初対面
『「仙薬」……不老不死になるという薬。極めて効き目の良い薬。』
この世界には「仙薬」と呼ばれる人間が存在する。これは仙薬と呼ばれるヒトとある殺し屋の絶望的な恋愛話。
壁に設置された姿見の前で、着替えを始める女性が一人。漆黒の髪は癖ひとつなく真っ直ぐで、桃色の瞳は鏡の中の自分を見据えている。その部屋の主でもある、道城二葉は白いYシャツに袖を通した。スカートをはき、ネクタイを締め、最後に深緑のブレザーを着れば完璧だ。最後に一回りしてスカートをひらりとはためかせると、ならうように長い黒髪は一緒に揺れた。
(うん、完璧だ)
二度、三度、自分の姿を確認した二葉はベッド横に立て掛けていたスクールバックを手に取り部屋を出た。ゆっくりとした足取りでそれでも少しテンポよく無駄にでかいこの家の廊下を歩いていく。壁には親の趣味の色彩豊かな絵画たちが飾ってあり、度々通り過ぎる扉には派手な装飾が施されているが二葉には何故そこまで派手なのか理解出来そうにない。
白いテーブルクロスが敷かれたテーブルが鎮座している食堂につき、自分の定位置へ座ろうと椅子を引いた。
「二葉様、旦那様がお呼びです」
低い渋い声で名を呼ばれた。ふとそちらを見るとこの家の執事である有馬がそこに立っていた。白髪が綺麗に整えられており、端正な顔立ちをした彼は今友人たちの間で流行っているイケおじと呼ばれるに相応しいだろう。
「わかったわ。すぐ向かいます」
なんとなく呼ばれるのは分かっていた。それでも朝食を優先したかったのは素直にお腹が減っていたからだ。引いた椅子を戻して先導してくれる有馬についていく。
再び長い廊下を進んでいくと、一際目立つ焦げ茶色の大きな扉。見るからに重そうなそれは我が物顔でそこにいる。
「旦那様、二葉様を連れてまいりました」
「入れ」
「失礼します」
扉を開いた有馬を追い越し二葉は部屋の中へと足を進めた。有馬が扉の向こう側で頭を下げているのを最後に扉がパタンとしまった。
「呼ばれた理由は分かっているな?」
「はい」
二葉と髪の色も目つきも瓜二つの父親である道城生庵は彼女を見据える。唯一違う灰色の瞳は小さく揺れていた。
(お父様も不安なのね……。)
今日という日は道城家にとって運命を変える日になるのだ。
道城家の家系は代々殺し屋一族だ。父も母も祖父も祖母もそして兄も二葉も。一族の始まりは明治時代からであっただろうか。最も二葉にとって歴史はどうでもいいことであまり興味が無いのだが、それはそれは優秀な一族であったらしい。裏の世界で名を言えば畏れられる程には。
それから代々と続いており、現当主である生庵が二八代目、順調にいけば次期当主は生庵の息子で二葉の兄である仁瑛であった。そう順調に行けば。しかし事はそう上手く行かない。
半年前の凍えるような寒さの冬だった。母と仕事に向かった仁瑛たちは仕事で大怪我をおって帰ってきた。家の玄関で雪崩るように倒れ込んでおりそれを発見したのが家にたまたまいた二葉だ。玄関は赤黒い血で満たされており鉄寂のような匂いが鼻につく。それから彼らは一向に目を覚まさない。一体何があったのか、二葉には何もわからなかった。もしかしたら父はなにか知っているかもしれないが二葉は何も知らされていない。
母も兄もそれはそれは優秀な人間だった。あそこまでの怪我をおうことは今まで見た事がない。それほど衝撃的な光景が目の前にひろがっていた。今思い出しても身震いしてしまう。
母と兄が目を覚まさなくなってから父は犯人探しに躍起になっていた。身体がボロボロになりなってでも無茶をして、スマートに仕事をこなしていた昔の父の面影はどこにもない。身体もやせ細り腕は簡単に折れてしまいそうだ。二葉にとってその姿を見るのは苦痛にも近いものだった。
二葉もできる限り情報を集めたが、護身術や人殺しの術を叩き込まれたとはいえ未だに仕事をさせて貰えないこの身では情報源も少なくてなかなか父の助けにはなれない。
