72話
ブルースによるイロハへのダンス指導は順調に進んでいる。
シラベ国には社交ダンスのようなものはないが、地母神へ感謝を捧げる儀式として女性は舞を捧げる風習があるらしく、イロハもその心得があったのが活かされているらしい。
そもそも運動神経がいいのだろう、練習しているところを覗いてみたが初心者とは思えない、十分人前に出られる完成度だった。
マリアもリズムといっしょに熱心にダンスの練習に励んでいる。
【リズムシナリオ】に進む準備はこれでほぼ完了と言っていいだろう。
残る問題は一つ、それが確定するまでの間ムーサ師匠を誤魔化し切ること……!
*
「よーし、メロディくんにリズムくん。今年度最大の分岐点、ダンスコンテストに向けた作戦会議を始めるぜ」
早速呼び出しがかかった。
ムーサ師匠は見たところ機嫌が良さそうだが、油断は禁物だ。
【魔法使い】とはいえ六十年程しか生きられない平民、それでも二十年もまだ生きていない子供のわたし達よりはずっと探り合いの経験値は上なのだから。
「ここまでに必要な【メロディポイント】はしっかり集まってる。だからあとはもうメロディくんがマリア・ヴィルトゥオーサを誘ってダンスコンテストから抜け出すだけ、簡単だな」
「そうですね、もう余裕でしょう」
「姉上の言う通りです。作戦会議とか必要ですか?」
こくこくと頷くわたし達をにこにこと見つめていたムーサ師匠だったが、いきなりすっと表情が消える。
なんだ、まさか企んでいることがバレた!?
「君達なぁ……油断し過ぎだぞ。ちゃんとマリア・ヴィルトゥオーサを連れ出す口実とか考えてるか?」
良かった、まだバレてない!多分!
わたしは平静を装ってムーサ師匠の質問に答える。
「もちろんですよ、どうしても今から伝えたいことがあるって、告白を匂わせながら誘うつもりです」
「おー、なるほどな。他ならぬ君に告白されるとなれば大喜びでついていくだろうな」
ムーサ師匠は満足気に腕を組んだ。
……自分で言っておいてなんだが、実際そんな風に誘ってマリアがダンスコンテストを抜け出すのか?
あんなに優勝に向けて努力しているのに?
そもそもわたしとマリアはけっこう仲良くやっているけど、告白とかそういうのを期待される関係では……
あれ、今なにか胸がちくりとしたような?
……いや、気のせいだろう。
「まあ置いていかれるリズムくんがちょっと可哀想なことになるが……別に構わないよな?」
「ええ、姉上のためですから。俺はどうなっても構いませんよ」
謎の感触に気を取られていたら横でムーサ師匠とリズムがちょっと引っかかる会話をしていた。
まあこの引っかかる感じも気のせいだろう、とりあえず今日の作戦会議はムーサ師匠を誤魔化し切れたということで無事終了だ、うん。
*
翌日、【トライアド帝国】首都【トリニティ】。
多忙を極める皇帝フォニムはようやく確保した休憩時間――ほんの数十分のため政務用の服装のままソファーに座り、人払いをして秘書官長ブレイクを足置き台にするだけの短い休みを過ごしていた。
現在準備中の【ピアノ公国】、次いで【クラシック王国】への侵攻計画は帝位に就いたそのときから綿密に準備を重ねてきた大陸統一計画をついに実行へと移すもの。
最高の状態で実行できるように、休むときも全力で休まねばならない。
「あ~~~、疲れた~~~。ブレイク、なんか面白いこと言って」
「えっ、あー……これは息子のオクターヴから聞いた話なのですが……」
「時間切れ」
フォニムのかかと落としがブレイクに決まる。
「ありがとうございます!!」
「あーあ、こういうのもブレイク相手ばっかりだと飽きる……そろそろビートにも会いたいな……」
フォニムは遠く大将軍ビート・ドミナント・テンションへと思いを馳せ……違和感に気づく。
そして目にも止まらぬ速さで近くにあった卓上の燭台を何もないところへと投げつけた。
「うおっと!?」
いや、そこには【魔法使い】ムーサ・カメーナエが現れていた。
侵入者の登場に足置きになっていたブレイクも即座に飛び上がり抜刀、大声を出し増援を呼ぼうとする。
しかしそれはソファーに優雅に座り直したフォニムによって制止される。
「構わん、ブレイク。彼女一人だ」
その表情は既にお外モード。
ムーサに対し重く、しかしこちらには余裕があるぞと示すかのような手加減を感じさせる威圧感をぶつけている。
「流石【剣帝】、まさか転移魔法をこうもあっさりと対応できるとは」
不敵な笑みを浮かべつつも、一筋の汗を垂らしながらムーサが口を開く。
「はっ、魔法は殺気があからさま過ぎる。くだらん賛辞よりも不躾な訪問の目的を聞こう」
「無礼は詫びるよ。だけど訪問自体には喜んでほしいな、皇帝陛下の悲願を叶えると約束しに来たんだから」
フォニムの表情は動かない。
なのでムーサは更に言葉を続ける。
「【ムジカ大陸】統一王の座……それを譲ってやると約束しよう」
「なっ……!?」
ブレイクが思わず声を上げる。
それは確かにフォニム――トライアド帝国の最終目標であり、下準備のために【オルガノ王朝】の神官達への工作も既に始めているものだからだ。
「皇帝フォニムに叛意あり、と言質を取りに来たか?」
フォニムの冷たい問いにムーサは静かに首を振る。
「そんな真似をしに来たわけじゃない。ただ、そう……急に渡されてもビビるなよっていいに来たのさ」
その言葉を残しムーサは魔法で消え去った。
フォニムはしばらくムーサがいた場所を見つめ、そしてお外モードを止める。
「あ~~~!なによあいつ意味わかんない!!」
「ど、どう致しましょう、フォニム様!?」
「うるさい!とりあえずお前は足置き台に戻って!!なにが『ビビるなよ』よ、むかつく!!」




