第4話 約束
真夜中の礼拝室に人が集まった。
来た順に、司祭、父親、シリルとオデット、最後にアルフォンス。ソフィが彼らが来るのを待ち受けていた。
実はソフィが火を消して礼拝室から出た時、司祭はすでに、扉の向こう側で待っていた。
アルフォンスは素知らぬふりをしていったん立ち去ったが、扉の前で騒いだ例の小姓が呼びに来たので、再び現れたという具合だ。
祭壇の周りの燭台に明かりがついて、礼拝室内はわずかに明るかった。
父親は、火のあるはずの盆にフタがかぶせられているのを見て不審に思った。
「一体どうしたのだ……」
「何も……少し瞑想をしておりました」
予想される反応にソフィは静かに答えた。
「瞑想だと?」
「はい、瞑想です。決して神判などではありません」
父親がいつもの癇癪を起こす前に、ソフィは素早く言う。
「少々深く考え事をしていました……そうしたら、失くしていたと思っていた指輪も見つかったし、とるべき道も示されました」
「なんだと……」
「……私はシリルとは結婚できません。私は相応しくないのです」
「何? 証書を反故にするつもりか!? 婚約者のお前が結婚しないで……領地はどうなる? 身勝手は許さないぞ……」
激高する父親の後ろからアルフォンスが口を出した。
「証書上は『城の娘』に妻となる資格がある。何か考えがあってのことか」
一瞬、ソフィとアルフォンスの視線がぶつかった。
ソフィはアルフォンスを睨みつけ、アルフォンスはわずかに口元に笑みを浮かべた。
「オデット」
ソフィは妹に呼び掛け、近寄った。
「もしあなたがこの指輪を受け取ったとしたら、何と言う?」
不安そうなオデットの手に、婚約指輪をにぎらせる。
オデットは手の中を見、信じられないと言ったようにソフィを見る。
礼拝室の中に、少しの静寂。その中で、
(さあ、言って)
ソフィは心の中で強くオデットに呼び掛ける。
「私も『城の娘』です」
オデットは静かに言った。
「それに……生まれる子供には、父親の存在があってほしいと思っています。夜にだけ隠れてやって来るのではなく、昼の光の下でも、私たち母子を認めてくれるような……」
オデットの瞳がまっすぐにシリルを見つめる。
「シリル、あなたが私にしたこと、覚えてる? 夜ごと繰り返し繰り返し……」
シリルが青ざめる。オデットはさらにたたみかける。
「……でもあなたが私に約束してくれたのは、夜だけだった。朝が来るたび私は一人……私の手をとって……私たちを認めてください……」
オデットはシリルの手を取ろうとしたが、シリルがためらって手を引いた。行き場を失った手は自然と彼女の下腹のあたりを押さえた。
「この……!」
父親は顔を真っ赤にしてもう一人の娘を、つづいて不肖の婚約者を睨みつけた。ぶるぶると全身をふるわせて、シリルを怒鳴りつける。
「シリル! お前、この恥知らず……!」
「申し訳ありません」
シリルはがっくりと膝をつく。両手両足を床についてひれ伏し、顔だけを上げて父親を見た。
「どうかお命じ下さい、わたしにオデットと結婚するように……」
「……では、そうしろ、命令だ!」
父親は再びシリルを睨みつけて怒鳴った。
「二人の結婚式は今日の昼。よろしいですかな、ご使者様?」
「構わない」
アルフォンスは腕組をしたままで言った。
父親は何やらぶつぶつとつぶやきながら礼拝室を出て行った。
アルフォンスは軽く手を挙げてソフィに合図を送り、司祭も一礼して立ち去った。
シリルは呆然と床に膝をついたままでいた。
「姉さん……」
シリルを放っておいてオデットはソフィに走り寄る。ぶつかるようにして姉に抱き着く。姉妹は抱き合って、妹の耳に姉がささやく。
「指輪を見つけてくれてありがとう。あなたからだって、すぐに分かったわ」
オデットは目を見開いてソフィを見つめる。ソフィはオデットに向かって力強くうなずく。オデットの目に涙があふれる。
「私、これですべてをあきらめて、終わりにしようと思ってたの……でも、姉さんは気づいてくれた……」
「あなたも私を助けてようとしてくれたのね」
「……『も』?」
オデットが顔を上げる。ソフィは笑って首を振る。
「何でもない、こっちの話……。さあ、あなたたちはこれからね。幸せを祈ってる。ほら、彼の所にいってあげて」
