第121話 SMプレイ
野々と芽衣に誘導されて森を抜けると、広い道の先に紅優が待っていた。
蒼愛と真白が合流すると、遠くから呵々や井光が戻ってきた。
どうやら皆で探してくれていたらしい。
「蒼愛! 真白!」
紅優が駆け寄って蒼愛を抱き止める。
蒼愛の顔を拭いながら落ち切らない土を払ってくれた。
「怪我はない? 変なコトに巻き込まれてない?」
紅優に向かって、蒼愛は頷いた。
「落ちた時は真白が庇ってくれたし、野々さんが迎えに来てくれたから、大丈夫だよ」
「そっか、良かった」
紅優が安堵した顔で蒼愛の頭を撫でた。
改めて、トラブル体質な自分を痛感する。
蒼愛の頭を撫でていた紅優が手を止めた。
「ん? 髪の毛の中に何かいる?」
そっとかき分けると、紅優が首を傾げた。
隣から真白が覗き見ている。
「ピピ、こんなトコにいたのかよ。どこに行ったのかと思ったぜ」
そういえば途中から姿が見えなかった。
蒼愛の髪の中に隠れていたらしい。
髪の中に手を入れる。ピピの体が小刻みに震えていた。
「大丈夫だよ、ピピ。紅優も井光さんも妖狐と大猫だけど、ピピを食べたりしないよ」
「ピピって呼ぶな……、いやもう、それでいいけど。お前、最初から名乗れよな。まさか色彩の宝石だなんて、思わねぇだろ。失礼な発言、いっぱいしてすみませんでした……」
消え入りそうな声で、ピピが怯えている。
蒼愛は首を傾げた。
「蒼愛様は、あの程度の無礼で怒ったりしないぜ。怯えんなよ」
「怯えてない。体が勝手に震えてるだけだからな。別に怖いとか思ってないぞ」
しかし、ピピの体は震えている。
「もしかして、寒い? じゃぁ、僕の髪の中に入ってていいよ。ねぇ、野々さん、呵々さん。燕見の子と友達になったんだけど、一緒に連れて行っていい?」
「友達⁉ 神様と俺が⁉」
ぴぎっと鳴きながら、ピピが驚いている。
「ええ、構いませんよ。随分と小振りですが、白狼の餌くらいにはなりましょうから」
呵々がニヤリとして許可をくれた。
ピピの震えが更に大きくなった。
「喰わねぇよ……」
真白が呵々を睨みつけている。
「どうするかはその鳥が決めればいい。我等は住処を提供しているだけだ。行動まで縛るつもりはない」
そう言って野々が顔を逸らした。
「お友達のままでいいってさ。小鳥君が良ければ、一緒においで」
芽衣がこっそり耳打ちしてくれた。
「一緒でいいって。寒いのなくなるまで、僕の髪の中で温まってね」
「……うん」
ピピがばつが悪そうに返事した。
「可愛い友達ができたね、蒼愛。ここに住んでるってことは、ピピも人を喰うの?」
紅優が髪の中のピピを覗き込む。
ピピが体を震わして、蒼愛の髪の奥に潜った。
「ひ、人を喰うけど、肉とか脳とか魂とか、ちょびっとです! ちょびっとですから!」
髪の毛の中からピピが声を張っているのを眺めて、紅優が笑った。
「しばらく一緒に居てみようか」
「うん! ピピ、寒いの消えなかったら真白に温めてもらうから、教えてね」
髪の中で、ピピが頷いている気配がした。
「俺の毛の中に潜ってくれたら、いっぱい温めてやるけど。俺のとこにきたら、余計に震えそうだからな」
そう話す真白が、何となくがっかりして見えた。
「この先が人間の保管区域、我等大蛇の食糧庫となります。この先の案内は管理担当の野々に引き継ぎます」
呵々が仰々しく礼をした。
「紅優様と蒼愛様にとり、有意義な視察となりますよう、お祈り申し上げます。勿論、我々大蛇にとっても利があるように願っていますよ」
野々に目配せする。
頷いた野々を確認して、呵々は地面に潜り姿を消した。
