第103話 人間の暴動
蒼愛は茶を淹れて黒曜の前に出した。
「蒼愛、茶を淹れられるようになったのか」
「うん! 井光さんがね、僕でもできるようなやり方を教えてくれたんだよ」
早速、湯呑を持って黒曜が茶を啜る。
「ん、ちゃんと淹れられてんな。できること、増えて偉いな」
黒曜が頭を撫でて褒めてくれた。
親戚のおじさんがいたら、きっとこんな感じなんだろうと思った。
「紅優、可愛い蒼愛は同席していいのか? 今からすんのは、全く楽しい話じゃないぜ」
紅優に話しかけているようで、蒼愛に聞いているような言葉だと思った。
紅優の顔が曇っている。聞かせたくないのは明白だ。
「やっぱり僕、席を外したほうがいいかな」
立ち上がろうとした蒼愛の腕を紅優が掴んだ。
「いや、一緒に聞いて。蒼愛は聞くべきだ。隠したまま解決できる話じゃない。いつかは聞かせるなら、今がいい」
蒼愛は紅優の隣に座った。
「俺が神々の宮をそれぞれ回って守護地の状況確認しているのは、知っているよね?」
紅優に問われて、蒼愛は頷いた。
「最初に廻った淤加美様の守護地の、癒しの湖で、既に異変が始まってた。だから、それ以降の神の宮には、蒼愛を連れていかなかったんだ」
確か、最初に淤加美の所に行った時には「また蒼愛を喰われそうだから今日はダメ」と言われた気がする。
それ以外のダメな理由が発生していたらしい。
「現状を話す前に、まずは蒼愛の知らねぇこの国のシステムについて、話さねぇといけねぇ。もし、それを聞いた時点でそれ以上聞きたくなけりゃ、席を外していい。俺ぁこの一件、無理して蒼愛が関わる必要はねぇと思ってる」
「黒曜……、けど、それじゃぁ」
言い淀む紅優を黒曜が鋭く見詰めた。
「人間が暴動起こして妖怪襲ってんだ。蒼愛はどっちを守るか、迷うだろ。だったら最初から関わらねぇほうがいいんだよ」
黒曜のあまりにも唐突な暴露に、蒼愛は息を飲んだ。
「人間が? どうして? この国に人間は、餌と奴隷と番以外にいないんでしょ?」
餌と奴隷は厳しく管理されている。
番は妖怪の味方の筈だ。
この国の人間の管理体制で、暴動など起こせるとは思えない。
「まさかまた、人間が攻め込んで来たの? 現世から術者が来てるの?」
数百年前の戦争のように、国を奪いに来たのだろうか。
大気津が幻滅して土に潜ってしまうくらい、あの時の人間は醜い獣だった。
「色彩の宝石を奉って、結界が盤石になった今では外側から侵入は出来ない。攻め込んできては、いないよ」
紅優が睫毛を伏す。
「暴動を起こしてんのは主に餌や奴隷の人間だ。番の人間はそもそも不満なくこの国で生活してる奴ばかりだし、数も少ねぇからな」
餌や奴隷の人間が暴動を起こす理由は理解できる。
酷い扱いを受けたり喰われるために捕獲されているのだから、抗うのは当然だ。
「ここからはシステムの話だ。餌や奴隷になる人間は基本、精神操作で意識を奪う。逆らう気が起きねぇようにな」
この国に来たばかりの頃の、色やニコや芯を思い出す。
紅の妖術で意識操作されていたから、喰われることを怖いと思うどころか嬉しいと話していた。
ああいう意識操作が、どこでも行われているんだろう。
「この国に流れてくる人間は、売られてくんのがほとんどだ。迷い込んでくるヤツは、昨今の現世じゃ、かなり数が減った。主な取引先は幾つかあるが、最近の一番の大手が理化学研究所、蒼愛がいた理研だよ」
蒼愛は言葉を失った。
紅優が紅だった頃、理研の所長の安倍千晴は確かに「御得意様」と呼んでいた。
「御得意様って、紅優個人じゃなかったの? この国そのものが、御得意様なの?」
目を伏す紅優の隣で、黒曜が頷いた。
「:集魂会って集団を、知ってるか?」
蒼愛は頷いた。
集魂会は理研の下部組織だ。理研が要らなくなった妖怪や、bugやblunderの子供らを引き取ってくれる場所だ。
「集魂会を仕切ってる神崎黒介って八咫烏が、元は瑞穂国の妖怪なんだ。最初は現世で行き場のない妖怪を保護してた。理研は人間だけじゃなく、妖怪も捨てるだろ?」
捨てる、という言葉に胸が軋んだ。
