第3話 判決
「この中の人に用がある。そこをどけ」
「どきません。本当にだめなんです、儀式が終わって司祭さまが来るまでは、お通しできないんです。それに、鍵がかかっているので開けられません。……あ、司祭さまだ」
騒ぎを聞きつけたのか司祭が姿をみせた。司祭が指図をすると小姓はその場を立ち去った。
司祭はアルフォンスに向かって頭を下げた。
「……お頼み申したいことがございます」
「誰にも頼まれるつもりはない」
アルフォンスは言下に断った。が、司祭は落ち着いていた。
「人助けがしたいと、顔に書いてあります」
「どうかな。羊を守るために犬を雇ったら、実はそれが狼で、逆に食い殺されてしまったという話はよくある」
「ソフィ様はか弱い羊ではないし、あなたも分別を失った狼ではない」
司祭ははっきりとソフィの名を口にした。断言されてアルフォンスは口をつぐんだ。
司祭は再び頭を下げた。
「ありがとう存じます」
「まだ何も言っていないぞ」
「それも顔に書いてあります」
「わかった。話を聞こう……」
(こいつ、わざと目立つように小姓を見張りに出したな)
***
祭壇の上では浅めの盆の中で火が燃えていた。神判の火。手順にのっとって城の司祭が燃やした。
ソフィは座り込んだままゆらめく炎を見つめた。頭からマントをすっぽりとかぶって、今は何もする気がしない。だから誰かが入って来たのがわかっても、その誰かが近くまで来ても、身動き一つしなかった。
男の声が尋ねた。
「その火は何を教えてくれるんだ?」
「……明日の夜明けを待たずに火が消えたなら、私は有罪。姦通罪で北の棟に幽閉される。そうでなければ、無罪。晴れてシリルと結婚できるはずなんだけど……どっちが正解だと思う?」
「残念ながら、どちらもはずれだ」
どちらも違うと言われソフィは顔をあげた。アルフォンスが近くまで来ていた。彼は王家の使者だが、今さら敬意を払うのもわずらわしかった。
「お前の婚約指輪がみつかったそうだ。神判は禁じられているし、無意味だ」
アルフォンスはソフィの手に、司祭から預かって来た指輪を渡した。
ソフィはそれを見つめる。
(もう一度この指輪をする気になれない……)
「うれしくないのか。……そもそもお前が投げ捨てた指輪だしな」
「それを知って?」
「いや、あの時はわからなかった。後からそうだと気づいた」
二人が川で出会った時のことだ。ソフィが何かを投げているところを、アルフォンスも見ていたのだ。
「この結婚になにか問題でも?」
「そうね……嫌なことばかり」
「何が」
「何もかも」
ソフィはぽつぽつとしゃべり始めた。が、次第に雄弁になってまくし立てた。
「……私の婚約者は明らかに私を愛していないし、でも彼は父の言いなりで逆らえないし、妹はどうしたいのかはっきりしないし、父は娘の献身を当然のように搾取するし、……でもここで私がシリルと結婚しなければ城の後継者はいない、そうすると領地は取り上げられてしまうし……」
ソフィの目から涙があふれた。両手で顔を覆った。
「本当は私、オデットみたいになりたかったの。どんなに辛いことがあっても、愛する人と二人で穏やかな夜を過ごして……でも、だめだった。そうできないことは私が一番よくわかってる。城のためにもよかれと思ってやってきたけれど、今の私は、誰からもいたわりの言葉もなく、愛されず、邪魔にされるだけ……何もしないでいた方が、ましだった。少なくともこんな惨めな思いをせずに済んだのに……」
いつのまにかアルフォンスが隣に座っていた。彼の口からは思いがけなく優しい言葉が飛び出した。
「……惨めなんかじゃないさ、ソフィ」
ソフィはびっくりして泣き止んだ。
横目で見ると、彼はどこか遠くに向かって言っていた。独り言のようだった。
