第115話 目覚め
顔に湿気のある温もりが触れている。
きっと真白が狼姿で蒼愛の顔を舐めているんだと思った。
現世が長かった真白は狼の姿で過ごしている時間が長い。そのせいか人型になっても仕草が狼っぽい。
そんな真白が朝、蒼愛を起こす時は決まって顔を舐める。
「真白、起きる、起きるから……」
手を伸ばしたらフワフワの毛に触れた。
(こんなにフワフワで可愛いのに、浄化とかできちゃうの格好良い……。ん? 浄化?)
夢の中での出来事を思い出して、蒼愛は目を開けた。
「お、蒼愛様、起きたぞ」
真白が隣の紅優に声を掛ける。
「蒼愛、大丈夫? わかる?」
紅優の心配そうな顔を見たら、色んな思いが込み上げた。
振り返って紅優に抱き付いた。
「助けに来てくれて、ありがとう。連れていかれちゃうところだった」
思い出しただけで怖くて、手が震える。
蒼愛の体を引き寄せて、紅優が抱き締めた。
「連れていかれなくて、良かった。寝てるとこ起こしてまで抱いて、正解だったよ」
紅優が安堵の息を漏らした。
言われてみれば、怖い思いをする前に、紅優と繋がっていた気がする。
「蒼愛様が起きたって、井光さんにも声掛けてくるよ」
「頼むね」
紅優が頷くと、真白が部屋を出ていった。
「どの辺から覚えてる? どの辺から覚えてない?」
紅優に問われて考える。
「んーと、連れていかれそうになる前は……。紅優と繋がってて。その前は……、伽耶乃様の浄化をして、姿が、戻った、と思う」
首を傾げると、紅優が納得の顔をした。
「伽耶乃様の姿が戻ってすぐに、蒼愛は寝ちゃってね。また闇人が何か仕掛けてきたのかもっても思ったんだけど、あの日はかなり神力を使って、疲れたんだろうって話になってね。瑞穂ノ宮に帰ってきたんだ」
言われてみれば、人間に付いた邪魅を浄化したり、縷々たちの呪詛を祓ったり、野椎という千年ものの呪詛を解呪したりした。疲れないはずはない。
「案の定、神力がカラカラだったから口移しで流し込んだりはしたんだけど、追いつかなくてね」
「それで、繋がってくれたの?」
恥ずかしくて目だけ上向く。
紅優が蒼愛の額にキスをした。
「利荔さんに、蒼愛の神力を満たしておけってアドバイスをもらってね。闇人が意識に入り込んで何かした時、抗えるように。あと、俺たちが入り込んで助けられるようにね」
髪を梳いて撫でる紅優は、まだ心配そうな顔をしている。
「紅優は、僕の夢にも入れるんだね」
あんな風に助けに来てもらえるとは、正直思わなかった。
「あれは真白の力だよ。真白は神使でもあるからね。夢や意識に入り込めるんだ」
「そうなんだ」
神様のお告げなどは神使が届けたりするから、そういう関係なんだろうか。
蒼愛の夢に入り込んだ闇人を噛んで浄化していたし、真白の神力も強い。
「蒼愛の中に異物が入っているって、早い段階で真白が気が付いたんだけどね。俺も一緒に入り込むのに手間取って遅くなっちゃったんだ、ごめんね」
蒼愛はぶんぶんと首を振った。
「真白が気付いてくれたから、僕の所に紅優を連れてきてくれた。二人で助けに来てくれて、ありがとう」
ヒルに言われた言葉を思い出した。
『贅沢者』
その通りだと、蒼愛も思う。
(僕の身に危険が迫った時、助けに来てくれる相手がいて、心配してくれる皆もいる。なんて恵まれているんだろう)
ヒルの言葉がやけに引っ掛かるのは、少し前の理研に居た頃の自分と重ねているだけではない。
あの言葉に、ヒルの本音が隠れているような気がするからだ。
(この国を壊せと迫ったヒルも、自分を殺してって懇願したエナも、僕に声を掛けた)
ヒルもエナも蒼愛と同じだと、闇人は言った。
「ねぇ、紅優。不具って、何?」
紅優の髪を梳く手が止まった。
「……出来損ないって意味だよ」
「そっか……」
理研で読んだ日本の神話にもあった。
最初に生まれた子は出来が悪くて葦舟で流した、そんな話があった。
「出来損ないだからって葦舟で流すって、神様も人間とやってること、変わらないね」
