第7話 困惑
未だに自分の居場所が定まらない私は、いつくるとも分からない父からの連絡を祈るように待っていた。
そして学院の卒業式典から約半月後、シモンズ男爵領にいるはずの父が、前触れもなく王都にやってきたのだ。
「ドミニカの貴族学院入学はなくなった」
「何を仰っているの?」
「今のシモンズ男爵家にそんな余裕があると思うか?」
「それをどうにかなさるのが、領主様のお仕事ではなくて?!」
突然やってきた父は、かつての健康的な体よりかなり細くなっていて、頬もガッツリコケている。いつもピシッと撫で付けられていた焦茶色の髪はボサボサで、かなり白髪が混じっていた。
しかし、やつれた様子ながらも目に力はあり、むしろ私の知る父より精悍だ。
だが気が立っているのだろうか、いつも優しい言葉遣いをする父らしからぬ、少々棘のある言い回しで継母に言葉をぶつけている。
その父の言葉に対し、継母は無遠慮に食って掛かった。
私の知る父は弱腰で、毎度毎度継母に丸め込まれてしまう。
シモンズ男爵領にいた頃の、今よりまだマシだった継母に、父は簡単に丸め込まれていたのだ。王都で多少なりとも貴婦人に揉まれた継母は、あの頃より手強い。
だから今回もまた、父はいいように言いくるめられる。私はそう思っていたが、今日の父はいつもと違って強気だった。
なんでも、継母の金遣いが荒いことに何度も苦言を呈していた父だったが、グロス伯爵家に借金をしているのは知らなかったらしい。
しかし、私とズリエルの婚約が正式に破棄されたことで、伯爵家から改めて返済方法について話し合いたいとの申し出があり、父は急遽王都にきたそうだ。
そして話し合いの結果がどうなるか関係なしに、継母と義妹、そして私の三人は領地に戻り、父が王都に残って金策に奔走すると言われた。
その父の宣言を聞き、私は困惑してしまう。
なぜなら、先ごろ貴族学院を卒業した私と入れ替わるような格好で、今度は義妹が学院に入学する予定だった。そうなると必然的に、継母も王都に残る。
だからこそ、私は一人でシモンズ男爵領に戻り、物理的に継母と距離ができるはずだった。
私はそれこそ三年間、それだけを励みに耐えてきたというのに……。
念願の帰郷も、継母と義妹が一緒では生活する場所が変わるだけで、私の置かれる状況は何も変わらない。
絶望感を抱いた私は、三年ぶりにシモンズ男爵領へ戻ることとなった。
父のいない男爵領に戻ったことで、救いのない絶望的な日々が始まる。……はずだったのだが、いざ生活しはじめてみると、当初は思ったより悪い状況ではなかった。
というのも、父が男爵領の全商人に、継母に物を売るなと領主権限でお触れを出していたからに他ならない。
温厚な父は、領主権限で何かを発令したことなどなかった。
だがよほど腹に据え兼ねていたようで、私の知る限り、父は自領の民に対して初めて領主権限を行使したと思う。
貴族の力をひけらかしたくない父が、自分の信念を曲げてまで権力行使をしたことにより、継母は散財ができなくなっていたのである。
だが多少は平和だった生活も、そう長くは続かなかった。
自由に買い物が出来ない状況に、継母は明らかに苛ついていた。
となれば発散方法は、私を叩くのは当然としてもう一つ、継母お得意の食事にぶつける、だ。
継母は元がぽっちゃり体型だったのだが、王都暮らしの三年間ですっかり肉団子のような体型になっていた。
お茶会に招かれないことなどがストレスになったのだろが、それでブクブク太って更に評判が悪くなる。
元から作法がなっていないなどで評判が悪かったのだが、それらの悪評は自分で招いたのだと気付いておらず、着られなくなったドレスの代わりに新しいドレスを作る、といった悪循環に陥っていたのだ。
領主権限でお触れを出していた父だが、さすがに食品納入業者に対してまで、”物を売るな”とは言っておらず、継母はここぞとばかりに高級食材を買い漁った。
