第130話 神々の緊急寄合②
「その前に、闇人についての調査報告をしてもいい?」
月詠見が紅優と淤加美に目を向ける。
二人が頷いた。
月詠見はずっと、暗がりの平野で世流と一緒に闇人の調査を勧めていた。蒼愛たちの視察中は警備をしながら調査をしていたはずだ。
「闇人は、種族全体で三十体くらいが確認できたよ。だけど、恐らく一人だ」
月詠見の説明に、紅優が顔をしかめた。
「闇人は怨霊を始めとした、何にもなれなかったモノの集合体。ばらけて存在も出来るけど、集まって一つにもなれる。一つ一つは不安定で、自我のないものから動物もいた。だが突然、姿を消す瞬間がある」
月詠見が人差し指を上に向けた。
「一体の闇人に吸い込まれるんだ」
皆が息を飲んだ。
「その瞬間を確認できたのは一度きり、俺と世流とで見回り中でしたが。人の形をした闇人に、他の闇人が吸い込まれて、呪力が増してゆくのを確認いたしました」
火産霊の後ろにいた吟呼が説明をくれた。
「吟呼さんも調査に行ってたんですね」
「月詠見と一緒に俺が入っていたからな。暗がりの平野は暗いから、火があった方が便利だろ」
火産霊が、にっかり笑う。
月詠見と火産霊は普段からあまり一緒に居る印象がない。組み合わせが意外だった。
「恐らくその一体が名無なんだろうと思って追いかけたけど、見失った。闇人は姿も呪力も消せるようだ。隠れているのか移動したのかも、掴めなかった」
世流の追加の報告に、紅優の眉間の皺が深くなった。
「拠点にしているのは、暗がりの平野なんでしょうか? エナを隠している場所の特定を急ぎたい」
月詠見を始め、調査に行った面々が難しい顔をした。
「何とも言えないね。須芹の話通り、警戒していれば住処以外に拠点を持つかもしれない。今回の調査では、それらしい場所は見付けられなかった」
月詠見の話に、吟呼が続く。
「しかし、生態が確認できたのは大きい。ばらけたり一体になったりする闇人の、核となる自我は恐らく、一つだと考えられますからな。我等が話し掛けた闇人は、真面に話せない者ばかりでしたが。蒼愛様の夢に入り込んだ闇人は言葉を話していたのでありましょう?」
蒼愛は吟呼に頷いた。
「僕らと同じように話していました。時の回廊で会った名無も、人の形をして、話も出来ました」
「種族が多数いると見せかけて、一人で活動していた、という訳だね。それも我々の目を誤魔化すフェイクだったのだろうね」
淤加美が頷きながら納得していた。
「引き続き、調査をお願いできますか? 闇人の捕縛は大蛇の一族も探索隊を出してくれています。協力してくれると、助かります」
紅優の言葉に月詠見が意外な顔をした。
「そうなのかい? じゃぁ、仲良くしないとね。引き続きの調査は承ったよ」
「俺ら火ノ神チームも引き続き、協力するぜ」
火産霊と月詠見が拳を合わせている。
案外、仲が良いのだなと思った。
「風の森にも探索隊を出そう。闇人が暗がりの平野以外で拠点にしそうな場所で、最も可能性がある。それらしい場所を当たらせる」
「ありがとうございます、志那津様。風の森なら大蛇の探索隊と出くわすかもしれませんので、協力してお願いします」
志那津が真面目な顔で頷いた。
「むしろ会ったら、会員限定のNYANスイーツのもらい方を聞きたい……」
呟いた志那津に、蒼愛はこそっと顔を寄せた。
「御得意様は八俣さんだけみたいだよ。知ってるの、きっと八俣さんだけだよ」
「そうか……」
志那津が気まずそうに顔を逸らした。
もしかしたら考え事が口に出てしまっただけかもしれない。志那津は時々、無意識で考え事を呟いてしまう癖があるが、本人が気づいていない。
「志那津もスイーツ男子会、一緒に行く? 二週間後のNYANCHOCOTTの限定ケーキを準備してくれるって言ってたよ」
志那津が勢いよく蒼愛を振り返った。
いつも姿勢が良い志那津だが、いつも以上に背筋が伸びている。
