第5話 出立 <完>
妹の婚礼の日。ソフィは朝早くから忙しく城内を歩き回った。心は晴れ晴れとして、自分の婚礼の準備をする時よりも浮き立った。
城の使用人たちにお祝いの料理と酒を振舞うのも楽しかった。自分のときには、誰かと祝福を分け合いたいなどとは、思いもしなかったことだ。
状況を整理するとこうなる。
婚約指輪は姉から妹に譲られた。夫となる人もそれを望んでおり、父親は了承した。
結婚の証人にも異議はなかった。司祭は反対を唱えなかった。
最初、使用人たちは状況の変化に戸惑った。が、すぐに受け入れた。
「一体どうしたことかと思ったけれど……」
「結婚式を中断するなんて、ただごとじゃなかったものね……」
「きっと、お二人が本気だってことを伝えるための作戦だったのね」
「それで、土壇場でお父上のお許しが出た、と……」
「ソフィ様もオデット様も、ほら、あんなにうれしそう……」
「お二人とも、ずっと、こうしたかったんだわ……」
昨日は突然結婚式が中止になり、領内はすっかりふさぎ込んでしまった。それが今日は一転してお祝いの雰囲気に満ちた。
人々は心から喜び、心から祝いの言葉を述べた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「これでお城も安心でございますね」
「どうか、お幸せに」
たまたまソフィとアルフォンスが城の中ですれ違った時、アルフォンスも
「おめでとう。よかったな」
とソフィに声をかけた。ソフィはため息をついた。
「本当に……人々のあの表情の違いと言ったら。私の時には、うわべだけのお祝いだったのね」
アルフォンスは笑った。
「お前は領民たちを、嘘つきの罪から救ったんだな」
「そうね、みんながこんなに、善人だったとは、知らなかった。嘘が下手すぎよ」
「それはお前も含めてのこと」
言われてソフィは肩をすくめた。
***
無事にシリルとオデットの結婚式が終わった。
花嫁の姿を目にした人々は、
「オデット様があんなにお美しい方だとは知らなった」
と、口々に言った。
確かにオデットは別人のようだった。
これまでは薄幸そうに微笑するだけの陰だった。いつも誰かの後ろに隠れ、存在が耐えられないとばかりよく気を失っていた。
この時からは朗らかな笑顔で、昼の明るい光が差す中を堂々と歩いた。
シリルは終始オデットを気遣う様子を見せた。
前日まで新郎の婚約者だったソフィは花嫁の介添えをつとめた。新郎とも新婦とも仲の良い様子を見せ、人々を安心させた。
父親は結婚式の間中、ずっと辛気臭い顔をしていた。アルフォンスは証人として立ち合い、淡々と結婚証書を承認し、シリルを正式に後継者と認めると宣言した。
この日、シリルとオデットの寝室は花で飾られ、初めて祝福された。
***
王家からの使者が出立する日がやって来た。
結婚証書の写しは厳重に封がされ、アルフォンスに託された。
ソフィは城を代表して、領地の境界までアルフォンスを見送った。
『奇跡の橋』は通行可能になっていて、道中は順調だった。
「橋が通れなかったのは、何が原因だったんだ?」
「何も……単に報告書が埋もれていて通行許可を出すのが遅れただけ。結婚式の準備が優先されたせいでね。とんでもない話だわ」
「祝事の功罪だな」
アルフォンスは笑った。
「どうせ今回の不手際の責任者は、結婚恩赦でお咎めなしなんだろう?」
「その通りよ。……でも、事故じゃなくてよかったわ」
ソフィは答えながら、行き交う人々からの呼びかけに手を振って応じた。
そのうちの何人かが駆け寄ってきて、ソフィに言った。
「ソフィ様、もうお出かけでございますか?」
「いいえ、今日は違う。大切なお客様を見送りに来ただけ」
ソフィは馬上で首を振った後、馬から降りて質問の相手に答えた。
すると、ソフィを取り囲んで人々は言った。
「よかった、ではお城にまだいらっしゃるのですね」
「奥方におなりでなくても、これからも私たちを見守ってくださいね」
「旅のご無事を……二年後のお帰りをお待ちしております」
「ありがとう」
答えながら、ソフィはふう、と息をつく。
