第111話 私を見付けて
肩を激しく揺さぶられて、蒼愛は顔を上げた。
「……蒼愛、蒼愛!」
見上げると、紅優が心配そうな顔をしている。
「ぼんやりして、何か呟いてたよ。何か、考えてた? それとも何か、聞こえた?」
まだフワフワした頭で、蒼愛は頷いた。
「うん……。時の回廊から最初に聞こえた声ね、あれ、ヒルだったんだ。だからね、壊さなくても、僕が助けに行くよって、大丈夫だから待っていてって、伝えたよ」
フラフラする体を紅優が支えてくれる。
「あの声が、災厄の神の声……! 蒼愛!」
呟いた志那津が紅優と一緒に蒼愛の傾いた体を支えた。
「有り得なくはないね。内容的にも、災厄の神と言われた方がしっくりくる」
月詠見と日美子が近寄って、蒼愛の体を横たわらせてくれた。
やけに体が重い。体がどこかに沈んで行ってしまいそうだった。
「大蛇がしていたと思われるマーキングも、種も、もしかしたら名無や災厄の神の仕業だったのかもしれないね」
利荔が蒼愛の体に触れている。霧疾が頭を確認している。
前に、蒼愛の記憶がなくなって、声が聞こえた時と同じだ。
「マーキングなんか必要ねぇよ。魂の欠片が既にマーキングだ。少なくとも同じ魂のエナは蒼愛に好き勝手し放題だろ」
霧疾の声が焦っているし怒っているように聞こえる。
どうしてか、皆が慌てているように感じる。
「蒼愛、蒼愛! 返事して! 俺の声が聞こえる? 手を握っているの、わかる?」
紅優の必死の叫びが遠くなる。
(皆、どうして慌てた顔してるんだろう。僕は大丈夫なのに。何ともないのに)
心配しないでと叫びたいのに、思うように体が動かない。
『欲しい、蒼愛。エナの魂の欠片を持つ宝石。早く会いに来て。私を、見付けて』
頭の中に声が響いた。
この声は、魂から聞こえる声なんだと思った。
「わかった。必ず見付ける。僕が二人を、会わせてあげるから。だからその時に、本当に欲しいものを、教えてね」
ヒルもエナも蒼愛が欲しいという。
けれど、本当に欲しいのはもっと別な、もっと大事なものなんじゃないかと思った。
「蒼愛、誰と話しているの? ヒルと、話してるの?」
紅優が蒼愛に問い掛ける。
そうだよと返事したいのに、どうしてか、声が出せない。
(紅優、紅優に触れたい。紅優と話したい。僕が一番大事なのは紅優だよ。僕から紅優を奪わないで。お願いだよ)
目の前の紅優の悲しそうな顔を見ていると、蒼愛も悲しくなる。
『紅優がいなくなったら、蒼愛は私を愛してくれる? 私だけの蒼愛になってくれる?』
魂から聞こえた声に、全身が冷たくなるような恐怖を覚えた。
「ヒルの蒼愛には、ならないよ。紅優がいなくなったら僕は、ヒルもエナも、壊しちゃうかもしれない。全部、要らなくなっちゃうかもしれない」
目の前の紅優が表情を止めた。
「蒼愛……」
紅優が蒼愛の手を強く握った。
『紅優を奪ったら、蒼愛がこの世界を壊してくれる?』
まるで誘導するような声に、蒼愛は首を振った。
振ったつもりだったが、体が上手く動かない。
「壊さない。壊したくない。紅優以外にも、大事な皆がたくさん住んでるこの国を、壊したくない」
声が、怒気を孕んだ気がした。
『贅沢者。愛する番以外にも、たくさんの愛に囲まれて生きる。同じ魂の欠片を持っているくせに、お前ばかりが愛される。たった一つの愛じゃ満足できない、贅沢者』
その通りだと思った。
紅優の愛さえあればいいと思っていた。今は沢山の愛に囲まれて、蒼愛は生きている。
少し前まで誰にも認識すらされない、名前も持たない被験体だったのに。
