第122話 人間もどき
辿り着いた大きな家屋の中には、人間が保管されていた。
保管というより、生活しているように、蒼愛には映った。
「この屋敷には常時五十人から七十人くらいの人間がいるんだけどね。大蛇の一族が五十匹前後、一緒に住んでる他の種族を考えると、数的にギリって感じなんだよね」
芽衣が普通に話している。
感慨も悲壮感もない。
蒼愛としては不思議だった。
「普段は大蛇の妖術で意識操作されているから、逆らう人間もいない。雌を犯す雄もない。喰う瞬間だけ妖術を解いて正気に戻して、喰われる恐怖を感じてもらうの」
大蛇の生態を考えれば当然なのだろうが。
せめて喰われる瞬間も妖術に罹っていられたら楽だろうと思った。
「丁度、人間の食事の時間だから、覗いていく?」
身構えたが、大蛇が人を喰う方の食事ではなく、人間がご飯を食べる時間らしい。
隣の間から、こっそりと覗く。
食事をするのは子供から大人まで、年齢も性別も様々だ。ただ、男性が多く見えた。
この場所で暮らしている全員が膳を共にしているようだった。
「何となく、学校給食みたいだね」
紅優の呟きに、芽衣が頷いた。
「わかります? 給食をヒントにしてバランスの良い食事を提供しているんですよ。作っているのは大蛇でね。人間の日頃の生活を面倒見ているのも、大蛇です」
食事を配膳したり準備したりを大蛇に混ざって人間が手伝っている。
怯える様子もなく、むしろ仲がよさそうだ。
「ねぇ、今日のデザート、何?」
一人の子供が野々の袖を引いた。
「プリン……、違うな、ティラミスらしい」
一部の子供から歓声が上がった。
食事が配り終わると、ティラミスが配られた。
「本当にちゃんとした食事だね」
「ちゃんとした食事で太ってもらわないと、喰った時に美味しくないでしょ。衛生管理も行き届いていますよ。変な病気が蔓延しても面倒ですからね」
紅優の疑問に返ってきた芽衣の返答は、当然と言えば当然だが、蒼愛としては言葉を飲む。
小さな女の子が、野々を呼び止めた。
「ねぇ、野々様。私のティラミス、野々様にあげる」
「俺はそれが好きじゃないから、お前が食え」
渡されたティラミスを返して、野々が女の子の頭を撫でた。
「うん、わかった。次に野々様が好きなの出た時は、あげるね」
女の子の頭をポンポン撫でて、野々が席を立つ。
とても好かれている様子だ。
「ティラミスなんかあげなくても、そのうち自分が喰われるのにな」
真白の実も蓋もない呟きは、全く持ってその通りだ。
「女の子も、いるんだね」
蒼愛は、ぽそりと呟いた。
瑞穂国では女は喰うのも買うのも禁止で、中央管理だ。
「あの子は中央から卸されてきた子だよ。だから喰う以外にも使い道があるんだ」
芽衣を見上げる。
変わらぬ笑顔で微笑まれた。
「蒼愛様って、理研でblunderだった? それともbug? 紅優様の所で霊元が芽吹いたの?」
芽衣に問われて、蒼愛は少し戸惑った。
瑞穂国に来てから、理研の話を振られたのは、初めてかもしれない。
「僕は最初bugで、十歳の時に霊元移植実験で霊元が根付いて、でも術も何も使えないからblunderにされて幽世に売られたんだ。霊元が開いたのは幽世に来てから、蛇々を追い返したくて、無意識に開いたんだ」
芽衣が頷きながら話を聞いている。
「なるほどねぇ。蒼愛様の頃ってさ、所長はもう変わってたかな。俺の頃は安倍晴子だったんだけど」
その名前は知っている。所長の安倍千晴の母親だ。
「僕の頃は娘の千晴になってたよ。ヒステリーな女の人で良くbugの子を殴ってた。僕もよく殴られてた」
芽衣が納得の顔をした。
「母親の晴子も同じだったよ。研究員の中には殴られ過ぎて死んじゃった奴もいてね。そういうの、誤魔化すために時々、研究員が幽世に売られてたの。俺も実験に失敗して大怪我負ったから売られたんだろうね。きっと現世じゃ死んだことになってるんだろうなぁ」