(どうやら、あっという間に話が広まったようね……)
アルフォンスもソフィにならって馬を降りると、尋ねた。
「お前も出かけるのか? この後?」
「ええ」
ソフィはこの後、見識を広げる旅に出ることを決めていた。
前々から周辺視察の一行を送り出す予定があった。参加者は司祭、医者、職人、学生、記録係の五人だったが、六人目としてソフィが加わることにした。期間は二年。周辺を遍歴、あるいはとどまって新たな知見を得るのが目的。
話を聞いて、「いいことだな」と、今回の結婚の内情を知るアルフォンスも言った。
「世の中を見て回るのは良いことだし、それに、帰ってくると分かっていれば城の連中も安心だろう。もし誰かの心にわだかまりがあるとしても、それは二年間という時間が消し去ってくれる」
(本当に、その通りだわ)
ソフィは思った。
続けてアルフォンスはソフィに尋ねた。
「視察先には東の大聖堂も入っているのか?」
「もちろん」
「じゃあ、来たら教えてくれ」
「どうして?」
「迎えを出す。近くに俺の城があるんだ」
ソフィが不審な顔をするとアルフォンスが説明した。
「俺は土地に縛られている身分で、今みたいに王の用命以外では外出できない。だからお前たちの方から来てくれないと、会えないだろう?」
「……」
(それは、どういう意味だろう?)
ソフィが考え込んでいるとアルフォンスが渋い顔をした。
「なんだ、来るのか、来ないのか」
「……ご招待にあずかります。光栄です」
「あんまり光栄だとは思ってない顔だな……まあいい。そうだ、これを旅の安全に」
アルフォンスは腰飾りから何かを外すとソフィに渡した。出会った当初にソフィが川から拾った銀の笛だ。
「大事な物だとおっしゃいませんでしたか?」
「そうだ。俺はずいぶんこいつに助けられた。だから今度はお前の役に立てたい」
「ありがとう存じます……あの、吹いてみても?」
「どうぞ」
確か、アルフォンスが吹いたときには音がしなかった。ソフィはそれが気になっていて、確かめてみたいと思っていたのだ。
ソフィは笛に口を当てると思い切り息を吹き込んだ。しばらく続けても、やはり何の音も聞こえてこない。
「これは本当に、笛なんですか? 壊れているのではなくて?」
「『狼除けの笛』だといっただろう。人の皮を被った狼にも効果があるから、覚えておくといい。……おい、お前、全く信じてないな。じゃあ、路銀に困ったら叩き伸ばして売れ。銀でできているから、一晩の宿代くらいにはなるだろう」
「そんな、せっかくの頂き物を、恐れ多い……」
ソフィが困惑するとアルフォンスは笑った。
「よい旅を。そして次会うときは、お前が何を見聞きしてきたか、教えてくれ」
「はい。……あの、」
馬に乗ろうとしたアルフォンスをソフィは呼び止めた。アルフォンスは振り返り、馬を背にして前に立つ。
「どうした?」
「……あなたはおっしゃいました、私が昔、誰かを好きだった時、その間は相手を幸せにしていたのだと……」
「言った」
「もし、もっと前に出会っていて、私があなたをお慕いしていたら、私、少しはあなたを幸せにできたでしょうか……」
アルフォンスは驚いたように目を丸くした。ソフィは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……今からでも遅くない」
「えっ」
今度はソフィが目を丸くしてアルフォンスを見つめる。
アルフォンスも顔を赤くして少しだけ視線をずらす。
「実を言うと、初めて会った時、世の中にはこんな美しい人がいるのかと思って声をかけた。それで『お前は人か妖精か』なんて聞き方をして、……」
妖精のように美しい、ということだったらしい。
「ずっと気になっていた。でも、お前にそんなことを言わせるつもりじゃなかった。お前は人の花嫁で俺が望むわけにいかなかったし、俺はただ、お前の力になれればと思っていて……」
馬が目隠しになって、二人の姿は周囲に見えない。
「それはつまり……」
「お前が好きだ、ソフィ」
アルフォンスはソフィを引き寄せた。二人の唇が触れ合った。