歯がゆい思いをしながらも裏サイトを毎日のように調べていくと「仙薬」という名を目にした。病気でも怪我でも綺麗に元通りに治す「仙薬」と呼ばれる医者がいると。治療する方法は分かっておらず、医者と呼んでもいいのか分からないが、治療されたものは、元の体よりも元気になることもあるらしい。そんな、まるで神様のような存在、所業。そんな人間がこの世にいるなんて信じられなかった。しかしサイトに書き込まれている情報達はどれも現実味のあるもので今の二葉たち家族には縋りたくなるようなものだ。
父にそのことを報告すると共に二葉はその日から「仙薬」について調べ始めた。「仙薬に治してもらうには大金が必要だ」、「仙薬は死にかけの人間でもすぐに治してくれる」、「仙薬の血を飲めば不老不死になれる」、調べれば調べるほど、嘘くさい情報が飛び交う。しかし今の二葉にはそれに縋るしかない。情報をくれた人間に大金を渡すという条件の元、サイトで情報を収集するも「仙薬」がどこにいて、どんな人間なのか全く情報は集まらなかった。
「仙薬」について調べて一か月半、二葉のサイトに「霊媒師」という名の男から連絡が来た。礼儀も何も無い軽薄そうな文面のこの男は(口調からしておそらく男だろう)最初から最後までタメ口で話しかけてきて金のためだけに連絡してきたのだろうと、相手にするつもりもなかった。「仙薬は日本の学校にいる」という情報を向こうが与えてくるまでは。
「仙薬は日本の学校にいるよ〜」
「青藍学園って知ってる?」
「そこの三年生だから、彼」
仙薬が学生だなんて誰が思うだろうか。裏の世界で有名な人間なのだから勝手に初老なのだと思っていた。最初こそふざけるな、なんて思っていたが向こうから送られてくる情報はとても細かく、嘘でもここまで言うだろうかとふと思ってしまった。また軽薄そうな男なのにその情報には信憑性があって、決定打になったのは向こうが仙薬の写真を送ってきたからだ。顔はハッキリしていないが眼鏡をかけていて黒みがかった紫の髪。霊媒師を名乗るこの男を信じるならば仙薬は男であった。
この男以外にこれといった情報はない、ならば外れたとしてもそれに縋るしかないのだろう。二葉は金を渡し、また新しい情報があったならば連絡して欲しいと伝えた。しかし、それ以降彼から連絡が来ることは無かった。
最初から金目的だったのだろう。もしかしたら今までの情報は全て嘘なのかもしれない。しかしそれを判断する材料を二葉には持ち合わせていなかった。既に渡してしまっている金が戻ってくることもない。ならば僅かな希望を持って信じるしかなかった。
「青藍学園」というのは関東で有名な私立の中高一貫校だ。圧倒的学力主義で、有名大学に多くの生徒を送り出している。また勉強さえできればいいというスタンスの学校らしく、校則は自由そのものだとネットの海の中では騒がれていた。当時高校一年生だった二葉は父に頼み、急いで編入届けを出した。裏の仕事を生業にしているうちにとって、一学園の編入資格を得るのはそう難しくない。当たり前だが編入試験はあったがもともと二葉は勉強が得意な部類にあり、早々とその試験を合格し青藍学園に在する資格を得たのだ。最も学園に編入するのは手段であり目的ではないためこのくらい当たり前にこなせないとダメなのだが。
編入し、持ち前の見た目と性格で友人は簡単にでき、二葉の周りには人が絶えなかった。
しかし二葉がこの学園に編入して 二週間、件の男には未だ出会えないでいる。まだ全校生徒をみて回った訳では無い、諦めるのはやすぎると思うも、あの男の言っていたことが嘘だったんじゃないか、そう思ってしまう。
別に諦めてはいなかった。ただこんな平和ボケした世界に仙薬と呼ばれる男が本当にいるのか、それは疑問でしかなかった。青藍学園は普通の学校、ただほかの学校に比べて学力レベルが高いだけで裏の世界に染っている二葉にとって退屈な日々でしかない。刺激も何も無いこの学校になぜ仙薬はいるのだろうか。そんな考え事をしていたせいか、廊下の曲がり角で人とぶつかってしまった。普段なら避けられたのにそれが出来なかったのは自分の危機察知能力が鈍っていたと思われても仕方がない。そのくらい自分は油断していた。
