14.湯煙の向こうから
「ここでおぬしには死んでもらう」
「……えっ!? ちょまっ……どうした急に!?」
「覚えておらんのか?」
剣を片手に近づいてくるサクヤと対角線の位置をキープしながら、俺もテーブルの縁を回る。
「覚えてない? って、何を?」
「ワシに働いた狼藉をじゃ」
「狼藉って……俺、ずっと動けなかったんじゃ?」
「記憶がないのか……。超治癒で肉体回復を優先するあまり、精神が置き去りとなり、稀に身体だけが本心に従って動き出すことがあるのじゃ」
「まさか! 本心に従ったところでクリスティナだっているし、俺がサクヤなんか襲うわけ――」
「なんかとはなんじゃ!」
サクヤが立ち止まり、心底呆れたような表情で俺の瞳を覗き込む。
「そもそもおぬし、まだあのあばずれに未練があるのか?」
「そんなんじゃないけど、俺も最後は呆然とした状態で川に落とされたし、もう一度会ってきちんと彼女の気持ちを確かめないと踏ん切りがつかないと言うか……」
「はんっ! あんな目に遭わされておきながらまだそんなことを?」
「物心ついた頃から将来を誓い合って、ずっと一緒にやってきたんだ。そんな簡単に忘れられるわけないだろ」
「やれやれ、つくづくおめでたいやつじゃな」
そう言って肩をすくめると、再びゆっくりとテーブルの縁を回り始めるサクヤ。
「まあよい。それはそれ、これはこれじゃ。あの女子に未練があろうとなかろうと、ワシに狼藉を働いたことに変わりはない」
「信じられない……俺がそんなことをするなんて……」
「心の裡では、ワシに劣情を抱いておったのではないか?」
治癒の途中で一度、目覚めたときのことを思い出す。
「た、確かに、サクヤは綺麗だと思うけど……」
「なんじゃ?」
予想外の返答だったのか、眉を上げて珍しく驚いた表情を見せるサクヤ。
「他の男にサクヤの、その……裸を見られた時も、なんか分からないけど、もやもやするって言うか、不愉快な気分になったのは確かだし」
「やけに素直にじゃの」
「でも、だからと言って、それが劣情に変わったりするとは――」
「変わったからこそあんな狼藉に及んだのじゃろうが」
「ろ、狼藉って、具体的には何を?」
「あることないこと、いろいろじゃ」
「あることはともかく、ないことまではやってないんじゃ?」
「やかましい!」
サクヤが叫んで剣を振り下ろすと、俺との間を隔てていたテーブルが真っ二つになり、左右に割れた。
「眠ってる間に誅殺してやろうかとも思ったが、神への冒涜を後悔させねばワシの気が済まぬでな。おぬしが目覚めるのを待っておったのじゃ」
「え? サクヤ、自分は神様じゃないって――」
「おぬしたちにとっては似たようなものじゃ!」
割れたテーブルの間を進んで瞬時に間合いを詰めるサクヤ。
同時に、横薙いだ右腕をトレースするように剣先が弧を描く。
コンほどの速度はない。
が、それでも人の膂力で繰り出される攻撃としてはおよそ神速。
不可視の一閃が俺の首を捉え、胴体と頭部を瞬時に斬り離す。
……はずだった。
サクヤが攻撃の予備動作に入った瞬間、周囲から色が抜け落ちて――。
白黒世界の中で唯一色彩を保ったサクヤだけが、緩慢な動きで近づいてくる。
――これは……〝思考加速〟!?
考えるより早く反応する身体。
入身でサクヤの懐に入り、背中を当てるように動きを止める。
と同時に、剣を携えた右腕を掴むと、時間が元の速度を取り戻し、視界の中で四色の光球が爆ぜた。……気がした。
――今のは、精霊?
