第123話 大蛇との友情
地下から地上の部屋に上がると、食事していた広間に人間の姿はなかった。
「食後は各々、部屋で過ごす。ここでの生活に縛りはない。当番制の家事と共同の食事や風呂などの規律を守りさえすれば、それ以外は個人の自由だ」
蒼愛はぼんやりと野々を見上げた。
蒼愛の視線を野々が無言で受け止めている。
「……あ、ごめんなさい。思ってた以上に普通の生活で。保管庫っていうか、生活空間だなって思いました」
もっとぎゅうぎゅうに人間を押し込んで、自由を奪って、暴力や罵倒で恐怖を与え続けているのかと思った。
蒼愛がいた理研より、環境としてはずっと恵まれている。
「伸び伸びと生活させた方が人間は肥える。その方が美味い」
野々の言葉は淡々としている。
しかしこれも、芽衣の助言なんだろうと思った。
「喰われる人間は、順番で大蛇に引き渡される。その場所でどんな扱いを受けるかは、それぞれだ。ただし、良い思いをしないとは伝えておく。我等大蛇は恐怖や怯えに塗れた魂を好む。最期に怖い思いをして死ぬのは避けられない」
それはそうなんだろうと思った。
そのためにここで人間を肥やしているのだから。
「野々さんも、そんな風に人を喰うの?」
蒼愛の問いかけに、野々は普通に頷いた。
「ああ、喰う。番がある分、頻度は減ったが、喰わねば狂うからな。芽衣を喰い尽くすのは嫌だから、他の人間を喰うよ」
正直な意見なんだと思った。
野々の言葉は常に正直で潔い。
(それはやっぱり、どうにもできないのかな。だから芽衣さんは人間もどきを作ったんだろうな)
今はまだ答えが出ない、考え続けなければいけない課題なんだと思った。
「僕また、芽衣さんとお話しに来るね。いろんな話、教えて」
毅然と顔を上げる。
変わらぬ表情で、芽衣が頷いてくれた。
「俺もまた蒼愛様と話がしたい。理研の話も聞きたいし、人間もどきも一緒に考えてほしいから、また会いに来てね」
「うん! 絶対に会いに来るね」
蒼愛は力いっぱい頷いた。
「領土内の視察はこれで終了になる。この後は地上の八俣様の屋敷に案内する」
野々が芽衣に目を向ける。
「俺はここまでだね。またね、蒼愛様」
手を振る芽衣に手を振り返して、蒼愛たちは人間の保管庫という屋敷を出た。
「大人しいと思ったら、ピピ、寝てるんだ」
自分の髪に手を伸ばす。
ぴぃぴぃと寝息が手に掛かった。
「蒼愛の髪の中は温かくて寝心地が良いんだろうね。そのまま寝かせてあげたら?」
「うん、そうだね」
紅優に微笑まれて、蒼愛は素直に頷いた。
来る時に紅優たちが降りたという階段を昇って、地上に戻る。
しばらく歩くと、二階建ての大きな屋敷が見えてきた。
日本家屋風の屋敷は重厚で、雰囲気が物々しい。
屋敷の門が見えてきた辺りで、野々が足を止めた。
しばらく俯いていたが、突然、振り返った。
「問題はないだろうと思うが、もし八俣様との話し合いが巧くいかなかったら、俺を呼べ。頭の上の鳥にでも言付ければ届くはずだ。俺か楜々を呼べば、話は早いだろう」
紅優の顔が険しくなった。
「八俣殿は話し合いが難しそうな相手なのか?」
「いや……。会えばわかると思うが、少し変わっている。我等にとっては良い長だ。だが……、ある意味で難しいお方だ。表現が難しいな」
あの野々が言葉に困っている。
それくらい表現が難しい相手らしい。
長に対する気遣いなのか、本当にヤバい相手なのか、こちらも判断に迷う。
「ここまで来たんだ。会わずに帰る選択はない。何かあれば、よろしく頼むよ」
紅優が自分から野々に手を出した。
じっと見詰めていた野々が、徐に紅優の手を握った。
「瑞穂ノ神が我等大蛇と友好な関係で視察を終えることを望む」
「視察の結果がどうなっても、野々とは良い友になれそうな気がするけどね」
紅優の言葉に、野々が目を見開いた。
「領土内を見て回れただけでも有意義だったよ。それだけでも天上や中央と大蛇の関係が変わると、俺は思っている。俺が、変えてみせるよ」
野々が俯いて、ほんの少しだけ微笑んだ。
その顔は背が低い蒼愛には良く見えた。
「ああ、期待している。紅優」
そう呟いた野々の顔には安堵が滲んでいた。