「……いやでも、急に俺が一緒に行ったら、変だろ」
「変じゃないよ、きっと喜ぶと思うよ。僕の友達ですって紹介するから」
志那津が大変悩んだ顔をしている。
利荔が志那津と蒼愛に声を掛けた。
「二人とも、そういう話は寄合が終わった後ね。今は、大事な話をしているから」
こそっと囁かれて、蒼愛と志那津がはっとして座り直した。
そんな二人を眺めて、淤加美が小さく吹き出した。
「志那津が寄合中に私語に耽るなんて、珍しいね」
「すみません……」
顔を赤くして逸らす志那津は恐縮気味だ。
淤加美は怒っているというより嬉しそうに見えた。
「大蛇とは協力体制を敷く。紅優の名前を出せば、スムーズに運ぶだろう」
志那津が咳払いして気を取り直した。
「きっと、大丈夫です。大蛇と仲良くなれたら、志那津様も二週間後のスイーツ男子会、一緒に行きましょうね」
紅優にまで指摘されて、志那津の顔が更に真っ赤になった。
「……考えておくよ」
呟いた志那津の肩を、利荔が摩ってやっていた。
「紅優様、私から提案があるのだけど、いいかしらぁ」
伽耶乃が紅優に向かって手を上げた。
「どうぞ」
「大蛇の一族から一人、土ノ神の二ノ側仕に迎えたいと思うのだけど、如何ぁ?」
伽耶乃の発言に、全員が呆気にとられた。
「悪い蛇じゃないと、わかったにはわかったけどさ。どういうつもりだい?」
日美子が驚いて確認している。
後ろの須芹をちらちら窺う目線は、きっと心配しているのだろう。
「罪滅ぼしとは言わないけどねぇ。天上は大蛇と今後も良い関係を築いておくべきだと思うの。勿論、紅優様が三ノ側仕に大蛇を迎えるなら、私は辞退するわぁ」
難しい顔を擦る淤加美とは対照的に、月詠見がニタリと笑んだ。
「もしかして、何か思い付いた? それとも企んでるのかな? 伽耶乃」
伽耶乃が月詠見に向かって眉を下げて笑った。
「企んでいる訳じゃないわぁ。只ね、闇人の、名無の目的は、この幽世の破壊なのでしょ?」
伽耶乃が蒼愛を見詰める。
蒼愛は頷きとも取れない仕草で考えた。
「僕の夢の中では、幽世を壊そうって言ってました。幽世を壊して現世も壊すって。でも名無の場合、何が本音か、わからないから」
時の回廊で話した内容も、夢に忍び込んできて話した内容も、何が本音で嘘なのか、よくわからない。
伽耶乃が蒼愛に向かい、頷いた。
「噓吐きの本音は、わからないわよねぇ。でも、蒼愛様を欲しがっているのは、きっと本当よね。それにね、名無が本当に幽世を壊したいのなら、欲しかったのはエナじゃなくてヒルだったと思うのぉ」
それは確かにそうだろうなと思った。
エナは元々が再生の神だ。今は闇の呪詛で魂を汚されて神力を利用されているに過ぎない。
幽世をいくつも壊してきた破壊神ヒルを手に入れた方が目的は達成しやすいだろう。
「エナを攫えて、天上にいる蒼愛様の夢に入り込める名無が、ヒルには手を出していないのよ? 手を出せない理由があるんじゃないかと思うのね。大蛇の領土って、常に死の瘴気で覆われているけど、闇人も同じ瘴気を使うわよね。盗もうと思えば盗めるはずなのよぉ」
淤加美が気が付いた顔をした。
「確かに、天上の蒼愛に手を出すより大蛇の領土にいるヒルを攫う方が闇人にとっては何倍も簡単なはずだね。手出しできない理由が大蛇の領地や八俣にあるんじゃないかと、伽耶乃は考えたんだね」
伽耶乃がニコリとして頷いた。
ほんわかした雰囲気や、少し間延びした話し方とは裏腹に、指摘の内容は鋭い。
「知っているのなら、八俣殿なら、きっと紅優様に教えてくれたと思うのぉ。だからね、大蛇も意識しない、八俣殿にもわからない、守れる何かがあるのかしらって。それは蒼愛様を闇人から守る手段にも、なるんじゃないかしらぁ。もしかしたら、拠点を割り出すヒントにも繋がるんじゃないかって、思ったのよぉ」
伽耶乃の一連の説明を聞いて、紅優の顔が明るく表情を変えた。
