第7話「名前のない怪物」
2002年、春、進刻高校軽音部に1人の新入生が入部した。
「諸伏紬です。楽器を幅広くやっています。宜しくお願いします」
溌剌として真面目そうな後輩だ。しかも楽器が幅広く出来る。
「ベースもできるの?」
「ええ。中学3年生のときにバンドで使う楽器はひと通り学んだので」
「いやぁ! ベースができれば充分よ! 暫く足りてなかったから!」
美桜のその一言に佐久間はそっと苦笑いを浮かべてみせた。
「バンドはこのメンバーでやっているのです?」
「うん、そうよ」
「バンド名は?」
「え? 特に決めてないよね?」
「一応、進刻高校軽音部っていう名称でライブ活動とかしているよ」
「ええ!? ライブ活動!? 先輩のライブにお客さん来るのですか!?」
「そりゃあそんなには来ないけど……あなたにはバンドが経験ないの?」
「え? えっと? バンド? ないですね。友達のお家にて独学でしてきたものでして。あはは」
全員が首を傾げる。しかしいざベースを彼女に弾かせてみれば経験者のそれとわかる腕前をみせてくれた。
ただ確かに何か奇妙な雰囲気を彼女は持っていた。
楽器の演奏は上手くて、身の振る舞いもこれ以上の女子はいないのでないかというぐらいに礼儀正しい。だがたまに横柄になる。たまに先輩を小馬鹿にする。
ある日、唯は美桜から学校の裏庭の端に呼び出された。
「話って?」
「うん、例の諸伏さんだけど……何か変じゃない?」
「何が? 演奏も上手いし、真面目にしてくれるし」
「パッとみはね、でもこないだバンド名を勝手に決めてきたじゃない?」
「あ~あの『ピンクゴリラーズ』だっけ? アレは冗談でしょ?」
「今度やるライブで登録名が本当に『ピンクゴリラーズ』になっていたのよ!」
「えっ!? まさか!?」
「本当よ。近所にライブハウスがあるから確認した。私だって信じたくなかった」
「……でも普段あんなに頑張っている。ホントにそういうことが今度のライブで判明したら私から怒っておくよ」
「怒っておくで済まされないよ! 今度のライブ30人もくるのよ!?」
美桜から聞く話はどれもこれも事実なら信じられない話だ。しかしそれは段々真実味を帯びていく――
「バンドの誘い?」
「うん、話づらかったのだけどさ、紬ちゃんが学校とは別にバンドをやっているみたいで。ドラムがいないそうなのね。だから内々でサポートしてくれって」
「それでどう返事したの?」
「1回会ってみることにはした。でもその日ってライブの前日で……」
「律、今日は部活に来なくていいよ。私が彼女と話してみる」
「でも、ゆいまん、もしかして気を使って内緒の話にしてくれているのかも」
「悪い噂をここ1週間で耳にしているのよ。念願のライブだっていうのにね」
唯が第2音楽室に入ったとき、佐久間と諸伏が2人で何かを話し合っていた。よくみると諸伏は目を真っ赤にしていた。
「どうしたの? 紬ちゃん?」
「すいません、私、今度のライブで部を辞めようと思っていて」
時が止まった。今まで美桜と律が話してきた事が事実だとしたら、彼女に何もかも嵌められた事になる――
「まぁ~そういう事だ。彼女はやはり元々バンドマンだったらしい。そのバンドマンにこの軽音部の入部がばれて退部を余儀なくされるようだ」
普通ならば「そうなの。あんなに上手かったものね。残念だけども、元々いたバンドで頑張って」と言いそうなものだが、そうは言わなかった。
「あなたのそのバンドっていま、ドラムが足りてないの?」
「え? 何の話です?」
「律から聞いたよ。律にサポートを頼んだらしいじゃない」
「………………」
諸伏は明らかに考え始めた。やはり何かある。唯は察した。
「何の茶番よ? 私達の事を『可愛い! 可愛い!!』っていっぱい携帯で写メまで撮ってピンクゴリラなんて――」
「おい! そこまでいうな! 酷いじゃないか!」
佐久間が怒って形勢逆転された形になった。彼女は彼にしがみついてみせたのである。これには負けを認めるしかなかった。しかしここまでお涙頂戴の演技をしてみせてまで漕ぎつけた「部活の引退」と「引退のライブ」で彼女は何をしてやるというのだろうか……唯はその真意を知りたくなった。
そして彼女はそのライブの出演を避ける事ができなかった。
彼女はバンド活動に反対し続けてきた母親を遂にライブに呼ぶ事ができたのだ。
それは唯だけでない。美桜も家族を呼んでおり、律も溺愛する妹を呼んでいるのだ。ここでその責任を放棄する事はできないのだが――
結局その日はやってきた。そのライブには派手な格好をした女子と男子が沢山来ていた。全て諸伏の友人らしいが、どれも柄の悪そうな連中ばかりだ。
「先輩、今日はたくさんのお客さんの前で歌えますね!」
