13.ささやかな独占欲
――くっ……頭が、痛い……何が、起こった?
徐々に働き始める思考と共に、もやもやとした記憶が輪郭を取り戻していく。
――そっか、特訓中に不慮の事故でコンを怒らせて……。
遅れて戻ってきた五感をフル稼働させて状況を確認する。
――ここはどこだ? ベッドの中? しかし、これは……。
寝具とは明らかに別の何かが、俺の横で息づいている。
――ま、まさか!?
夢現の狭間で漂っていた意識を強引に引き戻して瞼を持ち上げつつ、慌てて掛け布を捲って傍らへ目を向ける。
――やっぱり!
俺の右腕を枕にして、左手は俺の胸の上に、左足は俺の左足に絡めて寝息を立てていたのはサクヤだった。
しかも、全裸!
因みに俺も全裸!
顔だけを動かして確認してみると、特訓が始まってから俺に宛がわれた小部屋で間違いない。
その部屋のベッドで俺は仰向けに寝かされ、裸のサクヤからまるで抱き枕のように扱われているのだ。
――なんだ、この状況!?
「おい、サクヤ! 起きろ!」
腕枕にされている右腕を引き抜こうと身を捩った次の瞬間、
「うぐっ……!」
全身に激痛が走り、呻き声が漏れた。
その声に反応したのか、俺の胸の上に置かれていたサクヤの左手の中指がぴくりと動き、それからゆっくりと銀髪の頭が擡げられる。
寝乱れた前髪の奥でまつ毛が動き、現れた黒曜石のような瞳に俺の顔を映してにやりと口角を上げるサクヤ。
「意識が戻ったか」
「お、おまえ……なんでこんなとこで寝てんだ?」
「おぬしだって寝てたじゃろう」
「そ、そういうことじゃなく……い、いったいこれは……どう言う状況?」
「おぬし、コンの電撃を喰らって昏睡状態に陥っておったのじゃ。心停止に加えて内臓と血管も破裂しておった身体に、こうして超治癒を施してやっておったのじゃ」
――そんな状態で、よく助かったな俺?
「脳がやられていたらお手上げじゃったが、頭部だけは光と闇の精霊がガードしてくれておったので助かったの。反属性での防御は複属性使いならではじゃ」
「詳しい話はあとで聞くから、とりあえず、い、一回! 一回服を着よう! な?」
「なぜじゃ?」
「な、なぜじゃ、って……と、年頃の娘が恋人でもない男と同衾してるなんて、ふ、不謹慎だろ!?」
「なにを今さら……。さすが、目の前でまんまと婚約者を寝取られた男の言葉には含蓄があるのぉ」
「おいっ……怪我人に、平気でものすごい鞭を打つんだな……」
「分別くさい物言いのくせに、こっちは元気のようじゃが?」
言いながら、俺の足に絡めていた自らの左足を上に滑らせるサクヤ。
滑らかな膝小僧が、まるで悪戯好きの猫のように俺の下腹部を刺激する。
「そ、そんな格好でそんなことされたら、誰だって反応しちま……アイタタタ!」
「ふむ。大きな血管の修復はまだ不完全のようじゃの。あまり血圧をあげるでない」
「誰のせいだよ! イタタッ……」
「この世界で雄の歓心を惹くには、この身体は幼きに過ぎると思っておったが……そうでもなさそうじゃの」
そう言いながらサクヤが上半身を持ち上げ、俺に覆い被さるような体勢に変わると、肩口にかかっていた艶やかな銀髪がサラサラと零れ落ちてくる。
逆さになってもまったく形の変わらない、お碗型の乳房が作り出す浅い谷間は、確かに大人の女性と呼ぶには程遠い稚気に満ちていた。
しかし、サクヤの、何者をも平伏せさせるような神秘的なオーラと瑞々しい造形美は、長幼の尺度を軽々と飛び越えて男の官能を穿つ。
不意に、全裸のサクヤがダニエルやフランツたちの前に現れた時の不愉快な感情を思い出した。
あの時は、あの気持ちの正体をゆっくり考えている暇がなかったけれど……。
アントニーとクリスティナの濡れ場を目の当たりにした時の激しい妬心……とまではいかなくとも、いずれそこへ通じていきそうなささやかな独占欲に気づいて、俺は少なからず狼狽えた。
――な、何を考えてるんだ俺は!?
こいつは多分、人間の価値観とはまったく別の次元で生きている。
そんな謎生物に対して、邪な考えなんて……。
「とにかく、まだ治癒の途中じゃ。服を着ることはできん」
そう言って腕を折ると、左右対称の、まだ固い果実のような膨らみを俺の胸に押し付けてくるサクヤ。
「どうした? 心拍数が上がっておるぞ?」
「おまえ、わざとだろ!? つか、なんだこの痣?」
そこで初めて、俺は自分の胸に走っている樹形図のような痣に気がついた。
「コンの電撃におぬしの魔功が反応してできたリヒテンベルク図形じゃ」
「ま、まこう? り、りひて……何?」
「属性の活性時に瀕死に陥ったのは、或いは良かったかもしれんな……。まあ、案ずるな。痣は身体が完全に回復すれば消えるじゃろう」
「別に、痣くらい残ったって構わないけど……」
「とにかく、今はもう少し眠るがよい」
そう呟いたサクヤの肌から何か暖かなものが流れ込んでくる。
同時に俺は、再び激しい睡魔に襲われて意識を手放した。
再び目が覚めた時、すでに隣にサクヤの姿はなかった。
反対側へ頭を向けると、椅子に腰掛け、テーブルに頬杖を突きながらこちらを見下ろしているサクヤと目が合う。
「ようやく起きたか。……ん? ワシが服を着ているからといって、残念そうな顔をするでない」
「そんな顔してない」
「身体の具合は、どうじゃ?」
サクヤに言われて、恐る恐る上半身を起こしてみる。
まったく痛みはない。胸の、なんちゃら図形と言われた痣も消えていた。
ベッドの脇に立ち上がってみても、特に異常は感じられない。
――すごい……完治してる。
「どうした? また顔が赤くなっておるぞ」
「い、いや、俺の下着って……もしかして、サクヤが?」
「うむ。おぬしが寝ている間に穿かせておいてやったぞ」
「そ、そっか。それを想像して、なんか、ちょっと……」
「乙女か!」
今まで自覚する機会がなかったけど、クリスティナ以外の異性と付き合ったことも興味を持ったこともなかったせいか、俺の女性免疫は著しく低いようである。
「なんか、空腹感が凄いんだけど……俺、どのくらい眠ってたんだ?」
「丸一日は寝ておったかの」
「そんなに!?」
「もっとも、この部屋に時間遅行の術式を展開したから、外ではまだ半刻(※約一時間)ほどしか経っておらぬが」
「そんなこともできるの!?」
「この〝社〟の中ならばな。もっとも――」
多用することはできんが……と、サクヤが説明を続ける。
時間操作はこの世界よりももっと高次元で行うべき術式で、ここで多用すると大きくなった時空の歪によって肉体消失を招くので、よほどの理由がなければ使えないということだった。
「丸一日もおぬしとここに閉じこもっておっては、コンのやつがうるさいからの」
「そ、それって、よほどの理由?」
「さて、と……」
サクヤが呟いて立ち上がると、上に向けた右の掌から一条の光が伸びる。
やがて光は一振りの剣となり、そのままサクヤの右手に収まった。
「治ったばかりで早速なんじゃが……ここでおぬしには死んでもらう」
「……えっ!?」




