第134話 瑞穂ノ神の神器
八俣が一人一人の皿に菓子を載せて振舞ってくれた。
賞味期限が近いと言っていた三色団子の他にも、せんべいやあられ、最中にどら焼きなど盛りだくさんだ。
蒼愛が好きな煉切も二つも載っている。
ワクワクが止まらないと同時に贅沢すぎて震える。
「煉切は抽選会の商品ではないのだが。好きなので店に顔を出すと、いつも買ってしまうんだ」
八俣が照れ臭そうに話す。
「わかるよ。ウチも好きでよく買いに行くんだ。蒼愛が初めて日ノ宮に来た時に出した煉切も扇屋だよ」
「そうだったんですか! 僕も知らぬ間に扇屋のお菓子を食べていたんだ」
日美子の言葉に背筋が伸びた。
「貴女とは仲良くなれそうだ」
八俣が日美子と握手している。
「蒼愛がウチで食べてる和菓子も、ほとんどが扇屋だよ」
「えぇ! 扇屋って高級な和菓子屋さんなんでしょ? 僕、普段からそんな贅沢してたの……」
驚き過ぎて涙目になりそうになった。
「だからウチも抽選会は何度か応募してるんだよね。当たった例がないけど。こういうのが入ってるんだ。定番から季節ものまで幅広いね」
皿に盛られた菓子をまじまじと見つめて、紅優がじっくりと観察している。
真剣な眼差しの紅優を八俣が嬉しそうに眺めていた。
「今日は菓子に合わせて玉露を淹れたが、煎茶もあるから声を掛けてくれ」
そう話す八俣は、前回より心なしかリラックスして楽しそうに見えた。
和菓子セットに夢中になっている紅優を井光が後ろから突いた。
我に返った紅優が八俣に目を向けた。
「えっと、八俣殿。美味しい菓子を前に無粋な話で申し訳ないのだが。側仕については考えてもらえただろうか」
団子を食んでいた八俣が小さく頷いた。
「無粋ではないよ。大事な話だ」
短く言って、八俣が茶を啜る。
「長である八俣殿が難しければ、側近の五蛇の誰かでも良いとは、考えているんだが。どうだろうか」
茶を啜っていた八俣が、考えるように目を上げた。
「我等大蛇は今以上の生活を望まない。この領土が平穏であり、喰うに困らず、誰にも侵されない。お隣様を大事にしながら生きる、これまでの生活を続けたい」
八俣の言葉はまるで、蒼愛や紅優が望む平穏と同じで、何も言えなかった。
「そう、か……」
「その生活を守るために、天上と多少、関係を持つのは、必要だと考えている」
八俣の意外な発言に、下がりかけた紅優の顔が上がった。
「俺が手紙を送ったら、紅優様はすぐに駆けつけてくれた。俺はやはり、紅優様に誠意を示したい。次に扇屋の抽選会が当たったら、また茶会をしよう」
八俣が良い笑顔を向ける。
紅優が困った顔で笑った。
「勿論、共に駆けつけてくれた日美子様にも感謝している」
八俣が日美子に小さく頭を下げた。
「有難い言葉だが、この程度じゃ、私らの罪滅ぼしは足りないさ。大蛇が六柱の神を警戒するのは自然だ。気に病む必要はないよ」
日美子の申し訳なさそうな顔を、八俣がじっと見詰めた。
「互いが互いに、守るべきモノを守った。それだけだと思っている。だが、大蛇の中には神を恨む者もある。それは事実だ」
闇人と蛇々の裏工作、エナの巧みな誘導。それら総てが天上の神と大蛇の間に深い溝を作った。
千年以上かかってできた傷は、易々と消えるものではない。
「神器、というのは、どうだろうか」
八俣の言葉に、紅優と日美子がわからない顔で固まった。
「土ノ神だった須芹の父に、現世で一度、退治されているんだが。その時、尾の中に入っていた剣を盗まれた。あれは、言ってみれば……、骨、のようなもので」
「骨……ですか?」
その話は須芹にも聞いたし、理研に居た頃、日本の神話の本でも読んだ。
今や、現世では三種の神器になっている剣が、大蛇の骨だったなんて事実は、きっと誰も知らない。
「そんなようなもの、だな。骨に叢雲の妖術が残っているから、あの剣はかざすと雨が降ったように雫が滴り落ちる」
そういえば、それが剣の名前の由来になっていた。
「じゃぁ、八俣さんは、あの剣と同じ術が使えるの?」
蒼愛の問いに、八俣が頷いた。
