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プロローグ

私はもう死んだ方がいいんだ。取り返しのつかない失敗をして。沢山の人に迷惑をかけて。就活の時に通ったメンタルクリニック。眠れなくて処方された睡眠薬を取り出す。一日1錠と厳守されていたのを思い出しながら、残った全部をコップの水と一緒に飲み干した。


 何枚も履歴書を送り、何社からもお祈りの連絡を貰い、ようやく受かった会社は小さな旅行会社だった。

 配属されたのは海外からの観光客向けの国内ツアーガイドの企画部門。

 大学で英文学を専攻していたので英語力を期待されているのだと考えていた。

 しかし、配属された日に課長から言われたのだ。


「大学で学んだような英語なんて実際には使い物にならないんだよ!まったく、上の奴ら何にもわかってないんだよな」


 ショックだった。今まで頑張ってきたことがすべて否定されたみたいで。

 何も言えず、茫然とたたずむ私をさりげなく廊下に連れ出してくれたのが先輩だった。


「先輩といっても半年違いですけどね。僕も入社したばかりです。こんな、おじいちゃんですが新人仲間ですね」


 そう言って笑いながら自己紹介をする先輩は、白髪で穏やかな笑顔の人だった。


「さっき課長に言われてたことはあまり気にしなくて良いですよ。彼、今ちょっとピリピリしているだけですから。実は課長はこの会社の2代目なんです。都会でコンサルティングの仕事をバリバリしていたみたいですけどね。といっても僕みたいな年寄りにはどんな仕事がわからないんですが。だけど、お父さんの社長が身体を壊して、急遽会社を継がなきゃいけなくなったみたいで、いま周囲に成果を見せようと必死なんです。君はとばっちりを受けたんですね」


 淡々と説明をする先輩の声でようやく落ち着いてきた。


「詳しいんですね」


「この会社の社長の古くからの友人なんです。僕も新卒で旅行会社に入社して。そのままずっとこの仕事を続けているもので。いわゆる業界仲間ですね。この課の課長も若いころから知っているんですよ。僕が前の会社を定年退職したのを知って、うちの会社で仕事しないかと声をかけてくれたんです。コネ入社です」


 そういって恥ずかしそうに笑う先輩を見て、ようやく頑張って仕事をしようという初心を取り戻した。

 仕事はほとんど使いっ走りだった。3月からバイトという形で入り、4月1日に入社式。しかし、特に業務内容は変わらない。課長が怒鳴り声と共に出す指示を先輩と手分けして片づけていく。

 今企画しているのは外国人観光客が主体の二泊三日の旅。旅行のメインの有名なお寺の灌仏会、別名花祭り。この旅行の企画にかかわるまで知らなかったが仏様の誕生日らしい。

 先輩がどのようなお祭りか説明してくれようとしたけど、正直余裕がなかった。

 帰宅してから自分で調べると断ったが、家に帰るとベッドに横たわり死んだように眠るのが精いっぱい。朝はギリギリの時間に起きてシャワーを浴び通勤電車へ飛び込む。スマホでググる事も忘れていた。


 4月8日当日、デスクの上の電話が鳴り受話器を取ると慌てたような声が飛び込んできた。今回の旅行に同行しているガイドの方だ。

「段ボールにペットボトルのミルクティーや紅茶が一杯あるんですが、甘茶の準備は?」

「えっ甘茶って甘いお茶の事じゃないんですか?」


 10日ほど前、課長の字で私のPCの表に【甘茶×人数分】と書いてあったメモが貼ってあったのだ。

 甘いお茶を略したのだろうかと思い課長に聞こうとした。しかし、課長の怒鳴り声を聞く勇気が出ず、確認を怠ったのだ。

 灌仏会を知らなかった私は当然甘茶の事も知らなかった。

 お釈迦様の誕生日には、仏像に甘茶と呼ばれるお茶をかける。ただ海外からのお客様はキリスト教圏の方も多いので宗教色が近いと参加してもらいづらい。しかしお茶を飲むだけなら問題ないと、この時期にしか飲めない甘茶をお寺で飲めるのがツアーの目玉になってたそうだ。


 それからは大騒ぎだった。課長と先輩がそこら中に電話をかけ始めた。甘茶というお茶自体がかなり特殊なものらしくツアーが終わるまでに手配することはかなり難しいみたいだ。契約不履行ということで違約金を支払う事態になるかもという考えが頭をよぎった。そうなったらこの旅行の企画は大赤字だ。


 何も出来ずただ泣き続ける私に、先輩がタクシーを呼んでくれた。


「大丈夫です。絶対になんとかしますから。今日はいったんアパートに帰ってゆっくり休んでください」


 タクシーに乗せられ私はアパートの部屋にたどり着いた。玄関の鍵を閉めチェーンをかけたところで私は決意した。こんな私は死んでしまおうと。




 睡眠薬を飲んでベッドで眠りについたはずの私は、気が付くと不思議な空間にいた。

 真っ暗で何も見えない。自分の手や足からもなんの感触も感じない。周囲の温度もわからない。喉の渇きも気にならなかった。意識できるのはどこからか聞こえてくる声だけ……


 最初に聞こえてきたのは若い女性の声だった。流れるように紡ぎだされる言葉。教養が高い人とは彼女のように話す人の事を言うのだろう。終始嘆き哀しむ気の弱そうな声。しかし時折、プライドの高さと勝気な性格を思わせる何かを感じさせた。

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