「……ッすいません。……あっ」
目線を上に向け二葉は言葉を失った。黒みがかった紫の髪に、黒縁のメガネ、その奥の瞳は綺麗な碧色で端正な顔立ちの男子生徒。霊媒師から送られてきた写真に写っていた男そのものだ。驚いた顔でじっと男の顔を見ていた自分を男子生徒は訝しげな顔で二葉を見下ろす。
「俺の方こそ悪かった」
「あ、待ってください……!」
それだけ言うとそのまま立ち去ろうとする男を慌てて呼び止める。といっても呼び止めたとしてもなにを話せばいいのか全くわからなかった。まさか本当にこの男がいるなんて思わなかったのだから。何か言わなければ、なにか……。じっとこちらを見ている碧色の瞳、まるでなにかを見透かされそうで変に緊張する。緊張なんて、自分には程遠いものだと思っていた。外ではいつも自信に溢れていて、ここまで緊張するなんて今までこんなこと一度もなかったというのに。
「るく〜!」
今まで聞いたことないくらい軽い声が響く。それと同時に目の前の男は目線を二葉から外した。
「何の用だ、ひより」
「これから生徒会室戻るんだろー??俺のこの荷物もってってくれない??」
「自分で運べ」
ワインレッドのような艶のある髪色の男性が手を振りながら近寄ってくる。るく、と呼ばれた目の前の男とは対称的で、どうも軽さのあるチャラついた男がこちらを見て不思議そうな顔をした。
「なに〜?俺お邪魔した?」
「別に、なんでもない」
るくと呼ばれた紫髪の男はもう一度二葉に目線を向けるが、その瞳には二葉もなにも映っていなかった。まるで興味が無い、そう言われているようだ。正直な話、二葉の見た目は人の目を引くほど綺麗なものだ。だから外を歩いていれば嫌でも人の目を引き寄せてしまう。家の仕事をさせて貰えないのもこの見た目のせいで、目立ってはいけない殺し屋にとってこの見た目は致命的になる。それほど魅力的な自分の見た目を、あんな瞳で見られるなんて今までだって一度もない。スタスタと歩き去っていく男たちの後ろ姿は二葉のプライドを傷つけたようなものだった。
後に友人に、紫髪の男のことを聞いてみるとどうやらこの学校ではとても有名な人間だということがわかった。宮代留玖という名で現在この学園の三年生、また生徒会長をつとめている。この学校の生徒会長というならば普通の生徒よりも目立つ存在であり、またあの美しい見た目であればすれ違っていても見つけられるはずなのになぜ今まで見ることがなかったのか。何気なしにクラスメイトに聞いてみると、なんとあの生徒会長は滅多に生徒会室から出てこないらしい。廊下で出会えるなんて運がいいね〜なんて言われたが全く意味がわからなくて苦笑いを返しておいた。生徒会室から出てこないなんて、授業はどうしてるのだろうか……、一体何しに学校へ来ているのだろうか。疑問が次々と浮かんだが、とりあえず彼がどこにいるのか情報を知ることが出来たためその場で聞くことはせずそのまま自宅へと帰った。
それが昨日のこと。そして今日、二葉は「仙薬」に接触する。なぜ昨日「仙薬」に接触しなかったかと言えば単純に準備不足であったからだ。依頼をするための金も、仙薬もとい宮代留玖の情報も、「仙薬」に接触する覚悟もあのときの二葉は何も持ち合わせていなかった。
「これがお前の初めての仕事になる。失敗は許されない。だが自分の力を過信するな、無理なら引き際を見極めてこい」
「はい」
父の灰色の瞳は酷く真剣だ。たかが医者に治療の依頼をするだけ、普通ならそこまで慎重にならない。しかし、今回二葉達が相手にするのは裏世界で有名な人物。護衛の一人や二人雇っているかもしれないことを考えると自分たちの身分を簡単に明かす訳にもいかないだろう。
「……本当ならお前まで失いたくないんだ」