千晴以上に酷いと思った。
芽衣は明るく話しているが、とんでもない話だ。
「研究員でそれだから被験体はもっと酷い扱いでさ。雑だったというかね。霊元や霊能の実験が軌道に乗り始めた頃で、被験体の数も多くてね。今、黒曜様から送られてくる人間の数を考えると、被験体自体が減ってるんだと思うんだけど、知ってる?」
芽衣に問われて蒼愛は首を捻った。
「僕は今しか知らないけど、僕がいたbugの施設は同じ年頃の子が十人くらいで。他にも三つくらい同じbugの施設があったと思う。年齢で分かれていた気がする」
蒼愛はbugからblunderになって二回、施設を変わっている。
その時に見聞きした情報しか知らない。
「そうなると、俺がいた頃の半分以下だ。やっぱり減ってるんだね。てことは、女の子の数も減ってるね」
蒼愛が首を傾げると、芽衣が覗き見ている広間を指さした。
「この中でも、女の子、少ないでしょ。制限されてるせいでもあるんだけど。理研でも、女の子、少なかったと思わない?」
言われてみれば、各施設に女子の数は三人前後だった。
蒼愛は芽衣に頷いた。
「基本的に、どんな生き物でも雌って雄より作るの大変なんだよ。でも雌がいないと生物は生まれない。だから、大事にしなきゃいけないんだよね」
作る、という言い方が引っ掛かった。
今の芽衣にとって人間は番のための只の餌でしかないのかもしれない。或いは研究員的な発想なのかもと思った。
芽衣が立ち上がった。
「人間の雌の使い道、見てみる? きっと気分が良くないし、蒼愛様は俺を嫌いになるかもしれないけど」
芽衣が眉を下げて笑む。
「見に行く。芽衣さんは僕や紅優に見せてもいいって、思ったんでしょ?」
「むしろ、俺に見てほしいんでしょ。行くよ。蒼愛が行くというなら、一緒に連れていく」
心配そうにしながらも、紅優も頷いてくれた。
屋敷の奥の部屋の扉を開けると、地下に続く螺旋階段が現れた。
降りるにつれ、湿気を強く感じる。降りきった場所に扉があった。木でできた厚い扉だ。
扉を開けると、石造りのベッドの上に目隠しをされた女性が横たわっていた。
女性は手足を枷で抑えられている。
意識はあるようだが、朦朧としている様子だ。
「誰かと思えば、芽衣か。他にも、いるのか?」
奥から男の声がして、目を凝らす。
大きな男がベッドの足側に立っていた。よく見れば下半身は大蛇で、尻尾の先を人間の女性に向けていた。
「瑞穂ノ神様と色彩の宝石、それに側仕の方々だよ。視察に来てくれてるんだ」
芽衣の声に大蛇の気が尖った。
「こんなとこまで見せんのかよ。八俣様の許可、下りてんのか?」
「隅々まで、希望の場所は全部見てもらうようにって指示だからね。最中なら、ちょうどいいや。種付けするとこ、見せてあげてよ」
芽衣の言葉に、大蛇と紅優が顔をしかめた。
「種付け? 大蛇は人間に自分たちの種付けをしているのか?」
「馬鹿野郎! 他人に種付けするとこ見せるとか、恥ずかしいだろうが!」
ニュアンスの違う言葉が同時に響いた。
「種付けとは、妊娠させる行為です」
井光が蒼愛の耳元でこっそり呟いた。
蒼愛も頬を赤らめた。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。楜々って案外、シャイだよね。デカい体してるくせに」
笑う芽衣に向かって、楜々と呼ばれた大蛇が赤い顔で怒った。
「普通は恥ずかしいんだよ。お前みたいに赤裸々に話したりしねぇの。俺はそういうの、こっそりじっくりやりてぇの!」
「こっそりじっくりは番としてよ。今は食料の種付けなんだから、いいでしょ」
楜々が、じっとりと芽衣をねめつける。
「食料の種付け? どういう意味だ?」
紅優に問われて、芽衣が全員を部屋の中に促した。