「術も使えるし、剣を霊現化しようと思えば何本でも作れる」
八俣が手の中に十束剣を作り出した。
その様を、紅優と日美子が呆気に取られて眺めていた。
「紅優様は既に玉をお持ちだ。俺が剣となれば神器は二つ目。もう一つの鏡も……」
「待ってくれ。俺は神器など一つも持ってはいない。玉とは……」
慌てる紅優を尻目に、八俣が蒼愛を指さした。
「え? 僕?」
「色彩の宝石を、蒼愛様はいくつでも作り出せるのだろう? まさに、五百津之美須麻流之珠だ」
日美子が驚いた顔で頷いた。
「言われてみりゃ、確かにその通りだ。祭祀の時に二人が作った色彩の宝石は、八尺瓊といって過言でないね」
「八尺瓊……」
確か、三種の神器の一つの勾玉だ。大きくて美しいとか、そういう意味だった気がする。
紅優が驚いた顔で蒼愛を眺めている。
「三つ目の鏡は、もしかして、ヒルかい?」
日美子の問いかけに、八俣が躊躇なく頷いた。
「ヒル、いいか?」
隣に腰掛けるヒルに、八俣が問う。
頷いたヒルが、自分から袷をはだけて胸元を見せた。
蒼愛の色彩の宝石が浮かび上がっていた胸元には、掌大の鏡があった。
「それ、僕がお守りって渡した、色彩の宝石?」
蒼愛の問いに、八俣が頷いた。
「蒼愛様の色彩の宝石が、徐々に変化して鏡になった。その過程で、ヒルの神力が安定し増えていった。鏡がこの大きさで成長を止めたら、ヒルが力を制御しきれなくなった。だから、手紙を出した」
ヒルが紅優を見詰めた。
「蒼愛はヒルを見付けてくれた。羽々は紅優が好きだから味方するって言った。だから、ヒルも紅優の味方。蒼愛の味方。二人を守る。二人が大事なモノも、守る」
紅優が思いつめた顔でヒルから目を逸らした。
考え込む顔は、きっとエナだ。エナの話をヒルに伝えるかを迷っているのだろう。
「これで三種の神器が瑞穂ノ神の元に集う。そういう形での協力は、如何か」
「つまりは、武における協力体制だね。鏡はさておき、剣は武力の象徴だ」
八俣の提案に紅優が顔を上げた。
「我等大蛇の一族が恭順するのは瑞穂ノ神、紅優様だ。他の神では統率をとる約束ができない。初めから、紅優様をお守りすると申し上げた」
野々が散々、教えてくれた。
大蛇は仲間意識が希薄で結束力もないと。そんな彼らが一族として一か所で暮らしているのは、他に住める場所がなかったからだ。この場所で協力しなければ、この国に生きる場所がなかったからだ。
今でも考え方や思想はそれぞれなのだろう。
そんな大蛇が一族で恭順を示す神が、瑞穂ノ神、紅優なのだ。
(これって、凄いことだ。バラバラになりかねない仲間を一つにまとめる象徴が紅優なんだ)
それはきっと、八俣や側近五蛇にとっても、一族を纏める上で有難い存在なんだろうと思った。
「八俣殿の気持ちはわかった。けど、三種の神器なんて、まるで現世の真似事のようで大袈裟というか」
「いいや、良いかもしれないね」
日美子が紅優の言葉を遮った。
「側仕とは別に神器って立場を拵えちまえばいいのさ。瑞穂ノ神にだけ許された特権だ。何せ瑞穂ノ神には既に色彩の宝石がいるんだ。剣と鏡が加わっても悪かないさ。三つに絞らないで、どんどん増やせばいいのさ」
日美子がにこやかに提案している。
気の抜けた顔で、紅優が日美子を眺めた。
「神器って瑞穂ノ神に仕える立場なら、大蛇もヒルも守ってやれる。神器の筆頭を蒼愛にすれば誰も文句は言わないさ。私ら神が動く大義名分にもなる。瑞穂ノ神の神器を六柱の神が守るのは当然だろ」
日美子の話は、まるで月詠見のようだと思った。
隣に月詠見がいる時は、日美子は積極的に意見を言わない。
あれはきっと、バランスをとっているのだと思った。
祭祀後の宴の時も、寄合の時も、日美子はいつだって周囲の空気を読んで発言を控えたり、前に出たり、自分の役割を考えている。
(普段は月詠見様を諫める役回りだけど、日美子様はやっぱり強くて優しい神様だ)
改めて日美子の偉大さを思い知った。
「瑞穂ノ神様の神器の剣が、六柱の神を守るのも必然。紅優様が望めば、神器である我等は天上をも守ろう」