「ここから先は俺が案内する。その前に、先日は世話になった。本当に来てくれて、感謝する」
野々が紅優に手を出した。
その手を紅優は迷いなく握った。
「こちらこそ、あの時は有意義な情報を貰えて、助かった。案内、よろしく頼む」
紅優の表情は、呵々の時より和らいで見えた。
「お隣の方は、人間ですか? 気配が半妖ですね。妖怪の番でしょうか?」
井光が野々に問い掛けた。
芽衣がぺこりと頭を下げた。
「野々の番の芽衣です。元はここに流れてきた餌ですよ。今は野々と一緒に人間の管理をしているので、今日は一緒に案内しますね」
芽衣の自己紹介に、紅優と井光が同じように顔をしかめた。
その表情を気にすることなく、芽衣が蒼愛に目を向けた。
「蒼愛様は理化学研究所の出身でしたよね。実は、俺もです」
「え! じゃぁ、芽衣さんも少子化対策の、霊元実験の被験体の……?」
芽衣が小さく首を振った。
「俺は被験体じゃなく、研究員でした。プラズマが異常発生した時、手足を焼かれて動かせなくなって、気が付いたら、この幽世に売られていたんです」
蒼愛は絶句した。
研究員が売られていた話は知らなかった。
「蒼愛様が生まれる何十年も前の話です。現世に居た頃、俺は霊能なんか使えなかった。そんな俺の霊元を見付けて育ててくれたのが、野々なんですよ」
「野々さんが……?」
野々が無表情に頷いた。
誇るでもなく、照れるでもなく、事実に頷いた感じだ。
「向こうに、大きな家屋が見えるだろう。あそこで人間を保管している。歩きながら話そう」
野々が指さした先には、紅優の屋敷の倍はあろうかというほどの家屋があった。
歩き出した野々の後について、全員が歩を進めた。
「……先に言っておくが、俺は話すのが苦手だ。わからなかったら質問してくれ」
「そういう時は、俺が補足するから、心配ないよ」
野々の言葉に間髪入れずに芽衣が言葉を足す。
さりげなく握った芽衣の手を、野々は振り払わない。
その姿を、紅優が不思議そうに眺めていた。
「仲がよろしいのですね。意外です」
井光が笑みを崩さずに言い放つ。
野々がちらりと後ろを窺って、前に向き直った。
「そうだろうな。外では大蛇は残虐に人を喰う悪者だ。間違ってはいないけどな」
「外? 領土の外の話か?」
紅優の問いに、野々が頷いた。
「俺たち大蛇にとっては、この領土が世界の総てだ。ここだけが、生きられる場所で、生きるのを許された場所だ。この場所さえ守れれば、あとはどうでもいい」
野々の目が遠くを見ている。
高台になった広い道からは、地下の総てが見通せる。
地上と同じ規模の地下には陽の光が射し、森がある。どういうカラクリかはわからないが、とても美しい景色だと思った。
「野々さんは、仲間が大事なんですね」
蒼愛の言葉に、野々が考える顔をした。
「そこまで大きくは考えていないな。俺が大事なのは芽衣だけだ。芽衣さえ元気でいてくれたら、それでいい。その為にこの場所と、大蛇を守っているだけだ」
芽衣がさらに強く、野々の手を握った。
そんな二人の姿を眺めて、同じだと思った。
(僕と、紅優と、同じだ。大事な番を守りたいから、一緒に住む国を守りたいから、だから頑張るんだ)
きっと同じように感じたのだろう。
紅優が顔を引き締めていた。
「人間の霊元を開花させていたのは、いつからだ? 今でも続けているのか?」
紅優の問いに、野々が頷いた。
「狩りをしていた昔からだ。人間は霊元の芽を持っていても開花できない者がほとんどだ。そういう霊元を芽吹かせて霊能を与える。餌としても味が上がるし、番にもできる。大蛇は番を作っても、意図せず喰ってしまう輩も多いから、数は多い方がいい」
