅優が両手に載る大きさの巾着を取り出した。
テーブルの上に中身の一部を流し出した。
キラキラと美しい、小さな飴玉のような宝石がいくつも転がる。
「蒼愛と俺で神力を込めて作った玉なんだけどね。闇の呪詛を浄化できる。持っているだけでも呪詛を跳ね返すと思うけど、直に呪詛を受けたら飲み込んでくれれば、内側から浄化できるよ」
紅優の説明を聞きながら、八俣が手に取って玉を眺めた。
「なるほど、さしずめ瑞穂玉か。これ総て、作ったのか?」
八俣が、さらりと玉に名前を付けた。
巾着の膨らみ具合とずっしり感を見て、八俣が感心した声を上げた。
「これは、ほんの一部だよ。大蛇の皆に使ってもらう分だけ持って来たんだ。ただ、神力が強いから、妖怪はもしかしたら存在ごと浄化されちゃうかもしれなくて。気を付けて使ってほしいんだ。八俣さんや日照みたいに紅優の神力を授かっていれば平気だけど」
蒼愛は、ピピを振り返った。
「例えば、ピピみたいに普通の妖怪だと、飲み込んだら自分が消えちゃうかもしれないから」
ピピがビクリとして真白の髪の中に隠れた。
今日はピピが、ずっと真白の側にいるなと思う。
「紅優様、蒼愛様。ピピにも何か、神力を分けてやったりは、できないか?」
八俣に願い出られて、蒼愛は紅優と顔を合わせた。
「恐らく、今のピピには日照の神力が強い。日の神力は、大蛇の領土に住むような妖怪には相容れない。近付くのも辛いだろう」
なるほど、それでずっと真白にくっ付いているのかと納得した。
名を授かったばかりで神力を制御しきれていない上に、神器の契りを交わした日照から流れる日の神力は、確かに強い。
近付きたくても近づけなかったんだろう。
「制御できるようになれば問題ないのかもしれないが。これだけ強い力を持つ神の子だ。いずれは日美子様の宮にお譲りしようと思う。そうなれば、住まいは天上になる」
腕の中で眠る日照を見詰める八俣の瞳は愛おしそうで、切なくなる。
八俣が言う通り、今の日照の神力のポテンシャルは天上の神に引けを取らない。
だからこそ余計に、大蛇の領土では害になりかねない。
それ以上に八俣は、日照の先々を考えているのだろう。
「日照から大事な家族を奪うのは、気が引けるけどね。羽々殿のタイミングで連絡をおくれよ。急ぐ必要はないさ。日照の成長を見ながら決めればいい。ウチはいつでも大歓迎だからさ」
日美子もまた、同じように感じたのだろう。
これだけ懐いている親子のような縁を切ってしまうのは、あまりに気の毒だ。
「……もう、会えなくなるのか? 天上に行ったら、日照には、会えないのか?」
真白の髪から、ちらりと顔を出して、ピピが小さな声で聞いた。
「全然て訳じゃないぜ。俺たちだって、こうして遊びに来てんだ。時々には、会えるぜ」
「遊びではありませんよ、真白。神の来訪です」
ピピを慰める真白を井光が後ろから諫めている。
「だから、ピピにも神力を……」
八俣の言葉を遮って、ピピがピギーっと泣き出した。
「やっぱり、俺みたいな妖怪は、神様とは一緒に居られないんだ。日照は本当は強い神様で、羽々の旦那は大蛇の長だから神様の神器になって。皆、俺とは違うんだぁ!」
ピピが泣きながら真白の髪の中に潜り込んだ。
真白のフワフワの髪の中にいても、プルプル震えているのがわかる。
八俣が日照を日美子に預けて立ち上がった
歩み寄り、真白の髪の中のピピに話し掛けた。
「俺はピピとスイーツを食べている時が、一番楽しい。大事なスイーツ仲間だ」
「そんなの、紅優様と蒼愛様だって、そうだろ! 二人が来る時はワクワクしながら紅茶と菓子の組み合わせ考えてるだろ!」
ピピがびーっと泣く度に、真白の髪が揺れる。
「ピピとは、毎日、楽しくスイーツを食べている。紅茶も菓子も、ピピの好みなら把握している」
八俣が懸命にピピを慰めている。語り口はいつもの調子だが、頑張っているのが伝わってくる。
真白の髪の中に声を掛けているから、八俣が真白に話しかけているように見える。
そんな八俣を蒼愛は、眺めていた。
(八俣さんにとってはピピも家族なんだ。自分から紅優に神力を分けてくれなんて、八俣さんは言わなそうなのに、お願いするくらいだから、きっと大事なんだ)
ピピもヒルも互いを友達と呼んでいた。
動けなかったヒルにとって、ピピは外から来る唯一の友達だったんだろう。八俣もそれをよく知っているのだ。
「……これから、エナを捕まえるんだろ。大変なんだろ。俺なんかいたら、迷惑かける。いない方がいいんだぁ!」
髪の中から飛び出そうとしたピピを、真白が掴まえた。
