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1.人魂を喰う妖狐

 目の前に男が座っていた。


 多分、男なんだろうと思う。只、人間ではない。


 白い狐の面を顔の半分に被った男は、長い白髪で、白い着物を纏っていた。




 男の後ろに少年が二人、座っている。


 少年というには大人びた、かといって青年と呼べるほどの年齢でもなさそうに見えた。


 男に抱き付く一人の少年を撫でながら、こっちに視線を向けた。


 面のせいで正確な目線は解らないが、こっちを見ている気がする。




「……名前は?」




 短い問いかけに、首を捻った。




 №28 




 理化学研究所では、そう呼ばれていた。


 それ以外の呼称は、ない。




「二十八、です」




 仕方がないので、そう答えた。


 男が小さく息を吐いた。




「それは名ではないだろう。理研からくる子供らは皆、名を持たないね。君もか」




 知っているなら、聞かないでほしい。


 もう何度も理化学研究所から人間を買っている()()()()らしいから、ある程度の事情なら知っていそうだが。




 男が顎を摩りながら、とっくりとこちらを眺める。


 観察している感じだ。




「こっちに、おいで」




 手招きされて、前に出た。


 人、一人分くらい空けて、前に立った。




「もっと近くだよ。俺が触れられるくらい、近くにおいで」




 更に手招きされて、移動に悩んだ。


 男に抱き付いている少年が足を投げ出している。


 そのせいで、これ以上、近づけない。




(くれない)様ぁ、(いろ)、もう眠いよ」




 首に腕を回して抱き付いていた少年が、ウトウトしながら目を擦る。


 年の頃、十二、三歳といった程度の少年だ。この子も、只の人間の気配とは違って感じた。


 よく見ると頭に大きな耳が付いている。尻には尻尾らしきものもある。




(髪の毛かと思ってたけど、違った。あの子も妖怪かな。てっきり、先に買われた理研の子供かと思ってた)




 後ろに控えている少年も、同じくらいの歳頃に見えるが、やはり同じように耳がある。




「紅様と早く一つになりたい。紅様と同じになりたい。いつもみたいに温かいの、欲しい」




 少年が、男の胸に顔を押し付ける。


 紅と呼ばれた男が、困った顔をした。




(いろ)はもう、溶けてしまう時期だけど、いいの?」


「ぅん、溶けたいの」




 嬉しそうに頷く色という少年を、紅が眺める。


 その表情が、どこか悲しく映った。




「わかったよ。じゃぁ、沢山流し込んで、温かくしようか」




 紅が面を外した。


 色白で端正な顔立ちが顕わになる。


 何より、瞳の色に目を奪われた。




(紅……、血みたいに、真っ赤な、紅の瞳)




 理化学研究所で実験される時、折檻された時、何度も見てきた血の色だと思った。




「ん……」




 紅が色の額に自分の額をあてる。


 何かが流れ込んで、色の体がビクリと震えた。


 色の小さな体がほんのり光を帯びる。全身が喜んでいるように見えた。




「ぁ……、溶けちゃぅ、紅様、大好き……」




 恍惚な表情をした色の額に、紅が唇を押し付ける。


 色の体が発光して、体の輪郭が歪んだ。




「ありがとう、色」




 紅が色の額から何かを強く吸い上げた。 


 色の体が紅の口の中に吸い込まれて消えた。




(喰われた、んだ。魂が体ごと、あの男の中に、溶けたんだ)




 自分が見ていたのは紅という妖怪の食事風景だったのだと、ようやく理解した。




「……美味しかった」




 男がぺろりと、舌舐め擦りした。




「さぁ、おいで」




 紅が手を差し伸べた。




 怖い、という感情が確かに胸の中に膨らんだ。


 けれど、体は動いた。


 来いと命じられて逆らえば、もっと怖い目に遭う。


 それをこの体は、嫌というほど覚えている。




 差し伸べられた手に触れた自分の手は、震えてすらいなかった。


 怯えを悟られれば、折檻されるか、弄ばれる。


 感情は、表に出してはいけない。


 それもまた、体に沁み込んだ経験だった。




 乗せた手を掴んで、引き寄せられる。


 体が紅の目の前に屈んで、抱きつけそうなほどに近付いた。




「綺麗な髪だね。青色だ。現世(うつしよ)の日本では珍しい色だけど、染めたの?」




 紅の問いに、首を振った。


 実験的に霊元を移植されてから、黒かった髪と目が突然青くなった。


 その程度の変化はよくあるらしい。




 紅が、今度は目を覗き込んだ。


 大きな手が顔を包み込んで、親指が目尻をなぞった。


 酷く優しい手つきが、かえって怖かった。




「瞳も綺麗な青だね。君の名前は、(あお)にしようか」




 静かに頷いた。


 初めてもらった名前らしい名前は、とても安直だけど、思った以上に嬉しかった。




「それじゃ、蒼。蒼も俺のモノになってもらうね。いいかな」




 確認なんて、無意味だ。


 この男は、金を出して自分を買っているのだから。


 一応、頷いて見せる。




 紅の顔が近付いて、額に口付けた。


 さっき、人間を丸呑みした唇が、自分の額に押し付けられている。


 背筋が寒くなるのと同じくらいに、体が熱くなって気持ちが良かった。




 生温かい舌が、額を舐める。


 押し付けられた唇から、何かが流れ込んでくる。


 紅の妖力らしいそれは、やけに温かかった。




「ぁ……、紅、様、熱い、です……」




 口が勝手に言葉を発する。


 何かが自分の中に入り込んで来たのだと思った。


 同時に、何かが出ていったのだと思った。




「蒼の霊力は、美味しいね。酔ってしまいそうだ。高い買い物をした甲斐があったよ」




 ちゅっとを額を吸い上げて、紅が唇を離した。


 真っ白な顔が、心なしか紅潮して見えた。




「次は、こっち。俺の一部になるために、口付けを交わすんだよ」




 紅の指が下唇を押した。




「はぃ、嬉しい、です……」




 何の戸惑いも躊躇いもなく、顔を近づける。


 唇が重なって、舌が絡まる。気持ちが善くて、力が抜ける。


 水音が響くたび、何かが流れ込んでくるのが分かった。




「上手だね、蒼。俺の妖力全部、しっかり飲み込んで」




 やんわりと顎を抑えられて、顔を上向かされる。


 反射的に口の中の何かを飲み下した。


 胸の中に、知らない感情が広がっていく。




「美味しい、です。もっと、ほしい」




 きっとこれが、この妖怪の妖術なのだろうと思った。


 今の自分は紅に心酔し、愛したいと思っている。




(何度も飲んだら、この気持ちを疑いもしなくなるんだろうな)




 こんな風に気持ち善くされて、何もわからない内に喰ってもらえるんだろうか。


 さっきの、色という少年のように。




(だったら、いいや。痛いのも辛いのも苦しいのもない内に、何もわからない死が迎えに来るなら、幸せだ)




 紅の手が頬をなぞるように撫でる。


 さっきと同じように、怖いくらいに優しい。




「これから、毎日あげるよ。蒼は、自分から欲しくなるからね」




 返事の代わりに、小さく頷く。




 紅の手が、視界を遮って、目の前が真っ暗になった。


 途端に強い眠気が襲う。


 紅の手の熱さを感じながら、促されるままに、ゆっくりと目を閉じた。



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