野々の説明に、紅優が口を引き結んだ。
佐久夜のことを思い出すと何も言えないんだろう。野々は佐久夜と紅蓮の話を知らないはずだから、そういう意図はなかったろうが、気にしてしまうのだろう。
蒼愛は紅優の隣に並んで、手を握った。
「ここ数百年は、現世も狩りがしづらくなった。最近では黒曜が回してくる餌に頼っているが、その中に霊元を持っているのに未開化の子供がやけに多くいた。芽衣に聞いて、それが理研の人間だと知った」
どきり、と蒼愛の心臓が鳴った。
紅優が蒼愛の手を強く握ってくれた。
そんな蒼愛に気が付くことなく、野々が続ける。
「死にそうな子供も多いが、霊元を開花してやると少し長く生きる。健康体になれた人間を番にする大蛇も多い。お陰で大蛇にも番をもつ者が増えた。餌の数も少なくて済んで、助かっている」
紅優の手をぎゅっと握って、蒼愛は口を開いた。
「番になれない子供は、人間は、やっぱり、食べるの?」
「弱い個体や、どうやっても霊元が開花しない個体はいる。そういうのは、食料に回す。大蛇は基本、餌を丸呑みにする。ある程度嬲って弱らせて丸呑みにすると、腹の中で少しは生きているが時期に気を失う。魂が程よく恐怖と怯えに塗れて、美味い」
ぞっとして寒気がした。
芽衣が野々の手を強く引いた。
「そこまでは、話す必要ないでしょ。普通の人間は怯えるよ」
「そうだったか。確かに、蒼愛様の魂が怯えて美味そうだ。以後、気を付けよう」
野々が後ろの蒼愛をちらりと覗いて前に向き直った。
悪気がないのはわかるが、だからこそ恐ろしい。
「大蛇の食糧事情は、少しだけど理解できたよ。人間と番になっているのは、意外だね。番になっても、大蛇はやっぱり恐怖に塗れた霊力を好むの? 番を嬲るの?」
紅優の質問に、野々が考え込んだ。
「好きだよね? そういう魂」
芽衣に顔を覗き込まれて、野々が難しい顔をしている。
「けど、芽衣は……。俺が首を絞めたり鞭で打ったりすると喜んでしまうから。だが……、多少は恐怖も混じって美味いと感じるから、やはり恐怖や怯えが混じった霊力の方が美味いんだろうと思う」
野々の言葉は実感が籠って聞こえる。
紅優と井光が同じような顔で呆気に取られていた。
「そういうの、聞いたことあるぜ。SMってヤツだろ。芽衣はMなのか?」
「えす? えむ?」
蒼愛は首を傾げた。
真白があっけらかんと質問して、紅優が慌てていた。
「ダメだよ、真白。そういうのはセンシティブな話だから」
紅優たちの反応を眺めて、芽衣が笑った。
「別にいいよ。俺は現世に居た頃からゲイでドMだから、野々に攻めてもらうの大好きなんだ。最近は俺が死んじゃわないようにって野々の攻めが甘くて、物足りないんだよね。もっと苦しく痛くしてほしいのに」
芽衣が野々に不満そうな目を向ける。
「やり過ぎたら、本当に死んでしまうだろう。人間は脆い生き物だ」
芽衣のお願いを野々が、ぴしゃりと跳ねのけた。
「芽衣さんは、痛くて苦しいのが好きなの?」
問い掛ける蒼愛に芽衣が頷いた。
「あ、そっか。理研の子は世間と隔離されて育つから、戸籍を貰えないblunder以下だと、こういう話は知らないよね。うん、でも、蒼愛様はだからこそ良かったタイプな気がするね」
芽衣が蒼愛の頭を撫でる。
髪の毛の中にいるピピを上手に避けて撫でてくれた。
「世の中にはね、痛いのとか苦しいのを気持ちいいって感じる人間もいるんだよ。あ、でもね、SMは相手との信頼関係がないと危険だし、気持ち悦くもないんだけどね」
つまり、一方的な暴力ではダメ、ということなんだろう。
