第110話 声の正体
治療と浄化を終えた陽菜たちの状態を再度確認して、蒼愛たちは癒しの間を出た。
水ノ宮には神々と側仕が集まっていた。
南側に予防線を張って警戒している火産霊と吟呼だけは、まだ仕事に就いているのか、いなかった。
「縷々たちは、どうだい?」
淤加美が紅優に歩み寄った。
涙目で瞼を腫らしている蒼愛が気になったようだ。
「呪詛と瘴気の浄化はできました。妖力が回復すれば目を覚ますと思います」
蒼愛を気遣いながら紅優が微笑む。
淤加美を始めとした一同に安堵の空気が流れた。
「水ノ宮の治癒班を待機させよう。世流、一緒に診ていてくれるかい」
「わかりました」
淤加美に指名されて、世流が待ち構えていたように癒しの間に入って行った。
心配で居ても立ってもいられない雰囲気が伝わってくる。
普段は自由な陽菜を叱ったり諫めている世流だが、やはり番を愛しているのだなと思った。
「俺も一緒に診てくるよ」
紅優に言い添えて、真白が世流の後を追った。
紅優と蒼愛の神力を受けている真白は、その場に居るだけで他者の術の効果を上げてくれる。
大口真神でもある神獣の真白は多才だと思う。
それだけでなく、世流が心配でもあったのだろう。ぼんやりしているようで気が利くし優しいのが真白だ。
「さて、紅優様。私に何の相談もなく地上に降りたわけですので、暴動を抑えられた経緯くらいは、ご報告いただけるのでしょうね?」
淤加美の笑顔が迫力があって、怖い。
小さくなる紅優の遥か後ろで、霧疾と利荔が一緒に小さくなっていた。
「利荔と霧疾からは一通り、話を聞いた。ウチの側仕が無礼を働いた件に関しては、謝罪いたします」
志那津が紅優と蒼愛に向かって頭を下げた。
どの辺りが無礼にあたるのか、蒼愛にはよくわからなかったが、とりあえず合わせて頭を下げておいた。
「でも紅優と蒼愛の自由な行動のお陰で、七日も続いた人間の暴動は治まったし、主犯もわかりそうだし、見付けられなかった神の存在も明らかになったんだから、収穫の方が大きいよね。ご活躍だね、瑞穂ノ神様」
月詠見に労われているのかよくわからない言葉を掛けられて、紅優が更に小さくなっていた。
「蒼愛が大蛇まで誑し込んだって聞いたけど、本当かい?」
日美子に聞かれて、蒼愛はぶんぶんと首を横に振った。
「でもさぁ、野々があんなに話してくれるのなんか、珍しいよ。どう考えても蒼愛様が地上に降りてくれたお陰……、はい、ごめんなさい、反省します」
霧疾が志那津に睨まれて途中で言葉を飲んだ。
淤加美が重い息を吐いた。
「一番確認したいのは、野々が死の神と呼んだエナという少年と名無という闇人の話だ。蒼愛は会話をしたんだろう? どんな話をしたんだい?」
紅優が蒼愛を窺いつつ口を開いた。
「実は今、俺も蒼愛と、その話をしていたばかりなんですが……」
蒼愛が実際に起きた出来事を語りつつ、紅優が補足をしながら状況を説明した。
話が進むにつれ、いつものように笑んでいた月詠見から笑みが消え、淤加美の眉間の皺がどんどん深くなった。話し終わった頃には皆の表情も雰囲気も、かなり重くなっていた。
「どうやら間違いなさそうだね。私の探し物の最後の一つが、見つかってしまったようだ」
淤加美が難しい顔のまま呟いた。
「私の探し物は三つ。一つはこの幽世を守るべき瑞穂ノ神、もう一つは、失われた色彩の宝石と、窃盗犯。三つ目が、理を壊し世を壊す不具の神子、災厄の神ヒルとエナ」
紅優が、ごくりと息を飲んだ。
淤加美が続ける。
「災厄の神ヒルとエナは、現世から流されて幽世に流れ着き、流れ着いた国を壊しては、また次の国へ流れる。幽世を壊して回っている破壊神の噂は有名だ。瑞穂国は長らく色彩の宝石という理を失い不安定だった。既に潜んでいてもおかしくはないと、考えていたんだ」
紅優が顔を引き攣らせて頷いた。
「野々は明言はしませんでしたが、エナは闇人名無と関わりがありそうです。大蛇とも繋がりがありそうな含みを感じました。大蛇の長の八俣は何かを知っているのかもしれません。時の回廊で俺たちが八俣だと思った相手は、どうやら名無だったようですから、無関係ではないんでしょう」
紅優に視線を向けられ、蒼愛も頷いた。
神々が訝しい顔をした。
「八俣の容姿を知らない僕らが、会った瞬間に八俣だと思い込んだのは、僕が会いたいと思っていただけじゃなくて、名無がわざと僕らに話を合わせていたからってだけでもなくて。それが名無の呪術だからだと思うんです」
蒼愛の言葉に、後ろの利荔が思い付いた顔をした。
「なるほど、闇人が得意な呪術や呪詛は現世の人間が使う、意識操作が主だね。死の瘴気は大蛇も闇人も使える。紛れ込ませれば、違和感はないね」
紅優が利荔の説明に頷いた。
「野々の情報提供は、有益でした。俺たちを視察へ誘導する意図もあったかもしれませんが、だったら余計に内容は信用できる」
紅優の言葉に、蒼愛は続けた。
「むしろ僕は、野々さんが精いっぱい知っている事実を話してくれたように感じました」
更に言うなら、闇人に良い印象はないようにも感じた。
「俺も、そう感じたよ。きっと蒼愛のお陰だね」
紅優が蒼愛の髪を撫でる。
同じように感じてくれていたのが嬉しかった。