淡々と放たれた八俣の言葉に、紅優は息を飲んだ。
八俣の意図が初めから今の言葉であったのは、蒼愛にも感じ取れた。
(大蛇の皆が納得する形で、紅優の想いに応える方法を考えてくれていたんだ)
側仕より大蛇の特性に向いた方法で、紅優の意向に答えながら、一族を納得させる結論を、八俣は考えてくれていたのだろう。
何も考えていないようで、やっぱり長なのだと感じた。
(野々さんも、良い長だって言ってた。呵々さんや寧々さんや楜々さんだって、八俣さんを大事にしていた)
千年もの間、虐げられてきた大蛇を守ってきた長だ。
やはり八俣も偉大な長だと感じた。
「僕もそれ、良いと思う。神器の筆頭、僕で良ければ務めるよ」
呆気にとられた顔のまま、紅優が蒼愛を振り返った。
蒼愛の顔を見た紅優が、小さく息を吐いた。
「蒼愛はどんどん強くなる。俺は、支えてもらってばかりだね」
紅優が日美子を振り返った。
「月詠見様がいないと、日美子様は大胆だ。普段、どれだけ我慢してるんですか」
愚痴とも甘えとも取れない言葉で、紅優が苦笑いした。
「必要な時に必要な者が必要な発言をすりゃ、いいのさ。普段は私じゃなくていいだけさ」
くすくすと日美子が笑う。
似たような顔で紅優も笑った。
「じゃぁ、今この場で神器の役割を新設して任命をしてしまっても、良いでしょうか。寄合では事後報告になりますが」
「構わないよ。淤加美の小言は流す程度に一緒に聞いてやるさ」
日美子が八俣に真っ直ぐに向き合う。
「今日、会ってみて、紅優の話以上に感じ取れた。紅優の目に狂いはない。羽々殿は天上が望む大蛇だ。日ノ神日美子が太鼓判を押してやるよ」
日美子が八俣に笑いかける。
一瞬、驚いたような顔をした八俣だったが、すぐにいつもの表情に戻って日美子に頭を下げた。
「日美子様の太鼓判がもらえれば、月詠見様と淤加美様も納得してくれますね」
紅優が小さく苦笑する。
その気持ちは蒼愛にもわかった。創世より一緒の三人は、淤加美が筆頭で頭脳が月詠見、二人を支えるのが日美子のイメージだ。だがきっと、一番強いのは日美子なんだろうと、何となく思っていた。
紅優が立ち上がり、八俣に向き合った。
「神器の任命は羽々殿でよろしいか」
初めて本名を呼ばれた八俣が、良い顔で笑った。
「勿論だ。俺が大蛇の一族を代表して任を受けよう」
頷くと、紅優がまた蒼愛に向き直った。
「筆頭だから、羽々殿の前に、蒼愛に神器の任を与えるね」
紅優から目をそらさずに頷く。
それを確認して、紅優が自分の指の先に神力を灯した。
指を蒼愛の額に当てる。
「瑞穂ノ神の名の元に命ずる。玉の神器。筆頭、蒼愛」
じゅっと焼けるような音がして、紅優の神力が額から溶け込んだ。
その上から唇が押し付けられる。直に神力を流し込まれた。
体中に紅優の神力が駆け巡るのを感じた。
「また一つ、紅優との絆が増えたね」
微笑み合って、互いに額を合わせた。
紅優が歩み寄り、八俣の前に立った。
八俣が紅優に居直った。
「瑞穂ノ神の名の元に命ずる、剣の神器。大蛇の長、羽々」
指先に灯した神力を八俣の額に押し当てる。
焼けたような音がして、灯した神力が八俣の中に溶け込む。
額に口付けて神力を直に流し込む。
八俣の目が、とろりと蕩けた。
「紅優様の神力は熱くて柔らかな、シフォンケーキのようだな」
うっとりした目をした八俣が微笑んだ。
「新しい役割だ。よろしく頼むよ。羽々」
「御意に。この命は一族諸共、紅優様のために使いましょう」
八俣がその場に傅いた。
紅優が手を差し出した。顔を上げて、その手を八俣が握った。
「最後に、ヒルなんだけどね」
紅優が蒼愛を振り返った。
エナの話だろうと思った。
「名前を与えるのと、もう一つ。ヒルにしなきゃならない話があるんだ。蒼愛の話を聞いてから、俺の神器になるか、ヒル自身がよく考えて決めてほしい」
ヒルが紅優を見上げて首を傾げた。
「羽々にも、伝えねばならない話だ。今日来たのは、その為でもあるんだ」
八俣がヒルの隣に座り直す。
ヒルの手を握ると、八俣が紅優に向き直って頷いた。