「お前はシリルが好きだったんだな……俺は、お前の婚約者がちっとも好きになれないが、お前から見たらいい所があったんだろうし、優しくされたことがあったんだろう。いいじゃないか、お前はそうやって誰かを幸せにしてたんだ……」
ソフィは顔を伏せたままでアルフォンスの話すのを聞いていた。
(この人が話すのは、美しい言葉だ……今までに聞いたこともない……)
「……お前が人を好きになった分、どこかで誰かもお前を好きになって、幸福を願っているものさ、お前の知らないところでな。……何度だって人を好きになったらいい……」
「でも……」
アルフォンスはソフィが指輪を持つ手に触れた。
「人の幸せを願って自分も少し幸せになるだけだ。それが罪か? 失意の時に心を寄せてただ力になりたいと願う……それを、神か人か、誰が裁くんだ?」
ソフィは顔を上げた。アルフォンスの思いのほか真剣な表情に戸惑った。
「……そうね、それがあなたの哲学?」
「まあな」
「意外に真面目なのね」
「軽薄な見た目で悪かった」
気にしていることだったらしい。アルフォンスはむくれて横を向いてしまった。ソフィは慌てた。
「違う違う、悪いなんて一言も言ってない、こっちを向いて……」
言われてアルフォンスは素直にソフィの方を見た。相変わらず拗ねたような顔をしていた。ソフィはアルフォンスの顔をじろじろと見つめた。
(いつでも偉そうにしていると思ったけれど、意外と……)
と、ソフィにはアルフォンスに対する親しみがわいてきた。そして、聞いた。
「あの、」
「何だ?」
「オデットはかわいいでしょう、素直で優しくて」
「そうだな」
「みんな彼女が好きで守りたくなるの。あなたも好きになる?」
「そうだな」
と、アルフォンスは気のない返事をした。
「弱いなら守る、それだけだ。正直、それ以上興味ない」
本当に、興味がないようだった。ソフィが拍子ぬけしていると、
「そのオデットのことなんだが」
と、アルフォンスが話を続けた。
「お前の妹で、城の娘であることに間違いはないか?」
「ええ」
「これがお前にとってよい話かどうかは分からないが……実は予定の結婚証書には、妻となる者の名前が書かれていない」
「どういうこと……?」
ソフィは眉をひそめてアルフォンスを睨みつける。
「夫の名前はシリルとあるんだが、妻については城の娘、とだけある。だから俺はこの城に来るまで、城の娘は一人だけだと思っていた……しかし、実際には娘は二人いた」
「じゃ、じゃあ、結婚するのは私でなくても、オデットでもいいってこと?」
「そうだ」
「なんだ、私でなくてもよかったんだ……」
ソフィは呆然としてつぶやいた。頭の中が真っ白になった。
(ずっと、ずっと、自分でなければならないと思っていたのに……)
「父は、私の身持ちが正しくないと、言いがかりをつけてきて……」
「神判の結果、お前に不貞があったかどうかは証明できない。でも、禁じられた神判に頼ったという理由で、お前は婚約者として不適格。するとオデットを婚約者とする方が道理にかなう……」
(神判の結果を待たずして、私の判決は決まっていた)
ソフィはため息が出た。でも、少し前までの絶望は感じなかった。
(どちらでもよかったのだ。私と妹との違いは、先に婚約指輪を持っていたかどうかだけ。私が婚約指輪を失くしたから、妹の方にその機会が回った……)
ソフィは戻って来た婚約指輪をしげしげと見つめた。そしてあることに気づいた。
「そうだ、あなた」
ソフィは興奮した様子で叫び、問い詰めた。
「これが婚約指輪だって言ったわよね、誰に聞いたの?」
「直接的には、城の司祭だが……」
「そう、そうよね、実際の婚約指輪がどうかなんて、私とシリル以外、誰も知らないから。もし他に分かる人がいるとすれば……そうか、分かったわ」
ソフィは立ち上がると、火の燃える盆にフタをかぶせ、神判の火を自ら消した。
「おい……」
「結論が出たと司祭に伝えて、人を集めて。もちろん、オデットも呼んで」