第114話 夢の中
ぴちゃりくちゃりと頭の中に水音が響く。
生温かい舌が絡み合っているのが分かった。
腹の中に紅優がいるのだと気が付いたら、快感が頭を突き抜けた。
「……ぁ! 美味し……、こうゆぅ、もっと……」
もっと深く繋がりたくて、紅優を喰いたくて、腕が紅優を掴まえる。
唇に噛みついて神力を吸い上げた。
流れ込んでくる清浄な気が余計に快楽を増長させる。
「蒼愛、いつもより、可愛い……。もっと喰って、俺を、喰って……」
紅優の瞳に劣情が浮いて、求める蒼愛を更に強く攻める。
腹の奥の更に奥に紅優がはまり込んで、一際強い快感が背筋を駆け上った。
「ぁあ! 強いっ、きもち、ぃ……、でちゃぅぅ……」
散々汚れた腹の上に、また射精してしまった。
新たに吹き出た白濁を指で掬い上げて紅優が舐め挙げた。仕草の総てが艶っぽくて、それだけでイきそうだ。
「もう何回も達してる。気持ち善くなって蕩けてる蒼愛、美味しい……。あぁ……、好きだよ、蒼愛、大好き……」
満足そうに蒼愛の首を舐めあげて、顎を食む。
噛まれた場所が痺れて、腹が疼いた。
「たくさん頑張ったご褒美に、いっぱい気持ち善くして、お腹いっぱいにしてあげるからね」
紅優の男根が蒼愛の深くまでを突いて、手前の善い所を何度も擦る。
「ムリぃ……、こんなに、きもちぃの、しんじゃぅぅ……」
唇を吸われて神力を吸い上げられる。
駆け上がる快感と一緒に精液が吹き出た。
「死なせない。けど、死にそうなほど、気持ち善くなろうね。蒼愛の心も体も満足するまで、愛してあげるよ」
耳を舐めて食んで流し込まれる言葉が呪文のようで、蒼愛は素直に頷いた。
腹の中に感じる熱くて硬い男根も、胸の尖った突起を弄る指も、耳に掛かる吐息も、はらりと落ちてかかった髪すら、気持ちいい。
紅優の頬から流れた汗を舐めとって、蒼愛は縋り付いた。
「僕の中、全部、こうゆぅにして。溢れちゃっても、全部、食べるから。誰にもあげない、ぼくの、こうゆぅ」
唇に吸い付いて神力を飲み込む。
もう何度目になるかもわからない行為を繰り返す。
神力が体に沁み込んで、快感が増す。
蒼愛の意識はまた、霞んでいった。
〇●〇●〇
目を開けたら、真っ暗だった。
前にも暗い場所に立っていた気がする。だが、あの時とは違う。
とても不気味で、寒くて、酷く禍々しい。
(どこだかわからないけど、僕はここが好きじゃない)
そう思いながら歩き出した。
蒼愛の右手には万華鏡が握られていた。
(いつの間に持っていたんだろう。僕を守ってくれる、僕の宝物)
この万華鏡を持っているのなら、きっと自分を守らなきゃいけない状況だ。
何となく、そう感じた。
『やっと辿り着いたよ、蒼愛』
声が聞こえて、振り返る。
真っ暗な闇の中に真っ白な長い髪が浮かんでいた。
時の回廊で会った時のように、目は赤くない。
広がる闇と同じように、真っ暗だ。
「どうして最初から名乗らなかったの? どうして八俣の振りなんかして、僕を騙したの?」
男の真横で、小さな闇が弾けた。
『私は八俣だと名乗っていないよ。蒼愛が勘違いしたから、合わせてあげただけだよ』
蒼愛の目の前でまた、闇が弾けた。
「どうして、人間を暴れさせたりしたの?」
闇の中に、白い光が花火のように弾けた。
表情がなかった男が初めて、小さく顔をしかめた。
『蒼愛に気付いてもらうため。私とエナを紹介するためにだよ』
蒼愛は万華鏡を握り締めた。
「伽耶乃様を野椎にしたのは、何で? 全部、大蛇の、八俣のせいにしたのは、何で?」
蒼愛の周りで白い光がいくつも弾けた。
『蒼愛、怒ってる?』
ぐっと唇を噛んで、蒼愛は顔を上げた。
「怒ってるよ。全部、他人のせいにして、他人に押し付けて、自分は安全な場所に隠れて。そのせいで誤解されて、しなくてもいい嫌な想いや損をしてる相手がいるのに。僕はそういうやり方が、好きじゃない」
男の後ろで、大きな闇が一つ、弾けた。
『どうして? 蒼愛は私たちと同じでしょ?』
男の周りで小さな闇がいくつも弾ける。
「同じって、何?」
