95話
【門】をくぐり、辿り着いた神座。
そこから見下ろすと、この世界の総てがあった。
今ある総て、かつてあった総て、起こり得る総てがここにある。
幼い頃の懐かしい光景、今まさに勝利に沸き返る三国の軍勢、知らないはずのマリアの思い出、大人になったハミィの姿――あらゆるものをわたしは知覚することが出来た。
そして空を見上げれば、そんな光景を内包する世界がいくつも輝いていた。
それこそ星の数ほど、いや、星すら超えて無限にあるのではないかと思うほど大量に。
途方もない光景に気圧されそうになるが、なんとか踏ん張ってマリアと繋いだ手を握りしめる。
隣を見れば、マリアも同じ様にして未知の世界に立ち向かっていた。
互いの目を見つめて、頷きあって、まっすぐに正面を見据える。
正面に立つのは、【地母神ヴィルトゥオーソ】。
彼女は優しく微笑んで、わたし達に語りかける。
「ようこそ神座へ。ここが神の領域、世界を紡ぐ工房、主の言葉が届く場所……マリア、あなたに託す聖地です」
「その前に、最後の試練があるんですよね?」
「ええ、でもそれはとても簡単なこと。主に誓いを捧げるだけ」
主?【道標】にもなかった存在が急に出てきた。
しかも口ぶりからすると、まるで神よりも上位の存在であるかのようだ。
そんなものに軽率に誓いを捧げていいのだろうか?
「地母神様、ともに試練を受ける者として質問をお許しください!主とは一体なんなのですか?」
「もちろん答えましょう、メロディ・ドミナント・テンション。でもその前に一つだけ……わたしがなぜ主のことを【道標】に記さなかったのか、わかりますか?」
「えっ?」
思わず口ごもってしまった。
【道標】、この世界の運命が記された【ムジカの上王】への祝福。
そこに重要そうな存在が記されていない理由とは……
「人間には、知る資格が無い……とでも」
「あらあら、それは誤解ですよ。少なくともわたしはあなた達をそんな矮小なものとは扱いません」
間違いだったらしい。
じゃあ一体どうして教えてくれなかったっていうんだ。
「正解は、主……あの方はこの世界にもあの無数に存在する世界のどこにもいない、わたしたちが夢境と呼ぶもっと深い場所にいて、何もしない存在だから」
「何もしない……?」
「この世界の、わたし達の運命に何も影響しないってことですか?」
マリアの問いに地母神は頷く。
「そうよ、あの方はあなた達に何も影響をもたらさない。ただ眠り、夢としてあらゆる世界を見ているだけ」
地母神は優しく話を続ける。
「けれど、わたし達神はあの方にお仕えする存在。時に美しい、時に優しい、時に醜い、時に冷たい物語を紡ぎ、あの方の夢を豊かにする。その見返りとして新しい世界を紡ぐ資源が与えられる」
「それってつまり、わたし達人間はその主を楽しませるための駒だってこと!?」
「半分正解で、半分不正解ね」
「どういう意味よ!!」
「メロディ先輩、落ち着いてください!」
興奮してしまったわたしをマリアが宥める。
そしてマリアは毅然とした態度で地母神に相対し尋ねた。
「地母神様、あなたにとってわたし達が駒なのかどうか、教えてくれますか?」
「わたしにとっては駒じゃないわ。そして世界の中に暮らす命が駒かどうか、それぞれの神に違う答えがあるけれど、神の答えがどうであっても、あなた達命は駒でないと主張するでしょう?」
「当たり前です。これからわたしがこの世界の神になっても、みんなをその主という存在を面白がらせるためだけの道具になんて、絶対にしません!」
宣言するマリアの顔は強い決心に満ちていた。
それを見た地母神は、怒るでも喜ぶでもなく、ただ微笑んでいる。
「そう思うのなら主にはそう誓えばいいのよ。さっきも言った通り、あの方は何もしないのだから。あなたがあなたの思うままに物語を紡いでも何の問題もないの」
「……随分あっさりとしているわね」
疑いの目を向けるわたしにも、やはり地母神は怒ることはない。
「うふふ、実際そうしている神のほうが多いのよ?わたしのようにあの方を『主』と呼び、あの方のために世界を紡ぐ神は少数派……ただわたしの世界から生まれて神となるからには挨拶くらいはしておいて欲しいというだけなの」
にこやかにそう答えるが、本当なのか?
いやいや、だとしたらおかしいところがあるじゃないか。
「挨拶するだけなら別にわたしはいらないじゃない。それに前に言っていたわたしがいると新しい可能性がどうとかいうのとも関係ないし。そもそもなんであなたはこの世界の神の座をマリアに譲ろうとしているの?」
「確かに今の説明だけじゃ試練を共に挑むパートナーが必要なわけはわからないわね。そしてわたしが後継者を望んだ理由も。でもどちらも簡単なことなのよ?」
地母神はウインクをした。
いや、もったいぶるなよ。
ちょっとイライラしだしたわたしをマリアが宥める。
「まずわたしが後継者を望んだ理由は、あなた達を見ていてきっと素敵な世界を紡げると期待を持ったからよ。ここまで辿り着いてくれる子が来るまでに時間はかかったけれど、その考えに変わりはないわ」
地母神はマリアを優しく見つめてそう答えた。
「次に試練を共に挑むパートナーが必要な理由。それは一言でいうとあの方の好みよ。わたし達の主はね、色んな物語の中でも恋の物語が一番好きなの」
「へ?」
「恋の物語が好き、ですか?」
「ええ、そうよ。だからあなた達二人の関係を見れば……だいぶ変わった感じだけど、主もマリアのことをきっと気に入って、ちょっとしたご祝儀をくれるかもしれないと思ったの」
偉そうな存在が恋愛脳だった。
……いや、その前に、わたしとマリアの関係が、恋?
ちらりとマリアの顔を見る。
「わたし達の関係を見て喜ぶって、て、照れちゃいますね!」
頬を赤らめて滅茶苦茶かわいく照れていた。
まさに恋する少女の表情で、見ているだけでなんだか幸せな気持ちになって……
あ、なるほどこれが恋!?
わたし今までずっと無自覚にマリアに恋してた!?
「うふふ、本当に面白いわね。メロディ」
そんなわたしを暖かく見守る地母神。
あ、神様にはお見通しだったんだ……
うわー、これは恥ずかしいぞ。
「さあ、説明はこれで済んだわね。さあマリア、誓いの言葉と共に神へと至りなさい」