「つまり、八俣の振りをして時の回廊から蒼愛と紅優に語り掛けたのは、闇人の名無か。どうして八俣に成りすます必要があったのかも気になるけど、目的の方が今は大事かな。目的はやはり、蒼愛の中にあるエナの魂の欠片、なんだろうね」
月詠見の目が、いつもより鋭い。
それだけ大事なんだろうと思った。
「欠片とは言っても、もうすっかり蒼愛の魂と同化しちまっているだろ? 返せるもんでもない。返さないと、エナと蒼愛は、どうにかなっちまうのかい?」
日美子が蒼愛の魂を見詰める。
他者の魂が混ざっているなど、指摘されなければわからないくらいに、蒼愛の魂は蒼愛の色だ。
「エナは、本当は死の神でも破壊の神でもないです。壊れた世界を元に戻してくれる、再生の神様なんです。今は魂の欠片が僕の中にあって不完全だし、誰かに魂を汚されているから、死の神になっちゃっているだけなんです。だから……」
返さないといけない。
けれど、魂を返したら、自分は死ぬのかもしれない。
そう思うと怖くて、言葉が続かない。
震える蒼愛を紅優が抱き寄せた。
そんな蒼愛に、淤加美が歩み寄り、目線を合わせた。
「蒼愛、私は今から、神としてあるまじき発言をするよ。蒼愛を生かすため、エナを殺す選択をしては、いけないのかい?」
蒼愛は、ぐっと口を引き結んだ。
「淤加美様は神々を代表して提案してくれている。俺たちも同じ思いだ。俺はエナより蒼愛を救いたい。他の世界の死の神や再生の神より、瑞穂国の理である色彩の宝石の方が大事だ」
志那津も身を乗り出して蒼愛に迫った。
何も言わない月詠見と日美子の顔も、同じ思いだと語っている。
神々の想いが有難くて、同じくらい怖くて、目が潤む。
「僕は、エナを救いたい。けど、僕も、死にたくない。どうすればいいか、わからないです」
声が涙でつまって小さくなった。
魂の欠片を戻したら、今のままの自分でいられるのか、わからない。
生きていられるのかも、わからない。
欠片だけを戻して、蒼愛の魂を返してもらえるのかも、わからない。
そもそも返し方が、わからない。
(生きていたいって、紅優と番になって何回思っただろう。エナを犠牲にしないと僕は生きられないのかな)
「返し方は、蒼愛にもわからないそうです。だから、蒼愛もエナも救える方法を探します。それを蒼愛が望んでいるから」
紅優が蒼愛の肩を強く抱く。
その温もりに安心できた。
「大蛇の領土へ視察に行けば、名無を始め多くの情報が得られるはずです。もう一人の神、ヒルについても、知れるかもしれない。そうすれば、何か手掛かりが探せるかもしれません」
淤加美の顔が曇った。
その顔のまま、紅優を見上げた。
「破壊神、災厄の神はむしろヒルだ。幽世を壊して回っているのは主にヒルだからね。エナがいる以上、ヒルもこの国に居るのだろうが。接触は危険かもしれないよ」
紅優が穏やかに淤加美を見下ろした。
「それでも、会わないわけにはいきません。この国の瑞穂ノ神として、ヒルとエナに会って、どうすべきか考えます」
淤加美が思いつめた顔をした。
「紅優も蒼愛も、失う訳にはいかない。必要と判ずれば、私がヒルとエナを処分する。それは頭に入れておいておくれ。判断が遅れれば他の幽世同様にこの国は壊される。それだけは、避けねばならない。神殺しと謗りを受けようとも私は瑞穂国を守る選択をするよ」
「淤加美様……」
淤加美が立ち上がり、紅優に向き合う。
返事が出来ないでいる紅優を、蒼愛はぼんやり見上げた。
(なんだろ、頭がぼんやりする。淤加美様の声が上手く聞き取れない)
まるで魂が拒絶するように、声を弾く。
代わりに別の声が聞こえた。
『……憎い、私を捨てた者たちが。嫌い、みんな喰われて消えればいい。総て壊れてしまえばいい、人も妖怪も神も、この世も。何もかも、消えてなくなればいい』
魂が震える。
唐突に理解した。
(この声は、ヒルだ。あの時、聞こえた声は、大気津様でも八俣でもない。災厄の神の声だったんだ)
あの時は感じなかった。
しかし今は、やけに怯えて聞こえた。
『お前が壊しなさい、蒼愛。この世を何もなかった頃に戻すの。お前は意志を持つ色彩の宝石。私の敵になってはいけない。神々にかどわかされては、いけない。真実を知りなさい』
エナが望まなかった破壊を、ヒルは望んでいる。
それが酷く悲しかった。
(どうしてヒルは壊したいのかな。怖いのかな。壊さないと壊されちゃうからって、そんな風に思うのかな……)
御披露目の時の須勢理のように、攻撃する前に攻撃して自分を守っているのかもしれない。
壊される前に壊して、また別の場所に、自分を受け入れてくれる場所を求めて、彷徨っているのかもしれない。
(敵には、ならないよ。僕はヒルとエナの味方だよ。神様は騙そうとなんかしてない。守ろうとしているだけなんだ。僕やこの国を守りたいだけなんだよ)
ヒルとエナに必死に声を送る。
(だからヒルもエナも、敵になってしまわないで。僕が助けに行くから。二人の真実を暴きに行くから。絶対に死なせたりしないから。お願いだから、僕の大事な皆を傷付けないで、約束して)
願いにも似た思いが届くようにと、蒼愛は懸命に声を投げていた。




