第19話 説明不足
「マリアンヌは領地暮らしをどう思う?」
馬車内で地図を見ていた私が顔を上げると、向かいに座るレオポルドが笑顔で問いかけてきた。
唐突な質問であったが、私は自分の予想――農民になる――が当たったと直感する。
少しばかり心が弾むが、それを表情に出してはいけない。そう自分を諌めた私は、逆にレオポルドの表情を窺う。
レオポルドの笑顔は標準装備となっているが、心なしか今の笑顔に緊張が含まれているように思える。だが、彼に緊張する要素など何もない。
きっと気のせいだろう、そう判断した私は冷静を装った表情で答える。
「私はシモンズ男爵領で、農民と共に畑仕事をしておりました。なので、侍女の仕事より得意です」
「あぁ……聞きたかったのはそういうことではないのだが。……要約すると、王都の邸より領地での生活の方が良いということかな?」
せっかく冷静を装ったというのに、私の口から出た言葉はやる気にみなぎるものであった。
そんな私に対し、レオポルドはやや呆れた様子であったが、ここで躊躇うのは駄目だと感る。だから私は、再度の問に対し「はい!」と元気良く答えた。
せっかくの好機、これを逃してはいけないのだ。
私の活気ある返事を聞いたレオポルドは、些か困ったような苦笑いを浮かべつつも、ふむふむと納得した様子。
どうやら私のやる気を感じ取ってくれたらしい。
その後、馬車は野菜や果物のなっている地、広大な木綿畑や桑畑などを巡ると、今度は採掘場や工房などを回った。
養蚕や紡績業に力を入れている印象が強いが、ブラックウェル公爵領はとにかく沢山の特産品があるようで、何もないシモンズ男爵家とは大違いだ。
それはそうと、レオポルドが麦畑以外の農地を見せてくれたのは、私に選択肢を与えてくれたと勝手に思っていた。
だが、農地以外を見せられたことで嫌な予感がしてしまう。
私は普通の貴族令嬢より体力はある。農作業はお手の物だ。
しかし、力仕事が得意なわけではない。重い物を運ぶのもやれなくはないが、どちらかと言えば苦手だ。ましてや、採掘場や工房での仕事などしたことがない。
もし、『採掘場で荷運びをしろ』などと言われたら少々困ってしまう。
私の苦悩などお構いなしの馬車は、陽が落ちると大きな邸の前で停車した。
どうやらここは、ブラックウェル公爵領の領主邸のようだ。
王都の邸が絢爛豪華なのと比べ、領地の領主邸は質実剛健といった少々無骨な建物で、邸と言うより城と言った方が正しいのかもしれない。
農地を回ったことで少しだけ緊張のほぐれた私は、同行してくれた年高の侍女ケイトに付き添われ、なぜかドレスに着替えさせられた。
旅行に適したドレスがないということで、ずっとメイド服で過ごしていたのだが、領主邸に着いた今、なぜこのタイミングでドレスに着替えさせられたのだろうか。私は使用人なのだから、メイド服のままで良いはずだ。
そんなことを思う私だったが、ケイトに促されてレオポルドの執務室に向かう。
「そこに掛けてくれるかい?」
重厚な執務机で書類仕事をしていたレオポルドにそう言われ、私はソファーに腰を下ろす。すると、老執事のトムがささっとお茶の用意をしてくれた。
とはいえ、少し離れた正面でレオポルドが作業をしているのだ、私だけがのんきに茶を楽しむ訳にもいかない。
ケイトは私の背後に待機しているが、振り返って『どうすべきか?』と聞くのも憚られる。とても気不味い状況だ。
そもそも公爵家の関係者は、私に対して説明不足だと思う。
私はただの使用人なのだから、それは当然なのかもしれない。ただの使用人が知らなくていいことは多々あるだろう、だがもう少しだけでもいいから説明がほしい。
暫くして手を止めたレオポルドは、執務机から離れて私の正面のソファーに座った。
少し気の緩んでいた私は、気を引き締めてピシッと背筋を伸ばす。
「マリアンヌから見て、ブラックウェル公爵領はどう見えたかな?」
「畑しかないシモンズ男爵領と比べるのは失礼かもしれませんが、いろいろあって凄いと思いました」
「では、ブラックウェル公爵領の収益を上げるには、どこをどう改善すれば良いと思う?」
「…………?」
どうして私にそんなことを聞くのかしら?
「私には分かりかねます」
「おや? 君は女主人として領地経営に携わってきたようだから、何かアドバイスがもらえると思ったのだけれど」
レオポルドは私のことを調べたのだろう、表立って女主人だと言ったことはないが、私のやっていたことを知っているようだ。
「…………」
もしかして、私は領地経営的な面での仕事が評価されたのかしら? いや違うわね、それをこれから試そうとしているのかもしれないわ。
それならば、レオポルド様の期待に応えるしかないわね。
私には前世での知識の欠片に、農業以外になにもなかったシモンズ家では使えなくとも、他貴族領であれば使えそうなネタがある。それを使う良い機会かもしれない、と思い立つ。
「でしたら――」
私はここぞとばかりに知識を利用してみた。
「なるほどね」
レオポルドは常からの笑みとは違う、少しニヤっとして感じで口角を上げたが、私の意見をお気に召してくれたのだろうか。
感触としては悪くなかったと思うのだが、果たしてレオポルドの評価は?!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふふっ」
「マリアンヌ様、どうかなされましたか?」
「あ、いえ、こうしてお掃除をできるのが嬉しかったもので」
私は今、王都の公爵邸で清掃業務に勤しんでいる。
勤務中に思わず笑い声を漏らしてしまったのも仕方ない。なんといっても、無事に仕事ができているのだから。
ブラックウェル公爵領で私が提唱した改善案は、レオポルドに”実行する価値がある”と認めてもらえたのだ。
ただ、彼は領地で改善案を実行に移るために残っているが、私は王都に戻されてしまった。私も自然に囲まれた領地で働くのだと思っていたため、少々拍子抜けだ。
それでも、見知らぬ場所に売られることなく戻ってこれたのは僥倖と言えよう。
若干浮かれ気味の私だが、心底気を抜くようなことはしていない。
ここはブラックウェル公爵邸。確定したわけではないが、まだ見ぬ老当主は被虐嗜好の危険人物かもしれないのだ。レオポルドからも、再三近付くなと注意はされている。
そんな危険な地にいることを、私は忘れていない。
「…………」
レオポルド様と離されてしまったのは、少しだけ寂しいような気がするわ。
一緒にいると緊張もするのだけれど、どこか落ち着く感じもしていたのよね。
若干の心の変化を感じつつ、通常生活……と言って良いのだろうか、王都公爵邸での生活に戻っていた私。
誰からも叩かれることなく、仕事をして美味しい食事をいただき、天蓋付きのベッドでふかふかな布団に身を包まれて眠る、そんな生活。
もしかすると、今が今世で一番充実した日々を過ごしているだろう。
一抹の不安を抱えながらも、それ以上のゆとりを持って仕事に勤しむこと数日、明日にはレオポルドが王都へ戻ってくると伝えられた。
少しだけ心が跳ねたのは、きっと私の勘違いだろう……。