楜々と目が合って、蒼愛はぺこりと頭を下げた。
「さっきも話した通り、餌の数が足りない。だから、増やすことにしたんだけど、人間は産むまでに十カ月もかかるのに一回の妊娠で一人しか産めない。育つのにも時間がかかる。それじゃ生産性が悪いからね。更に、人間を増やしちゃいけないこの国のルールにも引っ掛かる。だから、人間もどきを作ってるんだ」
「人間、もどき?」
紅優の眉間の皺が深くなる。
芽衣が女性の腹に手を当てた。
「何回、した?」
「……二回。三回目、しようとしてた」
楜々が顔を手で覆って素直に応えている。
とても恥ずかしそうだ。
「なら、問題ないね。育てるよ」
芽衣が、女性の腹にあてた手に霊力を込める。
女性の腹が見る間に膨らんで、大きくなった。
「……んっ、あ、あぁ!」
いきむような仕草を数回、繰り返すと、股の間から大きな卵がポロポロと落ちた。
楜々が卵を受け止める。
「その卵を数日温めて孵化させると、人間が生まれる」
卵をじっくり見詰めていた紅優が芽衣に目を向けた。
「けど、そこから生まれてくる人間は、完全な人間じゃない。脳が不完全で自我もほとんどないし生殖能もない。ただし霊元はあるから、原始的な感情と生存機能は霊力で補える。喰われるためだけに生まれてくる、人間に似た生き物だよ」
あまりにもな話に、全員が呆気にとられた。
「このシステムを作ったのは、俺。理研の研究員だった頃の知識や自分の霊能を生かしてやってる。俺は、大蛇の皆に死んでほしくないからね。無理にやらされてるわけでもないよ」
芽衣の言葉は本心なんだろうと思った。
同時に、罪を追及された時、矛先が大蛇に向かないように、わざと紅優に伝えているのだとも思った。
「馬鹿野郎! 芽衣のお陰で何匹の大蛇が餓死を免れたと思ってんだ。大蛇だけじゃねぇ。この領土に住む妖怪は全員、助かってんだぞ。しょっぴくんなら、俺らもしょっぴけよ!」
楜々が両手を紅優に突き出している。
ムキムキな体躯をしている割に、喧嘩しないんだなと思った。
「責める気には、なれないよ。俺だって元は人を喰う妖狐だ。現世が狩りがしづらくなっているのも人間の数が減ってるのも、知ってる。ただ、凄いことになってるなって、驚きはしたけど」
紅優の顔は本気で驚いている。
芽衣の目が蒼愛に向いた。
「蒼愛様は、どう感じた? やっぱり、嫌だと思った?」
芽衣から視線を外して、蒼愛は俯いた。
「……わからない。正しいとか間違っているとかは、わからない。けど、芽衣さんが大蛇の皆を大切に思ってて、大蛇の皆が芽衣さんに感謝してるのは、わかった」
この国のルールに反しないように大蛇が飢えないために、きっと必死に考えたシステムに違いない。
(もしかしたら芽衣さんの作ったシステムは、大気津様が作りたかった人に代わる実に、今の所、一番近いのかもしれない)
「孵化するのに、何日くらいかかるの? もう孵化してる人間は、いる?」
顔を上げて問う。
「孵化には三日くらいかかるかな。孵化した人間もどきは生まれた瞬間から五歳児程度の体で、三日程度で十五歳くらいに成長する。その時点で食料に回しちゃうんだ。今は卵から孵った人間はいないよ」
「そう……。もっと、植物みたいな人間は作れないのかな」
大気津が作りたかった、人に代わる実が出来れば、もっと良いと思った。
「その辺り、難しくてね。霊元だけを持つ人間なら作れるんだ。けど、快楽や恐怖といった感情は脳があり微少でも自我があるからこそ生まれる。人喰の妖怪が美味だと感じる部分を残そうと思うと、人は人でないと成立しないんだ」
芽衣の説明は、既に取り組み済と言っているようだった。
(きっと芽衣さんも同じように悩んで、苦しんで、人も妖怪もどっちも生かそうって考えて。僕よりずっとずっと長い時間を悩んできたんだ)