「なぁ、羽々さんよ。ピピを俺にくれよ。ピピと番になりてぇんだ」
真白の突然の爆弾発言に、八俣が絶句しているように見えた。
掴まえられたピピが、ピギッと鳴いたきり固まっている。
「俺は瑞穂ノ神の一ノ側仕だから、神力を貰ってる。真口大神だから、自分の神力もある。俺と番になったら、ピピにも神力が流れる。天上にも気軽に来られる。普段は大蛇の領土に住んでいてもいいからさ。俺が会いに来るから。だから、さ……」
照れた様子で、真白が言葉を切った。
「そんな風に、使ってくれていいからさ。ちょっとずつでいいから、ピピが俺を好きになってくれたら……、それで、いいから。好きに、なれなかったら、番は解消しても、いいから、さ。今、ピピに神力をやるには、ちょうどいい、だろ」
白い耳が真っ赤に染まっている。
真白の可愛い照れ顔に、誰も何も言えない。井光ですら呆気に取られている。
「あ……、有難い、申し出だ。ピピが、どう思っているかが、大事だが」
八俣が初めて言い淀んだ。
会ってからずっとマイペースに話をしていた八俣が、初めて慌てているように見えた。
「俺なんか、ただの燕の妖怪で、早く飛べるしか能がないし、雄なのに可愛いばっかり言われるし、人型だって雌みたいで全然格好良くないし。良いとこなしの燕見なんだぞ!」
ピピが真白の手の中で泣きながら、ピギャーッと叫んでいる。
「そういえばピピの人型って見たことないね」
紅優が気が付いたように呟いた。
この国の妖怪は、妖力さえ持っていれば皆、人型に変化できるはずだ。
「言われてみれば……。スイーツ食べるなら、人型の方がいっぱい食べられるのにね」
蒼愛は紅優と顔を見合わせた。
「俺と二人の時は人型でスイーツを食している。ピピは自分の人型の姿が好きではないから、見られたくないらしい」
八俣が蒼愛と紅優に説明をくれた。
そう言われると、とても見たくなる。
蒼愛たちが違う話をしている間に、真白が手の中のピピに口付けていた。
あまりに自然な仕草で、驚くのを忘れるレベルだった。
くちばしの先に、真白が唇を当てる。
ピピが、ピギッと鳴いてまた固まった。
「何してんだよ、お前! 俺はまだ番になるなんて、決めてないからな」
「さっき、日照の神力に飛ばされてきた時も、目を回していたピピに神力を流し込んだから、二回目だ」
真白のカミングアウトに、ピピが何も言えなくなっている。
「お前、俺の何処が好きなんだよ。同情だったらいらねぇからな。可哀想とか思ってんなら、放っといてくれよ!」
「可哀想じゃなくて、可愛い。モフモフで鳥だから、好きだ」
「お前も可愛いっていうのかよ。鳥だからって何だよ。鳥なら何でもいいのかよ。他の鳥、あたれよ」
ピピが小さな足で真白の鼻をゲシゲシ蹴っている。
真白は、まったく気にしていない様子だ。
「こういうトコが、可愛い。それにピピは、充分、格好良い。最初に羽々さんに会いに来た時、ピピのお陰で話ができた。日照とも話せた。全部、ピピのお陰だった」
ピピが蹴る足を止めた。
「ピピには度胸があって、縁を繋いでくれる。そういう所は格好良い。怖がりで怯えている姿は可愛い。まだそれしか、ピピを知らないから、もっと知りたい。ピピと仲良くなりたい」
ピピが動きを止めた。
ぽんと煙が舞って、ピピが人型に変化した。
一見して女の子と見間違えるような可愛らしい男の子が、真白の前に仁王立ちしていた。
「俺の人型は、こんなだ! 全然格好良くない、雌みたいな雄なんだぞ。こんなんで、いいのかよ」
ピピを見詰めていた真白が、ふらりと動いて抱き付いた。
「好きだ! ずっとスリスリしてたい!」
強くピピを抱きしめた真白がスリスリしている。
「うわぁ! なんだよ、やめろよ。なんなんだよぉ……」
弱々しく零したピピが涙目になっている。
諦めたのか、真白を撥ね退けはしなかった。
「普通に可愛いね、ピピ。人型でも、全然いいのに」
微笑ましく見守る蒼愛の隣で、井光が頭を抱えていた。
「真白の恋が成就するといいとは願っていましたが、やや強引ですね。どうするんです?」
井光に振られて、紅優が楽しそうに笑った。
「どうもこうも、二人に任せるしかないよね。ウチは家族が増えるの、大歓迎だよ。ね?」
「うん! 瑞穂ノ宮の御屋敷は庭に木もあるから、ピピも快適に過ごせるよね」
紅優と顔を合わせて蒼愛も笑んだ。
嬉しそうにピピに抱き付く真白と、嫌そうにしながら真白にしがみ付いているピピを遠巻きに眺める。
しばらくは大蛇の領土に通うことになりそうだと、蒼愛はほっこりした気持ちで考えた。