「ま、待ってサクヤ! 一旦止まれ! 止ま――」
「うむ。まあ、よいじゃろう」
「……へ?」
サクヤが、俺に斬りかからんと前傾していた姿勢を元に戻す。
同時に、彼女の右手の剣が輪郭を崩し、無数の光球となって宙に霧散した。
「クロノスタシス……まだ任意発動は難しいじゃろうが、危機回避として機能はしているようじゃし、今はそれで十分じゃ……って、いつまで手を掴んでおる!」
「あ、ああ、ごめん……っていうか、え? 今のは?」
「少し特訓の成果を試してみたのじゃ」
「試して、って……じゃ、じゃあ狼藉がどうこうってのは?」
「嘘じゃ。おぬしのようなヘタレがワシにそんな真似できるはずがあるまい」
ほれ……と言いながら、下着が見えそうなギリギリの位置までスカートの裾をたくし上げて見せるサクヤ。
「や、止めろって! 男の前でみだりにそう言うことすんな!」
慌ててサクヤの手を押さえてスカートを元に戻させると、
「……じゃろ?」
「じゃろじゃねぇよ! サクヤがどんな世界で暮らしていたのか知らないけど、ここじゃ裸や下着を見られるってことは恥ずかしいことだし、好きな人のそういう姿も見られたくないって思うのが普通なんだよ!」
「……好き?」
「あ……いや……す、好きってのは、あれだぞ? 仲間として、っていうか、恩人として大切に思ってる、みたいな……」
「ほうほう」
「な、なんだよその目は」
「別になんでもない」
「じゃ、じゃあなんでニヤニヤしてんだよ?」
「よい傾向じゃと思ってな」
くっそ……なんか、変な勘違いをされてる気もするけど、まあいいか。
敵対心や悪感情を抱いていると思われるよりはマシか。
とりあえず、ベッド脇の袖机に畳まれていた服を着ようとすると、サクヤが出入り口の回転盤を回しながら、
「まだ夕食まで時間もあるし、そのまま特訓の垢でも落としてきたらどうじゃ? あのまま丸一日ここで寝とったわけじゃし、少し臭うぞ」
「そ、そうか?」
くんくん、と両脇を交互に嗅いでみるが、よく分からない。
この世界では、貴族の私邸以外で浴室を構える民家などは皆無。そのうえ、野営生活が長かったせいで体臭というものにすっかり鈍感になっていた。
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
扉を開けたサクヤに促されるまま部屋を出ると、すぐそこは脱衣場だった。
各部屋へは、扉のダイヤルを合わせることで大部屋を経由しなくても直接行き来できる仕組みだ。
入ると、着替えを横の棚に置いて下着も脱ぎ、扉に鍵を掛ける。もっとも、施錠したところでサクヤだけは自由に出入りすることができるのだが。
――今日はやけに湯煙が濃いな。
奥の浴場へ入ると、全身を包み込むムッとした湯気の中に、わずかに石鹸の匂いが混じっていることに気がついた。
――俺の前に、コンかルプスでも使っていたのか?
視界が悪い中を、巨大な主浴槽の手前まで進むと、手桶で身体を流して湯船の中へゆっくりと身を沈めた。
――ふぅ……。
体自体はサクヤの奇跡で完治していたが、緊張感のある特訓で蓄積した精神疲労までは癒してはくれない。
社交場としての側面も強い公衆浴場とは違い、一人でゆったりと沐浴することで心まで洗われる感覚を味わうと、貴族連中がこぞって私邸に浴場を設ける理由も分かる気がする。
肩まで湯に浸かりながらそんなことを考えていると――。
ポチャン、と、俺が立てたものとは別の水音が聞こえてきた。
――天井から雫でも落ちたか?
視線を天井へ移しながら、念のため探索の網を放射線状に拡げてみる。
この四日間の特訓で、初級の単属性スキルならかなりスムーズに発動できるようになっていた。
――あれ!? 誰かが、湯船の中を近づいてくる!
慌てて探知感度を上げて人物の特定を図ろうとしたそのとき、湯煙の向こうからゆっくりと姿を現したのは――。
「もう、身体は治ったですか?」
「こ、コン?」