弱々しい声で父は呟く。しかし安全に「仙薬」と接触できるのは二葉しかいない。だとしたら自分以外誰が動くというのか。
「それではお父様、学校へ行ってまいります。」
二葉は生庵の言葉を聞かなかったふりをして踵を返した。
宮代留玖、この学校の3年生。現在生徒会長をしており、成績は優秀。家族構成、父、母(死別)、そして二十一人兄妹の三男。基本無表情であり、冷淡、女嫌い、etc……。
二葉は昨日のうちに調べた情報を授業中ずっと頭の中で整理していく。母親はなくなっているが、父親は海外を飛び回っている冒険家。留玖の上の兄弟は会社員、下の兄妹はみな学生という、ただ兄妹の多いだけの一般家庭だと、二葉の調べの中ではなっている。こんなただの家族の中に裏の世界に通ずる人間が果たしているのだろうか。憔悴しきっている父にそのことは言えなかったが、もし話に行ってただの人違いであったなら、自分たちの行動は全て無意味になってしまう。
そうはならないよう願いながら二葉は放課後生徒会室へと向かった。
焦げ茶色のいかにも威厳のありそうな扉の目の前に立つ。友人の情報では宮代留玖はこの部屋にいると。一般生徒ならノックをするのも躊躇いそうなほどの雰囲気を出しているその扉にコンコンコンと手を打つ。しかしなにも返ってこない。もしかしていないのか……?もう一度ノックをするがやはり返事はない。
「君、生徒会室に用があるの?」
銀色のドアノブに手をかけそれを回そうとしたとき、後ろから声が掛かる。振り向くとそこにいたのは一人の男子生徒だった。クリーム色のサラサラとした髪に、透き通るような白い肌、アメジスト色の瞳をこちらに向けているその男子生徒を二葉は知っていた。
社井皐月それが彼の名前である。この学校の生徒会の副会長で、廊下などで度々すれ違ったりしていた。ただすれ違っただけでなぜ名前を知っているのか問われれば単純に周りの友人たちが騒ぐからだ。だから嫌でも名前は覚えてしまっていた。
「はい、生徒会長に相談がありまして」
笑顔を向けて応えると、皐月はそっかと呟いて二葉を扉の前から退くよう促す。二葉は素直にその言葉を聞き、斜め後ろに退いた。
「会長いるかな」
彼はスラックスのポケットから鍵を取り出すとそれを生徒会室の鍵にさしてガチャりと開錠した。中に入る皐月に続き中へはいると、目に入ったのは教室とは比べ物にならないくらい豪華な部屋だった。応接セットが部屋のど真ん中に配置されており
、その奥に生徒会長の席、そして隅の方に大きなテーブルが置かれている。まるで会社の社長室のような部屋で驚きのあまり「すごっ」と声を出してしまった。
「君はその席に座って待っててね、ちょっと会長呼んでくるから」
応接セットの革張りソファに座るよう促されたため素直に腰をかけると、皐月はこの部屋の奥にあるもう一つ扉の中へ入っていってしまった。あの奥は一体なんの部屋なのだろうか。純粋に好奇心を持ってしまい慌てて首を振る。今日、自分がここに来た目的を忘れるな、なんのために自分はここにいる。どうせあの扉のむこうは資料をまとめておくための倉庫かなにかだろう。そうだ、絶対そう。
「ごめんね、待たせて」
皐月の声に顔を上げると、彼の後ろに紫色の頭が見えた。そして────メガネ越しの碧色の瞳と目が合う。
「俺を呼んだらしいが、一体なんの用だ?」
二葉の前に二つ並んでいる一人がけのソファに皐月と留玖はそれぞれ座った。二葉は早速本題に入ろうと口を開きかけ、あることを思い出す。
霊媒師の話では、宮代留玖が仙薬である。となると、隣にいる副会長の社井皐月は何も知らないただの一般人だ。一般人がいる前で「仙薬」の話をしていいのだろうか。裏の世界のみで活動しているということは表立って言えないことも沢山しているのだろう。それを皐月に知られていいのか……。
「私は二年三組の道城二葉と申します。実は私の母親と兄が病気になりまして……」
しかしここでせっかく生徒会長と会わせてくれた彼を追い出すということも出来ない。二葉は仕方なしに、話を進めていく。
