第31話 休暇終了
「えっ、そんなのを見たいのですか?」
朝食時に本日の予定を告げられたのだが、『メイド服を着て仕事をしている姿が見たい』とレオポルドが言われた。
つい昨日、公爵夫人に相応しい言動がどうのこうのと言っていたレオポルドだが、彼は貴族の常識から少しズレている。そのため、公爵夫人らしからぬことを平気でやらせようとするのだ。
ならば、久しぶりに使用人として働けるこの機会を逃してはならぬと、私は気合を入れた。
「ふぅー。使用人の人数が増えたからですかね、手入れの必要がないくらいどこも綺麗です」
メイド服を着て三つ編みにし、レオポルドがいることを忘れて掃除をしていた私は、ひと仕事終えると彼にそんな報告をした。
「その割には、僕の存在を忘れたようにあくせく動いていたようだけれど」
「公爵家で教わった成果をレオポルド様にお見せしたかったので、お掃除できる場所を探していたのです」
もし妻として相応しくないと捨てられた場合でも、使用人として使えることをアピールしておきたかったのだ。
「そう。それにしても、とても楽しそうだったね」
「はしたないですか?」
「いや、いいと思うよ」
とてもいい笑顔で言われると、なんだか恥ずかしくなってしまう。
だが田舎娘の性分なのだろうか、久々に体を動かせたのは本当に楽しく、充実感を覚える。更に否定されるどころかにこやかに肯定されたのだ、それもやはり嬉しく思えた。
気を許してはいけないのは分かっているのだが、作り物とは思えない笑顔を向けられると、どうしても私の気分も弾んでしまい、心地よさを感じてしまう。――困ったものだ。
「でも昨日も言ったとおり、マリアンヌには公爵夫人に相応しい行動をしてほしいと思っている」
「あぅ……」
「ただ今日のマリアンヌを見て思ったのだけれど、こうしてメイド服を着て働くのは、良い息抜きになるとも思えた」
「え?」
「だから、たまの息抜きでメイド業をするのを許可しておくよ」
「本当ですか?!」
「ああ」
情報収集は日課になっていて、嫌々やっているわけでもない。そのため、なんだかんだそれなりに充実している。だがそれでも、体を動かせないのはストレスだ。
しかし、たまにであってもメイド服を着て体を動かせるのはありがたい。
「ありがとうございます、レオポルド様」
「これくらいのことでこうも喜ばれるのは面映いな……。――そうだ! せっかくだから、他にも希望があるなら言ってみて」
あまり贅沢を言うつもりはないのだが、せっかくメイド業を認められたのだ、やはりこれを頼んでみるべきだろう。
「それでしたら、庭いじり……と言いますか、菜園を作りたいのです。庭の隅でかまいませんので」
「菜園? 花壇ではなくて?」
「はい。私はシモンズ領で畑仕事をしておりました。なので野菜を作ったことはあるのですが、花は育てたことがありませんので……」
公爵邸の庭園に菜園は不釣り合いだろう。だから隅でかまわない。日当たりが悪かろうと、気晴らしに土いじりができればいいのだから。
それに、採れた野菜は食材になる。それならワガママとは言われないと思うのだが、どうなのだろうか。
「使用人の数が少ない間に庭も少し荒れてしまっているから、新しい庭師と一緒にやるならいいかな」
「よろしいのですか?」
「かまわないよ。なんなら、隅と言わずど真ん中でもかまわない」
「それは駄目です!」
今はまだ少し荒れているが、公爵邸の庭園はとても立派だ。なのにメインが菜園など、お客様を招いた際に何を言われるか分かったものではない。
それも私が言い出したと知られたら、社交の場で袋叩きにされてしまう。だから菜園は、隅にひっそりあればいいのだ。
「まあ、庭師と相談してやってくれていいよ」
「ありがとうございます」
幼い頃は環境がそうであったため、自然と土いじりをしていた。
しかし、それができない状況が続くと、なんだか土いじりが恋しく感じる。
私的には、そこまで土いじりが好きだという自覚はなかったが、幼少期に自然と植え付けられた感覚が、無意識に自分の中で芽生えたのだろう。
とにもかくにも、菜園の許可は本当に嬉しかった。
「今日からまた領地に行くけれど、マリアンヌは今までどおりの生活をしてくれていいからね。――いや、駄目だ。公爵夫人講習を少しでもいいから、毎日ノーラから受けるようにしてね」
「かしこまりました」
