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第3話 視線

「俺とお前の婚約は破棄された」


 もやは私の顔を直視することもなく、適当な方向を向いたズリエルは、とても大事な内容を、事もなさげにサラリと言ってのけた。

 だからこそ、まだ理解できていない私は、疑問の言葉をそのまま投げかける。


「え、それは……どういうことでしょうか?」

「さっきの答えだ」


 さっきの答え? それは、最後のダンスについての答えよね。……って、私とズリエル様の婚約が破棄されたということ?! だからあのダンスが、二人で踊るラストダンスということだったのね。

 えっ、どうしてそんな大事なことを、こんな土壇場になって言うのよ?!


 衝撃の事実を告げられ、今度は恐怖ではなく驚愕で体が硬直してしまった。


「お前ん所のクソ女が、結婚が延期になったことでお前が未婚でいる時間が長くなった。だから慰謝料をよこせとか意味不明なことを言い出したんだよ!」

「……なに、それ…………」


 ハッ!? もしかすると、お父様から返事がなかったのは、返事がなかったのではなく、お義母様に見られてた……ということ?! しかもお義母様は、それで知り得た情報を利用して、グロス伯爵家からお金をせびろうとしたの?


 私の体は未だに硬直したまま動かないが、脳だけは活発に活動していた。


「さすがに父上も驚いていた。そんな非常識な話があるか、とな。――だから俺は決めた。あんなイカレタ女のいる家に、絶対に婿になど行かん!」

「そ、そのこと……婚約破棄されることを、グロス伯爵はご納得されているのでしょうか? そ、それにそこは、ズリエル様が次期当主として、なんとか継母を諌めて……」


 私の人生は、誰かに殺されて終焉を迎える。それも私に親しい者の手によって。

 実際にそうなるか不明だが、私は八歳のあの日に見せられた悪夢のような記憶から、殺される運命にあると思って生きてきた。

 そして私を殺す可能性が一番高いのは、将来の夫……即ちズリエルだ。


 自分の未来をそう予想していた私は、誰よりもズリエルを恐れていた。だがこの婚約がなくなれば、私は今までと変わらぬ日常――継母に折檻される日々へ戻されてしまう。

 そう思うと、いつ訪れるか不明な未来の死より、確定事項のように日々繰り返される折檻が怖くなる。つまりそれは、危険視すべき対象の比重が、ズリエルより継母が上回ったということだ。

 だからだろう、私は無意識に彼へ縋るような言葉を発していたのだ。『貴方が継母をどうにかしてくれ』と。

 しかし私の言葉は、ズリエルの神経を逆なでするものだったらしい。


「冗談じゃない! ただでさえお前みたいな地味で何の取り柄もない女と結婚するのは嫌だったんだ! ――お前の容姿は総じて地味だ。それでいて土いじりが趣味の根暗な性格に、人の顔色を窺うおどおどした態度が癪に障る! そんなお前の何処に魅力がある? 何処にもねーじゃねーか!」


 継母のことで憤っていたはずのズリエルは、ここぞとばかりに私の人格否定をしてきた。


 容姿に関しては、私自身が自覚しているからこそ地味なのを利用し、目立たないように意識していたのだ。だからそこを責められても痛くない。

 ただ性格の部分は、心に刻まれた過去の傷のせいもあり、どうしても保身的になってしまっていた。

 土いじりは心の安寧のためであるから何も言えない。

 だが顔色を窺っていたのは、ズリエルの機嫌を損ねないように配慮した結果、謂わば私の努力そのものだ。

 しかし恐怖に支配された私の体は、私の意思とは関係なく萎縮してしまう。

 だからそこを責められるのは、少しばかり心が痛い。


 私の気持ちなど知らない……いや、知ろうともしてくれないズリエルの口は、止まることなく追撃の言葉を吐く。


「そんなお前でも、結婚すれば俺は男爵位に就ける。だから我慢してたというのに、あのクソ女はシモンズ男爵家の名を貶め、更に我がグロス伯爵家から多額の借金をしている。そんな家に婿に行けってか? ふざけるな! いずれグロス伯爵を継ぐ兄貴に、あのクソ女が作った借金を俺がペコペコ頭を下げて返済するってのかよ? 冗談じゃねーぞ!」


 ズリエルの声は次第に大きくなり、今はかなりの大声量だ。会場の視線が随分とこちらに集まっている。

 だが彼は会場に背を向けているため、注目を浴びていることに気付いていない様子だ。


「借金まみれの貧乏男爵家に婿入りするくれーなら、俺は騎士になることに賭ける! 上手く行けば一代爵でも貴族だ。借金まみれの男爵家に婿入するより、そっちの方がよっぽどマシだ!」


 目が血走ったズリエルの怒りは収まるどころか、益々苛烈さが増していた。しかも、わなわなと揺れる鉛色の瞳は焦点が定まっていない。

 たぶんだが、彼の怒りの矛先は、ここにいない継母へ向いているのだろう。


 継母に憤慨し、私を罵り、また継母に怒りを向ける。今のズリエルは、感情のコントロールなどできていないようだ。 

 だから今、彼の怒りが私に向いていないことに安心などできない。むしろ、その矛先がまた私に向けられるに違いないのだから。


 怖気づいた私は助けを求めるべく、ようやく動くようになった首を僅か動かし、周囲に目を向けた。だが、面白い余興だと言わんばかりに、皆がクスクスと笑っている光景を目の当たりにしてしまう。

 私はどうにか動かせた右手で胸元を握り、『誰か一人くらい手を差し伸べてくれるのではないか?』、そう思って視線を彷徨わせる。

 だが悲しいかな、すっかり嫌われ者になった私に手を差し伸べてくれるような者は、この場に誰一人としていなかった。


 落胆した私は、自然と顔が下を向いてしまう――が、その時!

 一瞬、ほんの一瞬だけ視界の隅で、何かが光ったのを確かに感じた。


 私は俯きそうだった顔を再度上げ、光のあった方へと目を向ける。

 するとそこには、学院では見かけたことのない、金髪を煌めかせたとても美しい男性が佇んでいたのだ。

 そして、美青年の大地を彩る新緑のような深碧の瞳と、私の地味な土色の瞳がピタリと合い、二人の視線が交差した。


 もしかして救世主?!


 私の心はにわかに活気付いた。

 それは、男性の美しい顔立ちに思わず胸がときめいた、などという乙女のような理由からではない。

 単純に見かけたことのない人物なのだから、相手も私のことを知らないはず。ならば『継母の噂も知らないだろうから、私を助けてくれるかもしれない』という謎の超理論から導き出された希望だ。


 それもこれも、私の藁にも縋る思いが齎した迷走なのだろう。

 しかし、とにかくこの場をどうにかしたい、そう思う私の前に、どうにかしてくれそうな存在が現れたのだ。

 この機を逃すまいと、私は『助けて』という気持ちを込め、祈るように深緑の瞳を見つめた。高鳴る胸の鼓動を抑えつけるよに、胸の辺りをギュッと強く握りつつ。


 すると――


本日も、2~3話の投稿を予定しております。

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