「────ということで、あなたに助けを求めに来たのです。仙薬様」
さすがに殺し屋の娘というわけにもいかず、母と兄が病気をして一向に目を覚まさないと俯きながら簡単に伝えた。最後に、『仙薬様』そう言うと今まで黙って聞いていた留玖の目が大きく開いた。暗にあなたの裏の顔を知っているという主張と、裏の世界の名前で呼べば無関係な皐月を追い出すだろうという意図もある。しかし展開は二葉の思っていたものとは違う方向へ進む。
「仙薬様だなんて、久々に聞いたな〜」
そう呟いたのは、裏の世界とは無関係だと思っていた皐月であった。思わず下げていた頭をあげると、先ほど扉の前で向けられたものと変わらない笑顔で留玖を見ている。なぜ彼は、仙薬を、知っているのか……。
「お前が仕事についてきたのはもう数年も前だからな」
「だって、もう僕は必要なかったでしょ?」
「ああ。それに俺がお前を連れて歩くのはいろいろと面倒だ」
「確かにそうだね」
疑問の残る二葉をおいて、目の前の二人はポンポンと会話を弾ませる。仕事というのは仙薬の仕事、つまり治療の仕事なのだろう、そのことはわかった。そして、皐月が仙薬について知っている、ということは彼もまた裏の世界の人間なのかもしれない。
「仙薬様、どうか私の家族を助けてください。お金はいくらでも払いますので。」
このまま放っておくと話が流されかねない。二葉は二人の会話をさえぎって頭を下げた。嘘も混じっているとはいえその言葉に嘘はないため、なるべく懇願するような声音を出す。
「何万までなら出せるんだ?」
(その言葉を待ってた……!)
二葉ゆっくりを顔を上げて、碧い瞳を見つめる。
「一千万でも、二千万でも貴方様の望む限りは、善処しましょう」
「そうか」
細いゴツゴツとした指を顎に添え、一人がけソファの背もたれに身体を預けた。二葉に提示する金額を決めてもうすぐこの話は終わらせる、そんなふうに感じとれる。
(思ったより早くこの件が終わりそうね)
二葉の中ではすでに仙薬は母親と兄を診てくれると確信めいたものがあった。そういう態度を仙薬はとっている。
(あとは彼が提示した金額を用意してうちに来てもらうだけ……。)
しかし、そう考えていた二葉を嘲笑うかのような言葉が降りかかった。
「さすが優秀な殺し屋一族道城家か。金には困っていないと」
「えっ……」
仙薬の思ってもみない言葉が確信をもっていた二葉の心を打ち砕く。
(いつからバレていた?)
書類上は父は会社の社長、母は専業主婦の少しお金持ちな一般家庭、兄は大学生となっている。また二葉は殺し屋の仕事は何もしていないため、殺し屋特有の痛いような匂いもまったくしないはすだ。この学校で一族のことは何も喋っていないし、バレるようなヘマもしていない。では何故目の前の男はうちの家族のことを知っているのか……。なぜ知っているのか、とまるで問うような目線を向ける二葉に留玖は小さく溜息をつく。彼は未だに背もたれにもたれたままだ。
「編入時に家庭の事情は少しだけ調べさせてもらった。うちの編入試験に合格する生徒なんて珍しいからな。それに変わった者が入った場合把握していないと不測の事態に対処出来ない」
一般人が少し調べただけで、うちの一族がバレることなんて無いはずだ。その考えが浮かんでシャボン玉のようにパンと割れる。……彼は一般人ではなかった、裏の世界で有名な仙薬である。裏の情報も色々と知っているのだろう。であるなら、いきなり編入してきた生徒の裏の顔を調べるのも容易いのかもしれない。これは明らかに彼が二葉の正体を知らないとたかを括って油断していた自分が悪い。
「さすが仙薬様、ですね」
「別に俺が調べたわけでは無いがな。調べ物は得意なやつに任せるのが一番だ」
留玖はちらりと隣にいる皐月に目線を向ける。まさか彼が情報屋ということなのか……。仙薬の名を聞いてあの態度、社井皐月が裏の世界に精通しているのは確かであろう。