ニコニコしながら彼女は唯にグータッチを促してみせた。
「ごめん、いまは集中したい。話しかけないでくれる?」
美桜も同様の反応をしてみせる。律は目を泳がせているままだ。彼女らの親や佐久間は「チケットがなかった」として会場の出入りを禁止された。
明らかに何かが仕組まれている。
それは舞台袖で待機した瞬間にわかった。
諸伏が男2人を引き連れた3ピースバンドで出演していたのだ。いや、そこで律もドラムを叩いており、一応4ピースバンドではあるが。ギターヴォーカルを担う諸伏と律の技術は問題ないが、残りの男達の演奏は実にお粗末なものだった
そして『進刻高校軽音部』の出番になる。会場にいた30人の客は一斉に引き、観客が0の状態で演奏に入る。軽音部でベースをしていた諸伏も不在の状態だ。なので美桜が急遽ベースにまわって、唯がギターでボーカル無しのライブを彼女達はやりきった。
虚しい空間を過ごし終えて彼女たちは楽屋で呆然としていた。
「コレ、誰かに言うべき?」
「…………」
「いや、演奏はさせて貰えた訳だから文句は言えないだろうねぇ」
「でも、何が目的なの? 私達に観客0で恥をかかせたかった?」
「…………」
「律、何か言いなよ。どうして無言なの? 何か知っているの?」
そこへ諸伏がやってきた。後ろに明らかに品の悪そうな男子2人を引き連れて。彼女は楽屋に入るなり「やぁやぁご機嫌麗しゅう? ピンクゴリラーズさん?」とニヤつきながら話しかけてきた。
「最悪だよ。家族もくるって約束していたのに」
「うふふ、じゃあこれに凝りたって事でロックはやめて貰える?」
「はぁ?」
「あのね、私はね、小学生の頃からずっとロックに憧れていたの。カッコいい人たちや綺麗な人たちが奏でる音楽。自分の入学する高校にも軽音部があるよって聞いて、ロマンを感じたの。でもそこにいるのはブサイクな先輩たちと古臭くてダサい音楽。でも私はその先輩たちのなかでたった1人の天才をみつけた。そう、田中律さん、そこのあなた!」
「くだらない。苔が生えるな」
「はっ?」
「こんな事をされたから私たちがバンド活動をやめると思ったの?」
「んっ?」
「逆なの。私らに火がついたの」
「へっ?」
「私は最後までギターを離さなかった。最後まで弾いた。それはずっとこれから何があってもそうだってこと。そんな事もわからなくて恥ずかしくないのか?」
「何を言って……」
「ゆいまんの言った事こそがまさにロックンロールだよ。お前さぁ~後ろにいるしょうもなさそうな男を傍につけておいて何がカッコいいの? おい! お前だよ! お前! 金髪のお前!! 何とか言えやゴラァ!!!!!」
諸伏の左にいる男は怖気づいた。右にいるスキンヘッドのグラサン男子は情けなくもその場で走って逃げた。
「ちょっ……何やって……」
金髪の男も唯と美桜の鋭い眼光に怯えてか間もなく逃げだした。
「あと一人だなぁ。まるで昔のアニメの悪役。バイバイキーンでもするかい?」
「田中先輩! ちゃんと話したでしょ! そんなブサイクな奴といたって仕方がないって! 私達と一緒にいるほうが充実するって!」
「…………」
「律、さっきからどうした?」
「ふふふ、私の目的は最初からそう! 田中先輩を私達のバンド仲間にする事! 繭さんにもちゃんと話したのよ!?」
律は紙コップに注いだお茶を諸伏の顔面に吹っ掛けた。
「私の前でその名前をだすな。くたばれ。売女」
「う、うぅ、うわああああああああああああ!」
諸伏は泣きべそをかいて楽屋を出ていった。
結局そのライブイベントは諸伏たちのアンコールで締めくくる予定だったが、その諸伏らが会場から完全に去った為に唯たちがラストを締めくくる事となった。会場には教師の佐久間を含めた5~6名の観客が残った。美桜がアコギを弾き、唯が永口ツヨシのバラードや童謡を歌う。これまでやってきたいつものライブ光景。
だが何も言わず観客席に向かった律が何かおかしい気がした。
心配をしていた佐久間に事実を話す。佐久間も佐久間で諸伏紬の事をリサーチしてくれる事になった。しかしその諸伏はこの1件で半月に渡って学校を休んでおり、復学してからは当初どおりの真面目な一生徒として高校生活をリスタートさせたようだ。
しかし後に彼女はある事件を起こしてある人物とともに退学する事になる。
それはこの一件の真相がハッキリと解明されてからの事――
いずれにしても有望なベースを失った進刻高校軽音部はしばらくライブ活動を自粛する事となった。
∀・)ちょっと長い話になりました(笑)ただ実はこのはなし、この高校編終盤の伏線を孕んでるはなしにもなるんですよね。結局諸伏紬ちゃんって何者だったん?ってところが解明されてないですからね。次号もよろしくです。