第一話「新しい実験の始まり」
黒い2つの箱から伸びた2本の赤い糸を両手で引っ張りながら、目の前で、夢中で話し続ける男。
「また、こいつ、変なことを思いついたな」と思う僕。
こいつの名前は、川西敬司。
僕、山下進とは、大学時代からの仲で、今は2人ともシステムエンジニアとして別々の会社で働いている。
「週末を利用して、2人で起業しようぜ」と言ってきたのは、川西のほう。
入社3年目、仕事は正直そんなに面白くないこともあって、乗っかった、というか、学生時代から川西の企みに巻き込まれるのは慣れていた。
工学部の、同じクラス。
大学一年生のときの体験入部で、ふたりで何を間違えたか演劇部に入った。
僕は役者に、川西は途中から脚本づくりと演出にのめりこんでいった。
川西は脚本ができあがると、真っ先に僕に見せてきた。
「好き、という言葉を口に出そうとすると、鳥の求愛の鳴き声になってしまって、うまく伝えられない男の悲劇」
「トイレの女性のマークに恋をした男の喜劇」
演じるのは難しく、僕が四苦八苦して演じている様子を川西はいつも喜んで見ているようだった。
そもそも、僕は役者と言っても、素人に毛が生えたような役者で、そんなややこしい設定をうまく演じられるわけもない。
でも、大学の部活ということもあり、お客さんも身内が多く、脚本に困りながら演じている僕をみて、お客さんみんなが笑う、という、僕にとっては「これでいいのか?」という舞台になることが多かった。
「これじゃコントだよ」
「いや、コントじゃなくて、実験と言ってくれ」
舞台の打ち上げの飲み会で、文句を言う僕に、川西が、真面目な顔で答える。
「そう、コミュニケーションの完成度を高める要素についての実験」
「好きが鳥の鳴き声になったり、恋愛の相手がマークだったりすることが完成度を高めるって?」
「たとえばさ、学校の教科書があるだろ。落書きのない綺麗な教科書と、落書きのある教科書、どっちが教科書だー!って感じがする?」
「・・・落書きがあるほうが教科書っぽいかもな」
「そうそう、綺麗に整っているだけが、完成度を高めるわけじゃないんだよ。失われたり、欠けたり、しなびたり、汚れたりすることで、高まる完成度ってものもあって。そのへんを俺は演劇で実験してるんだよ」
俺はつまり実験台かよ、と一瞬思ったが、それよりも、理系を絵に描いたような男が演劇をやると、こんな風にややこしくなるのか、という感心のほうが上回った。
その川西が、また何かを思いついた。
川西の会社と僕の会社の中間ぐらいの駅で待ち合わせて、昼間のカフェの営業から夜のバーの営業に切り替えたばかりの店に入った。
川西が、テーブルの右端と左端に、二つの機械を置く。
それぞれの機械は、筆箱ぐらいの大きさの黒い箱で、それぞれ赤い細い糸が一本ずつ伸びている。
川西は、「これは、まだプロトタイプ。もっと小さくなるんだけど」という説明をする。
夜のモードに切り替わったばかりのバーは、まだ、人がまばらで、このおかしな装置に気をとめる人はいない。
川西から手渡された企画書の表紙には、「赤い糸コネクテッド〜運命の恋の社会実験〜」と書かれていた。