こんなことならばもう取り繕う理由もない。二葉はゆっくりと笑顔を向けると初めて素の顔を二人にみせた。
「そうですか。それで私の依頼は受けてくれるんですか?」
声音も先程のものとは比べ物にならないくらい軽い。すでに二人は自分の素性を知っている。ということは、母と兄が重い病気にかかってしまって悲しみにくれている娘を演じるのは無駄であろう。雰囲気がガラリと変わったからか留玖は僅かに目を見開いた。しかしスっと先程と変わらない無表情に戻り口を開く。
「残念だが、受けることは出来ない」
「は?」
「わざわざうちの学校に編入してまで俺に接触してきたということは、母親と兄弟は何かしらの影響で目を覚まさないという話は本当なんだろう。だからといって俺が助ける理由にはならない」
「お金はいくらでも出すと言ったじゃないですか!」
「俺にとって金は手段であって、目的ではない。いくら金を積まれようと、お前の家族を助けたところで俺に利益はうまれないな。俺も慈善活動をしているわけではないからな、利益のない人間を助けたりはしない」
淡々と答える目の前の男は二葉に意地悪をしようとしてそう言っているのではなくそれが当たり前だと思っているようで、取り付く島もない。今のところ二葉が提示出来るのはお金のみでもし仙薬が仕事を受けたとして彼に彼の求める利益があるかどうかと問われれば何も応えられないだろう。しかし……。
「断ったら私があなたを殺すかもしれないとは思わないんですか?」
「……逆に聞くがお前で俺を殺せると思うのか?」
脅し文句を口にすると留玖は目を細め、嘲笑うような問いかけを返された。今の彼は背もたれに腰掛け、重心が後ろに来ている。とっさに動くことができない体勢だ。重心を前に持ってきている二葉の方が早く動けるだろう。それなのに何故この男はこんなにも余裕なのか……それはこちらに仙薬を殺すメリットがないからだ。だから二葉が実際に殺せるか殺せないかは置いておいて、二葉が仙薬を殺せないことを彼は知っている。彼の手のひらでころころと転がされている自分の姿が浮かぶ。はぁと小さくため息をついた。
「そうですね、殺せません。そう言っておけば考えが変わるかもしれないと僅かに思っただけですよ」
「残念だが俺に脅しは効かない。これでもお前よりは修羅場を経験しているものでね」
留玖はとうとう目を瞑った。まるでこの話はもう終わりだと言わんばかりの態度にすーと背中に冷や汗が垂れた。このまま断られたままではこの任務は果たせない。母と兄を助けることも出来ない。
「うちの家族を助けることであなたに利益が生まれれば、治療していただけるということですよね?」
「……まぁ、そうだな」
その言葉に嘘はないだろう、では自分のやることはもう決まっている。仙薬に利益になるようなことを持ってくればいい。
分かりました、そう返事をしようとしたときプルルルルとけたたましい音が生徒会室内に響いた。その音と同時に先程まで二葉の前に座っていた留玖が立ち上がり生徒会長席に設置してある内線電話を手に取り会話を始めた。少し会話をしたあとそれを元に戻し皐月に向きなおる。
「ちょっと出てくる」
「うん、わかった。この部屋は僕がみているね」
今まで二人の会話を傍観していた皐月がやっと口を開く。相変わらずニコニコと笑顔向けていてまるでそれが彼のアイデンティティと言ってるようだ。
「ちょっと、待っ……」
二葉が言葉をかけるよりも早く留玖はあの重い威厳のある扉から出ていってしまった。思わず伸ばしかけた手を慌てて下ろすと、フフっと横から笑い声が聞こえる。
「ああ、笑っちゃってごめんね」
「いえ。それでは私も帰ります」
仙薬がここにいない以上自分がこの場にいる意味もないだろう。それに帰ったら父への報告と利益になるものを探さなければならない。まだまだやることはいっぱいだ。
「うちの医者貸してあげようか?」
今後やることを頭の中で整理しながら。帰るため立ち上がろうとしたとき、声が掛かる。
