第6話 後悔
「昼食を作るのに、随分と時間がかかったのね」
「お義姉さまったら、何かブツブツつぶやいて、手抜きをしていましたわ」
「――なっ! わ、私は手抜きなどしていません」
私としてはなかなか手際よく調理できていたはずが、なぜか継母から因縁をつけられ、義妹のドミニカには告げ口をされていた。
確かに過去を思い出して手を止めていた時間もあったが、文句を言われるほど時間はかかっていない。常識の範囲内の時間で料理は出しているのだから。
それより問題なのは、義妹が厨房の近くにいたことだ。
思わず声に出して愚痴を言ってしまっていたが、内容まで聞かれていなそうなのは幸いだった。だが、今後は気を付けなければならない。
「…………」
そもそもドミニカは内気で、私に話しかけるにもおどおどしていたのよね。それがいつの間にか……というのは惚け過ぎね。
お義母様が躾と称して私を叩くようになってから、あの子は態度が大きくなったのだもの。あの子はまさに、虎の威を借る狐ね。
ずる賢くなった義妹は、私がちょっと注意をすると「お義姉さまに叱られた」と継母に言いつける。継母は私が叱った理由を聞くことすらなく、憎悪の眼差しを私に向けて激しく鞭打つ。
これに味をしめた義妹は、ありもしない嘘の報告を継母にしはじめる。
それ自体が迷惑だったというのに、私の持ち物をくれとせがむようになり、断ると継母に言いつけたりする。という負の連鎖が起こり、悪化して今に至っているのだ。
『マリアンヌは今までに多くの物を与えられているというのに、ドミニカに分けてあげることもできないの!』
『これは誕生日にいただいた大切な――』
『言い訳は止めなさい!』
聞く耳を持たない継母が問答無用で私を叩く……などということは日常茶飯事で、あまり物を持っていなかった私の持ち物は、ほぼドミニカに奪われていた。
――ブルブルッ
私がふと過去を思い返して僅かに身震いしていると、継母は細めた目をクワッと見開き、ドミニカの方へ首を回していた。
「ドミニカ、それは本当なの?」
「本当ですわ、お母さま。お義姉さまが手抜きしていたのを、しっかりとこの目で見ましたもの」
「マリアンヌ、貴女にはまだ躾が必要なようね」
「――――!」
どうしてそうなるのよ?!
右手に枝鞭を持ち、のっそりと重い体を持ち上げる継母の言葉に、私は心の中で盛大に嘆いた。
――ヒュン
嫌な音が聞こえ、私の体は無意識に硬直してしまう。
継母の持つ枝鞭から発せられた空気を切り裂く音は、過去の私を呼び覚まし、恐怖の縁へと追いやってくる。こうなるともう駄目だ。
私は何かに縛り付けられたように、身動きが取れなくなってしまう。
おかしい! どうして? なんで?
私は体が動かないだけではなく、頭の中まで混乱してしまう。
混濁した思考にある疑問は、動かない体に対してではない。こんな目に合っている現状に対しての思いだ。
◆
元々平民だった継母と義妹に、貴族の作法などを教えたのは私だ。
『父から文字の読み書きを教わっていたというだけあって、そこは問題なさそうですね』
『はい』
『ですが、貴族は文字が綺麗であることも重要です。ゆっくりでかまいません、しっかりと意識して文字を書いてみてください。それと同時に、ドミニカに文字を教えてあげるのも良いと思います。――ドミニカは文字を覚えたら、簡単な物語を読んでみてくださいね』
『分かりました、マリアンヌ”様”』
『……わかりました、お義姉、さま』
当時十歳の小娘である私が講師をしていたが、義妹のドミニカはともかく、継母のヴェロニカとは上手くやっていけそうな気がしていた。それがいつしか――
『マリアンヌ、あの河川工事は工費が嵩むだけなのだから、やるだけ無駄よ』
『しかしあそこは――』
『あたくしはあの辺りで働いていたのです。そのあたくしが何も問題が無いと言っているの。マリアンヌは余計な口出しをしないで頂戴』
『ですが――』
『まったく、あんな余計な工事をするくらいなら、新しいドレスを仕立てる費用に回した方がよほど有意義だと言うのに。マリアンヌにはまだ躾が必要なようね!』
『ひっ……』
継母は貴族としての作法を禄に身に付けず、男爵夫人であることばかりを重んじるようになり、気が付けばシモンズ男爵家の女主人として君臨していた。
そうさせてしまったのも、”貴族は斯くあるべき”と教えた私が悪いのだろう。
いくら父が政務を家令に丸投げして畑を耕し、領地を飛び回っている人だったからとはいえ、貴族の作法などと共に”女主人としての心構え”なども継母に教えてしまったのが失敗だった。
私が継母に『女主人はこうであり、女主人はこうするああする』と言い過ぎたのだ。
それもこれも、姐さんに似た継母の柔らかい雰囲気のせいだろう。
私は前世で姐さんに拾ってもらい、育ててもらった恩がある。だからこそ、今世の私は自分でも知らぬ内に、姐さんに対する恩返しのような気持ちが芽生えていたように思う。
結果として、私自身が私を脅かす存在を作り上げてしまった。
そして何より、鞭で叩かれることを必要以上に怯えてしまう体……否、私に宿る傷を刻み込まれた心が、継母を増長させてしまったに違いない。
◆
とても正当とは言えない理由で叩かれた私は、数年前の自分の行動を後悔した。
「…………はぁー」
理不尽な理由で叩かれる生活は、いったいいつになったら終わるのかしら?
お父様に送った手紙の返事は、お義母様に握り潰されてしまっている。でもきっと、お父様から”戻ってこい”と言われるはず。……多分。
自分で作った昼食も与えてもらえず、這いつくばって自室に戻った私は、先程の失敗を思い出して心の中で愚痴を零す。
だがそんな私に、暫くしてようやく変化が訪れた。