確かに、無駄に食費が嵩みだしたのは問題だが、それでも王都時代の散財よりは遥かにマシ……なのだが、現在の貧しいシモンズ男爵家としては、十分な痛手であった。
だからこそ私は、少しでも領の収益を上げようとあれこれ考えるも、シモンズ男爵領は本当に何もない。
裕福ではないが貧しくもなく、穏やかな気候で農作物が安定して採れることだけが自慢の領地であり、特産物も何もないのが特徴という嫌な土地だ。
前世や前々世の記憶を断片的に持つ私でも、無から有を生み出すような知識はない。そもそも過去の記憶から、物事が好転するような事案はまったくなかったのだから、今更あてにはできなかった。
しかし今の私は、ズリエルとの結婚がなくなったため、彼のご機嫌取りで領の経営をする必要がなくなっている。
次期男爵となるはずだったズリエルは、ハッキリ言って馬鹿だ。
裕福な伯爵家の三男として贅沢な暮らしをし、勉強もせずに大きな体を活かして剣ばかり振り回していたのだから。
当然脳みそまで筋肉なため、知恵など回るはずがない。
その分は私がどうにかし、挙がった成果をズルエルの手柄としてやり、『凄いですね』とゴマをすって機嫌を取る予定だったのだ。
だが婚約破棄により、ズリエルに対する不安はなくなった。――いや、まだ油断は禁物だが……。
とはいえ、いずれは私が婿を取り、領主夫人となってシモンズ男爵領に携わる未来は変わらない。
細く長く生きていくためには、継母に崩された地盤を立て直し、領地経営をしっかりやっていくのは必須。
なにせ私は、ズリエルではない他の誰かと結婚しても、その人に殺される可能性があるのだから……。
仮に私が未婚のままでも、無駄に税率を上げ、領民に逆恨みされるようなことをしてはいけない。借金で首が回らなくなれば、それでも領民に迷惑をかけてしまう。
結果、私が領民に殺される可能性が出てくる。
だから私には、『何もしない』という選択肢がないのだ。
私のそんな苦悩も知らぬ継母は、女主人気取りで余計な口出しをしている、と私を罵り鞭を振るう。
継母は元農婦なのだから、『自分で巻いた種は自分で刈れ』と言ってやりたいところだが、私の心が鞭を見ただけで恐怖を感じてしまうため、とてもではないがそんなことは言えない。
義妹は義妹で、『お義姉さまの評判が悪いせいで、貴族学院に入学できなくなったのですわ』などと八つ当たりしてきたり、『土色の髪と瞳なんて、地味で貴族らしくないですわ』などと見た目のこともで非難してくるようになった。
だがそれはまだマシなこと。
ドミニカは、今までも『いじめられた』などと虚偽の報告をし、継母に私を叩かせるように仕向けても、自分で直接の危害を加えてこなかった。そんな狡猾な義妹が、ついに自らの手で私に危害を加えるようになったのだ。
情けないことではあるが、私は心に刻まれた傷のせいで、鞭を持った義妹の恐怖に抗えず、ただ受け入れるしかできなかった。
にっちもさっちもいかない生活が日常化し、やるべきことが多くあるというのに、継母らに邪魔され無駄に時間だけが過ぎて行く。
毎日毎日体は極限までいじめ抜かれ、精神もガツガツ削られる。
ある意味、既に詰んでしまったような状態だ。
もう死にたい……。
そう思うこともあったが、それでも死んではいけないと思う心が勝る。
自分でも訳が分からない。生きていても良いことなど何もないというのに。
そんな危うい精神状態ながらも、私はどうにかこうにか日々の苦痛に耐え、シモンズ男爵領へ戻って約半年が経っていた。
そしていつもと変わりなく、『早く一日が終わってほしい』と思いながら昼食の片付けをしていると、王都から滅多にこない急ぎの知らせが飛んできたのだ。
知らされた内容はとても衝撃的で、私は我が耳を疑った。