理想から離れたガラクタだから売り捨てる。
理研のbugやblunderと扱いは同じだ。
だからあの闇人は蒼愛を、何者にもなり切れない闇人や不具の子であるヒルやエナと同じだといったのだろう。
「蒼愛……」
「紅優、僕、やっぱりヒルとエナを助けたい」
蒼愛は紅優を見上げた。
「理研で生まれたガラクタの僕が助けなきゃ。助けて、一緒に幸せになるんだ。不具の子でもbugでもblunderでも幸せになれるって、一緒に証明するんだ。一人前に生きられるって証明するんだ」
それは芯とも保輔とも交わした約束だ。
紅優が目を見開いて蒼愛を見詰めている。
「闇人のやり方は、僕も好きじゃない。他人を利用するやり方は狡いし、弱いから強い者を利用していいって考えも、嫌いだ。でも、ヒルとエナは違うと思うんだ」
人間の浄化の時、空で蒼愛に話しかけてきたエナも。
蒼愛の魂に語り掛けてきたヒルも。
二人の神様からの声は、蒼愛へのSOSだ。
「ヒルとエナは助けてって言ってる。僕にはその声が聞こえた。聞こえた僕が助けなきゃ、ううん、助けたい。まだ魂の返し方とか、わからないけど、ちゃんと向き合って、考えたいんだ」
紅優の腕が伸びてきて、蒼愛を抱き包んだ。
「良かった。ちゃんと蒼愛だ。夢の中で、蒼愛は考えるのを放棄してしまったから、そのままだったら、どうしようって思ってた」
紅優の声と表情にやっと安堵が戻った。
夢の中では言葉で責められて、何もかも嫌になって手放したくなった。
「あれも闇人の呪術かな。怖い気持ちとか不安とかでいっぱいになって、考えるのが嫌になって、どうでもよくなって、昔みたいに命令に従っているのが楽って、思っちゃった」
隣に紅優がいてくれる今だったら、同じ言葉をぶつけられても思考を放棄したりはしない。
「意識の中なんて、闇人の:領域みたいなものだからね。むしろ蒼愛は頑張って耐えたと思う。魂を真っ黒に染められてもおかしくない相手だからね」
紅優の説明に寒気が走った。
「またあんな風に襲われるかな」
紅優がニコリと笑んだ。
「ウチには神獣が二人いるから。何があろうと、助けられる。けど、心配だからもう少し対策を打ちたくてさ。蒼愛が元気なら、明日にでも日美子様の日ノ宮に行こうと思うんだ」
「日ノ宮?」
蒼愛は首を傾げた。
「日ノ宮に、伽耶乃様が滞在してるんだよ。蒼愛が寝ている間に緊急の寄合を開いて、満場一致で伽耶乃様の土ノ神入宮が決定しているから、あとは俺が預かってる土の神力を伽耶乃様に与えるだけなんだ」
感心して聞きながら、ふと思った。
「僕が寝ている間に、寄合があったの? 僕、どれくらい寝ていたの?」
「えっと、三日……今日で四日目かな?」
紅優が思い出すように数えている。
相変わらず、長く寝てしまう自分を呪う。
「いつもいつも、ごめん。ずっと起きないと紅優が心配になるよね」
「寝て蒼愛が元気になってくれるなら、構わないよ。寝ている間に何かあっても、今回みたいに助けに行ける」
微笑んで蒼愛の髪を撫でてくれる紅優を、ぼんやり見上げる。
(紅優、前より強くなった。どっしり構えて、神様みたい)
以前の紅優なら、失うことを恐れて不安になって、守れない自分を責めていた。
今は周りに頼ったり対策を考えたりしながら、明るい未来の方を向いている気がした。
「紅優、格好良い。前よりいっぱい格好良くて、いっぱい好き」
思わず本音が零れた。
髪を梳く手が蒼愛の頭を抱き寄せた。
「俺も大好きだよ。一緒に居ればいるほど、蒼愛が好きになる。魂の色なんか、気にならないくらい」
紅優が蒼愛の頬に口付けた。
「蒼愛の全部が好きだから、守るよ。魂の欠片を返しても、蒼愛は渡さない」
「うん。僕の我儘、聞いてくれて、ありがとう」
「我儘じゃない。蒼愛と国を守るために俺がしたいんだよ」
唇に、頬に鼻に額に耳に、沢山口付けられて、気持ちがぼんやり温かくなる。
この腕の中で、優しい温もりにずっと抱きしめていて欲しいと思った。