ソフィはシリルの方を目で示す。シリルは両手を広げてオデットを迎え入れる。
「オデット、すまない、また君を泣かせてしまった……」
シリルはオデットの手をとった。彼女の指にソフィから渡されたばかりの婚約指輪をはめる。オデットはうれしそうにシリルの首に抱き着く。声をあげて泣く。
ソフィは二人の姿をじっと見つめた。
(シリルは優しかった。でもその優しさは、私を助けてくれなかった。私を助けてくれたのは……)
そして一人で苦笑する。
(今の私は、ちっとも彼を愛していない……だって私は……)
***
「あの指輪は、本物の婚約指輪ではなかったの」
後になってソフィは種明かしをした。
「違っていたと?」
「そう、オデットが大事にしまっていた、よく似た別の指輪……」
ソフィが十二歳の時のことだ。シリルとの婚約は決まったが、まだ正式な指輪の交換をしていなかった。そんな時にシリルがあの指輪を持ってやって来た。
「この指輪、どうしたの?」
「小物商に無理やり買わされたんだ。一つしかないからソフィにあげる」
指輪は子供の指には大きかった。
「ぶかぶかだ」
「大人用かな……いずれぴったりになるよ」
ソフィが指輪をもらったことを知って、オデットが言った。
「私も指輪、ほしい」
「でも……」
「どうしてもほしい。『一生のお願い』」
「『一生のお願い』?……そんなに言うならあげてもいいけど、『一生のお願い』をしたら、あなたは、今後一切、何もお願いしちゃだめよ?」
「うん。わかった」
「もしお願いをするときには、この指輪を私に返してからにしてね」
そうやって、指輪はオデットが手に入れた。オデットはとても喜んだがシリルは心配して言った。
「ソフィ、君はいいのか……」
「いいの。私はまたあなたから指輪をもらうから。婚約指輪には、あの指輪と同じようなのをちょうだい、お願いよ」
「わかった。そうするよ」
シリルは約束通り、最初の指輪によく似た指輪を作らせ、ソフィに贈った。
年頃になって、オデットは人前で指輪をしなくなった。そしてオデットはあれ以来、ソフィに『お願い』をしていない。
それぞれの指輪についてソフィは説明した。
「どっちの指輪も金色で、中央に三つ並んで、円形の意匠があるの。でも円の大きさが微妙に違ってね、妹の指輪の方が少し小さい、それに大きさが不均等で中央だけ大きくなっている。私の方は円が大きめで、大きさも揃っていた」
「そんなこと、よく覚えていたな……」
「私たちが子供のころは無邪気で……二つの指輪をよく見せ合っていたから、違いを知っている。指輪に丸が三つ並んでいたから、私たちはそれをオリオン座にある三ツ星なんて呼んでいてね、それでよく覚えているの」
オリオンは神話に出てくる狩人。オリオン座はその星座。
狩人の腰ベルトの飾りに、大きな三ツ星と、その下に小さな三ツ星の並びがある。
「私のが大きい三ツ星、妹の指輪は小さい三ツ星というわけ。でも他の人に違いは分からなかったでしょうね。シリルは、どうだったかしら……」
実際の星座でも、小さな三ツ星は暗く、「目の良い人」にしか見つけられないという。
「……それであの時、指輪が妹のものだと気づいたとたん、あ、これは妹が私に何かを言おうとしている、指輪を返して、何か『お願い』したいことがあるんだと思って。でもそれをどうしていいか私には分からなかったから、妹自身に言わせることにしたの」
「それで、あんな事を……」
「そう。オデットが何も言わなければ、私が結婚を引き受けるつもりだった」
ソフィは遠くを見つめた。
「でも……オデットはオデットで、ずっと悩んで……考えていたのね。……あの指輪もずっと日の目を見ることなく……ようやく表に出てくることができた。私が投げ捨てた指輪よりずっと価値がある」
「……」
アルフォンスは答えない。ソフィは振り返った。
「ありがとう、あなたは恩人です」
「……ただの証人だ。ただ、見ているだけの……」
「でも、何を見るか、見過ごすかは、証人の心づもりにかかっているでしょう?」
アルフォンスは複雑な表情をしてソフィの視線を受け止めた。
「そういうことなら……お前の役に立てて、よかった」