確かに理研は命を簡単に使い捨てる。それは人間であろうと妖怪であろうと同じだ。
「霊元移植や、霊能開発に、妖力が必要だから、搾り取って、使い終わったら、集魂会に送るって、聞いた」
蒼愛が妖怪という存在を知っていたのは、そのせいだ。
だから理研には妖怪や神様に関する本が多くあった。
「最初はな、集魂会から希望する妖怪を瑞穂国に保護する、それだけだった。だが黒介から、廃棄される人間の話を聞いた。主に呪術の実験、呪詛の道具、妖怪の餌にされるんだってな。だからこの国で買い取ると、俺が決めた」
蒼愛は紅優を振り返った。
「じゃぁ、紅優が理研から子供を買っていたのは、黒曜さんの紹介?」
紅優が頷いた。
「俺も黒介とは知り合いでね。理研の内情を聴いてからは、理研からしか人間は買わなかったよ」
何となく、安心した。
紅優は、紅は、最初から理研の子供がどういう状況で捨てられるのか知っていて買っていた。
初めからあんな風に、優しく弔うために買ってくれていたんだと思った。
(だから紅優は、理研の内情に詳しかったんだ。僕ですら知らない話も知っていたんだ)
「この国に来ても、奴隷か餌だ。良くて番だが、蒼愛のように霊元がある人間が売られるってのは、滅多にねぇ。だから番になんのは難しい。幸せにしてやれるわけじゃぁねぇが」
黒曜が珍しく言い淀んだ。
「呪術の実験体や呪詛の道具は、ある意味、喰われるより悲惨だ。死にたくなるような痛みを何年も延々と与えられながら生かされる場合もある。そういう意識の中で生き続けるよりはマシだと、黒曜は考えたんだよ」
bugの子供は生きるために必要な臓器や身体機能を欠損して生まれてくる。
そうでなくても病気になり易い。だから寿命が短い。
紅は、寿命が短い子供を回してもらっていたと話していた。
(どちらにしろ短い命だけど、一番マシな方法って、考えてくれたんだ)
黒曜はきっと、紅優と違って人間贔屓ではない。
以前も、この国において人間の命に価値はないとはっきり言い切っていた。
それでもそう考えるくらいには、呪術の実験体や呪詛の道具にされるのは、悲惨な末路なんだろう。
「黒曜さんは、この国は、どんなふうに子供を買ってるの?」
「理研が纏めて売りつけてくる。十人から二十人単位でな。それを纏めて買う」
「そんなに……?」
理研ではbug、blunder、masterpieceなど、ランク分けされた子供らが施設ごとに暮らしていた。
蒼愛がいたbugの施設では、十五歳前後の子供が十人程度暮らしていた。
(ランク……、そうか。bugの生活施設は複数あった。施設ごと、丸ごと幾つかを纏めて売ってたんだ)
蒼愛は十歳の時に霊元移植実験を受けてbugから昇格している。一度は別の施設に移されたが、masterpiece候補には入れず、数年後にはblunderにされてbugと同じ施設に戻った。
(霊元があったから個別に売られただけで、もしずっとbugのままだったら、僕も纏めて売られていたんだ)
自分の身の上に、寒気が走った。
久しく忘れていた感覚だ。今の自分がどれだけ幸せか、思い知らされた。
(僕は霊元が定着したから、こんな風に生きられて、良くしてもらえた。霊元がないってだけで、餌に、なっちゃうんだ。同じ命、なのに)
薄ら怖さに、蒼愛は自分の腕を強く抱いた。
「もう気が付いたと思うが、今、暴動を起こしてんのは、国で買い取って方々に捌いた人間、半分以上が理研から買い取った子供だ」
蒼愛は顔を上げて、息を飲んだ。
「国で買い取った人間は、色んな種族の妖怪に売られる。今んとこ、騒動が確認されてんのは、癒しの湖の河童、風の森の百足、暗がりの平野の闇人、灼熱の岩山の鬼だ。被害は北側に集中している。街中や城ん中で管理している人間は意識操作されたままで大人しくしてる」
蒼愛は愕然とした。
(理研の子供らがたくさん売られて、その子たちが暴動を起こしてる。だから紅優は僕に内緒にして。井光さんも覚悟しろって言ったんだ)
改めて、自分は沢山の愛に守られていると思った。
