第18話 推測
必死に頭を下げた甲斐もなく、私は馬車に揺られている。着ているのはいつものメイド服だ。
初めて乗る公爵家の豪著な馬車は、私の知る馬車とは違ってガタガタと激しく揺れることもなく、とても快適だ。
だが今は、それを感動する気にもなれない。
この馬車が停車したとき、私は見知らぬ誰かに売られてしまうのだから。
レオポルドは無慈悲な人だ、と彼を罵る気にはなれない。
そもそも、私が継母の言葉を拒絶するなりすれば良かっただけの話。
継母の言葉に対し、私には拒否権がないと思い込み、ブラックウェル公爵家へ向かったのは私自身の判断。使用人として雇ってほしいと頼んだのは私。使用人たる技術を得られなかったのも私。この結果を招いたのは他ならぬ私自身なのだ、レオポルドに文句を言うのはお門違いだろう。
だが逆に考えてみよう。
ブラックウェル家には、”呪われた公爵家”などという怪しい噂がある。そこを出られたのだから、前向きに考えてみるのもありなのではないだろうか。
もしかしたら、良い主人に巡り会える可能性だってある。その可能性に賭けてみるのも悪くない。
しかし、もし継母や前々世の私のような主人だったら。……そういえば、あのことを聞いてみよう。
無言の馬車内であれやこれやと考えていた私は、少しだけ前向きになれたことで、頭の隅に追いやっていたことについて聞いてみることにした。
「レオポルド様にお尋ねしたいのですが……」
「何かな?」
「物置部屋にあった肖像画についてです。無造作に撥ねた短い金髪に、鋭く細められた目に深碧の瞳を持つ、少し怖い雰囲気の男性が描かれておりました。あの方はどなたなのでしょう?」
「……僕は見ていないけど、我が一族のどなたかなのではないかな」
正面に座るレオポルドは、私の問に対し片眉をピクリと反応させ、彼にしては珍しくワンテンポ遅れて口を開いた。
レオポルドという人物を完全に把握しているわけではないが、どうにもその反応に違和感を覚える。しかも、彼らしくもない曖昧な回答をしたので尚更だ。
「どうしてその絵が気になったんだい?」
「そ、それは、髪や瞳の色がレオポルド様と同じでしたので、少し気になったのです」
正直に言えないわ……。
私は曖昧な言い訳をした。
なぜなら、あの肖像画を見た時に嫌な記憶が蘇ったからだ。
その甦った記憶と描かれていた人物を照らし合わせると、『あれは前々世の自分かもしれない』と思い至った。……が、そんなことをレオポルドに言えない。
だから仕方なく言い訳したのだ。
そもそも私の前々世の記憶は、前世の記憶の中にあった。
公爵家次男と言う立場だった前々世の私はかなり好き勝手生きていたようで、孤児だった前世の私とは真逆と言える立場。
だから前世の私は、そんな記憶は要らなかったし、公爵家に関わることもなかった。
それなのに、高級娼婦として成功した私は、かつての自分が生まれ育った公爵家に復讐しようとしていた節がある。
その結果が絞殺死だったのだろう。この辺りの記憶はハッキリしていないため、マリアンヌである今世の私が推測しただけだ。
しかしその推測が正解なのであれば、前世の私を殺した相手と前々世の私の生家は同一家となる。
そして先日ブラックウェル公爵邸で見た肖像画、あれが前々世の私なのであれば、『前世の私を鞭で打った挙げ句に殺した相手は、ブラックウェル公爵家に関係ある人物』となるわけだ。
前々世の私は、女性が鞭で打たれて苦痛を感じているのを見て喜ぶ、変態的嗜好の持ち主だったのだろう。なにせ、鞭打った女性との情事の最中に、他の女性にめった刺しにされての刺殺死だったのだから。
そのことから、私を刺し殺した女性は私に何度も叩かれ、私を恨んでいた可能性が高い。
私が他者から恨まれるのを気にするのは、この時代の出来事が心に深く根ざしているような気がする。……が、今気にすることではない。
前世の私は、かつての生家である公爵家に復讐しようとして返り討ち……鞭で打たれ、その鞭を首に巻きつけられて絞殺死している。
もし関連する”公爵家”がブラックウェル家であるなら――
”ブラックウェル公爵家は、虐待を好む血筋”と言っても過言ではない。
それらを繋ぎ合わせると、”呪われた公爵家”の正体は、現ブラックウェル公爵家の老当主が、『後妻を殺している』という答えに辿り着く。
全ては肖像画に描かれていた男性が、前々世の私だった場合の仮定だ。だからこそ答えを知りたかった。
もしそうであれば、私は売られることで危険な一族から逃れられたことになる。
しかし残念なことに、レオポルドはあれが誰だか知らないと言う。
結局、気持ちが落ち着かないなんとも言えない結果となってしまった。
馬車は途中で何度か停まり、休憩や宿泊をする。
停車の度に『売られる』とドキドキしてしまい、気が気でないのだが、そんな私を他所に旅は続いていた。
そして今、何度目か分からぬ停車が。
いよいよ今度こそ売られる、そう思った私は一段と体を強張らせる。
既に毎度のこととなったレオポルドのエスコートで、私はガチガチの動きで馬車を降りると、恐る恐る周囲を見回した。
だが何ということはない、大地が剥き出しとなった広大な場所だ。民家の影すら見えない。
時期や状況からして、麦収穫後の農地だと思われる。
レオポルドは側付きの従者――トムという名の初老執事と、何やら書類を見ながら話し合っている様子。
今回は今までの休憩停車と異なる状況であったため、いつも以上に訳が分からない私だが、ふと一つの考えが頭に浮かび上がる。
ひょっとしてではあるが、私は侍女として使えないため、農地で農民として働かされるのでは? という考えだ。
きっと普通の貴族令嬢では厳しいことだろう。だが私は違う。元々畑仕事は得意なのだから、むしろそうであって欲しいと思えてしまうのだ。
ここには怪しい謎の老公爵はおらず、未知のご主人様もいない。
もし農民として生きられるのであれば、それこそ私が一番長生きできる状況だろう。
閉ざされていた未来への扉が今、ほんの少しだけ開いて心に僅かな光が差し込む。
軽く気分が高揚した私が、楽観気味な希望に胸を膨らませていると、「マリアンヌ、行くよ」とレオポルドに声を掛けられ、また馬車に乗せられてしまった。
するとレオポルドから地図を見せられ、今はここを見ていた、などと教えてくれる。それにより、ここがブラックウェル公爵領なのだと確定したわけだが、レオポルドの意図が分からない。
理解の及ばない私は、ただただ状況に流されるだけであった。