「本当に贅沢だね。誰にも愛されなかった僕が、こんなにたくさんの愛に囲んでもらえるなんて、思ってなかった。だから僕も、愛を送るよ。ヒルに愛を送りたいから、会いに行くよ。だからお願い、壊さないで。僕に生きていいって言ってくれた紅優も、大事にしてくれる神様や側仕の皆も、この国も、僕の大事な宝物なんだ」
蒼愛は必死に叫んだ。
「誰かの大事なモノを奪っても、きっと幸せになんか、なれないよ」
声の怒気が、静まった気がした。
『蒼愛と、もっと話してみたい。だから、待ってる。会いに来て。私を、見付けて。きっとだよ』
蒼愛は何度も頷いた。
「必ず行く。待っていて。必ず、助けに行くから……」
顔の上に、知っている温かさが乗った。
前にもこんなことがあった気がする。
(えっと、祭祀の時の野椎が乗っかってきた、あの感じだ。色彩の宝石の熱を感じる)
フワフワのクッションのような感触と温かな熱で、ぼんやりしていた頭がはっきりしてきた。
「蒼愛! 蒼愛!」
スゼリの声が聞こえて、蒼愛は野椎を持ち上げた。
「……スゼリ? どうしたの? どうして、ここにいるの?」
涙目のスゼリが蒼愛を見下ろしていた。
「どうしてじゃない、蒼愛の馬鹿! いつもいつも、一人で危険な真似して、紅優様を困らせて、皆に心配かけて、馬鹿!」
何故か、とても怒られている。
いつもなら様付けで呼ぶのに、今日は呼び捨てだ。
野椎を抱いて、蒼愛は起き上がった。
「ヒルとお話してただけだよ」
起き上がってみると、何となく皆がスゼリと同じ顔をしていた。
淤加美や志那津は勿論、日美子や月詠見も心配そうな顔をしている。
利荔と霧疾は蒼愛の体に触れたままだ。
(そういえば僕、皆と話をしながら急に、時の回廊から聞こえた声を思い出して)
いつの間にかヒルと話し込んでしまった。
「紅優……!」
名前を呼んだら、抱き締められた。
改めて、手の温もりに気が付いた。ずっと手を握ってくれていたんだと思った。
「えっと、僕、そんなにどうにかなってたの?」
紅優が激しく頷いている。
「真っ黒い闇に飲まれそうになって引き上げんのが大変だったのよ」
霧疾が疲れた顔で教えてくれた。
自分の体を改めてみて、ぞっとした。黒い残滓が所々に残っている。
利荔が霧疾と同じように疲れた声で安堵の表情をしている。
「話をしているのは、わかったよ。蒼愛の声だけは聞こえていたからね」
「ヒルかエナか名無だろうとは予測していたが、ヒルだったか」
志那津も、安堵の息を吐いていた。
蒼愛の手を握り続けているスゼリを、志那津は叱らなかった。
敬称なしで呼んでも、罵倒しても、そういえば怒っていない。
「一先ず良かったよ……」
「蒼愛といると退屈しないねぇ。ひやひやしっぱなしだけどね」
日美子と月詠見が、同じような息を吐いていた。
二人が散々浄化術を使ってくれたのも、神力の残滓でわかった。
「心配かけて、迷惑かけて、ごめんなさい……」
蒼愛は小さく頭を下げた。
皆、疲れた顔ながら、笑ってくれた。
「蒼愛、紅優にちゃんと只今を言ってあげなさい」
淤加美に言われて、蒼愛に抱き付く紅優に手を伸ばした。
「心配かけて、ごめん。ちゃんと、戻ってきたよ」
紅優が、きゅっと強く蒼愛を抱き締め直した。
「俺にとっても、蒼愛は宝物だよ。蒼愛と生きるこの国も、宝物だ」
それはヒルと交わした会話の一つだ。
そういえば利荔が蒼愛の言葉は聞こえていたといっていた。
「うん、宝物だよ。僕は紅優がいなきゃ、どう生きたらいいか、わからない。だから、離れないよ」
紅優を抱き返して、慣れた温もりに安堵した。
蒼愛を包んでくれる体温がいつもより熱くて、申し訳ないのに嬉しかった。