「え」
「君の話が本当なら、今君の家族は危ない状況にいるってことでしょ?さすがにそれは見過ごせないかなって思ってさ。まぁ仙薬よりは劣ってるけどいい医者だと思うよ」
相変わらず笑顔でこちらに向けて喋る皐月の本心は何も見えない。
「先程の仙薬の言葉を借りて言いますが、私の家族を助けてあなたにメリットはあるんですか?」
「メリット?そこは考えていなかったけど、君の家族がもし助かるならそれに越したことはないよね」
いい人、なのだろう。しかしさっきまで話ていた利益を求める仙薬よりも不気味さを感じた。メリットがないのにわざわざ助けるなんてよほどのお人好しか裏になにかあるのか。どちらにせよ簡単にはうなずけない。疑うような目付きで二葉がみている事に気づいたのか、「信用しずらいよね」と頬をかいた。
「まぁ留玖も立場があるからね誰彼構わず助けるわけにもいかないんだよ。まぁ身内には甘いから兄妹や友人、恋人になったらなりふり構わず治療するんだけど」
ぽつりと皐月の呟いた言葉に、ある考えが浮かぶ。それはまるで色水が透明な水にぽとりと落とされて広がっていくような、そんな感覚。
仙薬の恋人になればいいのだ。彼を自分自身に惚れさせれば二葉の願いを叶えてくれるかもしれない。仙薬の求める利益を用意するよりもより簡単に見えた。正直自分の見た目には自信がある。男がどう接すれば好感を抱くかもわかっている。先程まで暗かった目先がやることがわかった途端に明るくなった。思わず笑みを零すと、皐月は訝しげな顔をする。
「社井先輩ありがとうございます。とりあえず父に聞いてみますね」
「うん、わかった。僕は三年の教室にいるけど基本的に留玖はここにいるから用があったら訪ねるといいよ」
「はい!では」
いい提案をしてくれた皐月に笑顔で挨拶をして、厳つい扉をくぐった。放課の時間、誰もいない静かな廊下を歩いて行く。
思わぬところから助けられて笑みを隠せない。社井皐月、彼は情報屋としてあんな簡単に情報をこぼして大丈夫なのだろうか。まあそのおかげで希望の光は見えたのだけれど……。それに初めてあった時のあのまるで興味のなさそうな目、今思い出しても屈辱を感じる。あのときの仮も返せなければならない。
「宮代留玖、絶対私に惚れさせてやる」
彼女の足取りは危篤状態の母と兄を持った娘と言うにはとても軽かった。
突然の来訪者が帰ったため、ホコリ落としで生徒会室の棚を綺麗にしているとガチャりと扉の開く音がした。振り向くとこの部屋の主である留玖が大量のコピー用紙を抱えて戻ってきたのだ。
「なんだあの女は帰ったのか」
「うん、さっきね。すれ違わなかった?」
「ああ」
ホコリ落としを棚の上に置き、留玖の持っているコピー用紙を半分もらうと皐月は奥にある役員のテーブルにどさりと置いた。いくら紙とはいえ束になれば重い。
「そういえばあの子、二葉ちゃんだっけ?綺月が言ってた通りの子だったね」
「そうだな。あいつには言っておいてくれ。またお礼はすると」
「そんなこと言うと、何頼まれるかわかんないよ」
ハハッと思わず笑みが零れた。今回、『道城二葉』を調べくれた皐月の下の弟である綺月はたまに突拍子もないことを頼んでくるのだ。弟とはいえ変に仮は作りたくない相手である。
ふと留玖を見ると彼はじっと生徒会長席の引き出しの中身を見つめていた。思わず近寄って覗いてみると、先程までこの場にいた道城二葉の情報が書かれた紙が顔写真付きで入っている。
「やっぱりそっくりだよね」
「……ああ、そうだな」
二人の頭に浮かぶのはある少女の姿。とうの昔の記憶であるのに鮮明に覚えていられるのはあの事件のせいであろう。忘れたくても忘れられないその記憶は一生二人、いや、あの事件に関わったヒトビトは覚えていなければならない。
「今日の夕飯何にするの?」
「今夜はビーフシチューだと連絡が来た」
「お、いいね〜」
どうか“ あの子 ”があの子じゃありませんように───────。