とても理解し難いが、本人がそういうのが好きなら良いのだろうと、蒼愛は納得した。
そういう意味では、人間を虐めたい大蛇とは相性がいいというか、ウィンウィンの関係な気がする。
「芽衣さんは野々さんに出会えて良かったんだね」
芽衣が蒼愛に向かって笑顔で頷いた。
「理研で研究員をしていた頃より、ずっと幸せ。毎晩、野々に虐めてもらえるのも、嬉しい。現世ではこういうアングラな話って大っぴらに出来なかったけど、この国では変態とか言われない。俺にとっては天国だよ」
そう話す芽衣は本当に幸せそうだった。
こういう幸せもあるのだと、蒼愛は芽衣の幸せそうな顔を見て理解した。
「ちなみに呵々の番も人間だけど、俺と似たようなMでね。プラスDOMなんだ。だから命令されるのとか大好きなんだよ。呵々ってSUB気質強めの大蛇だから、あそこも相性いいと思うなぁ」
「さぶ? どむ?」
嬉しそうに教えてくれる芽衣に、蒼愛は首を傾げた。
そんな蒼愛を紅優が抱き締めて後ろに引いた。
「芽衣さん、説明は有難いけど、蒼愛にはまだ早い話なので、そろそろ控えて。蒼愛の新たな扉が開いちゃったら困るから!」
紅優が何やら慌てている。
「大蛇の番の人間はM気質だったりMが開花してドハマりしている者も多いが、あまり具体的に話さない方がいいか」
野々が真面目に確認している。
紅優が何度も頷いた。
「俺にはSっ気ないから、蒼愛がMに目覚めても応えてあげられないから!」
そう言って蒼愛に縋る紅優は、いつもの感じだ。
何となく、呵々の時より野々と芽衣には気を許しているように見えた。
紅優の肩を井光が重めに叩いた。
「紅優様、今は視察中です」
紅優が気が付いたような顔で井光を見上げる。
そんなやり取りを眺めて、野々が笑った。
「どれだけ厳つい神様の姿で来るのかと思ったが、同じように話ができる相手で、安心した」
野々が笑う顔を初めて見て、蒼愛はちょっとだけ嬉しくなった。
「それはこっちも同じだよ。今の所、野々とならいつも通りに話が出来そうだ」
紅優が照れた顔で野々を見上げる。
野々が笑みを仕舞って、いつもの無表情に戻った。
「それは、人間の保管庫を見ても同じ気持ちでは、ないかもしれん。八俣様と話しても、また印象が変わるかもな」
その表情は少しだけ寂しそうにも見えた。
「野々は、どうして瑞穂ノ神に領土に来てほしいと思ったんだ? 他の大蛇はあまり歓迎している雰囲気でもないように感じたが」
寧々や呵々の態度は、あまり歓迎している風でもなかった。
紅優が野々を見詰める。
野々が、ちらりと蒼愛に目を向けた。
「蛇々が、死んだからだ。我等が置かれている立場や神々の態度の理由が知れた。大蛇全体とは言わんが、八俣様の側近の五蛇は瑞穂ノ神を歓迎している。態度は個性があるだろうけどな」
全員が息を飲んだ。
「僕が、蛇々を焼いたから……? 野々さんたちは、知らなかったコトが知れたの?」
野々が蒼愛に頷いた。
「少なくとも俺は、蛇々が死んで良かったと思っている。ありのままの大蛇の生態を理解してもらう良い機会だと思った。他の奴がどう思っているかは知らん。これ以上の話は八俣様から聞いてくれ」
そう言って、野々がまた歩き出した。
「俺たちは好かれる種族ではない。それは確かだ。だから自分たちを守るため、領土を拡大し他の種族を退けた。間違ったとは思っていない。だが、大きな過ちを見過ごした。その報いは受けねばならんと考えているよ」
立ち止まり振り返った野々を、紅優が見詰めていた。
野々は本当は知り得る事実の総てを紅優に話したいのだと、想いを留めているのだと、蒼愛には感じられた。