「なるほどね、側仕になれば大蛇と天上の接点が復活する。大蛇の側にもメリットが大きいね」
月詠見の言葉には、紅優が首を捻った。
「メリットと捉えてくれるかは、微妙ですが。掛け合う価値はありそうですね」
紅優が考え込んだ。
神になるのは責任ばかり重くて割に合わないと語っていた八俣だ。側仕も面倒だと考えるかもしれない。
側仕になりたかったのは、自分が神になりたかった蛇々の個別の希望だったんだろう。
八俣を始めとした大蛇の面々に、そういった野心は感じられなかった。
「八俣殿に手紙を送ってみます。前向きな返答なら、伽耶乃様は俺と一緒に八俣殿に会いに行っていただけますか?」
「ええ、悦んで。その時は、手作りのお菓子をお土産に持っていくわぁ」
伽耶乃が小首を傾げて微笑んだ。
後ろに控える須芹は微妙な表情だが、何も言わなかった。既に伽耶乃から提案はされていたのだろう。
蒼愛としては少しだけ心配になった。
「では、大蛇の長への側仕の打診は決定で良いね。月詠見と火産霊は引き続き暗がりの平野の調査を。志那津は風の森を頼むよ」
淤加美が紅優に向き直る。
「命と種の契約は、どうしますか?」
「決断するべき、なのでしょうね」
いつもよりずっと険しい顔をして、紅優が淤加美に頷いた。
「闇人という種族は末梢する決断で、よろしいですか?」
紅優が六柱の神に問う。
淤加美が皆を見渡した。
「皆、同意なら私に続いておくれ」
淤加美が紅優に向き合った。
「瑞穂ノ神様の御心と共に」
そう言って、淤加美が平伏する。
六柱の神と側仕が、紅優に平伏した。
「蒼愛様は、そのままで。紅優様のお隣に居てください」
井光の耳打ちに、蒼愛は頷いた。
紅優の前に、一枚の紙が浮かび上がった。
「闇人は捕縛後、存在を抹消する。以後、瑞穂国に存在を認めない。瑞穂ノ神の名の元に決定を下す」
紅優が血判を押す。
紙がくるくると独りでに巻かれて、空気に溶けた。
「神の契約書が瑞穂ノ宮の契約庫に入りました。これで、闇人はこの国の妖怪総ての敵になりました」
井光の説明に蒼愛は息を飲んだ。
(前に、神様には色んな権限があるって利荔さんが教えてくれたけど、こういうことなんだ)
神の意志一つで、命が決まる。
種の存続さえ、掌の上だ。
「直接的な死を与えたりは出来ないんだけどね。種族の絶滅という、緩やかな死を与える権限が、神にはある。簡単に使っていい力では、ないけどね」
そう語る紅優の顔は決意した表情だった。
紅優の話を聞きながら、蒼愛はぼんやり考えていた。
(本当は、僕が囮になれば早いんだ。名無は僕を狙ってる。僕を使えば、名無を簡単におびき出せる)
しかし、誰もそういう提案はしない。
色彩の宝石は守るべき理だからだ。
蒼愛から提案しても、きっと却下されるんだろう。紅優が特に怒るのだろうと思った。
これだけ大それた契約を使ってまで、紅優はこの国と蒼愛を守ろうとしてくれる。
(僕は僕を守らなきゃ。皆の気持ちに応えるには、それが一番だ)
蒼愛を守るためだけではない。
千年の長きに渡り国内を混乱せしめた、神を欺き他種族を貶めてきた闇人への罰なのだろう。
(だけど、僕は……。僕にしかできないやり方を、本当は知ってる。エナの魂の欠片を持っている僕にしかできない、エナと名無の居場所を掴む方法を、僕は知ってる)
使うつもりがなかったから、紅優にすら打ち明けていない。
成功するかもわからない。
下手をすれば蒼愛が闇人に取り込まれるかもしれない危険な方法だ。相談すれば、きっと反対される。
割り切れないやるせなさが、蒼愛の胸中に渦巻く。
(心配かけたくない。けど、これ以上、犠牲は出したくない。僕に出来る方法があるなら、試したい)
陽菜や縷々や夜刀のように、蒼愛を守って倒れる仲間の姿は見たくない。
紅優に、望まない選択をさせたくない。
胸に秘めた決意を誰にも覚られないように、蒼愛は口を噤んだ。




