第46話 証
「私、レオポルド様の……レオのお嫁さんになりたいと思った。でもうやはり無理なの」
「どうして無理なんだい?」
「それは……」
それは、私の体が貴族令嬢らしい純潔さを、既に失ってしまっているからだ。
前世の私は、孤児だった頃に襲われ、簡単に純潔を散らしてしまう。しかし孤児の私は、それで命が守られたのだから特に問題などなかった。
その後に姐さんに拾われて高級娼婦になったが、金銭の発生する疑似恋愛的な関係で、男に体を差し出しもしている。
一般的な娼婦が、何十人何百人に抱かれて得る金額を、私は一度で得られていた程だ。
それでも突き詰めれば、金で体を売ったことになる。
そんな人生の細部まで思い出していなかった私だったが、考え方としては『純潔など必死に守る価値はない』と思っていた。
だからだろう、元婚約者のズリエルに体を求められた際、私は彼の機嫌を損ねるより体を差し出すことを選択したのだ。
結果的に、彼は私の胸にしか興味がなく、処女は守られた。
しかし、貴族令嬢の純潔というのは処女であることが当然で、異性に素肌を曝け出し、あまつさえ揉みしだかれ舐め尽くされるなどあってはならない。
だから私は、清らかな体とは程遠い、穢された体の持ち主なのだ。
そしてもう一点。
貴族令嬢はちょっとした傷でも気にする。
それこそ、日差しで肌が焼かれることにすら細心の注意を払い、美しい肌を維持することに心血を注いでいる。
だが私は、そもそも日焼けなど気にしていなかった。
それどころか、目に見えない小さな傷などかわいいもので、背中に一生物の傷を負っている。
そんな私は、通常の意味合いとは違うが、文字通り『傷物』なのだ。
私の体は、穢れているだけではなく、一生消えない傷まである。
そんな女が、公爵夫人になってよいはずがなかった。
だから私は理由を説明した上で、『公爵夫人に相応しくない』と、レオポルドに結婚が無理であることを伝えた。
泣くつもりなどなかったのに、話し終えた私の顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。
ただでさえ地味な私がみっともない顔をしている。それは見るに堪えない酷い顔だろう。
私は恥ずかしいやら情けないやらで、とても顔を上げていられる精神状況ではなかった。
するとレオポルドは、どこかから取り出したハンカチで私の顔を無言のまま拭う。
されるがままの私は、それでも顔は俯かせたままだ。
だがレオポルドは私を抱き、優しく包み込むと耳元でささやく。
「僕たちは、時代と共に性別も立場も変わっていたね。それでも僕は、いつも君だけを愛していたし、君と結婚することだけを考えていたんだ」
優しい声音で紡がれる言葉は、耳を介して私の心へすぅっと溶け込んでくる。
「唯一諦めたのは同性の時だけ。同性では結婚ができないからね」
私の緊張を解きほぐそうとしているのだろうか、少しだけ笑いを含んだ声が届く。
「でもね、いつの時代も僕が愛していたのは、君の見た目や立場ではなく、君の魂そのものだ。だから今も、マリーの魂が宿ったマリアンヌを愛している。――僕は今世の君が生きてきた道を否定しない。君はそうせざるを得ない環境だっただけだ。君の魂は穢れてなどいないよ」
私には見えない私の魂。レオポルドはそれが見えるのだろう。
そして、彼に見える私の魂は穢れていないと言うが、目に見えない魂のことなど言われても、本当なら信用できない。
だが彼は、実際に何代も前から私を探し出してくれていた。
そんな彼がそう言うのだ、信じて良いのではないだろうか。
「背中にあるという傷も、君が頑張って耐えた証だと思っている。だからこそ、僕は君の生きてきた証としてその傷も受け入れたい」
私の行ないが全て赦されたわけではない。それでも彼だけは、私を赦して受け入れてくれる。この考えは甘えなのかもしれない。
