第32話 封書
レオポルドがブラックウェル公爵領に向かってから数日間、ノーラの講習を受けつつも日課の情報収集を行なっていた。
以前と違うのは、私が使える駒として認めてもらおうという気持ちではなく、私も公爵家の一員として、公爵家のために頑張ろうという気持ちだ。
やっていることは一緒かもしれないが、心持ちが変わると日々の充足感がなんとなく違う。
日課とは別になるが、毎日ではないが少しずつ土いじりもしている。
今は菜園を作る場所が決まり、野菜を植えるための菜園を作っているところなのだが、既にそれだけで楽しい。
場所はやはり隅にしたのだが、日差しの差し込む良い場所だ。良い場所を提案してくれた庭師には感謝している。
そして今日は休息日。
ノーラの講義もなくして、一日中メイド業に精を出す。
本当は一日中土いじりをしたいのだが却下されているため、休息日はメイド業に専念することになっていた。
『休息日にメイド業をするとはこれ如何に?』といった感じだが、それが私の心が休まる行為なのだから仕方がない。
肉体的な疲労は、むしろ休息日以外に十分抜ける。ならば心を休ませるためにも、メイド業は必要なのだ。
やる気に満ち溢れた私がメイド服を着て玄関ロビーの掃除をしていると、宅配員から大量の封書を預かった。
公爵家ともなると多くの封書が届くものだ、などと思っていると自分宛の封書が目に留まる。『おや?』と思いよくよく封書を見ると、大半が自分宛なことに気付く。
不思議に思って執事長に聞いてみると、王宮での夜会の後から毎日大量の招待状が届いているのだとか。
ちなみに、レオポルドにいつも付いていた老執事のトムは執事長なのだが、隣国で事後処理をしていた専属執事が戻ってきたため、本職の執事長に戻っている。
現在レオポルドとブラックウェル領に同行しているのは、その専属執事だ。
「王宮の夜会から結構時間が経っているわよね? でも私、一度も招待のお話を聞いていないわよ」
ノーラに教わったとおりの話し方をしているのだが、高飛車な感じがしてどうにもむず痒い。
だが受け手側の老齢執事トムは、まったく気にした様子はない。
「旦那様のご指示で、相手の家格に拘らずすべてお断りしております。なので、マリアンヌ様にご報告もしておりませんでした」
「すべて断ってしまうとは、さすがは公爵家ね」
実家の男爵家であれば、断るには相当な理由が必要だ。――そもそもシモンズ家に招待がきた記憶はないが……。
「これもお断りするの?」
「そうでございます」
私が抱えているだけでもかなりの量がある。このすべてに断りの文章を書くのも大変だろう。そのことをトムに聞いてみた。
「当初は使用人の数も少なく、私も旦那様に付いていることが多かったため、かなり苦労しました。現在は私が邸のことに専従できておりますし、増員もされたことで労力は軽減できております」
「私のせいでごめんなさいね」
「マリアンヌ様に非はございません、お気になさらず。むしろ旦那様が新公爵となられ、新公爵夫人を迎えると知れ渡ったのですから、他家がいろいろと気にするのは当然のことでございます」
ただし、と続けられたトムの言葉によると、現状は一般的な状況とは違うらしい。
通常であれば、新しい公爵と繋がりを求めるものだが、ブラックウェル公爵家にはよからぬ噂がある。そのため、代替わりした公爵家はどうなのかと探りを入れている、と言うのだ。
ブラックウェル公爵家には、”呪われた公爵家”という噂とは別に、財政難でお家が傾いているという”斜陽公爵家”の噂もある。
他家からすると、呪われた方はオカルト的な噂のためよしんば目を瞑ったとしても、財政難であるなら金の無心をされるかもしれない。
だが経済状況に問題がないのであれば、公爵家の看板は大きいために無視もできない。
また、財政難を立ち直らせたのであれば、新公爵の手腕は見過ごせない、ということになる。
しかもレオポルドは、表立って何かをする以前に存在さえ疑われていたのだ、他家が探りを入れようとするのは当然であろう。
そういった諸々があって探りを入れてきているのだろうが、いきなり当主と面会する前に、まず男爵家出身の私に接触しようとしている、とトムは言う。
若くてもレオポルドは公爵だ、無礼は許されない。
しかし、私は公爵夫人になるかもしれないが、現状は男爵家の娘に過ぎないため、いろいろと聞き易いと思われ、私に招待状が殺到しているとの見解だった。
「そういった事情ゆえ、旦那様は一切取り次ぐ気がないのです」
「いろいろとあるのね」
「はい。――それよりマリアンヌ様、荷物の方は私が運びますので」
「あ、よろしくお願いします……ではなく、よろしく頼むわね」
封書が山盛りの木箱をトムに渡した。その際、私が頭を下げてしまったことで落ちた封書を拾う。とそれは、実家のシモンズ男爵家からの物であった。
嫌な予感がし、その封書を持った私は足早に自室へ戻る。なんとなくトムに見られたくなかったのだ。
部屋に入ると誰もいないことを確認し、恐る恐る封を開ける。
内容は『実家に顔を出せ』といった意味の文章がやんわりと書かれていた。一応、私以外が読むことを考慮したようだが、貴族としては失格な文面だ。
最近、私の中ではすっかり忘れられた存在の実家だが、文字を追っていると背中の傷跡が疼く。無視するな、と言わんばかりに。
「はぁー、レオポルド様から、外出は控えるように言われているのよね」
今まで自覚がなかったため考えていなかったのだが、先程トムの話を聞いた限り、ブラックウェル公爵家の情報を聞き出すのに、私は都合の良い存在なのだろう。
多分レオポルドは、私の身を案じて外出を控えろと言ってくれた……はず。
そう考えると、むやみに外出するのは誘拐されそうで怖い。
「でも……」
継母の言葉を無視するのも怖い。
きっちり断りの返事をすれば、取り敢えず大丈夫な気もするが、不安が解消されることはないだろう。
「手間をかかけさせてしまうのは申し訳ないのだけれど、誰かに同行して貰えれば大丈夫よね? 道中さえ安全であれば……きっと」
行き先は実家だ。公爵家からシモンズ男爵邸まで一度も馬車から降りなければ、外出であって外出でないようなもの。
そしてあの継母でも、他人の目があれば流石に無茶はしないはず。
ならば後顧の憂いを排除するためにも、ここでしっかり顔を合わせておく方が良い、そう判断した私は夕食後、トムに外出の許可を求めた。
当主であるレオポルドに留守を任されている執事長のトムは、何かあった場合を考えると、たとえ実家に行くだけでも認めてくれない。
仕方ないので、『家族と会えなくて寂しい』とひと芝居打った。
これっぽっちも寂しくないのだが、トムは絆されたようで、困り顔を見せるも渋々了承してくれたのだ。
それからは貴族らしく封書の遣り取りをし、実家に伺う日取りなどを決めた。
会いたくないのに会わねばならない、そう思うと何をしていても苦痛に感じる。
そうなると逆に『早く済ませてしまいたい』という気持ちに変わった私は、楽しみでもないのに指折り数えてその日を待つようになっていた。