(なんて、贅沢なんだろう。一歩間違ったら僕は、暴動を起こす側に入ってた。紅優が買ってくれたから、こんなに大事にしてもらえて)
同じ場所で産まれても、そうではない命もある。
(人だけが喰われないなんて、おかしいって。自然じゃないって、思ったけど。喰われないで幸せになってほしい。同じ場所で産まれた仲間は、顔も名前も知らなくても、仲間だ)
昔なら考えもしなかった発想だ。
見知った顔すらどうでもいい、自分には関係ないと思っていたのに。
(そんな風に思えなくなっちゃった。僕は、仲間を助けたい)
涙が溢れて流れ落ちる。
紅優が蒼愛の肩を抱いてくれた。
「やっぱり蒼愛には辛い話だったよね。黒曜が言う通り、関わらなくても問題ないよ。俺と他の神々で何とか出来る問題だから」
紅優が優しく髪を撫でてくれる。
蒼愛は首を振った。
「違う……、僕、紅優に買ってもらえなかったら、きっと暴動する側に入ってた。紅優に見付けてもらえたから、価値をもらえたから、今、大事にしてもらえてる。そんな僕が、見て見ぬ振りなんか、できない」
蒼愛は紅優に寄りかかっていた体を起こして、拳を握った。
「人間だけが喰われないなんて自然じゃないって、理屈では思う。クイナさんとも話した。だけど、僕は、理研の子たちを助けたい。皆が紅優みたいに優しく命を慈しんでくれるわけじゃないから、本当の意味で助けるってことにはならないって、わかってる。けど、その暴動は、きっと不自然だから。これ以上、人間を利用させない」
溢れた涙を懸命に拭いて、紅優と黒曜に向き合った。
「蒼愛……」
「どう、不自然だと思うんだ?」
黒曜の問いかけに、蒼愛は頭の中を整理して、指を折って数えた。
「まず一つ目は、意識操作してるのに、暴動を起こしていること。同じ場所にいるワケじゃないのに、示し合わせたように皆が暴動っていう、同じ行動をとっていること。そっちの方が意識操作っぽい。もう一つは、南側にも人間はいるのに事件が北側に集中していること。操ってる犯人が北側にいるのかなって思う」
黒曜が満足そうに鼻を鳴らした。
「逞しく育ったねぇ、蒼愛。紅優の育て方は間違ってなかったなぁ」
「嬉しいけど、親みたいに言わないで。番だから、恋仲だから」
恋仲と言われて、蒼愛の頬が熱くなった。
紅優に恋仲と呼ばれたのは、初めてな気がする。
「実は俺たちもなぁ、今の蒼愛と同じように考えてる。主犯は大蛇の一族、八俣だろうってな」
「あ、そっか。北側って大蛇の領土だ」
黒曜の説明で、蒼愛は納得した。
「だから、視察も滞っているんだ。まずは暴動をどうにかしないといけない」
紅優が眉を下げる。
蒼愛は首を振った。
「違うよ、紅優。逆だよ。八俣は僕らを呼ぶために、こんなことしているんだよ」
紅優と黒曜が同じように顔をしかめた。
「時の回廊で会いに行くって言ったのに来ないから。あ、でも暴動って、回廊を出てすぐ起きたのかな。だとしたら……」
蒼愛はずっと胸の中に引っかかっていたモヤモヤを探していた。
モヤモヤを言葉にするのが難しい。
眉間に皺が寄る。
「最初の暴動が起きたのは、五日くれぇ前か。蒼愛の説明も一理あるよな」
黒曜が納得している。
紅優が、じっと蒼愛を見詰めていた。
「種、は……、かなり前から僕の中にあって。僕を見付けたのは、三か月前の白狼の里で。でもその後、僕はまだ幽世にきていないから、いなくて。でも、僕が幽世にきてから、ずっと見てて。祭祀の時の瘴気は、大蛇で、だから……」
紅優が蒼愛の腕を掴んだ。
「蒼愛、何を考えてるの? ちゃんと話して」
「えっとね、ごめん。どんなふうに言葉にしたらいいか、わからない」
自分の中にあるモヤモヤを言葉に乗せられない。
「あ、そうだ。紅優に直接渡したら、紅優が言葉にしてくれるよね?」
蒼愛は膝立ちになって紅優の頬を包んだ。
「え? 蒼愛?」
「僕の中のモヤモヤ、紅優に渡すから、一緒に考えて」
口付けて、紅優の中に神力を流す。
自分の胸の中のモヤモヤと思考を全部、紅優の中に流し込んだ。
ごくりと飲み込んで、紅優が呆気にとられた顔で蒼愛を見上げた。