更に実戦もしてきた。
目の前にあるのは、芽衣が苦労して悩んだ結果なんだと思った。
「芽衣さんが、いっぱい考えて、頑張ってきたんだって、わかった。僕はまだ何もできてなくて。僕も同じように頑張りたい」
芽衣が蒼愛に歩み寄り、目線を合わせた。
「蒼愛様には蒼愛様にしか出来ないことがあるよ。君はもうbugでもblunderでもない。この国で一番偉い神様の番、唯一無二の色彩の宝石なんだ。餌になる人間を作ることだけが救いじゃないよ。蒼愛様だから出来ること、いっぱい考えてみて」
何度も何度も頷いて、蒼愛は芽衣の手を握った。
「僕、芽衣さんに会えて、良かった」
「俺もだよ。同じ場所から来た者同士、これからも仲良くしてね」
「うん! いっぱい遊びに来るから!」
言い切ってから、紅優を見上げた。
「気軽に遊びに来れる場所になるように、八俣殿と話し合いをしないとね」
紅優が笑いかけてくれて、蒼愛はほっとした。
「生殖能がないなら人間もどきは繁殖には入らないと考えていいね。この国のルールには違反しない。問題にする気はないよ」
言い切った紅優に芽衣が安堵の笑みを零した。
「ありがとう。見てもらって、良かったよ」
「むしろ、他の人喰の妖怪を救う手段にもなり得る。芽衣には研究を続けてほしいな。その為の支援を貰えるように、黒曜に掛け合ってみるよ」
紅優の提案に、芽衣だけでなく楜々も目を丸くした。
「そんなこと、してもらえんのかよ。俺ら大蛇なのに、助けてくれんのかよ」
呟いた楜々に当然と、紅優は頷いた。
「そのために視察に来たんだよ。大蛇を助けて他の妖怪も助かるなら、やらない手はないからね」
狭い部屋を蛇の下半身で駆け寄り、楜々が紅優の手を握った。
「初めて来てくれた神様が、アンタで良かった。俺はアンタが好きになれそうだ」
楜々が感涙している。
あまりに泣いているので、ドキリとした。
「じゃぁ、俺のことは紅優って呼んでくれる? 楜々」
楜々が手を握ったまま何度も頷いた。
「あぁ、紅優、ダチになろうぜ。そっちのちまい番、蒼愛、だったか? 蛇々を殺してくれた色彩の宝石だろ。感謝してるぜ」
同じように握手を求められて複雑な気分になった。
「蛇々は皆に嫌われてるんだね……」
「嫌われても仕方ねぇさ。蛇々も大蛇が嫌いだった。俺らを利用して自分は神様になりたかったんだ。ま、結局アイツも利用されて終わっちまったけどなぁ」
蒼愛は紅優と目を合わせた。
「楜々、その話は俺たちがすべきじゃない。八俣様から話してもらう方がいい」
部屋の戸口に、野々が立っていた。
「人間もどきの視察は、どうだ? 蒼愛様は気分が悪くなっては、いないか?」
野々に問われて、蒼愛は頷いた。
「女の人が、あんな風に使われるのは、良い気がしないけど。でも、人が食べられちゃうよりはマシだし、芽衣さんには研究を続けてほしいって思うよ」
「……そうか」
野々が短く返事する。
後ろから芽衣が蒼愛に声を掛けた。
「あのね、蒼愛様。言い訳のようだけど、卵を産んでくれる女性には一応、同意は貰ってるんだ。妖術も掛かっているけど、一応ね。野々が説明してくれるんだよ」
「芽衣が俺に頼むから、仕方なくな。説明して同意を得ると人間は揉めないというから。産んでくれた女には褒章も与えている。大した物ではないが、芽衣が大事だというからな」
野々がちょっと照れたように早口で話す。
蒼愛は芽衣を振り返った。
「説明と同意は人間だった頃の癖だね。理研ではほとんど機能していなかったけど、人間なら普通はするものだからね。貢献してご褒美がもらえたら嬉しいでしょ。俺の中の、人間の性の名残かな」
芽衣が悪戯に笑む。
どうして野々があんなに人間たちに好かれていたのか、わかった気がした。
野々が最初から紅優や蒼愛に好意的だった理由も、きっと芽衣なんだろうと思った。