それでも、こんな私を受け入れてくれるのであれば、甘えてしまえばいいと思えた。
「こ、こんな私でも、ほ、本当にいいのですか?」
私もレオポルドと同じように、彼の耳元でささやいた。
「”こんな私”がどんな君を指しているのか分からないけれど、僕はどんな君であってもかまわない。むしろ君でなければ駄目なんだ」
力強い言葉をささやいたレオポルドは、私からそっと離れると、ソファーに腰掛ける私の前に跪く。
思わず右手で胸元を握ると、空いている左手を取ったレオポルドは、深碧の瞳で私の土色の瞳を覗き込んできた。
「もう君に、胸元を握らせないようにする」
「え?」
「昔から変わらないその癖。――不安、緊張、戸惑い、そういった感情を抱いた君は、いつの時代でも右手で胸元を握っていたよね」
「知っていたのですか?」
「ああ。君こそ、自覚があったのかい?」
「最近になって気づきました……」
胸元を握ると落ち着いたり、思考を逸したりできる。だから無意識に行われていのだが、それが自分の癖であることにようやく気づいたのだ。
そして、悪い感情の際に発動する癖なため、それを彼に知られていたのは少々恥ずかしく、私は逃げるように俯いてしまう。
「マリー……いや、マリアンヌ」
「……あ、はい」
逸れた私の意識を引き戻すように、レオポルドは優しい響きの声をかけてきた。
おずおずと視線を上げると、彼は真剣な眼差しで私を見つめている。
「僕と結婚してくれるかい?」
彼がずっと愛してたきたのは、農民だったマリーだ。
そして今、そのマリーはマリアンヌである私の中に居る。
レオでありレオポルドもある彼は、始まりであったマリーへの想いとともに、今の私であるマリアンヌを愛してくれるのだろう。
そう思うと、私の口は自然に開き「はい」と応えていた。
返事を聞いたレオポルドは、私の左手に添えていた手を少しだけ上げると、手の甲に顔を寄せてチュッと口吻する。
ほんの些細な行動だが、私の心臓は爆発しそうなくら撥ねた。
マリアンヌである今の私の中には、高級娼婦だったマリリン、ブラックウェル公爵家の次男だったマリウスの記憶が、以前よりかなり多くなっている。
そして今まではなかった農民のマリー。
もう一人分の記憶が増えた私の脳内は、まだ記憶の整理ができきっていない。
それでも分かる。マリアンヌである私の人生は、レオポルドと百年来の愛を成就し、幸せになるために用意されていたのだと。
だが、これで全てが終わったわけではない。むしろ、これから本当の意味での人生が始まる。
まだ折返しも迎えていないであろう長い人生を、これから二人で手を取り合って生きていく。
きっと辛く厳しいこともあるだろう。それでも、今の私は一人ではない。
一人では乗り越えられない困難であっても、二人ならきっと乗り越えられる。
そして私たちの幸せは、私たち二人だけではなく、多くの民の幸せと共にあるだろう。
「レオポルド様、私、立派な公爵夫人になりますね。そして多くの民を幸せにしてあげたいです」
いつもなら内に秘める思いだが、これからは口に出していこうと思った。
「そうだね。マリアンヌならきっと良い公爵夫人になれるよ。――でも、僕のための良い奥さんにもなってね」
「はい!」
私は今できる最高の笑顔で、元気に明るく返事をしてみせた。……きっと、とても不細工な顔をしているだろう。だがそんなことはお構いなしだ。
そして、そんな私を見つめるレオポルドは笑みを浮かべる。
百年前と姿形は変わっても、あの頃と変わらない優しい眼差しで。
だから私も微笑む。精一杯の想いを込めて――
「今度こそ、幸せになりましょう。二人で一緒に」
完結させたことで多くの方に目を通していただき、投げっぱなしみたいな終わり方ではいけないと感じました。
なので、削った部分を追加で投稿します。
既にかなりの方がブクマを外されましたが、まだお読みになれる方は、続きをご覧ください。