「僕がいなくて寂しいだろうけれど、気落ちしないでね」
「大丈夫です!」
「……そう断言されると切ないな」
「も、申し訳ございません」
四日間の休暇が終了し、出かけていくレオポルドを見送るために私が馬車に寄っていくと、彼は嬉しそうな笑顔になった。
しかし私が余計なことを言ったせいで、出発間際のレオポルドは少し湿ったような表情になっていしまう。
それでもどうにか機嫌を取り直してもらい、無事にお見送りができた。
見送りが終わると自室に戻り、早速ノーラ先生の講義が始まる。
「マリアンヌ様は、淑女としての基本はできております」
「ありがとうございます」
「ですが、失礼を承知で言わさせていただきますと、貴族として最下位である男爵家の立ち振舞です」
「うっ……」
「ですので、基本ではなく上位の者として相応しい立ち振舞を、今後は学んでいただきます」
「わかりました。よろしくお願いします」
「はい、それが駄目なのです」
丁寧に頭を下げたことで、早速ダメ出しをされる私。
他者を不快にさせない立ち回りを重視し、ケイトに侍女教育をしてもらっていた私にとって、ノーラの教えを実践するのはなかなか難しいと気付かされた。
そこからは初日にも拘らず延々と講習が続き、気付くと一日が終わっていた。
「うぅ~、ノーラさん……じゃなくて、ノーラの指導はなかなか厳しいわね」
すっかり日課となった独り言タイム。
「これなら、レオポルド様に気を遣っている方が楽な気がするわ」
そんなことを口にしてふと思う。本当にそれだけなのだろうか、と。
レオポルドは一度だけ、私を愛していると言っていた。会話の中に混ぜてしれっと。
しかしそれ以降、そのような言葉は一切かけられていない。
それを良いことに、重い愛を受け止めなくてよい現状に、ホッとしている自分がいる。
こんなに甘えていて良いのだろうか、と思うと同時に、愛とは何かを考えてしまう。
前々世の私は、自身が快楽を得るために女性を囲っていた……と思われる。
前世の私は、生きるために必死だったのが高級娼婦になり、八つ当たりの復讐心だけしかなかったように思えた。
そして今世の私は、ただ長生きをすることだけを考えている。
明確な記憶はないが、何代もの記憶を持ちながらも、私は人を愛したことがない。それどころか、常に自分の願望を叶えるために生き、他者を思い遣ったことがない気がする。
だから自分は不幸だったのだろうか?
もしかすると、誰かを愛せば幸せになれるのだろうか?
そんな考えが過るも、自分が誰かを愛することなどあってはいけない人間だと思い出す。
誰かを愛したところで、きっと私はその誰かに殺されてしまうのだから……。
そもそも私は、どうすれば人を愛せるのか知らない。それは私にとって幸いなことなのだろう。
ならば今までどおり、ひっそり生きていこう……そう思うも、何かが心に引っかかり、それが正解だとは思えない。
もしかすると、私は自分を守ろうとするあまり、不要な壁を作って余計に自分を追い込んでいる可能性があるのではないか?
考え方を真逆にし、心を開いて誰かを愛してみる、他者を思い遣る、そういった意味で自分が変わるのは良いことなのではないか、と思ってきた。
まずは自分の利益ではなく、私を婚約者としたレオポルドのために自分が役立ってみるのはどうだろう?
使える駒ではなく、彼の隣に立つ者として、他人事ではなく自分も当事者として苦楽を共にする。そういう心構えを持てば、何かが変わるのではないだろうか。
高級娼婦のように、ステータスとして寵愛されるのではなく、真に愛される女性になることで、自分も愛することを知れるかもしれない。
場当たり的な考えのような気もするが、私の生き方に正解はない。ならば、そのときに正解だと思う行動をすればいいだけの話。
幸か不幸か、公爵家にきてからの私は人並み以上の生活ができている。そのことを警戒するでも甘えるでもなく、この良い環境を利用して私は変わる。それは私だけではなく、私に関係する皆が幸せになれるように。
「ここの人達は、なんだか良い人ばかりだし、私が変わればより良い方向に向かいそうな気がするのよね。それでもし裏切られたら……って、その考えが良くないのよ! まずは私が変わる。考え直すのはその結果が出てからだわ!」
そう誓った私は、決意が変わらぬうちに寝ることにした。