男が首を傾げた。
『エナとヒルは不具の子、私は成りそこないの怨霊、蒼愛はガラクタと捨てられた失敗作の人間。みんな、要らない命でしょ』
ドキリと、心臓が下がった。
蒼愛の周囲で、闇が小さく弾けた。
『不完全な生き物が、完全な生き物に寄生して何がいけないの? 持っている者から奪って、何がいけないの? 幸せに生きている奴がちょっとくらい不幸になったって、私たちの不幸に比べたら些細な出来事でしょ』
蒼愛は呆気にとられた。
今まで、そんな考えをしたことがなかった。
「僕は、その考え方が、嫌いだ」
男が反対側に小首を傾げた。
『そうか、蒼愛は色彩の宝石になって幸せになったから。完璧になれたから。幸せな側の人間になって、忘れちゃったんだね』
「違う!」
思わず大声で怒鳴っていた。
「理研に居た頃だって、そんな風に考えたことない。他人を不幸にしてまで幸せになろうなんて、考えなかった。むしろ僕は……」
こんな辛い状態が続くなら、死んでしまいたいと思った。
保輔みたいに生きるために環境を変えるのではなく、目の前の男のように恵まれた人間から奪うのでもなく、ただ自分という世界を壊して、終わらせてしまおうと思った。
蒼愛の目の前で、闇が大きく弾けた。
『ホラ、やっぱり同じだ。壊して終わらせる。自分でも世界でも、同じだよ』
男がニタリと笑んだ。
真っ黒い瞳が笑む様は異様で、気味が悪い。
「違う、同じじゃない。僕は、自分だけ死ねばいいって、一人で終わればいいって」
蒼愛の周りで小さな闇がいくつも弾ける。
怖くて、後ろに後退った。
『人間は浅ましくて卑しい生き物なんだ。いざとなれば自分のために他人を犠牲にして、仕方なかったの一言で終わりに出来る。言訳しながら平気で命を踏み台に出来る生き物だよ』
後ろに下がった足がもう一歩、後ろに下がる。
走って逃げ出したいのを、ギリギリで耐えた。
(逃げたら、ダメだ。逃げたらきっと、飲まれちゃう)
さっきからずっと周囲で弾けている闇に飲まれるのだと思った。
『ガラクタの蒼愛になら、きっと理解できる。私の気持ちも、ヒルとエナの気持ちも』
気が付いたら男が目の前にいた。
感情のない黒い瞳が目の前に迫る。
逃げたいのに腕を掴まれて、動けない。
『一緒に、このくだらない世界を終わらせよう。幽世を壊して、現世を壊しに行こう。蒼愛になら、できるよ』
懸命に腕を引きながら、逃げそうになる心を強く保った。
「嫌だ、僕は、この世界が好きだ、僕は……」
男が耳元に顔を寄せた。
『蒼愛の魂がどうして綺麗なのか、教えてあげる。エナの魂の欠片が混じっているからだよ。エナの魂はね、ヒルに引き千切られて欠片が現世に迷い込んだの。それを拾った呪具収集家から理研が買い上げた。エナの魂の欠片は、理研で蒼愛に移植されたんだよ』
予想していたような話だと思った。
神様の魂の欠片が混じっているなんて、理研絡みしか想像できない。
蒼愛が生きてきた場所なんて、理研か瑞穂国しかないのだから。
「どうして、そんなこと、知って……」
体が震えて、言葉が続かない。
『ずっと見ていたからだよ。蒼愛が現世にいる頃から、ずっと。私は追いかけてきたんだ、お前の魂をね』
ビクリと大きく体が震えた。
逃げたくて足が引く。
男が蒼愛を引き寄せた。
『怖いよね? 逃げたいよね? だって蒼愛は気が付いたんでしょ? この幽世が壊されるのは、エナとヒルが動き出すのは全部、蒼愛のせいなんだ。エナの魂の欠片を持つ蒼愛がこの国に来たから。眠っていた災厄の神が目を覚ましたんだよ』
怖くて足まで震える。
腕を引くのに、男の手が全然離れない。
「僕の、せいじゃ、な……」
『逃げるの? 蒼愛もやっぱり、他人のせいにするの? 自分のせいじゃないって、言うの?』
そういうつもりじゃない。
誰かのせいにしたいわけじゃない。
『奪った魂のお陰で綺麗な魂になって、妖狐に愛されて色彩の宝石になったくせに。蒼愛だって他人のモノを奪って幸せになったくせに。この世界を壊す元凶のくせに』
蒼愛の目の前で闇がいくつも弾けた。
