08.俺の覚悟は揺るがない
探索した感じでは、地面まで優に七ポイル(※約十ー・二メートル)はあった。良くて大怪我、打ち所が悪ければ余裕で死ねる高さだ。
身体が重力に捕まると同時に、周囲の緑が下から上へ、あっと言う間に流れて……流れて……。
――流れて、ない?
いや、落下はしているようだが、その速度はかなりゆるやかだ。
人は生命の危機に直面すると周囲の動きがゆっくりに感じることがある。
実際に俺も、アントニーに渓流へ突き落とされた時はそうだった
またそれが起きているんだろうか?
いや、今はゴチャゴチャ考えてる暇はない!
――ままよ! 風の精霊さん、助けて!!
まだ見たこともない風の精霊をモヤモヤッと頭の中に描いて叫ぶと、意識もしていないのに身体がくるりと回転し、頭の位置が下から上へ。
さらに、地面に激突する直前、下半身が見えない何かに包み込まれ、まるでヒナ鳥がそっと巣に戻されるように地上に降り立った。
――よ、よく分からないけど……助かった!? あ、ありがとう、風の精霊さん!
心の中で、風の精霊に謝意を伝えつつ上を見上げたが、サクヤたちの姿は高すぎて見えなかった。
――くっそ、あいつら……とんでもない連中だ!
「な、なんだてめぇ!」
突然降ってきた俺に驚き、抜剣しながら散開したのは、下で作業をしていた剣士風の二人の男だ。曲がりなりにも正規の討伐隊に所属していた俺から見ると、二人とも風体はいかにもみすぼらしい。
だが、構えは……少なくともダニエルと呼ばれていた、両手剣を正中に構えた大男からはかなりデキる雰囲気が漂ってくる。
俺も、魔法がダメならせめて剣で……と、訓練はしていた。
しかし、所詮は木剣しか振ったことのない、素人のチャンバラに毛が生えたかどうかも怪しい程度の腕前だ。
野良とは言え、真剣を構えた剣士二人と渡り合うことなど到底不可能。
ぶっちゃけ、ここからの引き出しはゼロ!
――どうする? 狙いはあの娘たちっぽいし、俺だけなら逃げられるかも……。
そんな考えが過ぎったが、それも一瞬だった。
あいつらに救ってもらった命じゃないか!
とんでもない連中だけど、ここで逃げ出してしまったら、俺も自分のことしか考えてない――アントニーやクリスティナと同じ側に立ってしまう!
理論的な思考よりも、そんな本能的な嫌悪感が俺の足をその場に縫い付ける。
サクヤは、俺を囮って言ってたよな?
なら、俺が時間を稼げば何か手立てがあるのかもしれない。
なんてったって、神様と呼ばれてるくらいの存在なんだから!
「さあ来い!」
と剣を構えた俺を見て、小柄でよく喋る禿男がヒャッヒャッヒャッ、と耳障りな笑い声を上げた。
「さあ来いって……おまえそれ、木剣じゃねぇか!」
「……え?」
――えええええ~っ!? な、なんで木剣!?
「おいダニエル、おまえが出るまでもねぇ、俺が殺ってやる。ヒャッヒャッヒャッ」と、耳障りな笑い声を響かせながら近づいてくるハゲ。
……が、数歩近づいたところでその歩みが止まった。
「な、なんだてめぇ? ど、どっから出やがった!?」
ハゲの視線が、俺の肩越しに背後へ注がれているのに気づいて横目で振り返ると、そこにはなんと……。
――サクヤ! し、しかも、何でまだ裸!?
「ばっ、バカおまえ! そ、そんな格好で何やって……」
「バカはおまえじゃ。いいからさっさと前を向いて集中しろ。こんどは地の精霊じゃぞ? さっきの探索でだいぶ打ち解けられたじゃろ」
「打ち解け……地の精霊と?」
――姿も見てねえよ!
俺の後ろを覗き込むように身体を傾けるハゲの視線から、全裸のサクヤを守るように俺も移動する。
「ハッハァ~ン。さてはその女、テメェの色か? ちょいとガキくせぇがイイ女じゃねぇか。テメェの代わりに俺たちがたっぷり可愛がってやるよ」
言いながらさらに近づいてくるハゲを手で制する大男。
「待て、フランツ。何か、様子がおかしい」
「そりゃあな! 木剣のにぃちゃんにハダカの女だ。ちょいと頭が残念なのは見りゃあ分かる」
「そういう意味じゃない。……念のため、俺が相手をする。おまえは下がってろ」
フランツと呼ばれたハゲが何か言いかけたが、口を噤んで動きを止めた。
四人組のリーダーはフランツみたいだけど、ダニエルというこの大男は、リーダーからも一目置かれているようだ。
サクヤが今、地の精霊って言ってたよな。
もしかして硬質化の魔法を使えと?
でも、たとえ剣だけ硬くできたって、剣技が追いつかないんじゃ……。
ダニエルが両手剣を構えたままジリリと距離を詰めてくる。
恐らく、あと数歩でやつの間合いに入るだろう。
「一度だけ言う。俺たちの目的は獣人の小娘だ。黙ってこの場を立ち去るなら見逃してやる。だが、邪魔立てするようなら……痛い目を見ることになるぞ」
しかしそんな言葉にも、もう俺の覚悟は揺るがない。
ルプスがブラッスール男爵とかいうクソペドいんぽ野郎にされたかもしれないことを思えば、俺だってもう引くわけにはいかないんだ。
「余計なお節介だ! あの子たちに救われた命は、あの子たちのために使うことで贖う!」
「そうか。あの獣人とどんな関係かは知らんが……どうやら引く気はないみたいだな。ならば、腕の一本くらいは覚悟しろ!」
言うや否や、刃を寝かせて最後の一歩を踏み出すダニエル。
それがそのまま攻撃の予備動作となる。
――水平斬り!
慌てて俺も木剣の腹で合わせる。
直後、森に響き渡ったのは金属同士が斬り結ぶ音。
――受け……止めた!?
が、腕への強烈な衝撃と共に、パワーに押されて三、四ポイル(※約五~六メートル)吹き飛ばされてしまう。
「ほう、硬質化か。だが、そんな腰つきでは話にならんな!」
薙ぎ払った両手剣の刃先を返し、竜巻のようなダニエルの連続斬りが俺を襲う。
しかしその時、俺は自分の身に起きた異変を感じとっていた。
木剣が硬質化したこと、ではない。
もちろんそれも、これまでの俺を振り返れば大きな異変だ。
でも今はもっと大きな異変――先ほど上から落ちてくる時にも感じた、周囲の時間を置き去りにするようなあの感覚に頭と身体が驚いているのだ。
旋風を纏ったようなダニエルの回転も、まるで止まりかけのオルゴールのようだ。
――あ、あれなら……俺でも入れる!?
《無心じゃ。迷いを捨てて勝利を拾え!》
頭の中にサクヤの声が響くと、反射的に身体が前に出る。
逆水平斬りをしっかり目視しながら紙一重でかわし――。
ガラ空きになったダニエルの左わき腹に渾身の力で木剣を突き立てた。
直後、置き去りにしていた時間が俺に追いつく。
両手にドクリと伝わってくる、生きた肉の手応え。
「うおおおおおおっ!」
裂帛の叫びとともに斬り抜いた木剣の切っ先が、宙に緋の弧を描く。
寸刻、何が起こったのか分からないと言った表情で、大きく切り裂かれた自らの脇腹を見下ろすダニエルだったが――。
間もなく、その巨躯が、膝から地面に崩れ落ちた。