「……つまり蒼愛は、この国に認識されていない神様がいて、八俣が囲っているって言いたいの?」
「え? そうなの?」
怪訝な顔をする紅優を眺めて、蒼愛は驚いた。
「妖術も呪詛も使わず蒼愛を監視し続ける力なんて神力以外に思いつかない。大気津様の神力を使ったのはフェイクで、本当はもっと強い力を持つ神が近くにいる。今の暴動も、あれだけ大規模な人間の意識操作を同時に行う力は神力レベルじゃないと無理だ」
紅優の説明に、蒼愛はふむふむと頷いた。
「そっかぁ。何か大きな特別な力って思ったけど、そうかもしれない」
眉間に皺を寄せて呆けている黒曜に、紅優が向き合った。
「八俣のこれまでのやり方や行動を考えると有り得るよ。この国で長く生きてきた俺たちじゃ考え及ばない思考だけど」
黒曜が開いていた口を引き結んだ。
「だったら今、起きている人間の暴動は八俣が囲ってる神様が引き起こしてんのか? 紅優と蒼愛を領土に来させるために、わざとやってんのか?」
蒼愛は頷いた。
「それは間違いないと思うんだ。僕らが会いに行けば、治まると思う」
「北側の領地で人間が騒いでも、大蛇に得はないね。南側の町中が何ともないのも、蒼愛の気を引くためのメッセージなのかもしれない」
紅優が考えながら言葉を零した。
「すぐには行けなくても、例えば明後日行くね、とか手紙を送ったりしたら、わかったよって思ってくれたりしないかな?」
「まるで遊びに行くみてぇだな」
黒曜が若干呆れ顔をしている。
「黒曜、大蛇の領土に報せを飛ばしてくれ。人間の暴動が治まり次第、瑞穂ノ神と色彩の宝石が側仕と共に来訪する。色彩の宝石蒼愛は元が人間であるため暴動が治まらない間は見送りとする」
紅優が決意した顔を上げた。
「他の神々には、なんて通達する?」
「件の警備を迅速に整えよ。人間の暴動の様子を逐一報告せよ、でお願い」
黒曜が顔を引き締めて礼をした。
「仰せのままに手筈を整えましょう、紅優様」
「もし大蛇の元に神が存在するなら、確認しないといけない、一刻も早く」
厳しい顔をしていた紅優が目を伏す。
開いた時にはいつもの顔に戻っていた。
「蒼愛がいなければ気付けなかった。ありがとう、蒼愛。やっぱり俺には、蒼愛が必要だね」
「僕、紅優の役に立てた?」
「流石、蒼愛って感じだよ。今でも蒼愛は充分、賢い。俺の自慢の蒼愛だよ」
紅優が膝に抱いてくれて、嬉しくなった。
「理研の子たちの話、内緒にしていて、ごめんね」
眉を下げる紅優に、蒼愛は首を振った。
「紅優と黒曜さんが、僕を想って内緒にしてくれていたってわかるから、大丈夫。ただ僕は、仲間をどうやって救ったらいいのか、何が救いになるのか、まだ、わからない」
暴動が治まったとして、餌か奴隷にされる現状に変わりはない。
そこから救ったとしても、遠くない未来に命が尽きる。
(芯みたいに痛くも苦しくもなく喰われるのが幸せなのかな。痛くても苦しくても、自分らしく生きるのが、幸せなのかな)
考えれば考えるほど、わからなくなる。
「蒼愛、あのね。蒼愛はここにきて、俺のお陰で幸せになれたと思っているかもしれないけど、そうじゃないんだよ。蒼愛は自分で幸せを掴んだ。そういう未来に自分で向かって行ったんだ」
蒼愛は紅優を見上げた。
優しい眼差しが、蒼愛を見下ろしていた。
「瑞穂国に餌や奴隷で来ている子たちの未来は、その子たちのモノだ。自分で掴むのが未来だよ。だから全部与えてあげようと思わなくていいんだ。その子たちの未来を蒼愛が背負う必要はないんだよ」
視界が少しだけ開けた気がした。
そういう考え方もあるのだと思った。
「納得はできないだろうけど、苦しめて喰う妖怪ばかりじゃない。特に奴隷として人間を使いたがる妖怪は、可愛がる傾向も強いから、心配ばかりでもないよ」
皆が皆、紅優のように優しくはない。
だが、皆が皆、大蛇のように残虐でもない。
「うん、紅優を信じる。僕に出来ることがないか、ちゃんと考えてみる」
今は紅優の言葉を素直に受け入れようと思った。
いつか、答えが出せる日まで、出した後も、考え続けるとクイナと約束したから。