「そんな、だって、そんなの、僕は知らなくて……」
闇がいくつも弾けて、目の前がどんどん暗くなる。
飲まれてしまいそうだった。
『知らなければ、何をしてもいいの? 奪われたエナが不幸でも、蒼愛は平気なんだね。魂を盗んだままで、自分が国を壊す原因のくせに、エナとヒルを殺して、英雄気取りで救ったつもりになるの? さぞ気分がいいだろうね』
何度も何度も、首を振る。
「そんなつもりじゃない。そんな風にしたいんじゃない」
怖くて体が震える。
体に力が入らなくて、蒼愛はその場にしゃがみこんだ。
「僕は、どうしたらいいの。どうしたらみんな救えるの?」
男がまた、蒼愛に耳を寄せた。
『エナに魂の一部を返せばいい。私と一緒においで、蒼愛。蒼愛を救えるのは、同じガラクタの私だけだよ』
「同じ、ガラクタ……」
顔を上げたら、目を手で覆われた。
考えるのが嫌になって、頭を真っ白にしたくなった。
腕を引かれて立ち上がる。目を閉じたまま、蒼愛は歩き出した。
『そう、何も考えずに、私とおいで。私と共に、この世界を壊そう』
「一緒に、この国を、壊せばいいの……」
もうそれでいいような気がした。
言われた通りにして、楽になりたい。自分で考えるのは辛い。
(もう、いいや。昔は、ずっとそうしていたんだから。命令通りに生きていただけ、だったんだから)
理研で暮らしていた頃と同じように、心を殺してしまえば、楽になれる。
蒼愛は腕を引かれるままに男と歩いた。
『ダメだよ、蒼愛』
紅優の声が頭の中に響いた。
立ち止まり、閉じていた目を開く。
『蒼愛はもう、からくり人形じゃない。自分で考えて自分で答えを出せる。放り出しちゃダメだよ』
右手に握った万華鏡が熱い。赤い光を放って、暗い闇を焼いた。
焼き切れた闇の隙間から、白い何かが飛び込んできた。
蒼愛を掴む男の腕を真っ白な狼が嚙み千切った。
「真白……」
ぼんやりする蒼愛の体を後ろから引く腕があった。
「紅優……」
慣れた体温が後ろから蒼愛を抱きしめた。
「助けに来るのが遅くなって、ごめんね」
蒼愛を腕の中に庇って、紅優が男に向き合った。
二人を庇う位置で、真白が前に出て呻った。
「闇人は怨霊の集合体って噂は間違ってなさそうだね。お前、名無の一部だろう」
紅優を眺めていた男がニタリと笑んだ。
「もう少しだったのになぁ。まさか夢の中にまで助けに来るとは思わなかった」
「今までのやり方を考えれば、可能性の範疇だ。対応策くらい考えるよ。そっちには災厄の神がいるんだろ? 蒼愛を使わなくても、国くらい壊せるだろう」
紅優が男を睨みつけた。
「わかっていないようだ。魂の欠片を持つ蒼愛も災厄の神だよ。一緒にこの国を壊すんだ。最期は壊し合ってくれたら、尚良いね。また蒼愛を貰いに来るよ。自分から差し出してくれても、いいけどね」
男の姿が闇に溶ける。
「待て! 逃がすか!」
真白が後を追って足に噛み付いた。
男が真白を見下ろす。表情がないようで、驚いているようにも感じた。
「おい、犬。何故、噛みつける? そういえばさっき、腕を噛みちぎって……。あれは、まさか」
「俺は狼だし神獣だ。今は紅優様と蒼愛様の神力も貰ってる。お前くらい浄化できる」
真白が噛みついたところから白い煙が上がる。
男の黒い体が徐々に白い灰になっていく。
「一体くらい祓っても本体は無事なんだろう。確実に潰しに行くよ。お前たちのやり方は、大蛇より気に入らない」
灰になった男が、紅優に向かい、楽しそうに笑んだ。
その顔も白く染まって灰になり、風もないのにボロリと崩れて流れ消えた。
「蒼愛、大丈夫?」
声を掛けられて頷いた。
まだ頭がぼんやりしている。ただ、紅優がとても怒っていたように見えた。
「起きてからゆっくり話そうと思うけど、話しできそう?」
蒼愛はもう一度頷いた。
「じゃぁ、真白に乗って、一緒に戻ろうか」
一緒に、と言われて、ようやく安心できた。
紅優に抱き付いて着物を強く掴んだ。
「一緒に、帰る」
縋りつく蒼愛を紅優が大事に包んでくれた。




